五木寛之著の『親鸞』上巻を大野図書館から借りだして読んだ。
親鸞が坊さんである位は知っているが、さてどんなことをした人だったか?良くわからないのでYAHOO百科で調べた。浄土真宗の開祖で「自ら信じ、人に教えて信じさせる」~「自力本願」の人だったかな?という感じだが、まあ小説『親鸞』を読めば少しはわかるのだろうかと思っている。
『親鸞』上は、下級貴族日野有範の子で忠範といった。9才の時に慈円の寺坊で出家し、青年時代を比叡山の横川常行堂の堂僧として不断念仏を行う下級僧であった。この時代の、思い悩む親鸞の姿を書き込んでいる。平安末期、武士の台頭の中で京の都は悲惨な状況下にあるなかで、人として僧としていかに生きるか。その苦悩をしっかり見つめている作品だと思う。
私は、10代の終わりに「科学的社会主義」に出会い、基本的に「唯物論」の立場から物事を考えるようになったが、わが国の歴史を考えるとき仏教の存在を考えざるをえない。聖徳太子の時代に渡来した仏教は、やがて権力の側に立つようになって、それに飽き足らない人たちが「聖」として巷に住み人々を救おうとした。法然しかり、親鸞もその一人だったのだろうと思う。現代の仏教もお葬式を仕切るのが役割のようになっている気がするのだが、ある意味で資本主義日本の終焉の時期を迎えつつある昨今。仏教はいったいどんな役割を果たすのだろうかと、ちょっと考えてしまった。
いずれにしてもあと2巻(中、下)を急いで読まないとならない。
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