昨日は、俺にとって、
大切な会合があった。
俺がセッティングしたもので、
いろいろ話し合った結果、
おかげさまで、
うまく行きそうだ。
少なくとも、
いい感触はもてた。
主催者は、最後に、
「ヒット大地さんのおかげです」
と言った。
そのとき俺は、すごく自然に、
「いや、神様のおかげですよ」
と答えた。
今まで、俺の人生、
率直に、そのようなことを言ったことはない。
言ったとしても、
友人とか、知人とか、
そういう場所でのことだ。
しかもそういうときだって、自然には言えなかった。
でも昨日は、とても自然に、
「神様のおかげ」が出て、
相手も、好意的に受け取ってくれた。
アメリカ人は、きわめて自然に、
日常会話で、「神に感謝する」を連発する。
日本のプロ野球でも、
ヒーローインタビューで、
外国人選手がそう言うのを、
読者も聞いたことがあるだろう。
また、昨日は、もうひとつ、今までとは違うことがあった。
昨日は、大切な会合だったが、
俺は、ジーンズと鼻ヒゲで、出席したんだ。
(ただし、できるだけ、こぎれいに)
今までの俺なら、
背広を着て、
ヒゲも剃って出席しただろう。
これも相手は、好意的に取ってくれた。
でも考えてみれば、平常心が一番強い。
そして、普段着の相手が見えたら、
人間は、安心できるはずだ。
なのに、人間は、
普段とは違う、フォーマルな格好をし、
言葉遣いも、バカ丁寧にする。
ニセの自分を演出するわけだな。
これって、相手も、
「コイツは演技しているな」と思い、
逆に、安心できないと思うが、どうだろうか?
ま、最近は、クールビズということで、
夏は、背広を着、ネクタイをしないでも許されるようになった。
ただ背広もいいところは多々ある。
たとえば、ポケットが多いので、
7つ道具を入れられるから、俺は好きだ。
イエス・キリストも、釈迦も、
悟りをひらき、
神に祈るときは、
こ汚い格好で、心は平常心だっただろう。
イエスは、神を、「父っつあん」と、呼んでいた。
多屁症の俺の人生も、あと20年くらいだ。
せいぜい屁常心・・・いや、平常心で、
頑張ろうと思う。