♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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最も感動的と言われたブログ

2013-07-26 06:01:55 | 日記

ヒット大地、SNSに入会していたとき、

「最も感動的だった、俺のブログのひとつ」

と言われたものを、紹介する。

 

母と俺が、北陸に逃避行をしたときの話だ。

以下、当時とそのままの文章で書きたい。

 

写真も載せる

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『4歳の孤独』     大地一人

 

 

あの日の早朝の逃避行・・・

 

一生忘れないでしょう。

 

私は4歳になったばかり・・・

 

前日、母は父と大喧嘩・・・・

 

普段から性格が合わなかった二人でしたが、

 

あの夜、母は、頭をゲンコツで殴られ、きれた?

 

私を連れて、雪深い2月の北海道・北見市を後にし、

 

はるか遠い北陸・富山市に向かいました。

 

そこに母の親戚があったのです。

 

後で聞くと、途中、無理心中の誘惑もあったそうです。

 

それを感じたのは、

 

青函連絡船の中・・・

 

号泣している母の姿を、4歳の私は今でもはっきり覚えています。

 

4歳の幼児にとって、それまで絶対だと思っていた母の存在・・・

 

それが、急に、鳥の羽ほどに軽く感じられたものでした。

 

・・・その後、二人は、落人のように、

北陸の親戚の家を転々と泊まり歩き、

最後に母は、金沢市の三口新町の

小野陽風園という老人ホームで賄い婦の職を見つけました。

 

・・・しかし半年後、ついに父に居場所が見つかり、

 

両親は協議離婚を決意しました。

 

親権は、今と違って、父親が持つ時代でした。

 

4歳の私は、大好きな母と別れなければなりませんでした。

 

金沢を出る最後の日、母子は写真館で写真を撮りました。

 

母も私も、ひどく悲しい顔をして写っていました。

 

・・・・金沢に母を残し、北見市に一人戻った4歳の私・・・

 

魂が凍るような孤独の日々が始まりました。

 

今と違って、別れた親子が会うなんてことは、

ほぼ絶対許されない時代でした。

 

私は2度3度と、それまで経験したことのない病気にも罹りました。

 

・・・そして、5歳の誕生日が近づいたころ、

 

母から、誕生日のプレゼントがとどきました。

 

中身は、帽子と黒板でした。

 

4歳の私は、覚えたてのひらがなで、

一生懸命にお礼の手紙を書きました。

 

それが以下の写真です。

 

・・・・その後、19歳のとき、15年ぶりに母と再会・・・

 

旭川駅で会ったとき、母は体をブルブル震わせて、泣いていました。

 

大学生の私は一緒に住みたいと思いました。

 

しかし、今度は両家の事情でそれは無理でした。

 

父も母も再婚していました。

 

母には、新しい子供がいました。

 

結局、二人は不本意ながら、

 

別れて暮らさねばなりませんでした。

 

 

・・・・4歳の頃の別離は、訳のわからぬものでした。

 

しかし、20歳のときの別れは

 

人間の心の醜さがわかっただけに、

 

別の意味でつらいものでした。

 

そのとき思ったことは、

 

「人を許すことの大切さ」です。

 

そして「人間は、どんな集団の中でも、

一人の独立した人格として、扱われなければならない」ということでした。

 

人間関係のしがらみは

 

人の心を殺すことさえあります。

 

今でも地球のいろいろな場所では、

懲りずに戦争をくりかえしています。

 

4歳の私が、母との悲しい別れから、学んだこと、

 

そして20歳の私が、一生懸命考えたこと・・・

 

以上の二つのことは、今も人生のバックボーンになっています。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以下の4歳の私のハガキは、母と別れてから、母に送ったものです。

母の遺品から発見されました。

72歳で亡くなるまで、母にとっては、大切なものだったようです。

 

 

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
人生は紆余曲折 (人生修業中)
2013-07-31 17:17:58
感動的な日記です
私とは歩んでこられた人生が違いますね
私は幼少の頃より不自由なく生活してきました
現在も不自由ない人生を歩んでいます
これからも順風満帆な人生を歩みたいと思います
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