東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

永見文雄 訳,シャップ『シベリア旅行記』,岩波書店,1991

2009-11-04 22:52:54 | 翻訳史料をよむ
『17・18世紀大旅行記叢書』第9巻。原書1768年。1761年の旅行。
全体のコメント、紹介は後にして

第7章 ロシアにおける学問、芸術の進歩について、国民の天才と教育について

ここは、なぜロシアではピョートル一世の政策にもかかわらず、学問や芸術が進歩しないかという考察。

p-234

 以上に述べられたことから容易に次のように結論できる。すなわち、ロシア人は働きも活動もない粗雑な神経液を持っているに違いなく、それは天才的な人間よりはむしろ逞しい体質を形成するのに適している、ということである。彼らの内部諸器官は弾力も振動も持つことはできない。彼らが風呂のなかでたえず行うマッサージ療法とそこで感ずる熱は、外部諸器官のすべての感受性を破壊してしまう。神経叢はもはや外部印象(アンプレッション)を受け入れることができないので、それを内部諸器官に伝えることはもはやできない。そこでモンテスキュー氏は、ロシア人に感情を与えるにはその皮を剥がねばならないと指摘している(『法の精神』第14篇、第2章)。ロシア人における天才の欠如は、従って、土壌と風土の結果のように思われる。

この部分だけ引用すると、判りにくいでしょうが、10ページ以上にわたる論議を正確にまとめることは不可能なので我慢してくれ。

本訳書では、渡辺博氏によって、当時の科学分野についての親切な解説と注が付されている。

それによれば、当時は、古代のガレノス以来の体液説と、デカルトやボレリによって展開された機械論的生理学が折衷されていた時代であったそうだ。

 宇宙流体、すなわちこの宇宙精気は、それゆえわれわれの生物体の液体と流体と流体の運動の直接原因であり、そしてこれらの体液(リキッド)が人間において管、神経の弾力と振動、そして動物機械全体の働きを産み出すのである。

こうした奇妙に科学的な知識をもとに、ロシアの気候条件を組み込み、ロシア人の気質を分析する。
いわく、ロシア人は陽気で社交好きで器用に真似ができる一方で、個人の創造意欲を欠いていて、専制主義のもとで才能を枯渇させられている。

まあ、よくある話である。
これは、モンテスキュー『法の精神』第14篇第2章(岩波文庫版(中)p27-31)にある、モンテスキュー自ら行ったと称する、皮膚組織や舌の乳首状突起に関する観察記録をさらに発展させたものである。
やはり、モンテスキュー、影響力が大きい人物なのだ。

なお、この部分を含め、ロシアの女帝エカチェリーナから本書への猛烈な反論があったそうだ。反論は当初匿名で出版されたので、著者が誰か論争の的になったそうだが、現在ではエカチェリーナ直々の著作だと認められている。

まあ、これだけ勝手なことを書かれたんじゃ、黙っていられないな。

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さて、本書『シベリア旅行記』の著者ジャン = バチスト・シャップ・ドートロッシュ
について、訳者・永見文雄の解説をもとにまとめておく。

この『17・18世紀大旅行記叢書』第1期のなかで、もっとも無名な人物であろう。
ベルニエやヴーガンヴィルのような社交界や宮廷関係の人ではなく、クックのような軍人でもなく、シャルダンのような商人でもない。

現代風の肩書きを付けるとすれば、天文学者である。

本書のシベリアへの旅行も、金星の太陽面通過の観察が主目的。
金星の太陽面通過というのは、渡辺博氏の解説に詳しいが、地球から見て、内惑星が太陽面を横切る時点に(本書の1761年6月)、地球各地からその視差を測定する。そのことから、地球から太陽までの距離を知る、という地球規模の観察である。
彗星な名がついているエドマンド・ハリーが予測した天文現象で、ハリーの死後にその遺志を継いで各地へ観測隊が送られた。

有名なタヒチのヴィーナス湾というのも、1769年に金星(ヴィーナス)を観測するための湾ということで名づけられたのは知ってますね。裸のお姉ちゃんが出迎える湾という意味ではありません。

さて、この1761年の観測は各地で充分な成果が得られなかった。次の太陽面通過が1769年で、この時シャップはカリフォルニアのサンルカス岬へ向かう。そこで、流行病にかかり客死。

本書は、国王の命令により科学アカデミーのシャップが行った旅行、国王お墨付きの記録である。

それでは本書は自然科学的な記録が多いかというと、最初にあげたロシア人の気質をめぐる考察にみられるように、あらゆることがらを盛りこんだ内容である。
ロシアの風土、産業、宗教、風俗、政治、裁判、軍事組織など、いわゆるフランス百科全書派的な著作になっている。

本書は省略のない全訳で、原注も挿図もすべて収録されている。

第6章 トボリスクの町案内
は、民族学的な観察記録。かなり偏向した記録であるが。

第9章 ロシアの人口、通商、海運、財政、軍隊について
は、CIAかジェトロの調査報告みたいな詳細な記録。軍港ごとの軍艦一覧表や一連隊の軍支出金額表まで載っている。

そんななか、第10章がとりわけ異様である。
別項で。

2009年11月16日追記

別項で第10章について書くつもりだったが、チベット仏教のタンカについて調べているうちに、いきづまって中断。そのうち書くでしょう。