東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

水島司 編,『アジア読本 マレーシア』,河出書房新社,1993

2007-07-28 07:32:38 | 多様性 ?
えっと、この『アジア読本 暮らしがわかる』シリーズのレビューは最初だっけ。
なかなかイントロとしてとっつきやすい本がなかった時、アジア各国別に、政治・経済よりも、衣食住・宗教・民族・慣習・教育・ポップカルチャーを中心にまとめてくれたのが、このシリーズです。

4冊ずつ1期分、全4期計16冊発行の第1期。
タイ・フィリピン・インドネシアとともに、ASEAN結成当初の国を紹介。

他の巻は(韓国は単独著者による)、多数の著者がそれぞれ専門分野を分担した構成になっているが、本巻は、編者・水島司ができるだけ一人で執筆するという体裁になっている。(それでも少数の助っ人が参加)

編著者の水島司さんは、インド史研究者としてスタートした方、中央公論社『世界の歴史』シリーズ『ムガール帝国から大英インド』で、南インド史を担当した人です。
その南インド専門家が、歴史的知識はあるものの、ほとんど知らない地域であるマレーシアを総合的に紹介したもの。
専門家が自分の専門をまとめるよりも、はじめてマレーシアについて書く、という新鮮さが、いい結果となった著作。

内容は要約不能。各自購入するか図書館で見よ。

*****

本書ばかりではないが、本書でも、マレーシアのブミプトラ政策についての矛盾がさりげなく述べられている。

マレーシアの「マレー人」は土地の子、本来の住民であり、華人・インド人の経済的優位に対抗するために、政策として優遇する、というのが「ブミプトラ政策」。
詳しい経緯は、前項『ラーマンとマハティール』にこれ以上はないほど適切に叙述されている。
しかし、「マレー人」ってのは、どう定義されるのだ。

『ラーマンとマハティール』にも初代ラーマン首相の母はビルマ人でバンコク出身、第4代首相マハティールの父はインドのケララ州からの移民の家系、ということがはっきり書いてある。これらの事実は秘密でもなんでもない。
「マレー人」は、マレー生まれのマレー語を話すムスリムである、という規定があるが、実は、マレー半島にもボルネオにも、ムスリムでもないしマレー語が母語ではない先住民がたくさんいるのだ。
さらに、スルタンがマレー人を精神的に保護・支配するという暗黙の前提があるが、スルタンというのが、移民のアラブ系だったり、現在インドネシアの各地からの子孫である場合がある。(だいたい、母親のほうは、シャム人だったりユーラシアンだったりするのだ。そういえば日本人でスルタンの妻になった人もいたはず。)

というように、矛盾がいっぱいなのだが、本書はその矛盾の中で、それぞれの宗教や慣習を守り(あるいは復活したり、創造したり)、消費生活を楽しみ、都市生活に不満ながらも順応するマレーシア人が描かれている。

シリーズの他の巻も同様だが、まず最初に目を通してみるべき1冊。
参考文献もしつこくなく適切。

萩原宜之,『ラーマンとマハティール』,岩波書店,1996

2007-07-28 07:32:20 | 多様性 ?
萩原宜之,『ラーマンとマハティール』,岩波書店,1996

著者(はぎわら・よしゆき)、シリーズ「現代アジアの肖像 14」

二人の首相を中心にマレーシア現代史を通観した一冊。
アジア通貨危機前に出版されたことが、逆によい結果になっている、と思う。
大きな事件があると、まるで、それ以前の経済・政治がそれに向かっているかのような叙述になってしまうきらいがあるが、本書は経済成長を謳歌するマレーシアの記述で終わっている。
これが、独立前後からのマレーシア史として読みやすい。

独立といえば、今年2007年8月31日はマレーシア独立50周年。
ウェブはお祭り騒ぎの情報であふれています。
しかし、どこから50周年かというと……(以下の段落はとばして読んでも可)

大英帝国の海峡植民地・マレー連邦州・マレー非連邦州の三種類の支配形態があったマレー半島、そこが日本軍の軍政になったのが1942年2月15日から。(ややこしいことに、日本軍政時代に、ぺルリス・ケダ・クランタン・トレンガヌの4州はタイに割譲。)日本の敗戦により、イギリスの軍政になる。その後、イギリス植民地省は、シンガポールを分離し、ほかの州をまとめたマラヤ連合案をつくり、政府案とする。この案に反対するUNMOは、マラヤ連合案に代わる、マラヤ連邦案を提出。半島内の各民族、政党、スルタンの利害が絡まる中で1948年2月1日マラヤ連邦発足。ナショナリストや政党が対立・協調する中で、マラヤ連邦は独立の道をさぐる。そして1957年8月31日、英連邦国家の一員としてマラヤ連邦独立。ここから数えて今月31日が50周年というわけだが、この段階でのマラヤ連邦というのはシンガポールも含め、ボルネオのサバ・サラワクは含まれていない。1961年、初代ラーマン首相はマラヤ連邦・シンガポール自治領・ボルネオ(サバ)・サラワク・ブルネイを統合したマレーシア連邦構想を発表する。この案に対し、サバ・サラワクの住民間の反対と賛成、近隣のフィリピン・インドネシアの抗議、半島部のさまざまな民族・勢力の賛同と反対があった。結局ブルネイは離脱。国連の調査団も受け入れた(うーむ、リットン調査団みたいなものか、東チモール調査団みたいなものか)。1963年9月16日、マレーシア連邦成立。しかし、まだまだ問題は続く。シンガポールでの反マレー・反UNMOの運動が高まり、結局シンガポールは分離独立。1965年8月9日シンガポール分離。この時期は、インドネシアやフィリピンとも国交断絶の時期。やっと現在の国境が定まったのものの、国内の動揺・不安定は続き、1969年「5月13日人種対立事件」。この事件をきっかけにラーマン引退。

というのが本書の第6章まで。
たいへんな時代だったのだ。
ベトナム戦争、文化大革命、というものすごい事件に目をくらませられるが、1960年代までの東南アジアの国々、みんな大揺れに揺れていた。
まさかこんな国々が、ヨーロッパ並の工業生産や国民所得になるなど、想像できなかった。
いや、東南アジアばかりじゃなく、日本と韓国や台湾だって、このころ、ものすごい混乱、治安出動、労働災害と公害、猟奇犯罪と組織的汚職だったんだから。

政治史を中心とした歴史は、このシリーズ全体をみても、混乱と対立、あやうい均衡の上に成立しているように見えてしまう。

なんといっても驚いたのは、マレーシアでは、「市民権、マレー人の特権、他の民族の合法的地位、国語、スルタンの地位についての一切の言論を禁止する」ことが憲法で(憲法でですよ!)禁じられているってこと。

↑文章まちがい。〈禁じられている〉ではなく〈規定されている〉

くれぐれもマレーシア旅行中、「ちぇ、英語の表示にしてくれよ」なんて言わないように。憲法を犯す言動であります。

とはいうものの、豊かな暮らしになれば、みんな穏やかになるもの。一見すると、各民族は調和しているし、漢字の看板もタミール語の看板もあるし、スルタンが国王になろうがなるまいが(順番で国王になるんだ!立憲君主制で連邦制)誰も気にしていないようにも見える。

そんな豊かな工業化社会にしたのが、マハティール第四代首相だ。