東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

村井吉敬,『スンダ生活誌』,日本放送出版協会,1978

2012-12-02 16:06:57 | フィールド・ワーカーたちの物語

NHKブックスの一冊。

1975年1月から約2年バンドンに滞在した記録。ちなみに、妻といっしょの滞在と書かれているが、その妻が内海愛子という女性だということは、いっさい書かれていない。わたしはずっと、この村井吉敬と内海愛子という人はどういう関係なのかと疑心暗鬼だったのだが、たんなる夫婦であります。ちゃんと書いてくれればいいのに。

さて、その暮らしであるが、大家の婆さんとのトラブル、家政婦とのトラブル、窮屈な人間関係、寄付や物乞いや賄賂や意味不明に要求される金銭の問題が著者を悩ませる。留学生として入学した大学でも、わけのわからない金を要求される。これが異国で暮らすことなのか。たいへんな生活である。

本書を読んで、インドネシアでベチャと値段交渉するなど不可能だと思った。彼らベチャ引きは、日本人の百分の一ぐらいの現金で生活しているのである。反失業状態の彼らにとって、時間は無限にある。仲間うちでの束縛と助け合いの慣習ががっちり彼らを縛っている。同郷や同業の仲間の掟をまもらずに、外国人を安く乗せることなどできない。10分ほどで行けるところに、30分でも1時間でも交渉する余裕がむこうにはあるのだ。急ぐときにベチャなど乗ってはいられない。では、最初から、えーい持ってけドロボーと高額の金額を提示したらどうなるか。やっぱり彼らはさらにふっかけるだろう。やはり30分でも1時間でもねばるのである。充分高額な言い値だから納得するだろうというのは、こちらの勘違いであって、持てるものからは、よりいっそうふんだくらなくてはならない。

だからいつまでたっても金がないのだ、もっと合理的に考えられないのか、と腹をたてたくなる。腹をたてるのももっともだが、彼らに、経済的な合理性を求める根拠がわれわれにあるか?そして、合理的に勤勉に競争原理で働いたら、彼らは豊かになるか?そんなことは、ありえない。

と、著書が書いているわけではない。

著者はぎりぎりの生活をしている農民や農村からはみでた半失業者の現実を描いているわけだが、解決の道はとうていみつからない、絶望的な状態である。読んでいて暗い気持ちになる。

著者は日本製のオートバイの普及にあまり良い印象をもっていないようだが、本書を読むと、インドネシアの比較的裕福(といっても、日本の基準からみてかなり低い所得の層)が、オートバイに憧れるのも理解できる。公共交通が機能せず、インフラの不足を自前で補わなくてはならない層にとって、オートバイは素晴らしい資本財だろう。おまけにかっこいい。著者には、どうも、このカッコよさに憧れる欲求不満の若者の心情が理解できないところがあるように思える。いや、本書全体の欠点ではないけれど。



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