東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

長南実 訳・川田順造 注,「アズララ ギネー発見征服誌 」,1967

2007-03-19 23:44:16 | 翻訳史料をよむ
『大航海時代叢書 第2巻 西アフリカ航海の記録』,岩波書店,1967 所収。

原著者のアズララはポルトガル王室のトーレ・ド・トンボ古文書館の館長。
この記録は、クロニカ、つまり正史、エンリケ親王の功績をたたえるために記された公式の記録である。
コロン(コロンブス)やガマより50年ほど前、ポルトガル王室の生涯独身の親王エンリケによる西アフリカ航路開拓を記す。

と、いうわけだが、この、王室所属の古文書館の年代記作者というのは、王室内の立場でいえば、道化や歌姫のようなものか?
王や王子の御機嫌をうかがい、その事績を顕彰する芸人のようなものじゃないか。

その卑屈すぎる文体が読みにくいうえに、ローマ帝国の賢人や弁論家のことばを引用し、アリストテレスなどギリシャ哲学をなまかじりに披露し、聖書やトマス・アクィナスを引き出して博学ぶりをひけらかす。それが(訳者が苦労して訂正しているように)不正確で間違っている。

とはいうものの、このポルトガルの年代記、読むべき内容も多い。

全体として、ヨーロッパ勢として、はじめてアフリカ西北部に航海し、捕虜をつかまえ、本国にもちかえり、奴隷交易の端緒となる事績が語られる。

むむ、なんて、非人間的な、残虐な、と非難する前にすこし考えてみよう。
まず、これは、ヨーロッパ勢が、やっと奴隷を捕まえられるようになった時代である。少し前まで、いや、この後もヨーロッパ人はずっと奴隷にされる側であったのだ。
そして、このアズララの筆致には、なんのやましさもとりつくろいもない。
強いほうが奴隷を捕まえ、弱いほうが奴隷になる、というのは、あったりまえの常識で、なんら弁解する必要はない。
それどころか、奴隷を所有することは、名誉なことであり、高貴な身分の証しである。

のちに新大陸で問題になるような、虐待・不衛生・疫病の問題はまだ小さい。
(ちなみに、この時代、この西アフリカ方面は2か月程度の航海なので、壊血病はおきない。ポルトガルの船員の消耗も少ない。)

それにもかかわらず、作者アズララは、家族がばらばらに売買される様子には同情している。
そしてさらに、それにもかかわらず、異教徒がキリスト教に改宗したことを、本人たちにとってこの上なく幸福なこととしている。

という、大規模、企業的な奴隷交易の前のプレ・ヒストリーである。

注目してほしいのは、本記録が書かれた年。
1453年だ。

これが、どんな年かというと、コンスタンティノープル陥落の年である。
つまり、これからがオスマン帝国の最盛期であって、まだまだヨーロッパの弱い立場は続くのである。そんな時代だ。
そもそも、このアフリカ大陸西海岸航路開発というのは、オスマン勢力に押さえられた東地中海を迂回するための交易路開発である。
コロンもガマもインドへの道を探っていたのである。

そして、1453年というのは、グーテンベルクによる通称「42行聖書」が印刷された年である。
つまり、本書「ギネー発見征服誌」というのは、まだ大量印刷が想像できない状態の時に書かれたもの。
書物というのが、羊皮紙に手書で記す、という時代なのだ。
当然、人びとのコミュニケイションは、口頭が中心である。
クロニスタであるアズララも、まず、現場を見た人物と会って話を聞くというのが仕事であっただろう。
本書に記された事件、航海、功績、失敗は、すべて、口頭で報告されたもの、と考えられる。

注を担当している川田順造の著作を通じて、われわれは、この記録の舞台となった西アフリカが無文字社会であり、オーラル・コミュニケイションによる文化が発達した地域である、ということを知っている。
しかし、西アフリカと違う意味であり、違うコンテキストであるが、ある意味この時代のヨーロッパ人も書物のない世界に生きていたのだ。
著者アズララがむやみやたらに引用する古典の知識も、書物のない世界だからこそ価値を持ったトンデモ知識だったのだろう。

*****

そして、辺境のマイナーな事件であるが、この1453年というのは、英仏百年戦争が終わった年である。
てことは、この後に、ジャンヌ・ダルクの魔女裁判などがあるわけだ。
魔女や怪物が生きていた時代なのである。

本記録の最初の重大事件、ボハドル岬の先までの航海、というのも、その先は焦熱地獄のような不毛の地で怪物が住むと怖れられた地に到達したからこそ、偉業であったのだ。

あるいは、アズララは探検事業を推進したエンリケ親王を称える理由として、親王の生まれた時の十二宮の位置、惑星の配置をあげている。
つまり、占星術によって、吉兆な生まれだから、エンリケ親王はすばらしい御方である、と言っているのだ。
とりようによっては不敬であるし、当時のカトリック界もそろそろ占星術を異端の術とする傾向があったのだが、それにもかかわらず、占星術に解釈を求める世界観は確固としてあったのだ。

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他の巻と同様、本書の場合も、訳者・注担当者・協力者が少ない書物を利用して、解説や注を作っている。
おどろいたのは、この1967年の段階で、エリック・ウィリアムズの『資本主義と奴隷制』が参考にされているのだ。
ええ、そんなの普通でしょ、と今だったら言えるのだが、この原書は英語圏では、もっとも忌み嫌われ禁書扱いされていた本だ。
フランスのアナール学派が持上げて、世界的に支持されるようになったわけだが、本書の訳者・監修者たちは、独自でこの本を捜しあてたのではないでしょうか。(もし、ちがっていたら、すみません。すでに各方面で注目されていたのか?)


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