東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

おそどまさこ,『障害者の地球旅行案内』,晶文社,1996

2010-09-09 21:10:41 | 実用ガイド・虚用ガイド
地球は狭いわよ、と言っていたおそどまさこさんも、年齢不明だがおそらく60歳を過ぎているだろう。本書執筆時点で50歳くらいだろうか?(注;前項の『地球女ひとり旅ガイド』に生年が書いてあった。1949年うまれだ。)

本書は肢体障害、視覚聴覚障害、内臓障害などを持つ人のための海外旅行案内である。
具体的な工夫、事前の準備、援助組織の詳細は各自よんでみてください。

わたしは、とくべつ○○障害と名前がつくような障害はない者であるので、そういう者からみた感想を少々述べる。

基本は、他人の善意ではなく、金銭で解決すること。つまり、それなりの代価を払うこと。シビアな意見であるが当然だろう。

最初のバリアーは、パスポートを取るなど役所関係の障害。それに周囲の反対を押しきる覚悟。

電動車椅子などさまざまなハイテク機器を活用する。本書は15年近く前の本なので現在はもっといろいろな機器が開発されているのだろう。ICレコーダーも携帯電話もほとんど普及していない時代の話である。

こうしてみると、いわゆる障害者といわゆる健常者の違いがどんどん小さくなっていっているように見える。電子機器や衛生用品をたくさんつめこんで旅行するスタイルも普通になったし、車椅子や杖を使って移動する人も普通になった。

一方で、本書の内容は他人事ではないなあ、と思うところも多い。
内臓障害、手術後の排泄の不便など、これからわが身にふりかかりそうなこともある。
結局、さまざまな瑣末な不便や身体の不調が海外旅行のバリアになるのだろうな。

おそどまさこ,『地球は狭いわよ 女のひとり旅講座』,トラベルブティック747出版局,1976

2010-09-09 21:10:17 | 実用ガイド・虚用ガイド
古本(ネット利用)で安く買えた。ちなみに、元の定価980円、初版5000部。
初めて現物を見る。

驚いた部分はいろいろあるが、まず書き下ろしではないこと。文化出版局の雑誌『Amica』に1974年9月号から1976年7月号まで連載された記事をもとにしている。
その『Amica』という雑誌も知らないが、ネットで検索したところによれば、やはりファッション中心の雑誌である。海外旅行の記事もあるが、それほど現実的な話ではないんではないかなあ。(未確認)

内容は準備偏として渡航手続・やすい飛行機の探し方・インフォメーションの収集・海外での周遊券・持ち物・トラブル対策。
目的地の情報としては、ニューヨーク・サンフランシスコ・ロサンジェルス・ホンコン・バンコク・バリ島・オーストラリア・ニュージーランド・ニューカレドニア。
ヨーロッパが無いのは著者が実際に旅行した時期から離れすぎていて最新の情報が載せられないからという理由である。収録地域の取材は雑誌掲載の前ぐらいで、本書刊行の1~2年まえ。

宿泊は長期宿泊のアパートメント、YMCA・YWCA、ユースホステルの紹介が多い。現在と違い、どうせ行くなら長期滞在ということだろうか。
「アダルト・スクール」(移民のための成人学校みたいなもの)入学体験記もあり。信じられないが無料だったそうだ。
そのほか、オノ・ヨーコ会見記、マリファナについて、レズビアンバー、ピアスをしてみました、などなど時代を感じるコラムも収録。

しかし、もっと時代を感じさせるのは、

追記
最近、新聞で、「エチオピア、バングラデシュ以外の海外渡航に種痘の予防接種は必要なくなる」とか、「海外旅行に持ち出すことが出来るドル限度額は1500ドルから3000ドルにかわる」とか、ニュースが流れていますが、6月18日現在、まだ確実ではありませんので、今後、出発される方は、直接、日本銀行、検疫所に問い合わせて下さい。


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さて、本書は現実の旅行ガイドとして役に立つのかどうか、わたしには判断不能である。
今読むとあたりまえの部分が多いし、肝心の安い航空券の入手など、どうもよくわからない。著者の使った航空券の期限がどのくらいか、FIXなのかOPENなのかもわからない。

各国の在京観光局が紹介されているが、どの程度の情報が得られるのか。地図は日本で入手可能なのか。
予算もわからない。親から1000ドル(30万円)ぐらいどーんと小遣いをもらえるくらいの女性を想定しているのだろうか。ちなみに、かなりの大企業でも20歳代の月給は10万円ぐらいの時代である。

現在の手取り足取りの親切すぎるガイドブックと比べるのは難癖だと承知のうえで言うと、空港から市内への移動のしかた、公共バスの乗り方など、もう少しくわしく書いてもらわないと、空港に着いたとたんにウロウロしてパニックってことにならないのだろうか。

旅行に必要な英語の文例や単語の案内もあるが、booking とか available? なんて重要な単語が載ってないんだよね。
著者自身はかなり自由に動けるタイプの人だろうが、本書を読んで羽田出発から目的地空港の外に出るまでイメージできる読者はいないと思う。

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実用的な知識はともかく、都市の案内もひじょうに忙しいのである。

しかし、はたしてマカオは団体旅行でなくては見てまわれないものでしょうか?九龍のスターフェリーの前、スターハウスの15階にあるマカオ・ツーリスト・インフォメーション・ビュローの職員ジョセフ氏も、「マカオは小さな街です。歩いたって正味2時間あれば回れますよ。」と言います。とにかくマカオはこじんまりとしていて、車などに乗るとアッという間に終わってしまうのでポルトガル情緒を味わうこともできません。香港からマカオ行きのツアーに参加したいというと、140ドル(8400円)以上とられてしまいます。2時間で歩けるところを、なにも高い費用を出して、車に乗ることはないでしょう。もしひとり旅でマカオへ行くとすれば、かかる費用をざっと計算してみても、水中翼船が往復40ドル、昼食代が5ドル、ビザ代が25ドル、雑費が10ドルとして計80ドル(4800円)で、つまり5000円足らずで納得いくまで、マカオをまわることができるのです。マカオには市内バスが走っていますし(30セント)、タクシーや人力車が絶えず流していますから、利用してもいいでしょう。

と、いうように、せっかくのひとり旅なのに、ツアー客並の駆け足旅行を書いている。ちなにみ、マカオを2時間で歩くのは不可能だし、一日ではぜんぜん納得いくまでマカオを回ることはできないと思う。

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別に本書だけではないが、現在のガイドブックにまで続く不思議な内容がある。

まず、日本食が欲しくなるから準備するという記述。これがほんとに不思議だ。著者の年齢ならわからないでもないが、みそ汁やお茶や梅干がそんなに欲しくなるものなんだろうか。
家庭でも毎日みそ汁やお茶を飲んでいる日本人ってそんなに多いのか?

最近は荷物検査が厳しくなって、ナイフは預け入れ荷物に入れなくてはならないという記述が多い。本書でも持ち物の中にナイフがある。しかし、旅行中にナイフが必要?安宿でも高級ホテルでも包丁ぐらい借りられるだろうし……。

宮田珠己,『東南アジア四次元日記』,旅行人,1997

2010-09-02 21:50:53 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
文庫は文春文庫PLUS 2001
    幻冬舎文庫 2010

実は初めて読むのです。
親本の旅行人版を買おう買おうと思っているうちに品切れになり(蔵前編集長すまぬ)、文春文庫も買おうと思っている時に見つからずで、今回幻冬舎から出たのでゲット。

読むと脱力して元気がでる本だ。
本書のあとの『わたしの旅になにをする』などより、強烈なギャグは少なく、わりとちゃんとした(?)旅行記だ。とはいうものの、思わず噴出す場面は多々あるが。

旅程は、香港~ベトナム南部~カンボジア~ベトナム北部~ラオス~タイ北部~ミャンマー~タイ中央部~マレーシア~シンガポールという黄金コース。ミャンマー以外は陸路を歩く、もはや定番といっていいコースだが、サラリーマンをやめて長期旅行に出かけられるという開放感にあふれた旅である。

 何もかも忘れてのんびりしたいと思うことがあるが、実際にのんびりできたためしがない。今も、体は疲れているし、気力もダレているが、かといって休養ばかりでは退屈で落ち着かない。
 何でも海外旅行というと、あちこち観光して回ったり、うろうろしてひとつとこrにじっとしていられない旅行者は馬鹿にされる傾向があるが、そういう風潮には納得いたしかねる。私に言わせれば、右も左もわからない土地でうろうろしているうちに、元へ戻れなくなって、にっちもさっちもいかなくなったり、行きたいところにたどり着けなくておろおろすることこそが旅の醍醐味である。(p167-168)


うーん。わかる!

それにしても、ラオスビザが100USドルというのにはびっくりした。当時はそんな時代なのである。その高いビザ代を払い、ワット・シェンクアンなどというお間抜けな寺のようなテーマパークのような所を見るだけ、という旅行である。
ちなみに、現在は15日以内なら日本人は無料!ベトナムも15日無料である。
入場料無料の遊園地みたいなものだ。
それから調べてみたら、ワット・シェンクアンって意外と有名な所なんですね。ほかに見るようなところが無いからかもしれないが。

東南アジアの旅ってこんな具合なんだなあってわかるという意味ではベスト5にはいるくらいの良質な旅行記である。ほんと。

山口誠,『ニッポンの海外旅行』,ちくま新書,2010

2010-08-28 00:17:30 | その他;雑文やメモ
うーん……。
帯にあるように、〈若者の海外旅行離れ〉の分析。1964年の海外旅行自由化から現在の不況時代までの変遷を旅行のタイプとガイドブックから分析する。

しかし、まず、若者=大学生という前提が無理じゃないのだろうか。
次に、20代の海外旅行が減っているのが事実だとして、どんなタイプの旅行であれ、自分の金と暇を使って行く旅行がほんとうに減っているのだろうか。

つまり、著者のいう〈買い・食い〉旅行であれ、〈貧乏旅行〉であれ、〈自分探しの旅〉であれ、はたまたずっと以前からの添乗員付き団体旅行であれ、旅行者(著書は消費者と呼ぶかもしれないが)の主体的な選択の旅行がそれほど減っているのだろうか。

20代の若者の旅行(正確に言えば海外渡航)が減っているのは、会社の研修旅行・慰安旅行など強制的な旅行が占める部分が多いのではないか。
あるいは、以前なら出張する上司のカバン持ちとして行くとか、婆さんの海外旅行に付き添うとか、得意先の招待旅行にお前替わりに行ってくれ、というようなタイプの旅行が不況で減ったせいではないか。

どんなタイプであれ、著者のいうところのバックパッカーや個人長期旅行はもともと出かける人数は全体の1%やそこらだろう。1%が0.5%になっても全体の減少には関係ないと思う。

それから、海外旅行のタイプの変遷として、『地球の歩き方』『オデッセイ』『旅行人』『ABroad』『個人旅行』『わがまま歩き』『るるぶ』などのガイドブックを材料にするのは妥当だろうか。
著者は『るるぶ』などの買物・グルメ情報ばかりのガイドが売れ、歴史や文化を紹介するガイドブックが消滅しようとしているように述べている。
しかし、昔からガイドブックは、買物・ホテル・レストラン案内が大部分であったはずだが。

『何でも見てやろう』『印度放浪』『深夜特急』、あるいは蔵前仁一や下川裕治・前川健一などに影響された旅行者がもし参考にするとすれば、旅行ガイドブックではないと思う。

たとえば、平凡社の「コロナブックス」、新潮社の「とんぼの本」シリーズなど旅行ガイドとして使える本はいっぱい出版されているでしょう。
河出書房新社の『アジア読本』、明石書店の『○○を知るための○章』シリーズ、中央公論新社の『世界の歴史』、なんでもありである。司馬遼太郎や塩野七生なんかも旅行ガイドとして読まれているんではないんでしょうか。

まるで、過去のバックパッカーは『地球の歩き方』だけ見て旅行していたみたいだ。
いや、みたいだ、じゃなくてほんとに『地球の歩き方』だけしか見てなかったのではないか、と同じ著者の
山口 さやか, 山口 誠,『地球の歩き方の歩き方』,新潮社,2009
を読んでいて感じた。

本書と『地球の歩き方の歩き方』で基本的な情報を知ったのだが、『歩き方』はもともと大学生向けパック旅行のための無料案内書から出発したのだそうだ。パック旅行じゃない個人自由旅行だと言われそうだが、事実上の団体旅行ではないか。別にそれが悪いというわけじゃない。ただ、そういう背景があると今頃やっと知っておどろいている。

『歩き方』を批判するわけではないが、あれこそ決まったコースを行くだけのパック旅行ではないんでしょうか。新潮社『地球の歩き方の歩き方』を読むと、創刊メンバーはつわもの揃いで、なかなか商売人でもあるようで、そういうベンチャービジネスの成功談として一読の価値はあった。
しかし、それと『るるぶ』や『ABroad』を対比して論じても説得力ないと思うんですが。

あと、たとえば『Popeye』から『ハナコ』までのファッションやライフスタイル誌、『山と渓谷』から『BE-PAL』までのアウトドア関係、『丸』から『ムー』までのオタク系(いっしょにして御免)、音楽や映画・マンガ、そういったメディアのほうが海外旅行のプラス要因として大きいわけで、ガイドブックだけ比較しても意味ないんじゃないかなあ。

そういえば、筑摩書房からも『週末から』というレジャー雑誌がでていたっけ。

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書評や本の感想からズレるが、いわゆる〈若者の海外旅行離れ〉の理由は、相対的な貧困が一番の原因だとわたしは考える。

相対的というのは、旅行をするための金がないほど貧乏だと言う意味ではない。20歳ぐらいの年齢を考えると、バブルの時代も不況の時代もたいして違いはないんじゃないか。
現在の20歳前後の若い連中が相対的に貧困なのは、携帯・パソコン・衣類・化粧品・コンビニ消費など、使った気がしないのに消えていく金が多く、それ以外のものに消費がまわらないのが原因ではないか。

さらに、海外旅行に限っていえば、旅行そのものの費用ではなく、旅行に行きたくなるための情報や知識を得る金がない。だから、めんどくさい海外よりも温泉にでも行ったほうがいい、という消費行動になるのでは。

それから、インターネットの影響としては、海外へのネガティブな感情があふれていて、旅行しようという気分を冷やすものがいっぱいある。
悪名高い某サイト(2ちゃんねるではありません)を覗くと、海外女一人旅など不道徳・破廉恥・国辱的なものだときめつけるような投稿が山のようにある。

中国人は反日的、インド人は詐欺師、東南アジアは不潔、白人は人種差別主義者、イスラム教徒はテロリスト、などなど海外旅行を危険・不衛生で貞操の危機と思っている人が大勢いるようだ。

さらに、20歳前後の若者の場合、親や家族の反対がすごいようだ。
だから、〈ボランティア〉だの〈短期留学〉だのと理由をつけて、団体旅行に参加する以外ないのが今の若者なのである。ははは、ざまあみろ。

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以下、本書の内容からさらに離れるが、

今後日本人の海外旅行は2泊3泊の短期旅行を除くと、どんどん減るだろうな。

むかしむかし、添乗員付き団体旅行で行った大正生まれの爺さん婆さんたちは、一人で着替えができない、枕が変わると眠れない、ナイフとフォークが使えない、洋式トイレが使えないなど、基本的な生活習慣がダメな人が多かったわけだ。

今後、日本の便利で窮屈な生活に順応した世代は、ヨーロッパだろうとアジアだろうと、不便な生活に耐えられないのではないか。
ウォッシュレットもない不潔なホテル、コンビニ食しか知らない舌にあわない気持ち悪い食事、乗物酔いに悩まされる移動、化粧品やサプリ食品やお気に入りの小物でいっぱいになったスーツケースを転がすことも難儀、という海外旅行はとても大金を出して行く気にならないだろう。

地球の歩き方どころか空港内(長いぞ)も歩けない人は海外旅行ができないということになるだろう。

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さらに身辺雑記になるけれど、旅行ができない状態で円高のニュースをみると、ひじょうに悔しい!この前海外に行ったときは、1USドル108円だった。とほほのレートである。

せめて海外へ行った気分になるため朝晩に水シャワーを浴びている。

山下恒夫,『大黒屋光太夫』,岩波新書,2004

2010-05-12 19:05:38 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
『大黒屋光太夫史料集』全4巻の編纂など漂流史料一筋の著者による決定版。
全4巻もの史料におぼれることなく、あっさりと新書一冊にまとめてくれた。ありがたい。こういう伝記は、長くしようとすればはてしなく長くなるもので、著者にとってはライフ・ワークであっても、一般読者にとっては読む気がしないものになりがちである。

記述は論文調ではなく、小説に近いくらいの語り口である。1ページの記述に何日、何か月もの史料渉猟をして書かれたと思われる。

さらに読んでいて気持ちいいのは、著者があまり熱くなっていないこと。この種の伝記では、感動を強調されるとしらけてしまう。

読みどころはいろいろあるが、

江戸時代の家族、身分、流通制度の概略。たとえば、〈大黒屋光太夫〉というのは、本名ではなく、屋号のようなものなんですね。そのほか、婚姻、過去帳など、しろうとが間違いがちな史料を正しく読解してくれる。

江戸時代後期の造船技術、航海の実際。迫真にせまる漂流の描写。アリュート人、ロシア人との遭遇、越冬の記録など。

享保から寛永への幕府経済改革。蝦夷地開発の実態。『なまこの眼』で描かれたような日本列島からシベリア、カラフトの経済。ロシアの東方進出の実態。

『赤蝦夷風説書』にみられるような、幕府の外交対策。そしてロシアをはじめ各国の東アジア対策。ペテルブルグで、イギリスの情報収集活動があったなんて、当然といえば当然だが、こういう文脈で書かれるとおお!と思う。オランダ人も当然、ロシアにいる。

漂流民の語りと学者の記録のへだたり。光太郎ら漂流民の実感がほんとうに伝わっていたのか。あるいは、客観的な事実が記録されていたのか、という問題。あるいは、光太郎のホラ話的な部分もあるのじゃないか、という疑い。特にペテルブルグ滞在中の話など。

帰国後、光太郎は幕府に帰郷を禁じられ、幽閉状態のうちに死亡、というのが従来のみかた。
この帰国後の話も、著者の執念により、かなり修正されたようだ。けっこう自由な生活だったのだ。

大野信一 石井米雄 死去!!

2010-02-28 22:09:20 | その他;雑文やメモ
今月はずっとウツ状態で小説ばかり読んでいて、新聞もテレビも見ていない。
このブログもずっと書いていなかったが、本日、なんと、神田神保町のアジア文庫の店主・大野信一さんが死去されたことを知る。

さらに、わたしのブログで何度も言及している石井米雄氏の死去も知る。

別に入院していたわけでもなく、海外に行っていたわけでもないのに、こんな大ニュースを知るのに、これほど遅れるとは。もっとも、インターネット上にもあんまり情報はないな。出版社のめこんのサイトに載っているから間違いないだろうなあ。

そういえば、翻訳家の浅倉久志も死去。こちらはけっこうウェブ上でお悔やみが多いな。

うーん。はやく暖かくなって、気分が晴れますように。

篠田謙一,『日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造』,NHKブックス,2007

2010-01-24 19:11:54 | 自然・生態・風土
ひじょうに明晰で親切な一冊。DNAと日本人という怪しげな言葉を組み合わせた書名が最大の欠点であるが、一般読者向けに書かれたこの種のテーマとしておすすめ。

p-101

 ですから、日本人の由来を考えるとき、今日本に存在するすべてのハプログループの系統を個別に調べていけば、その総体が日本人の起源、ということになります。こう書くと、それぞれのハプログループの歴史がわかっても、そもそも自分自身の持っているハプログループがわからないと、自分の由来はハッキリしないのではないか、と感じられる方もおられるかもしれません。しかし、それは誤解なのです。最初に説明したように母から子供にわたされるミトコンドリアDNAと、父から息子に受け継がれるY染色体の遺伝子を除く大部分のDNAは両親から受け継いでいます。たとえば私の父のミトコンドリアDNAのハプログループはAですが、(これもかつて調べてみました)、これは私に伝わっていません。しかしハプログループAのたどった道も私の由来の一部のはずです。ミトコンドリアDNAのハプログループを婚姻の条件にする人はいないでしょうから、基本的に祖先における婚姻は、ハプログループに関してはランダムに行われていると考えられます。ですから、実際には不可能ですが、仮に自分の祖先を数百人選び出して、それぞれのハプログループを調べて頻度を計算すれば、今の日本人集団が持つハプログループの割合に近いものになると思います。自分自身を構成するDNAは他の日本人とおなじような経路をたどって、自分のなかに結実しているのです。

わかりましたね。
頻度の問題なんですよ。

そして、ミトコンドリアDNAのタイプ、上の引用文中のハプログループは、頻度を比較する指標にすぎないから、たまたま同じハプログループを持っている2人の人間がいたとして、他の人間より血縁や祖先が近いということにはならないのですよ。

同じことはY染色体のタイプでもいえることであって、父親が同じなら同じタイプであるが、あかの他人とたまたま同じタイプであっても、とりわけ血縁が近いということにはならない。

しかし、ミトコンドリアDNAのタイプの違いが、婚姻と無関係というのはほんとうか?いいかえると、性淘汰と無関係なのか?あるいは、自然淘汰と無関係なのか?

ミトコンドリアDNAのハプログループによって系統を調べる方法は、ハプログループが異なっていても自然淘汰、性淘汰のどちらにも無関係であるという前提をもっている。
もし、特定のタイプが生存や生殖に有利なら、そのタイプが広まってしまい、系統を反映する指標にはならないからだ。
しかし、無関係ともいえないことがあるようだ。

p-119

ミトコンドリアは細胞のなかのエネルギー産生装置で、体内で使われるエネルギーのもとになるATP(アデノシン三リン酸)という物質を作っています。ところが、私たちが摂取した食物の持っているエネルギーのうちATPに変換されるのはおおよそ四十%程度で、残りはミトコンドリアのなかで熱に換えられます。つまりミトコンドリアはエネルギーを作るとともに熱も作っているのです。そしてどうもこの変換の比率がハプログループによって異なっているようなのです。北方に進出したハプログループは、熱に変換する割合が大きく、一方南のグループは熱を作る能力が低いので、結果的にこらが両者の分布域の違いになって表われていると考えているのです。

ということもあるのだ。

わたしは、DNAによる系統研究は、まったく生存や生殖に無関係、つまりタンパク質生成に関与しない無意味な鎖の部分で調べるのだと思っていた。しかしミトコンドリアDNA解析の場合、DNA全体を使うのだそうだ。(という基本的なことも、しっかりわかりやすく説明されています)
ミトコンドリアDNAの場合、D-ループと名づけられた無意味部分はひじょうに短く、ほとんどが意味ある遺伝情報を持つ部分=エクソンである。(核のDNAではエクソン部分はわずか1.5%である)

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かんじんの中身であるが、日本列島の部分はあんまりおもしろくなかった。
そうか!とひざを打ったのは、

1、アメリカ大陸での移動・拡散の系統は、現在、各説が混戦中。
  とくに、海洋移動説が真剣に論議されている。

2.インド亜大陸は、ユーラシア西タイプの東限であり、東タイプの西限。つまり、東西の分かれ目。わたしには、気候の分かれ目と対応するように見える。

3.サヘル人(オーストラリア先住民とニューギニア高地人)に関しては、アフリカからユーラシア南岸を通って、インドネシアの島伝いに移動したという経路がほぼ確実である。ただし、彼らの移動の道筋は現在海の底なので、考古学・人類学的証拠を見つけるのは困難である。

国立民族博物館の佐藤浩司さんのサイト

2010-01-20 22:02:01 | フィールド・ワーカーたちの物語
建築人類学者の眼
http://www.sumai.org/asia/sumba.htm

すばらしく凝ったサイト。
大部分未完成のようですが、写真、図面、動画、フィールド調査のようす、などなどもりだくさんの内容である。

南洋とか東南アジアなどと大雑把な見方をせず、本気でオーストロ・アジア諸語の民族の住居を知るために必見のサイト。ぼんやり見るだけでも楽しいサイトで、リンクもたくさん貼ってある。

これを見たら、弥生時代建造物のルーツは南方、などと軽々しく言えなくなるでしょう。

見ればわかるけれども、注意点を二、三。

まず、あたりまえだけれども、サイトで紹介されるのは現在の姿です。

佐藤浩司さんは東南アジア全域ばかりか、東アジアにも詳しいようですが、得意のフィールドは、東インドネシア方面であるようだ。つまり水稲稲作地域ではない。

高谷好一の生態区分によれば、この地域は、水稲稲作地域でもないし、陸稲稲作地域(陸稲卓越型焼畑)でもない。サゴヤシを含むイモ・雑穀栽培地域〈サゴ区〉、陸稲や雑穀もあるがイモが主要ななカロリー源である〈イモ・稲区〉である。

井上章一,『伊勢神宮 魅惑の日本建築』,講談社,2009

2010-01-19 21:30:35 | フィクション・ファンタジー
著者の本領を発揮した力作で書き下ろし。じっくり読んだ。じっくり読みすぎて、終わりのほうになったら最初のほうを忘れるくらいであったのだが……(『ライラの冒険』と平行して読んだし)

『伊勢神宮 魅惑の日本建築』というタイトルはウソである。井上章一さんが「魅惑の日本建築」などを語るわけがない。いつもどおりの学会の馴れ合いあばきであり、学説の虚構が生まれる過程を追及したもの。

こまかい話は省いて、最後の部分、考古学と建築学の共犯的な遺跡復元について。

本書を読む以前から、わたしは、ちゃーんと疑問を持っていたことがある。信じてくれ。
疑問を感じていたものの、きっと、なにか確固とした史料か専門的な裏づけがあって、学会や学術誌で発表されているんだろう……と思っていた。調べるのがめんどくさいし、日本の考古学の本はあんまり読む気もないし……。

わたしの疑問はなにかというと、弥生時代の遺跡で発掘された建造物遺構をもとに、その時代の建物が復元される事業、というかイヴェントがたくさんあるでしょう。その復元であるが、なぜ、壁や床や屋根があることがわかるのか?
柱のようなものが立っていたことは、その掘立の跡から推測できるかもしれない。しかし、屋根や床や壁のある建物であることや、ましてやその形や構造がどうしてわかるのか?

結論からいうと……(p471)

根拠なし!

なんだ、そうだったのか。はやく言ってくれよ。

本書はそれをはやく言わずに、18世紀から江戸時代末期、明治、20世紀前半、中期、後半と時代を追って、じっくりじっくり、しつこく検証していく。
著者独特のしつこい繰り返しを嫌う読者もいるだろうが、わたしはファンなのでこの文体が好きである。

本書の最後は、大阪府の和泉市・泉大津市にまたがる池上曾根遺跡(いけがみそねいせき)の復元について。

建築史の宮本長二郎(みやもと・ながじろう)、浅川滋男(あさかわ・しげお)が異なった復元案を立てる。
宮本長二郎は、伊勢神宮の社殿をおもわせる神明造(しんめいづくり)をヒントにした復元案。
一方、宮本案が工法上の難点があること、宮本が奈良文化財研究所から移転したことにより、後輩格の浅川が新しい案を出す。
浅川案は、インドネシアやオセアニアの住居建築をヒントに南方的な復元プランとした。
それに対し、奈良文化財研究所の金関恕(かなせき・ひろし)がイチャモンともいえるような異論を出したことなど、細かい経緯も述べられている。(ちっとも雲南風じゃないのに、浅川案を雲南の民家風などと言って……。オセアニアも雲南も南方とひとくくりするのかいな!?)

さらに、どんでん返しの話もあるのだが(笑った!)未読の方のために書かない。

ようするに、考古学者は遺跡復元を建築家の領分として責任のがれをする。そうしておきながら、建築家の自由な創作をいつのまにか、既成の事実にすりかえてしまう。

一方で、建築家は考古学や民族学の成果を参考にするものの、つまみぐい的な応用であって、学問的に根拠があるものではない。

本書は、伊勢神宮の神明造がどう捉えられてきたか、建築史学や民族学がどう論じてきたかを通観したものである。その中で、著者がかなり強い筆致で非難するのが建築学会のなれあいである。
しかし、わたしはむしろ考古学の方面のなれあいというか、事実無視というか、そっちのほうが気になる。

*********

どこの学問世界にも派閥や閉鎖的な要素がある。それはある程度しょうがない。しかし、日本国内の考古学はちょっとおかしいと思わざるをえないことが多すぎるのではないか。
この日本考古学トンデモの理由は、本書では論じられていないが、容易に見当がつく。ようするに、国や地方自治体のカネが大きく動くからだ。
地味に文献を跋渉したりフィールドを歩くよりも、穴を掘ってなんか宝物に当たれば、メディアも騒ぐし予算もつくのだ。さらに、テーマパークや学習館を建てるプランは、関連企業が大喜びするだろう。

こうした考古学学界・業界の暴走に対し、まじめな学者は、君子危うきに近よらず、のスタンスだと思う。
それゆえ、本書の著者・井上章一さんの蛮勇(?)には敬意を表すものである。

建築史家のなかでは例外的に、岡田精司(おかだ・せいじ)という方が、弥生の神殿説に異議をとなえているそうだ。

「神殿」論者たちは、これだけ大きなものは、「神殿」以外に考えられないと公言し、また若い研究者のうちからも同様の声があがっている。しかし、万葉にも記紀にも、明確に社殿(本殿)と思われる記述はない。だから、律令国家の神祇制がととのう以前に神社の社殿はありえない。

このように冷静に論じている。

**********

なお、本書全体の構成では、最終部分の遺跡復元の前に、第4章第5章で、戦前・戦後の海外調査と日本古代建築論の関係が論じられる。
つまり、本書の三分の一ほどは、東南アジアやオセアニアの民族調査と神社建築論の関係である。なので、鳥居龍蔵など海外、おっと「海外」ではあるが必ずしも「外国」ではないな、その海外調査などに興味がある方にはおすすめ。

あと、本書の中で論じられる人物のなかで鳥越憲三郎という人物がいるが、この人、まじめな学会からは完全に無視されているようですが、やはりトンデモ系なんでしょうか。あるいは、沖縄や「おもろそうし」関係の研究に、なにかヤバイところがあったのだろうか?自分で調べればよいのだが、どうも、よくわからん。

大塚和夫,『イスラーム主義とは何か』,岩波新書,2004

2009-12-29 21:21:52 | 国家/民族/戦争
第5章 ムスリムの「近代」
2 世俗化・近代化再考

ここで、西欧式の近代=世俗化という前提に疑問をはさむ。

一般的な理解として、近代化にともなう世俗化として、

1 政教分離~国家は宗教に介在しない。特定の宗教を保護しない

2 宗教の私化~宗教は個人の内面の問題であり、また家庭などの私的な領域での規範や行事、儀礼である。

3 現世意外の領域、つまり死後の世界や他界よりも、現世、現実の世界の問題を重くみる。

というような傾向を含蓄する。
しかし、本書で論じられているイスラーム世界においては、近代化が必ずしも政教分離や宗教の私化をともなわず、また来世を現世よりも重くみる(不適切な例だが、自爆テロリストなど)世界観も強まっている。

このように、イスラーム世界以外では、ナショナリズムと結びつく傾向が、イスラームにおいては、宗教と結びついている。われわれは、このような近代化も一つの世界であると、認識しなければならない。

しかし!

ここでまちがってはいけないのは、イスラームとひとくくりにできる一枚岩のイスラーム世界などというものは、存在しない。
同じ言葉で語られるもの、たとえば本書の例でいえば女性のヴェール。エジプトでヴェールを着用する女性と、アフガニスタンでブルカを着用する女性と、インドネシアでジルバブを着用する女性を、同じように伝統回帰とみてよいわけはない。
それぞれの歴史的・地域的な事情と政治的あるいはファッション的意味がある。

つまり、「ヨーロッパ的近代」と「イスラーム的近代」と二者択一に論じることはできない。

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という前提にたって、著者のエジプト滞在の話を含め、イスラーム主義の歴史が説かれる。

第1章 アラビア半島のワッハーブ運動
第2章 スーダンのマフディー運動
第3章 エジプトのムスリム同胞団
第4章 エジプトのジハード団など、20世紀後半の動き。

とくに第4章に関しては、識字率の上昇、高等教育の普及にともなって、西欧の文化を知った知識層から「イスラーム復興」の動きが出てきていると説かれる。(ゲルナーやアンダーソンのおなじみの理論も援用される。)

第5章 4 ピューリタニズム的イスラーム?

ゲルナーの
"A Pendulum Swing Theory of Islam"
という論考は初めて目にするのだが、(だいいちわたしはゲルナーなんて読んだことないし、モロッコでベルベル語を話すムスリムを研究したなんてことも知らなかった。ハリー・ベンダと似た生い立ちの人なんだな……)そのなかで、ゲルナーは前近代のイスラームの動向を説明するものさしとして、以下の二つの基準を考えた。

C特性群
1.現世・来世におけるヒエラルキー志向
2.聖なる存在と一般信者との間を媒介する聖職者や精霊の活発な活動
3.知覚可能な物体などを用いた聖なる存在の具象化
4.儀礼や神秘的行為が盛況になること
5.特定の個人・人間への忠誠

P特性群
1.厳格な一神論志向
2.ピューリタニズム的厳格主義
3.聖典と読み書き能力重視
4.信者の間の平等主義
5.霊的仲介者の欠如
6.儀礼的な放縦さをおさえ、中庸で覚醒した態度を尊重
7.情緒よりも法や規則の尊守を重視

という分類である。
このC特性群はカトリック、P特性群はイスラームに該当するものであるが、ゲルナーはさらに、イスラームの内部にこのC特性群とP特性群に対応するものがあると分析した。

著者は、ゲルナーは前近代について上記のように述べたが、現在でも(もしくは現在のほうがもっと)この枠設定が役立つのではないか、と述べる。

以上、かなり雑な紹介になったが、イスラム原理主義などという言葉を不用意に用いないようにするためにも一読した。
わたしはつねづね、シーア派とかスンナ派とかいうメディア上の言葉に違和感を抱いているのであるが、ああいった雑な分類にひきずられないようにしなくては。

もっとも、同じ著者が編集した、
大塚和夫 編,『世界の食文化 10 アラブ』,農文協,2007
なんかを先に読んだほうがいいかもしれない。

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本書執筆当時は石原政権の都立大学問題でかなり悩まされたそうである。
その後、めでたく東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長にご栄転!
えっと、今ウェブで調べたら、今年、2009年4月29日、59歳で死去!?!
ぐあーん!