◎書籍広告「中央公論新社/1月の新刊・話題書」が 朝日新聞の1月21日(土)朝刊に掲載された。
・・・この瞬間 1月10日(火)の広告「中央公論新社/1月の新刊・話題書」は 後続に座を譲ったわけである。/「新刊登場」という晴れ舞台は 長くは続かない。期待通りの実績が望めなければ 表舞台から早々に消えるしかない。
◎画像左=本日の昼下り。ぶらり訪ねた「三省堂書店/仮店舗」4階売場。
・・・下段右端に「私の昭和史」。左端に《保阪正康著「世代の昭和史」朝日新聞出版刊》が見える。
保阪著「世代の昭和史」は「新たな『国民の歴史』が誕生!/『戦争要員世代』と『少国民世代』からの告発」という内容らしい。日本近代史の「▼▲」と称される「半藤一利・保阪正康/連合軍」の縄張りの中で いつまで「新参者=私の昭和史」は生きていられるか。
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◎「真摯に正義感をもって生きた、ある青年将校の記録」「二・二六事件青年将校の真実を知る、第一級史料」。
・・・これが「中公文庫版」の「帯」に記された惹句である。「帯」だけを読む人には「ある青年将校の自叙伝」だと思われたかも知れない。
この「中公文庫版の帯」が伝えていたイメージは 今回の「完本の帯」によって急変する。
◎「二・二六事件研究の第一級史料、決定版」「自らの体験を克明に綴った貴重な記録に関連文書を増補」。
・・・これが「完本版」の「帯」に記された惹句である。
かくして「ある青年将校の(個人的な)記録」は「事件研究の(普遍的な)第一級史料」へと格上げされたわけである。(微苦笑)
◎「第一級史料」と認識されることは(細部の事柄までも)他者に引用されるケースが増えることでもある。
・・・《末松太平「私の昭和史」の記述によれば・・・》という表記は 今までも多数の著作に登場してきた。
その殆どは《二・二六事件に詳しい人》による引用だったが 中には《知識不足としか思えない輩》が摘まみ食いした「愚書」もあった。
・・・引用に耐えうる「史料」であるためには 細部末端に到るまで「正しい情報」であることが肝要である。
最近の私が 一般の方には「どうでもいいこと」を(クドクドと)書き続けるのは こういう思いによるものである。
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◎「みすず書房刊/私の昭和史」に「40箇所の註」が(高橋正衛氏によって)附されたことを 前回記した。
・・・この「40箇所の註」は「中公文庫版」を経て 今回の「完本 私の昭和史/二・二六事件異聞」に引継がれている。余裕のある方は どうぞ「註」にも目を通していただきたい。この「註」を全て含めた上での「第一級史料」なのだ。
・・・実は「みすず書房刊/新版」の「註」の末尾には(本文の)一部を取り消すことが記されている。
「134頁下段2行目の大関大尉が片倉少佐の親戚であることは、事実でないので取り消します(末松)」
この部分を「中公文庫版」で確認すると 削除されたのは「親戚になるとかで」の8文字である。
「みすず書房刊/初版」だけを頼りとして「十一月二十日事件」を論ずる人は皆無だと思うが 万一を怖れて ここに記しておく。
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神田書店街から大手町方面へ向かう。中央公論新社(読売新聞ビル19階)の前を通過して NHK放送博物館まで足を伸ばす。
NHK放送博物館の展示には「撮影禁止」の注意表示が多いが この「二・二六事件関係」のコーナーには「撮影を推奨する」表示が置かれている。表示には「♥マーク」もついている。
「兵に告ぐ 勅命が発せられたのである・・・/今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗を止めて軍旗の下に復帰するようにせよ・・・/お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈っているのである・・・」
NHKのラジオ放送によって(短期間で)事件終結の機運が生まれたのだと さりげなく自慢したいのかも知れない。
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◎「我家の昭和・平成・令和史」。家人(1月3日生れ)は 誕生日を機に 運転免許証を返上し クルマも売却した。
「就活も 婚活も知らず 終活期」。一昔前 某葬儀会社主催の「川柳コンクール」で 賞金3万円をゲットした拙作である。(末松)