◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

渋川明雄様からの投稿 渋川善助様のこと(その1)

2009年04月26日 | 今泉章利
皆様

4月14日、渋川明雄様から、渋川善助さまの貴重な記事が送られてきました。このあとさらに(その2)が続く予定です。以下は、明雄様の記事です。

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明治38年12月9日福島県若松市七日町61番地にて、父利吉、母ヨシの長男として生まれた。当時渋川家は家長である祖父渋川善太郎のもとに海産物問屋を営んでいた。
会津若松市立第二尋常小学校卒業、福島県立会津中学校第二学年を修業、小中学校を首席で通した。
大正9年、軍人の道を志向して家業を弟達に託し、仙台地方幼年学校に入学。
同校を経て陸軍士官学校予科に入学。予科入学式当日、入学宣誓文を朗読する。
大正13年11月21日兵科発表があり、志願通り歩兵となる。この日父利吉宛の手紙。
「今日です。愈々兵科発表がありました。今講堂から帰って来た所です。志願通りに歩兵になりましたから御安心下さい。本たうの軍人になる第一歩です。全く愉快です。しかし叶はないで飛んだ人々は実際気の毒です。何人か泣いていました。唇を噛みしめて、目に涙を一杯に溜めて居る人の顔みては嬉しさうな色も出しかねます。いづれ後から色々申上げます。今日は気が立って居ますからこれで失礼します。皆様によろしく」
大正14年3月14日、陸軍士官学校予科を326人中2番の成績で卒業。卒業時には恩賜の銀時計を拝受し、裕仁親王の御臨席を仰ぎ、御前講演を行う。題は「日露戦役ノ世界的影響」。その要旨は、
「日露戦役は、国内のみならず東洋、西洋諸国に対し政治、外交、思想、軍事上に多大な影響を与えた。
第一は、日本は立憲国であるが日露戦役の勝利による影響で随所に立憲運動の流行が見られた。
第二は、日露戦役は亜細亜解放戦役であり国民的運動を深めた。
第三は、世界外交上に大きく影響を及ぼした。
第四は、国民が熱誠なる忠義心をもって統治者に仕えれば戦争に勝利し健全な国家を作ることができることを知らしめた。
今や日本の思想界は憂慮すべきものがあるが、日本国民が真剣味をもって君国の為に戦えば感慨の情、切なるものがある・・・と結ばれている」
陸軍士官学校予科卒業後、士官候補生として郷土の若松歩兵第二九連隊に配属される。相澤三郎中佐、一期後輩の竹嶌継夫中尉も同連隊出身。二・二六事件で刑死後、菩提寺の本覚寺に渋川、竹嶌の位牌が並べて置かれた。
歩二九に於ける教官は小野寺信少佐で、同人の「偉大なる精神に感化を受けるところ大」であった。
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大変によく分かる内容です。普通のものは、みんな、二次資料の写し書きなので、なんだか熱が入らないのですが、お読みいただいてこれがそうでないことがよくお分かりいただけると思います。お手紙のこと、後の昭和天皇の御前での講演、なにか運命を感じます。心が熱くなるのを禁じ得ません。ありがとうございました。次を期待します。

(今泉章利)

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