◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

光風荘のこと(4 ) 牧野峯子訊問調書から(その1)

2009年02月08日 | 今泉章利
一部ですが、牧野伯爵のご令室の峯子さま(当時69歳)の調書からご報告します。なお、これを掲載するに当たり、ある著名な歴史家のかたのご意見を伺いました。資料には歴史的な意味がありそのまま引用することが大切であるとのことで、そのまま引用させていただきます。これは、2月27日陸軍司法警察官陸軍憲兵小林嘉人氏が聴取したものです。(今)

証人訊問調書

陸軍航空兵河野寿外七名に対する反乱被告事件に付昭和十一年二月二十七日神奈川県足柄下郡湯河原町宮上四八八番地伊藤屋旅館伊藤清方に於いて右証人に対し訊問すること左の如し

問)氏名、年齢、職業および住所如何
答)氏名は牧野峯子 年齢は當六十七年 職業はなし
住所は神奈川県鎌倉郡鎌倉町二階堂でありますが、最近は東京市芝区二本榎西町 大久保侯爵の別宅に居りましたが、本年二月三日より 静養の為
神奈川県足柄下郡湯河原町宮上宮上橋伊藤別荘へ来、仝二十六日迄滞在致して居りました。

陸軍軍法会議法第二〇六条第一項の規定に該当する者なるや否や調査したるに、之に該当せざる旨申し立つるに依り証人として訊問する旨を告ぐ
(注:意味わからず、再調査予定。「該当するから訊問する」という意味を書き違えたのか不明。)

問)昭和十一年二月二十六日其の許 滞在宅に軍人の一隊が襲撃したる当時の状況を詳細に申し述べよ。

答)二月二十六日事件当時の在宅者は、主人牧野伸顕、及、孫吉田和子(二二)、女中松村梅子(二二)、西田久野(一九)、看護婦森すず江(三一)、護衛係巡査皆川義孝(三二)、都合七名でありました。
居室別は、玄関八畳に主人、その廊下に看護婦、仝玄関三畳に皆川巡査、六畳に女中二名、奥八畳に私と和子でありました。

私は前夜、睡眠剤を用い、就寝しましたので判然とした記憶はありませんが、概ね午前五時三十分頃と思います。突然、廊下のバタバタと云う大声に驚き目醒めました様でありますが、同時にパチパチと云う音が致しました様に思います。
私は滞在宅の上に鮮人が働いて居るのを見て居りましたから、該鮮人が襲ったのでないかと云う様○○意致しました。
私は主人が大事と思いまして中廊下から主人の許に参ろうと思いましたが、其の方にパチパチとやっておりますので、洋室の六畳間を廻って仝部屋の縁側から寝衣一枚で外伝いに主人の部屋の廊下の下に参りましたが、。。

続きます。(今泉章利記)

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