◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎ある種の予兆かもしれない・・・◎

2021年09月07日 | 末松建比古


◎ぼく自身のための広告◎
━梶山季之の文体による━

末松建彦が、福岡に転勤するとき、先輩の下田正勝から、教示されたことがあった。
それは、地元放送局と親しくなれ、ということである。
末松建彦は、その忠告を実行した。
KBC九州朝日放送と、親しくなったのである。
ラジオ営業の山村修二や藤島聡介と親友になった。
CM担当部門の石田課長とは、同じ東京出身ということで、仲良くなる。
アナウンサーやディレクターとも、親しくなった。
山村から頼まれれば、他の広告代理店扱いのCMコピイも書く。
これは利敵行為だと誤解されそうだが、そうとは言えない場合もある。
例えば、広告代理店A社扱いのスポンサーB社が、RKB毎日放送に出稿中とする。これをKBC朝日放送の山村が奪おうとしても、A社としては扱い高が増えるわけではないので、協力はしない。
そこで、山村としては、RKBよりもKBCの方が、CMコピイが優秀であると、直接スポンサーに訴えて、仕事を奪う・・・。この際のコピイを、末松が書くのである。
これは、オリコミにとって何ら損失にならない。
KBCに感謝されるだけプラスである。
スポンサーに、オリコミを認めさせることにもなる。

「今度、若い人向けの新しいラジオ番組を作るんですけどね」
KBCの河原ディレクターが言った。
東中州のバア。
お代りの水割りが運ばれてくる。
末松は一気にそれを、飲み干した。
「アングラテープのコーナーや、タレントの寺畑公美子とのデイトコーナーは決めたんですがね。他に・・・」
「シネマリサーチなんか、どうかな」
「いいですね。それ、決めましょう。あなたが出演してくれますね」
「・・・え?」
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※こうして私は ラジオ番組「レッツゴーヤング」の(毎週水曜日だけの)出演者になった。
この番組は スタジオを離れて 取材&録音に出掛けることも多かった。
冒頭の写真は 寺畑公美子サンと 博多湾に浮かぶ「能古島キャンプ場」に出掛けた時のスナップである。
寺畑公美子サン(福岡の民放各社に番組を持つ人気キャスター)は 何故か私に好意を示してくれていた。
私がいつも礼儀正しく 一定の距離を守って 彼女や彼女の妹サンに接していたためだと思う。
「スエサン(私のことである) 今度の休みに 私の行きつけの河豚料理屋に付合ってくれない?」
彼女が運転する外車で 大分県別府市の「彼女の行きつけ」まで長距離ドライブしたことも 二度ほどあった。
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※今回のタイトル=ある種の予兆かもしれない・・・・・・。
人は 死を迎える寸前に 己の一生が走馬燈のように フラッシュバックするらしい。
今回突然に「二・二六事件と関係ない昔話」を記した理由は 寺畑サンが突然に「夢に現れた」ためである。
忘却の彼方にいた人物が 夢に突然現れた・・・。これはもう「ある種の予兆」に違いなく・・・。
死を迎えることになる前に(末松太平事務所に)書き残すことのないように 老骨に鞭打ち 更新を重ねていくしかないわけで・・・。



※ラジオ番組「レッツゴーヤング」は やがて ラジオ番組「ジャンピングディスク」に姿を変えた。
新しいスポンサー(清涼飲水会社)の意向で 出演者も交代することになった。
「寺畑公美子を代えるなら 俺も番組から降りるよ!」「それは駄目 スエマッチャンには残ってもらう」
清涼飲料会社の担当サンとは 親しい友人になっていた。しかし(広告会社の社員は)スポンサーの意向には逆らえない。
「寺畑サンの代わりはどうするの?」「西南学院大学フォークメイツの女の子に声をかけてみるよ」

※女の子=松坂行子サン。西南学院大学3年生。清涼飲料会社主催の「フォークイベント」で記憶されていた。 
写真=新番組「ジャンピングディスク」の宣伝写真。休憩中のスナップで 私は単なるオジャマムシ。

※後日談を少々。私は「寺畑公美子サンの結婚式」にも「松坂行子サンの結婚式」にも参列している。
寺畑サンの場合は「招待客」として。松坂サンの場合は「新郎」として。(末松)
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