◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎追悼・今井清一氏/1960年・賢崇寺の周辺で・・・◎

2020年03月01日 | 末松建比古


※この写真は 末松太平のアルバムに貼ってあったもので「27.7.12 十七回忌除幕」と直筆の説明が添えられていた。
この年(1952)の1月には 大岸頼好氏が逝去している。
慰霊像(渋谷区宇田川町)の除幕式は 昭和46(1965)年2月26日。一緒に語られることの多い「墓」と「像」だが その間には《13年間》の歴史が横たわっている。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎今井清一氏の逝去を 朝日新聞が報じていた。
※「今井清一(歴史学者、横浜市立大名誉教授)9日、肺炎で死去、96歳。葬儀は近親者で営んだ。近代日本政治史を専攻し、55年に岩波新書『昭和史』(共著)を著す」以下省略。
※今井氏と末松太平との御縁は 東京新聞(昭和38年3月13日号)掲載の「私の昭和史・みすず書房刊」書評に始まったと思う。この「青年将校とは」という書評は 三島由紀夫他の書評と共に「書評抄」として「私の昭和史・みすず書房刊」に挿入されていた。
「本書は、この種の本にありがちのように、青年将校を理想化することなく、かれらのもつ様々な面を、その弱点をもふくめて、生き生きと描き出している。青年将校とは何か、という、わかりきったようでなかなか納得のいかない疑問を、本書はとぎほぐしてくれる」
末松太平の遺品資料の中に 今井氏から戴いた手紙や資料が多数残されている。断捨離作業はしばらく休止。今井氏の御冥福を祈りたい。

◎「青年将校を浮き彫り/二・二六事件までの革新運動の回想」/今井清一(横浜市大助教授・日本政治史)。
※「東京新聞/昭和38年3月13日」に掲載された「書評」の全文を記しておく。(「書評抄」との比較も一興である)
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※満州事変以降、いわゆる革新青年将校の動きは、政局における台風の目であった。1936年、かれらが兵を率いて起こした「二・二六事件」は結局鎮圧されたが、この事件の威圧は、軍部独裁を確立させる役割を果たした。この間の青年将校の動きについては、処刑された将校の獄中遺書をはじめ、事件関係者の回想、取調べ側の憲兵の手記など、さまざまな立場よりする記録が残されている。だがそれらは総じて「二・二六事件」を青年将校の運動の究極の到達点と見て、ここに行き着くための道筋として、それまでの運動をとらえようとする。果たしてそれに異論はないのだろうか。
※本書は「二・二六事件」に焦点を据えるかわりに、広く青年将校の運動全体を見渡し、その中に「二・二六事件」を位置づけようとする。青年将校の間には、常に蹶起のムードはあったが、二・二六そのものは一支脈の露頭に過ぎない。この一支脈だけの暴発は、同志の異性を最小限度に抑えようという配慮に出たものではあろうが、運動全体の息の根を止めることになった。本書の立ち位置を端的に解釈すると、こうなるだろう。
※著者の末松氏は、大正14年士官学校本科に入校直後、西田税を大学寮に訪ねた頃からの青年将校運動の草分けで、青森の第五連隊の隊付将校であった。二・二六の計画には参加しなかったが、青森連隊から戒厳司令官と叛乱将校に打った電報が反乱者を利するものとして禁錮四年の刑を受けている。本書も、天剣党、兵火事件、戸山学校在学中の十月事件、満州出征、歩兵学校在学中の士官学校事件、相沢事件そして二・二六と順を追って語っているが、事件自体よりも、その中におどる青年将校たちの表情に光を当てている。
※天剣党や兵火など昭和初期の青年将校の動きについては、本書がおそらく唯一の回想記であろうが、著者は当時の左翼地下運動まがいの時期の方が内容的にはむしろ充実しており、満州事変以後のブーム時代には革新という意味ではむしろ後退したといえそうだとの感想をしるしている。東北凶作の真っ只中で、末松中尉は、軍隊の蹶起は農村に蜂起するムシロ旗と呼応すべきだと考え、左翼ばりの東奥日報記者の竹内俊吉(現青森県知事)や農民運動の淡谷悠蔵と会合を重ねたりする。だが上部工作を企圖する同志の大岸大尉から、農民運動に関係すると内務省に取締りの口実を与えると警告されて、これを見合わせる。
※本書は、この種の本にありがちなように、青年将校を理想化することなく、彼らの持つ様々な面を、その弱点も含めて、生き生きと描き出している。青年将校とは何か、という、判りきったようでなかなか納得のいかない疑問を、本書は解きほぐしてくれる。著者自身が突き詰めて論じているわけではないが、軍の機構の中での革新運動がどのようなしがらみを持たざるを得ないか、読者は読み取ることができるだろう。ただこうした状況の中で、著者が結局どんなふうに運動を進めようとしたのかという点になると、いささかアイマイでる。巻末の刊行者のあとがきは、短いものだが、するどい指摘を含んでいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメント (1)