みずほ証券の話がまだ、話題ってことの続き
この記事
[論点3]どんな開発手法を適用すべきか
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130325/465909/
(以下太字は、上記記事より引用)
最近のブログなどの論点は2つのようだ。
・詳細設計書の修正に関して
・コードクローンに関して
両方とも語ったわけだが、ともに、不自然なとことがあった。
それは、
・ドキュメントがないと保守できない
・コードクローンがあると、保守上、バグが入りやすい
という、反論しやすい意見を感情的に述べていて、
案の定、東証に反論されている。
(それも、ソフトウェア工学をやっている人なら、すぐに思いつく反論で)
ところが、みんなは、みずほ証券を支持していて、
東証の意見をつぶしにかかっているということだ。
■ソフトウェア工学には「原風景」がある。
実は、これは、”ソフトウェア工学には「原風景」がある”ということを
知っていると、理解できる。
・ドキュメントがないと保守できない
という言葉は、
・ドキュメントがない「オープンソース」のプログラムは、
実運用では、使ってはならない
ということになるが、この言葉、古くからこの業界にいる人は、
聞いたことないだろうか・・・
1990年代、2000年代でも、はじめのころは、こんな話が
出ていた。今の人には考えられないだろうが、オープンソースを
そういう理由で使わない時期があったのだ。
たぶん、その時期を経験していない人たちは、
システムを保守する者はドキュメントを見ないというのだろうか。
という言葉から、そのニュアンスを感じないかもしれないが、
その時代を経過して、判りきったことを(自動化もせず)
二度と見ることもないドキュメントを散々書いてきた人間にとっては、
「あ、あのことだな」と感ずるところがある言葉だ・・・
そのころは、たしかに
・コードクローンがあると、保守上、バグが入りやすい
っていうことがあった。そのころは、自動生成よりも、コピペ
よりも、ソースをまとめる方向に行っていた気がする。
オブジェクト指向の情報隠蔽なども、そんなかんじ。
■原風景=1990年代後半から、2000年代はじめのソフトウェア工学
つまりだ、今回の話は、1990年代後半から、2000年代はじめ
にかけての、1つの時代を作ったソフトウェア工学に立脚した考え方
を使っているということだ。
その考え方は、
・ウォーターフォール
・構造化手法+オブジェクト指向
・CMMI
という考え方が中心だった。
ドキュメントの整備などはまさに、CMMIの考え方だ
その後、ソフトウェア工学は、2000年代後半から、これらの考えへの
反論が始まった。
ウォーターフォールから、アジャイルへ
構造化手法+オブジェクト指向に対して、人間中心設計
CMMIのようなアメリカ中心の大規模開発管理に対して
ユーロ中心の中小規模管理のVSEや、IS0/IEC29110
などなど、いままでの価値観が通用しない社会を持ち出してきた。
これらの考え方が、教条主義、宗教戦争に今なっていて、
大局から、「このケースではこっち、このケースではこっち」と
言えない状況になっている。
■みずほ証券 VS 東証
たぶん、この行き着く先は、非常に大きなブレークスルーが起こって、
将来的ソフトウェア工学がいらなくなるような大事件(ロボットが
ソフトを作る)になるか、永遠と、宗教戦争を続け、学問として
成立しなくなるかだろうけど、そんなことは、このみずほ証券の話
とは、何の関係もないので今回は省略して・・・
つまりだ。
みずほ証券の立場は、この1990年~2000年代はじめの
ソフトウェア工学の価値観に基づき、議論を吹っかけようとしている。
→みずほ証券側のソフトウェア工学の専門家の立場
それに対して、東証は、それ以降の議論から持ってきて、
反論している(ここに一貫性はない)。
→東証側のソフトウェア工学の専門家の立場
一般の人は、1990年~2000年代はじめのソフトウェア工学の
価値観をもとに、発展させて考えている
(たとえば、プロセス改善といったとき、CMMIとかは思いつくけど、
VSEやSPEAK-IPAをあげる人は、このブログを見ている人と極わずかしないないだろうし
開発工程というと、要求-設計-実装-テスト-運用・保守を思いつくけど、
戦略・要件・構造・骨格・表層とか思いつく人は、たぶんデザイナー以外ではない)
これが、一見するとみずほ証券が、みんなと同じ感覚で、まともなことを
言っているように見えるけど
論理的に考えると、話がかみ合ってなく、東証のほうが、むしろ正しいことを
言っているように見える理由だ。
→と傍観しているのが、最近の実務&ソフトウェア工学の担当者の立場
この記事
[論点3]どんな開発手法を適用すべきか
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130325/465909/
(以下太字は、上記記事より引用)
最近のブログなどの論点は2つのようだ。
・詳細設計書の修正に関して
・コードクローンに関して
両方とも語ったわけだが、ともに、不自然なとことがあった。
それは、
・ドキュメントがないと保守できない
・コードクローンがあると、保守上、バグが入りやすい
という、反論しやすい意見を感情的に述べていて、
案の定、東証に反論されている。
(それも、ソフトウェア工学をやっている人なら、すぐに思いつく反論で)
ところが、みんなは、みずほ証券を支持していて、
東証の意見をつぶしにかかっているということだ。
■ソフトウェア工学には「原風景」がある。
実は、これは、”ソフトウェア工学には「原風景」がある”ということを
知っていると、理解できる。
・ドキュメントがないと保守できない
という言葉は、
・ドキュメントがない「オープンソース」のプログラムは、
実運用では、使ってはならない
ということになるが、この言葉、古くからこの業界にいる人は、
聞いたことないだろうか・・・
1990年代、2000年代でも、はじめのころは、こんな話が
出ていた。今の人には考えられないだろうが、オープンソースを
そういう理由で使わない時期があったのだ。
たぶん、その時期を経験していない人たちは、
システムを保守する者はドキュメントを見ないというのだろうか。
という言葉から、そのニュアンスを感じないかもしれないが、
その時代を経過して、判りきったことを(自動化もせず)
二度と見ることもないドキュメントを散々書いてきた人間にとっては、
「あ、あのことだな」と感ずるところがある言葉だ・・・
そのころは、たしかに
・コードクローンがあると、保守上、バグが入りやすい
っていうことがあった。そのころは、自動生成よりも、コピペ
よりも、ソースをまとめる方向に行っていた気がする。
オブジェクト指向の情報隠蔽なども、そんなかんじ。
■原風景=1990年代後半から、2000年代はじめのソフトウェア工学
つまりだ、今回の話は、1990年代後半から、2000年代はじめ
にかけての、1つの時代を作ったソフトウェア工学に立脚した考え方
を使っているということだ。
その考え方は、
・ウォーターフォール
・構造化手法+オブジェクト指向
・CMMI
という考え方が中心だった。
ドキュメントの整備などはまさに、CMMIの考え方だ
その後、ソフトウェア工学は、2000年代後半から、これらの考えへの
反論が始まった。
ウォーターフォールから、アジャイルへ
構造化手法+オブジェクト指向に対して、人間中心設計
CMMIのようなアメリカ中心の大規模開発管理に対して
ユーロ中心の中小規模管理のVSEや、IS0/IEC29110
などなど、いままでの価値観が通用しない社会を持ち出してきた。
これらの考え方が、教条主義、宗教戦争に今なっていて、
大局から、「このケースではこっち、このケースではこっち」と
言えない状況になっている。
■みずほ証券 VS 東証
たぶん、この行き着く先は、非常に大きなブレークスルーが起こって、
将来的ソフトウェア工学がいらなくなるような大事件(ロボットが
ソフトを作る)になるか、永遠と、宗教戦争を続け、学問として
成立しなくなるかだろうけど、そんなことは、このみずほ証券の話
とは、何の関係もないので今回は省略して・・・
つまりだ。
みずほ証券の立場は、この1990年~2000年代はじめの
ソフトウェア工学の価値観に基づき、議論を吹っかけようとしている。
→みずほ証券側のソフトウェア工学の専門家の立場
それに対して、東証は、それ以降の議論から持ってきて、
反論している(ここに一貫性はない)。
→東証側のソフトウェア工学の専門家の立場
一般の人は、1990年~2000年代はじめのソフトウェア工学の
価値観をもとに、発展させて考えている
(たとえば、プロセス改善といったとき、CMMIとかは思いつくけど、
VSEやSPEAK-IPAをあげる人は、このブログを見ている人と極わずかしないないだろうし
開発工程というと、要求-設計-実装-テスト-運用・保守を思いつくけど、
戦略・要件・構造・骨格・表層とか思いつく人は、たぶんデザイナー以外ではない)
これが、一見するとみずほ証券が、みんなと同じ感覚で、まともなことを
言っているように見えるけど
論理的に考えると、話がかみ合ってなく、東証のほうが、むしろ正しいことを
言っているように見える理由だ。
→と傍観しているのが、最近の実務&ソフトウェア工学の担当者の立場