津島祐子「水辺」(センター2001年)③
二日後の日曜日には、一日がかりで、屋上が補修された。夕方、作業が終わったというので、屋上を覗きに行った。完全に乾くまで、立ち入らないように、と注意されていたので、その注意を娘に何度も言い聞かせながら、屋上への階段を登った。
ドアを開けて、先に屋上を見た娘が、“海”を見つけたときよりも更に高い金切り声を上げて、騒ぎはじめた。
なにごとよ、と呟(つぶや)きながら、私も屋上を覗いた。そして、ウ自分の眼を疑った。鮮やかな銀色に一面、照り輝いていた。眩(まば)ゆさに、眼の奥が痛んだ。罅のいった部分を埋める程度の補修かと思っていたのに、防水用のペンキを屋上の隅から隅までたっぶり塗っていったのだった。春ですらこの眩ゆさでは、夏になれば、覗き見ることもできなくなってしまうのに違いない。この街なかで、眼を焼いてしまう、雪原を歩く人のように、海を漂う人のように。
銀色の海。
私は笑いださずにはいられなかった。これもまた、素晴らしい眺めではないか。しかも、今度は誰にもこの海を持ち去ることはできない。
きれいだねえ、おほしさまみたいだねえ、と娘は銀色の屋上に見とれていた。
屋上の作業が終わり、“海”が消える。
どうなったかと覗きにいくと、予想外の光景が広がっています。
娘さんは、「“海”を見つけたときよりも更に高い金切り声を上げて、騒ぎはじめ」る。
何ごとかと思いながら覗いた私は、自分の眼を疑いました。
「眼を疑う」は、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。あえて言い換えるなら、「見ている景色が信じられない」ということですから、正解は②しかありません。
“海”が失われた代わりに、新しい「銀の海」が生まれる。
水を失ってがっかりするのではなく、新しい暮らしへの確信を得られたような気分になってもおかしくないことが象徴的に描かれています。「しかも、今度は誰にもこの海を持ち去ることはできない」と「私」は考えます。
藤野から電話が掛かってきたのは、その次の日の夜だった。私には、ますます藤野の気持ちをこじらせるような応対しかできなかった。藤野の声を聞くたびにどうして足が震えるのか、分からなかった。
同じ夜、私は自分が銀色の星の形をした器のなかに坐っている夢を見た。器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼(は)り付いていた。許して下さい、と叫ぶと、中学生の頃の同級生が私の星を見上げて言った。
〈あなたは、どうして、そう、だめなの〉
同級生と言っても、親しく口をきいたこともない、ずば抜けた成績の持ち主だった。いつも級長に選ばれていたのはともかく、容姿も整っていたので、男友だちも多かった。それにしても、あの人を今頃、夢に見るとはそのこと自体、馬鹿げている、と思いながら、そんなことを言われたって、だめなものはだめなんだもの、と涙を流しながら弁解をしていた。それに、これでも見捨てずにいてくれる人だっているわ。本当よ。きっと、いるわ。
ウ悲しげに首を横に振り、立ち去って行った同級生は、昔のままの美しい少女だった。
そんな私の気持ちも、夫からの電話で水をさされます(うまい!)。
するとこんな夢を見てしまいます。
「銀色の星の形をした器のなかに座っている」と、「器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼り付いて」しまう。思わず「許して下さい」と叫ぶ「私」。中学のころの同級生が登場し、「あなたは、どうして、そう、だめなの」となじる。
問5 波線部ア~ウにおける「私」の想像や夢の中に現れる「人影」や「同級生」の様子を、「私」はどのように受け止めていると考えられるか。最も適当なものを一つ選べ。
二つの内容をもった選択肢の場合、前半、後半のどっちかに明らかな間違いが見つかったら、残りの半分を読まずにおとしてしまいましょう。
①は「周囲の人々が … 心の支えとなっている」で×。ここでおとす。念のため後半を見ても「客観的な態度で教えてくれている」がよくわかんなくてだめ。
③は、前半の「従うべきかどうかと悩んでいる」という部分が誤り。後半の「決断できない私」もだめ。
④は、前半の「今後のことを心配して忠告してくれる」は微妙。判断しにくいが、周囲の人は世間的価値観で「私」をせめるのであって、心配してくれてるとは考えにくい。後半の「親身になって叱ってくれる」という部分は完全にちがうといっていいでしょう。
かといって、⑤「藤野のいうことを聞くようにと迫ってくる」もおかしい。そこまで明確な指示をしているのでない。後半の「ひややかに批判」は波線部の「悲しげに首を横に振り」とあわない。
主人公の身になんらかの事件がおこり、それが描写されて物語が生まれます。
事件は、主人公と世間との関わりで起こります。
評論を読むための補助線は「近代」、小説では「世間」という補助線をひいてみましょう。
問6 この文章における「水」についての説明として適当でないものを二つ選ベ。
①水は「私」を危険に陥れることがあると同時に、無邪気にさせたり心を弾ませたりもする二面牲を持っている。
②水は「私」に現実的な不安と心の安らぎとを与えており、それは「私」の心の振幅の大きさを示している。
③水はひとときのあいだだけ「海」を出現させることによって、「私」に現実のはかなさを思い起こさせる。
④水が豊かに拡がる様は、日々の生活で気が晴れない思いをすることもある「私」の心を明るく解放する。
⑤水の透明性は心を洗うような働きをするとともに、「私」の不安定な現状を暗示している。
⑥水の印象が「私」の心に鮮やかに残り、ペンキが塗られた屋上まで「海」と感じさせるようになっている。
⑦罅にしみ込む水の存在は、藤野夫婦のあいだに心の亀裂が生じていたことを比喩的に表現している。
「適当でないもの」を選ぶ、という設問の指示を見誤らないようにしましょう。本番では意外に起こりえます。「適当でない」をぎゅっと囲むとか波線をひくとかする癖をつけましょう。
①、②、⑤は、水の二面性を説明していて、正しい。
④も、娘とのやりとりから読み取れる。
⑥水をたたえた“海”から、「銀の海」に変わったことを表現している。
③「水」が「現実のはかなさ」を象徴しているというのは間違い。
⑦「水」が「夫婦の亀裂」を表してはいない。もしそうなら、別れる直前に水漏れしているはず。
小説では表現を問う問題が出題されます。「何」を「どう」表現するかの「どう」が、小説では大事だからです。
評論は、「何」が大事ですね。
近年は、評論でもこのタイプに問題が必ず出ますので、なんとなくではなく、きちっと解けるようにしましょう。
さて、夫と別れたばかりの人妻の心情を理解せよという、この問題の意図はいかなるものでしょうか。
これからいくつかの問題を練習していきますが、戦時中の女学生とか、死期が迫ったおじさんとか、公害問題の渦中にいるおばあちゃんとか、そういう人が出てきます。
そんな人の気持ちなんて、ふつう分かるわけないよね。
じゃ、仲のいい友人だったら、気持ちはわかりますか?
言わなくてもわかりあえるみたいな時は、実際あるでしょう。ただし、それもよくよく考えるとあやしくないですか。
他人の気持ちは、実際には誰もわかりません。
だからといって、わかろうとしなくていいというものではありません。
与えられた情報を精一杯活用し、わかろうとし、ともに生きていこうとするのが文化的人間です。
大学入試では、みなさんとは距離感のある人の気持ちを探ってみなさいと問われます。
それが必要だからです。
見知らぬ他者とのコミュニケーションのことを、すごく大きなくくりで「学問」と言います。
ギリシャで何千年前に考え出された人間についての洞察とか、イスラム原理主義者の政治思想とか、電子顕微鏡でしか見えない物質の様子とか、古生代の生物の生態とか……。
それらとのコミュニケーションを知といいます。
かっこよく言うと、いまみなさんは知への扉を開けようとしています。
けっこう力こめてこじあけないと、開かないよ。
そのような壮大な作業の第一歩だと思って、小説の問題を解いていきましょう。
二日後の日曜日には、一日がかりで、屋上が補修された。夕方、作業が終わったというので、屋上を覗きに行った。完全に乾くまで、立ち入らないように、と注意されていたので、その注意を娘に何度も言い聞かせながら、屋上への階段を登った。
ドアを開けて、先に屋上を見た娘が、“海”を見つけたときよりも更に高い金切り声を上げて、騒ぎはじめた。
なにごとよ、と呟(つぶや)きながら、私も屋上を覗いた。そして、ウ自分の眼を疑った。鮮やかな銀色に一面、照り輝いていた。眩(まば)ゆさに、眼の奥が痛んだ。罅のいった部分を埋める程度の補修かと思っていたのに、防水用のペンキを屋上の隅から隅までたっぶり塗っていったのだった。春ですらこの眩ゆさでは、夏になれば、覗き見ることもできなくなってしまうのに違いない。この街なかで、眼を焼いてしまう、雪原を歩く人のように、海を漂う人のように。
銀色の海。
私は笑いださずにはいられなかった。これもまた、素晴らしい眺めではないか。しかも、今度は誰にもこの海を持ち去ることはできない。
きれいだねえ、おほしさまみたいだねえ、と娘は銀色の屋上に見とれていた。
屋上の作業が終わり、“海”が消える。
どうなったかと覗きにいくと、予想外の光景が広がっています。
娘さんは、「“海”を見つけたときよりも更に高い金切り声を上げて、騒ぎはじめ」る。
何ごとかと思いながら覗いた私は、自分の眼を疑いました。
「眼を疑う」は、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。あえて言い換えるなら、「見ている景色が信じられない」ということですから、正解は②しかありません。
“海”が失われた代わりに、新しい「銀の海」が生まれる。
水を失ってがっかりするのではなく、新しい暮らしへの確信を得られたような気分になってもおかしくないことが象徴的に描かれています。「しかも、今度は誰にもこの海を持ち去ることはできない」と「私」は考えます。
藤野から電話が掛かってきたのは、その次の日の夜だった。私には、ますます藤野の気持ちをこじらせるような応対しかできなかった。藤野の声を聞くたびにどうして足が震えるのか、分からなかった。
同じ夜、私は自分が銀色の星の形をした器のなかに坐っている夢を見た。器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼(は)り付いていた。許して下さい、と叫ぶと、中学生の頃の同級生が私の星を見上げて言った。
〈あなたは、どうして、そう、だめなの〉
同級生と言っても、親しく口をきいたこともない、ずば抜けた成績の持ち主だった。いつも級長に選ばれていたのはともかく、容姿も整っていたので、男友だちも多かった。それにしても、あの人を今頃、夢に見るとはそのこと自体、馬鹿げている、と思いながら、そんなことを言われたって、だめなものはだめなんだもの、と涙を流しながら弁解をしていた。それに、これでも見捨てずにいてくれる人だっているわ。本当よ。きっと、いるわ。
ウ悲しげに首を横に振り、立ち去って行った同級生は、昔のままの美しい少女だった。
そんな私の気持ちも、夫からの電話で水をさされます(うまい!)。
するとこんな夢を見てしまいます。
「銀色の星の形をした器のなかに座っている」と、「器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼り付いて」しまう。思わず「許して下さい」と叫ぶ「私」。中学のころの同級生が登場し、「あなたは、どうして、そう、だめなの」となじる。
問5 波線部ア~ウにおける「私」の想像や夢の中に現れる「人影」や「同級生」の様子を、「私」はどのように受け止めていると考えられるか。最も適当なものを一つ選べ。
二つの内容をもった選択肢の場合、前半、後半のどっちかに明らかな間違いが見つかったら、残りの半分を読まずにおとしてしまいましょう。
①は「周囲の人々が … 心の支えとなっている」で×。ここでおとす。念のため後半を見ても「客観的な態度で教えてくれている」がよくわかんなくてだめ。
③は、前半の「従うべきかどうかと悩んでいる」という部分が誤り。後半の「決断できない私」もだめ。
④は、前半の「今後のことを心配して忠告してくれる」は微妙。判断しにくいが、周囲の人は世間的価値観で「私」をせめるのであって、心配してくれてるとは考えにくい。後半の「親身になって叱ってくれる」という部分は完全にちがうといっていいでしょう。
かといって、⑤「藤野のいうことを聞くようにと迫ってくる」もおかしい。そこまで明確な指示をしているのでない。後半の「ひややかに批判」は波線部の「悲しげに首を横に振り」とあわない。
主人公の身になんらかの事件がおこり、それが描写されて物語が生まれます。
事件は、主人公と世間との関わりで起こります。
評論を読むための補助線は「近代」、小説では「世間」という補助線をひいてみましょう。
問6 この文章における「水」についての説明として適当でないものを二つ選ベ。
①水は「私」を危険に陥れることがあると同時に、無邪気にさせたり心を弾ませたりもする二面牲を持っている。
②水は「私」に現実的な不安と心の安らぎとを与えており、それは「私」の心の振幅の大きさを示している。
③水はひとときのあいだだけ「海」を出現させることによって、「私」に現実のはかなさを思い起こさせる。
④水が豊かに拡がる様は、日々の生活で気が晴れない思いをすることもある「私」の心を明るく解放する。
⑤水の透明性は心を洗うような働きをするとともに、「私」の不安定な現状を暗示している。
⑥水の印象が「私」の心に鮮やかに残り、ペンキが塗られた屋上まで「海」と感じさせるようになっている。
⑦罅にしみ込む水の存在は、藤野夫婦のあいだに心の亀裂が生じていたことを比喩的に表現している。
「適当でないもの」を選ぶ、という設問の指示を見誤らないようにしましょう。本番では意外に起こりえます。「適当でない」をぎゅっと囲むとか波線をひくとかする癖をつけましょう。
①、②、⑤は、水の二面性を説明していて、正しい。
④も、娘とのやりとりから読み取れる。
⑥水をたたえた“海”から、「銀の海」に変わったことを表現している。
③「水」が「現実のはかなさ」を象徴しているというのは間違い。
⑦「水」が「夫婦の亀裂」を表してはいない。もしそうなら、別れる直前に水漏れしているはず。
小説では表現を問う問題が出題されます。「何」を「どう」表現するかの「どう」が、小説では大事だからです。
評論は、「何」が大事ですね。
近年は、評論でもこのタイプに問題が必ず出ますので、なんとなくではなく、きちっと解けるようにしましょう。
さて、夫と別れたばかりの人妻の心情を理解せよという、この問題の意図はいかなるものでしょうか。
これからいくつかの問題を練習していきますが、戦時中の女学生とか、死期が迫ったおじさんとか、公害問題の渦中にいるおばあちゃんとか、そういう人が出てきます。
そんな人の気持ちなんて、ふつう分かるわけないよね。
じゃ、仲のいい友人だったら、気持ちはわかりますか?
言わなくてもわかりあえるみたいな時は、実際あるでしょう。ただし、それもよくよく考えるとあやしくないですか。
他人の気持ちは、実際には誰もわかりません。
だからといって、わかろうとしなくていいというものではありません。
与えられた情報を精一杯活用し、わかろうとし、ともに生きていこうとするのが文化的人間です。
大学入試では、みなさんとは距離感のある人の気持ちを探ってみなさいと問われます。
それが必要だからです。
見知らぬ他者とのコミュニケーションのことを、すごく大きなくくりで「学問」と言います。
ギリシャで何千年前に考え出された人間についての洞察とか、イスラム原理主義者の政治思想とか、電子顕微鏡でしか見えない物質の様子とか、古生代の生物の生態とか……。
それらとのコミュニケーションを知といいます。
かっこよく言うと、いまみなさんは知への扉を開けようとしています。
けっこう力こめてこじあけないと、開かないよ。
そのような壮大な作業の第一歩だと思って、小説の問題を解いていきましょう。