津島祐子「水辺」(センター2001年)①
小説の1問目は、2001年のセンター試験です。
まず作家、作品名、リード文を確認しよう。
評論もそうだけど、最初に設問もさっと視覚に入れておこう。
いつもどおりの言葉の意味、心情を聞く問題、表現の問題、全部で6問、いつも通りね、ぐらいにざっくりでいいです。
リード文には、大切な情報が書かれています。
注があれば、当然それも大事ですね。
問題を作っている人がつけたものですから、基本的に問題を解くために必要な情報です。
与えられたすべての情報を利用して解くという姿勢は、共通テストではさらに重要視されます。
まずリード文を読み、最初の方の段落を読めば、この小説の設定はわかりますね。
次の文章は、津島佑子の小説「水辺」の末尾である。「私」は夫と別居し、娘との二人暮らしの日々がしばらく続いた。二人の住まいは四階建ての一番上の部屋で、その部屋の中を通らないと屋上に出られない構造になっている。ある夜、「私」は壁の向こうに水の音が聞こえるように思ったが、そのまま寝入ってしまった。翌朝、階下の人から水漏れがするという苦情が持ち込まれる。本文はそれに続く部分である。
ちなみに作者の津島祐子さんは、三年ほど前にお亡くなりになりました。みなさんにとって有名な作家ではないと思いますが、たくさんの文学賞も受賞してますし、外国の大学によばれて日本の文学を紹介しに行ったりしてた方です。お父さんはみんなも知ってる有名な小説家ですよ。太宰治ですね。ただ、津島祐子さんがまだ幼いときに父親は玉川上水に入水して亡くなってしまいます。血は争えないということでしょうか。こうして高名な小説家になりました。
主人公は「私」です。本文を読んでわかったと思いますが、夫と別居して一ヶ月ぐらい経っています。
詳しい事情はわからないものの、夫婦の間がうまくいってなかったことが読み取れましたね。
さて、評論を読むときに、「近代という補助線」をひくことで、対比が明確になり、筆者の主張の方向性がつかめました。 小説でも、対比を意識しましょう。小説における対比は何でしょう。
典型的なのは、主人公つまり「主役」と「対役」の関係です。
たとえば、「下人」と「老婆」、「李徴」と「袁傪」です。
対役は、基本的に主人公が生きる世の中、「世間」の人を代表する役割を果たしています。
主人公は、羅生門や山月記で学んだとおり、原則として「反世間的存在」です。
世間一般の価値観にあわなかったり、世間の人々とうまくいかなかったりして、何らかの屈託を抱えて生きています。
この小説においても、主人公と世間の人々との対比は典型的に描かれていますね。
ですから、リード文の「私」は丸で囲み、「階下の人」は四角で囲んで、対比にしてみましょう。傍線と波線とかでもいいですよ。
すみません、そこは遠慮して下さいませんか。それより、屋上を見てみましょう。けさ、屋上は調べなかったんです。
私はあわてて、二人の男を部屋のなかの階段に導いた。敷き放しの乱れた蒲団(ふとん)など見られたら、と思うだけで、体がこわばった。
風呂場は異常なかった。屋上に出るドアを開け、私が真先(まっさき)に外に出た。眼に異様なものが映った。私は、思わず、ア声を洩らした。乾ききっているはずの屋上に、水がきらきら光りながら波立っていた。透明な水が豊かに拡がっていた。
二人の男、つまり「不動産屋」と「三階の男」ですね。○○さんではなく、「~の男」という言い方で、「私」がその人たちをどういう感覚で見ているかが伝わってきます。
水漏れの原因を見つけようと家の中をのぞこうとした男達を、「私」はあわてて制する。こんな人たちにプライベートを見られたくないと思いながら、屋上へ導く。
そこで目に入ったのは「異様なもの」、予想もしてなかった光景でした。屋上一面が水に覆われきらきら光っていたのです。
私は、思わず、ア声を洩らした。
「声を漏らす」ですから、つい「え?」とか「うそ!」とか小さな声が出てしまったということですね。①~⑤のなかで一番近いのは、⑤「小さく叫んだ」ではないでしょうか。③「悲鳴をあげた」だと「漏らす」とずれますね。
①「ひとりごとを言った」②「こっそりとつぶやいた」ほど意図的な行為ではないですね。④「感情的に言った」も「声を漏らす」とは対応してません。
「きらきら光りながら波立ってい」る水を見て、娘が叫びます。
ウミ!ママ、ウミだよ。わあ、すごいなあ!おおきいなあ 。
娘は裸足のまま、水のなかに跳びこんで行った。一人で笑い声を響かせながら、水を蹴(け)散らし、両手で水をすくいあげたり、顔に水をつけてみたりしはじめた。娘の足だと、水はくるぶしまで呑(の)みこんでしまっていた。
私と二人の男は水の流れを辿(たど)りながら、給水塔の前に行った。水が、そこから、勢いよく溢(あふ)れ出ていた。見とれてしまうほどの、水量だった。
娘さんは楽しそうです。「きらきら光る」「豊かに拡がる」「見とれてしまう」は、私の視点を通した水の表現です。マイナスのニュアンスは感じられないですね。
小説を読むときは、主人公の心情が露骨に書いてある部分には線をひきましょう。
情景描写も作者の創作ですので、基本的に主人公の心情と重なっていきます。
とくに主人公の視点で「そう見えた」部分は、心情と同じくらい大事です。
そういう箇所も線をひきましょう。
ここから、あっちの方へ流れて、排水口で間に合わない分が、下に洩れていたんですな。どこかに、小さな罅(ひび)でも出来ているんでしょう。それにしても…これは大した眺めだ。
三階の男も、イ気を呑まれてしまったのか、すっかり穏やかな表情に戻っていた。
三階の男でさえ「気を呑まれて」しまうような光景でした。
「気を呑まれる」は、「心理的に圧倒された状態」を表します。辞書的に最も近い①が、当然答えになります。②は「あきれて」がずれます。③「無我夢中」⑤「不審」は文脈的にも入りません。④「引き込まれて」は文脈的に入りそうな気もしますが、もともとの言葉の意味として出てきません。
ことばの意味の問題は、辞書的な意味にあっているかどうかが最優先です。いきなり文脈で考えてはいけません。
まったく、これじゃ、あの程度で下が助かったのを、ありがたく思わなければなりませんなあ。
ほら、お子さんをすっかり喜ばせてしまった。
うちの孫も、水が大好きですよ。
二人の男は眼を細めて、水と戯れている娘の姿に見入った。
しかし、あなた、真下にいて、音ぐらいは聞こえていたでしょうに。
不動産屋に言われ、私ははじめて、ゆうべの水の音を思い出した。あの柔かな、遠い音。Aこの現実の身にもう一度、蘇(よみがえ)る音だったのか、と私は不意を襲われたような心地がして、肌寒くなった。
屋上一面が、娘さんのくるぶしまで浸らせるほどの水量で覆われています。
たしかに、階下の部屋が、ちょっとした水漏れぐらいですんでいたのは、幸運だったのかもしれません。
私にとっては、「柔かな、遠い音」でした。何か水音が聞こえるとおもいながら眠りについてしまえるような。
しかし、現実には、一歩間違えばけっこうな被害をもたらしたかもしれなかったと、私も気づくわけです。
問2 傍線部A「この現実の身にもう一度、蘇える音だったのか、と私は不意を襲われたような心地がして、肌寒くなった」とあるが、なぜ「私」は、「肌寒くなった」のか。その理由として最も適当なものを選べ。
夢うつつで聞いていた心地よい水の音 → 現実は危険なものだった → ぞくっとした = 肌寒い
自分のとって心地よい(+)ものが、危険なものだった(-)というギャップを説明した選択肢を選びます。
「肌寒い」ぞくっとする(おそれ・不安)の内容が、②「責任が問われるのではないかと」、③「精神的に不安定ではないか」、⑤「人間の生活の不気味さ」はまったく違う。
①は△くらいかな。「放置していた」は、意図的にそうしたというニュアンスがふまれるので、ずれる。
自分的にプラス側だった水の音が、実は危険と隣り合わせ、という内容ときれいに対応する④が正解。
小説の1問目は、2001年のセンター試験です。
まず作家、作品名、リード文を確認しよう。
評論もそうだけど、最初に設問もさっと視覚に入れておこう。
いつもどおりの言葉の意味、心情を聞く問題、表現の問題、全部で6問、いつも通りね、ぐらいにざっくりでいいです。
リード文には、大切な情報が書かれています。
注があれば、当然それも大事ですね。
問題を作っている人がつけたものですから、基本的に問題を解くために必要な情報です。
与えられたすべての情報を利用して解くという姿勢は、共通テストではさらに重要視されます。
まずリード文を読み、最初の方の段落を読めば、この小説の設定はわかりますね。
次の文章は、津島佑子の小説「水辺」の末尾である。「私」は夫と別居し、娘との二人暮らしの日々がしばらく続いた。二人の住まいは四階建ての一番上の部屋で、その部屋の中を通らないと屋上に出られない構造になっている。ある夜、「私」は壁の向こうに水の音が聞こえるように思ったが、そのまま寝入ってしまった。翌朝、階下の人から水漏れがするという苦情が持ち込まれる。本文はそれに続く部分である。
ちなみに作者の津島祐子さんは、三年ほど前にお亡くなりになりました。みなさんにとって有名な作家ではないと思いますが、たくさんの文学賞も受賞してますし、外国の大学によばれて日本の文学を紹介しに行ったりしてた方です。お父さんはみんなも知ってる有名な小説家ですよ。太宰治ですね。ただ、津島祐子さんがまだ幼いときに父親は玉川上水に入水して亡くなってしまいます。血は争えないということでしょうか。こうして高名な小説家になりました。
主人公は「私」です。本文を読んでわかったと思いますが、夫と別居して一ヶ月ぐらい経っています。
詳しい事情はわからないものの、夫婦の間がうまくいってなかったことが読み取れましたね。
さて、評論を読むときに、「近代という補助線」をひくことで、対比が明確になり、筆者の主張の方向性がつかめました。 小説でも、対比を意識しましょう。小説における対比は何でしょう。
典型的なのは、主人公つまり「主役」と「対役」の関係です。
たとえば、「下人」と「老婆」、「李徴」と「袁傪」です。
対役は、基本的に主人公が生きる世の中、「世間」の人を代表する役割を果たしています。
主人公は、羅生門や山月記で学んだとおり、原則として「反世間的存在」です。
世間一般の価値観にあわなかったり、世間の人々とうまくいかなかったりして、何らかの屈託を抱えて生きています。
この小説においても、主人公と世間の人々との対比は典型的に描かれていますね。
ですから、リード文の「私」は丸で囲み、「階下の人」は四角で囲んで、対比にしてみましょう。傍線と波線とかでもいいですよ。
すみません、そこは遠慮して下さいませんか。それより、屋上を見てみましょう。けさ、屋上は調べなかったんです。
私はあわてて、二人の男を部屋のなかの階段に導いた。敷き放しの乱れた蒲団(ふとん)など見られたら、と思うだけで、体がこわばった。
風呂場は異常なかった。屋上に出るドアを開け、私が真先(まっさき)に外に出た。眼に異様なものが映った。私は、思わず、ア声を洩らした。乾ききっているはずの屋上に、水がきらきら光りながら波立っていた。透明な水が豊かに拡がっていた。
二人の男、つまり「不動産屋」と「三階の男」ですね。○○さんではなく、「~の男」という言い方で、「私」がその人たちをどういう感覚で見ているかが伝わってきます。
水漏れの原因を見つけようと家の中をのぞこうとした男達を、「私」はあわてて制する。こんな人たちにプライベートを見られたくないと思いながら、屋上へ導く。
そこで目に入ったのは「異様なもの」、予想もしてなかった光景でした。屋上一面が水に覆われきらきら光っていたのです。
私は、思わず、ア声を洩らした。
「声を漏らす」ですから、つい「え?」とか「うそ!」とか小さな声が出てしまったということですね。①~⑤のなかで一番近いのは、⑤「小さく叫んだ」ではないでしょうか。③「悲鳴をあげた」だと「漏らす」とずれますね。
①「ひとりごとを言った」②「こっそりとつぶやいた」ほど意図的な行為ではないですね。④「感情的に言った」も「声を漏らす」とは対応してません。
「きらきら光りながら波立ってい」る水を見て、娘が叫びます。
ウミ!ママ、ウミだよ。わあ、すごいなあ!おおきいなあ 。
娘は裸足のまま、水のなかに跳びこんで行った。一人で笑い声を響かせながら、水を蹴(け)散らし、両手で水をすくいあげたり、顔に水をつけてみたりしはじめた。娘の足だと、水はくるぶしまで呑(の)みこんでしまっていた。
私と二人の男は水の流れを辿(たど)りながら、給水塔の前に行った。水が、そこから、勢いよく溢(あふ)れ出ていた。見とれてしまうほどの、水量だった。
娘さんは楽しそうです。「きらきら光る」「豊かに拡がる」「見とれてしまう」は、私の視点を通した水の表現です。マイナスのニュアンスは感じられないですね。
小説を読むときは、主人公の心情が露骨に書いてある部分には線をひきましょう。
情景描写も作者の創作ですので、基本的に主人公の心情と重なっていきます。
とくに主人公の視点で「そう見えた」部分は、心情と同じくらい大事です。
そういう箇所も線をひきましょう。
ここから、あっちの方へ流れて、排水口で間に合わない分が、下に洩れていたんですな。どこかに、小さな罅(ひび)でも出来ているんでしょう。それにしても…これは大した眺めだ。
三階の男も、イ気を呑まれてしまったのか、すっかり穏やかな表情に戻っていた。
三階の男でさえ「気を呑まれて」しまうような光景でした。
「気を呑まれる」は、「心理的に圧倒された状態」を表します。辞書的に最も近い①が、当然答えになります。②は「あきれて」がずれます。③「無我夢中」⑤「不審」は文脈的にも入りません。④「引き込まれて」は文脈的に入りそうな気もしますが、もともとの言葉の意味として出てきません。
ことばの意味の問題は、辞書的な意味にあっているかどうかが最優先です。いきなり文脈で考えてはいけません。
まったく、これじゃ、あの程度で下が助かったのを、ありがたく思わなければなりませんなあ。
ほら、お子さんをすっかり喜ばせてしまった。
うちの孫も、水が大好きですよ。
二人の男は眼を細めて、水と戯れている娘の姿に見入った。
しかし、あなた、真下にいて、音ぐらいは聞こえていたでしょうに。
不動産屋に言われ、私ははじめて、ゆうべの水の音を思い出した。あの柔かな、遠い音。Aこの現実の身にもう一度、蘇(よみがえ)る音だったのか、と私は不意を襲われたような心地がして、肌寒くなった。
屋上一面が、娘さんのくるぶしまで浸らせるほどの水量で覆われています。
たしかに、階下の部屋が、ちょっとした水漏れぐらいですんでいたのは、幸運だったのかもしれません。
私にとっては、「柔かな、遠い音」でした。何か水音が聞こえるとおもいながら眠りについてしまえるような。
しかし、現実には、一歩間違えばけっこうな被害をもたらしたかもしれなかったと、私も気づくわけです。
問2 傍線部A「この現実の身にもう一度、蘇える音だったのか、と私は不意を襲われたような心地がして、肌寒くなった」とあるが、なぜ「私」は、「肌寒くなった」のか。その理由として最も適当なものを選べ。
夢うつつで聞いていた心地よい水の音 → 現実は危険なものだった → ぞくっとした = 肌寒い
自分のとって心地よい(+)ものが、危険なものだった(-)というギャップを説明した選択肢を選びます。
「肌寒い」ぞくっとする(おそれ・不安)の内容が、②「責任が問われるのではないかと」、③「精神的に不安定ではないか」、⑤「人間の生活の不気味さ」はまったく違う。
①は△くらいかな。「放置していた」は、意図的にそうしたというニュアンスがふまれるので、ずれる。
自分的にプラス側だった水の音が、実は危険と隣り合わせ、という内容ときれいに対応する④が正解。