goo blog サービス終了のお知らせ 

水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

尊敬

2014年02月03日 | 日々のあれこれ

 センター試験の小説を何回か演習している。

 最後の設問には、必ず「表現」に関する問題が出題されます。ポイントは次の四つ、
 1 視点・語り手  2 比喩・象徴  3 時系列  4 文体  …

 今日は2003年「白桃」を解いてもらったが、三人称で描かれているが、語り手は主人公の「弟」の心情にしか入っていかない。
 だから「桃の表面から汁液があふれて … 」という描写は、客観的に桃を描いているのではなく、弟の目にそう見えてるって読み取るんだよ、という話をした。
 視点の問題は、問6を見てから、「えっと、どうだったっけ」と読み直してたら時間が足りなくなるよ、最初から「誰目線」で描かれた作品かを意識して読んでいこう、という話をしてて、つい「明日、ママがいない」を具体例に出してしまった。
  「はるかぜちゃん」こと春名風花さんのブログで、この作品について語られている。


 ~ 大前提として『明日、ママがいない』は、子どもから見た世界を子どもの視点で描いています。
 作中でドンキのお母さんが『アットホームでいいところね』『連れ子でつらい想いをするより、マキはここにいた方が幸せになれるわ』と言っている場面があることから分かるように作中の架空の施設も、実際の施設と同じように本当は『愛情にあふれた空間』なのかも知れません。
 けれど子どもたちに取ってはそこがどんなに愛情にあふれた良い施設であろうが、関係ない。
 『明日、ママがいない』ことには、一切何の関係もないのです。
 ホラーのように怖く描かれた施設、冷たく感じる職員。
 それらは現段階ではすべて、突然『明日、ママがいない』境遇に追いやられたドンキの目線で描かれています。 (春名風花ブログ「ふなみくてん」)~


 えらいよね。大人の人も、これがわかってない人が実際にいる。
 わかった上で、それでもテレビ表現としてはよくない、と主張するなら、主張としてはありだけど、どうもセンター小説で点数とれなさそうな方の意見が多かった。

 「ポスト」というあだ名の問題も、ドラマを見違えている人の意見が目について、ここにも先日書いた。
 春風さんはこう述べる。


 ~ あだ名に問題があるって言ってる人たちへ。
   本当にこのドラマをきちんと見ましたか? 読み取れてますか?
   ポストはポストと誰かに名付けられたわけでも
   そう呼ばれていじめられたわけでもありません。
   ちゃんと親から貰った名前…ママの形見の、自分の名前を持ってた。
   それを自ら捨てる=自分を捨てた親と対等の立場になることで
   『1人でも絶対幸せになる』ことを宣言した
    あの呼び名は『絶対幸せになれるって証明してやる』っていう
    ひとりの子どもの決意表明・・・
    ちゃんとドラマ見ようよ セリフの意味理解しようよ (春名風花ブログ「ふなみくてん」) ~


 感動したのは、そのまっすぐな主張の仕方だ。
 週刊文春とかメルマガとかで、この話題をとりあげている書き手の方がいた。
 自分が読んだかぎりでは、みなさん色んな方面に気を遣って書いてらした。
 「そもそも表現とは万民を傷つけないものはない」と書きながら「でも当事者への配慮は忘れてはいけない」と付け加えるように。
 それに比べると春名さんのなんと潔いことか。
 彼女の立ち位置で、公の場でそんな意見を発表すれば、「抗議」やら「炎上」やらおこってもおかしくない。
 実際スポンサーは、責任とりたくない一心で、周囲の空気を読んで、はやばやとCM放送見送りを決めた。
 「他の社も打ち切るそうですよ」「じゃ、うちもしょうがないか」という空気感で、決められたはずだ。
 間違っても、関係者への配慮や、子ども達の心を慮った結果の行動ではない。
 スポンサーの態度はむしろ、いじめ、同調圧力を生む空気と同種のものだ。
 それに比べると、高須クリニックの先生はかっこよかった。
 そして、業界の一員でありながら、毅然と自分の主張をする彼女には頭がさがる。

 
 ~ ちなみにぼくは出てないです。
   宣伝しても何の得にもならないです。
   むしろ関係ないことにうるさく口出すやつだとおもわれるより、
   黙っていた方が、ぼく自体のイメージはいいんじゃないか、と言われているwwwwww
   じゃあなんでこんなに真剣になるのか
   それでもこれは、ぼくもまたひとりの
  「いつか子どもを持つかもしれない人間として」
   最後までみたほうがいい気がするからです。
   ぼくもいつか父や母のように、子どもを育てるかもしれないし
   望まない妊娠をしたり(拉致されたり暴行されたりで)
   子どもとの関係に悩んだり
   食べるものがないほど、生活に困窮するかもしれない
   この日本の、先の未来も見えない中
   いつか、子どもを持つかもしれない人間として
   最後までみておかなければいけない作品。 ~


 プロの子役として、一人の女性として、本気で感じたことを本気で書いている姿。
 なんか、よんでて胸があつくなった。
 両論併記的文章しか書けない大人が情けなくてしょうがない。
 もちろん、それは自分もその一人なのだけど。
 願はくは、日テレさんが不当な抗議に屈することなく、放送を続けてくださることを

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川越市合同演奏会

2014年02月02日 | 演奏会・映画など

 川越市合同演奏会、無事終わりました!
 ご来場、ご声援、ありがとうございました!!


 会館前の駐車場に駐められないとその後の展開が面倒なので、早めに学校を出、会場に着くと、すでに星野高校の生徒さんが打楽器の搬入などのため待機している。
 打楽器はじめ、当日役員のすべてを担当し、全員合唱の伴奏もしてもらえるので、星野さんがいないと成り立たない演奏会だった。ありがたいことである。
 また東邦音大で開催される機会には、本校ががっつり働かせてもらおうと思う。
 このごろ川越市内の吹奏楽は元気がないねという声もあってはじまった合同演奏会も九回目となり、時期や会場も含めて定着してきた感がある。
 こういう行事では定着感が大事で、形が決まってくると自然に参加団体も増えるものだ。
 今年の18団体参加は、初期のころの倍になった。
 問題点といえば季節がらインフルエンザの生徒さんが何人かでてしまうことだろう。本校も2人出られない子がいた。残念だが、こればっかりはいかんともしがたい。
 いろんな学校が集まってきて、順番の演奏し、お互いを聞き会いましょうという演奏会は、年に数回ある。
 川越市合同ならではの企画が何か見つかれば、より盛り上がるような気もする。
 
 小学校から大学、一般バンドまでいろいろなバンドを聞くことができたが、しっかり楽器が鳴らせている学校さんが多くて、ちょっとうちやばいと思った。
 どうすればいいんだろ。弱奏のとき、音がうすくなるときにピッチが気になるというコメントを何人かの先生からいただいた。その状態なので、みんな大きな音を出しても全体として大きくなっていかないというのが一点。 
 そして個人の基本的な奏法の問題。定期演奏会までの期間で、これは相当意図的に練習しないといけないと思う。
 でも、どうしたらいいのだろう。
 どんな曲を選んでも、どんな風に曲作りをしても、まず根本のサウンドができてないことには、コンクールではまったく評価されないことは、重々承知している。してはいるのだが … 。
 
 学校にもどり、仕事が残っているので、おやつに牛丼を食べにいく。
 車の中では届いたばかりの課題曲を聴きながら。
 どれも大変そうだなあ。今日の本番で「レミゼラブル」という、あまりにもわかりやすく、あまりにも名曲を演奏したせいか、どの課題曲も曲としては心躍らない … とまで言っては申し訳ないが、これを半年とかやっていくんだなあとしみじみした。
 いやなんじゃないですよ。むしろ、自分たちの問題点をこれでもかと教え示してくれる有り難い楽曲だ。
 楽しもうなんて最初におもってはいけない。まずちゃんと吹かなきゃ。文句言うなら吹けるようになってからだ。
 演奏できるだけでもありがたいではないか。

 さしあたり、なんでもないときに市民会館借りて、会場を響かせる練習をしてみようかしら。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川越市合同演奏会

2014年02月02日 | 演奏会・映画など

2月2日(日) 第9回 川越市合同音楽祭

 会場 川越市民会館大ホール 午前11時開演
 
  15:15 本校演奏予定 曲目:「レミゼラブル」ハイライト、ルパン三世のテーマ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする