学年だより「経験(2)」
人生とは、思うようにいかないのがデフォルトの形だ。
計画は計画倒れになり、期待していたことは期待外れにおわり、予想ははずれ、願いは叶わない。
原則としてそれが普通であり、われわれも内心それをわかっているから、うまくいった時はうれしいし、努力が報われたときは晴れやかな気分になる。
計画通りに努力しても、うまくいくかどうかは運に左右される。
高梨沙羅さんのように、誰もがその実力を世界一と認め、彼女自身それにおごることなく努力を積み上げ、それでも思った通りには事が進まないこともあるくらいだ。
もちろん全てが上手くはこんでいくことも人生にはあるけれど、たまたま運がよかっただけだったり、トータルで考えるとけっしてプラスではなかったり、なんてこともある。
大事なのは、思い通りにいかない事態に遭遇したときに、どう対処するかなのだろう。
自分の思い通りにいかないときに、「なんで」と泣き叫ぶのは赤ん坊だ。
すこし大きくなってくると、がまんしたり、仕方ないと思えるようになる。
思春期になると、世界は自分中心にまわっているわけではないことを実感できるようになり、時にはそれがつらくなったりもする。
さらにそれを乗り越え、物事はうまくいくかもしれないし、そうでないかもしれないが、うまくいかせようとする時には、それなりの犠牲を払わねばならないことがわかってくる。
そうなると大分大人だが、実は大人になっても赤ん坊のままの人はいるもので、たとえば雪のせいで電車が動かない時にさえ、「どうしてくれるんだ!」と駅員に詰め寄るおっさんもいる。
「ごくろうさまです、ありがとうございます」と言える小学生もいる。
実年齢と精神年齢はそういう意味ではイコールではない。
物事がうまくいかない時がっかりするのは普通だけど、そこから一歩すすんで、不測の事態を楽しめる感覚をもてるようになると、もう大人と言っていいかもしれない。
予想外の事態に接して、そこで立ち止まって不満げな顔をするのではなく、さて次はどうなるのかなとうきうきする状態になる。
こうなると、うまくいかない出来事も成長のためのチャンスに変わる。
ごめん、ちょっと話をひろげすぎた。
今回、絶好調に消化していた修学旅行の日程が急に予想外の展開を迎え、それを受け入れるみなさんの様子を見ながら、親御さんにはご心配をかけるかもしれないが、逆にいい経験になるのではないかと内心思っていた。
そして、みんなのふるまいを見てて、大人への階段を順調に昇りつつある姿に思えたのだ。
それを感謝したくて能書きを書いてしまった。
おつかれさまでした。いろいろ協力ありがとう。
今日からまた日常にもどるが、1ランク上の日々を過ごしていこう。