水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「サムラゴーチ」

2014年02月07日 | 日々のあれこれ

 佐村河内問題について語った人が累計8千万人ぐらいになったようだが、みんなつまんないなあ、誰か面白いこと言ってないかと思ってネットサーフィンしてたら、東良美季さんというライターのブログが、ちょっと楽しかった。


 ~ それにしても佐村河内ってインパクトのある名前だなあ。僕は好きですね。昭和40年代の少年漫画か、ヒーロー物ドラマの主人公みたい。暗闇から「フッフッフ」と現れて、「誰だ・・・? き、貴様、佐村河内!」とか、「むむ、佐村河内。お前、死んだはずでは・・・」なんてね。まあ、珍しい名字ではある。(東良美季「毎日jogjob日誌 」) ~


 そして東良さんは、同姓同名検索サイトで「佐村河内」を調べる、日本に7軒しかない、東国原は11軒、東良もめずらしいと言われるけど73軒もあったと書かれる。
 なので水持も検索してみたら12軒だった。案の定めずらしい部類に属する。だが、残念ながらそれほどインパクトはない。せいぜい飲み屋の予約などで「ミズモチ」と伝えて一回では伝わらないぐらいの珍しさだ。
 自分も「サムラゴーチ」ぐらいインパクトのある名前だったら、もう少しちがった人生を送っていたにちがいない。
 あの名前で、あの風貌で、耳がきこえない、杖が必要だというキャラクターだと、ほとんどギミックに近い感じに見えるのがふつうだが、「騙された!」と文句を言う人は、プロレスを観たことないのだろう。
 エンターテーンメントの世界には、ギミックが不可分だ。
 エンタメ界にかぎらないか。われわれ教員の世界でも、自分のキャラクターを考えることは大事で、無理なキャラを演じようとして失敗することも多々ある。
 教師として自分がこうありたいと願う姿と、周囲から求められている姿がぴったし一致する場合はまれだし、物理的外見との相関も大きい。
 新任のかわいいタイプの女性教師が、生徒指導のチーフとして生徒の前に立つのは至難の業だし、巨体のおっさん先生が母親的役割を果たそうとするのは難しい。
 そういう意味で、佐村河内さんの戦略は見事に成功していたと言える。途中までは。
 ちなみに、吹奏楽の世界には、あんなふうに意図的につくりあげなくても、キャラのこゆーい先生はそうとういらっしゃる。人としてふつうタイプの自分としてはうらやましさを感じたこともあった。
 問題なのは、「被爆二世」「全聾」という方だろう。佐村河内さんの問題ではなく、わたしたちの。
 佐村河内さんの風貌を「なんかうさんくさい」「ギミックなんじゃないの」と感じた人は絶対いると思うけど、障害をもっている、そして被爆者という要素が加わると、ふつうに論評することがタブーになってしまう。
 かりにバラエティに出演されて、にこにこ笑ってたとしても、同席した芸人さんが「つっこみ」を入れるさいには、最新の注意をはらうことになるだろう。
 ダウンタウンのはまちゃんあたりなら、「グラサン似合うてへんやん!」と言えるだろうが、「つごうの悪いときだけきこえへんの、ちゃうんかい!」になると、抗議の電話を覚悟することになる。
 「そこは触れないほうがいいよ」という部分が、考えてみると昔にくらべ、随分多くなった。
 すっかりかげが薄くなってしまった「明日、ママがいない」問題と、本質の部分でつながっている問題のはずだ。

コメント (1)
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