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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「詩を考える―言葉が生まれる現場」(東大2020年)の授業(5)

2020年07月30日 | 国語のお勉強(評論)
⑫ 〈作品〉と〈文章〉の対比を、言語論的に記述する能力は私にはない。私はただ一種の貧しい体験談のような形で、たどたどしく書いてゆくしかないので、初めに述べた私のこういう文章を書くことへのためらいもそこにある。〈 エ作品を書くときには、ほとんど盲目的に信じている自己の発語の根を、文章を書くとき私は見失う。 〉作品を書くとき、私は他者にむしろ非論理的な深みで賭けざるを得ないが、文章を書くときには自分と他者を結ぶ論理を計算ずくでつかまなければならない、そういうふうに言うこともできる。
⑬ どんなに冷静にことばを綴っていても、作品をつくっている私の中には、何かしら呪術的な力が働いているように思う。インスピレーションというようなことばで呼ぶと、何か上のほうからひどく気まぐれに、しかも瞬間的に働く力のように受けとられるかもしれないが、この力は何と呼ぼうと、むしろ下のほうから持続的に私をとらえる。それは日本語という言語共同体の中に内在している力であり、私の根源性はそこに含まれていて、それが私の発語の根の土壌となっているのだ。


 文章……貧しい体験談のような形で、たどたどしく書いてゆくしかない
        ∥
      ためらう理由

 作品を書く → 他者に非論理的な深みで賭ける
   ↑
   ↓
 文章を書く → 自分と他者を結ぶ論理を計算ずくでつかむ

 作品をつくっている私の中……呪術的な力が働いている
   ↓
  この力 
   ∥
 下のほうから持続的に私をとらえる
 日本語という言語共同体の中に内在している力
 私の根源性
 私の発語の根の土壌


Q11「作品を書くときには、ほとんど盲目的に信じている自己の発語の根を、文章を書くとき私は見失う」とあるが、なぜか。
A11 異なる現実を生きる他者に私的な言葉を伝えるには、
   自己に内在する言語共同体の力に頼ることができず、
   他者とつながる論理を外部に構築する必要があるから。


 最後の設問で、長めの記述問題を解くときは、冒頭の問題提起を一度確認する。
 筆者は、そもそも何をしようとしたのか。
 何を述べようとしたのか。
 編集者の「肉声」になんとか答えるために、どうしようと考えたのか。

 他者・異物とのコミュニケーションをどうすべきかという問題は、どの大学の先生も強く抱きながら模索しているのが現状。

 ただ解くのではなく、与えられた文章で提示された問題・課題を、今の世の中に広げて考えてみよう。そして今の自分にひきよせて考えてみよう。
 世の中を見るメガネ、自分を見直すメガネを手にいれるのが現代文の勉強。
コメント
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