3学年だより「適性」
藤井聡太新棋聖の快挙を見て、類い希な才能をもっている人はすごい、と私たちは感じる。
しかし、もともと天才で、なんの苦労も悩みもなく今の地位に達した……というわけではおそらくないだろう。
まず、将棋に出会わなければならない。5歳にときに、たまたまおじいちゃんが将棋を教えてくれるという幸運が必要だ。
おじいちゃんが教えてくれたのが、たとえば将棋ではなく囲碁であったら、どうだったろう。
習字やピアノやダンスだったら。何をやっても今の地位に達すると想像することは難しい。
あっという間にルールを憶え、おじいちゃんを負かしてしまったからといって、自宅から通えるところに将棋の道場があるという条件がなければ、成長の過程はまた違っただろう。
さまざまな幸運と、それを生かす自らの力があわっさって、「結果」が生じる。
私たちは、その結果を見て、「あの人はもともと才能がある」と表現する。
~ 才能は「結果」ですから、最初から存在するものではありません。でも人には、生まれつき、何かに向いている性質というものがあるはずです。私はそれを「適性」と呼びます。「才能」はありませんが、「適性」は間違いなくあります。
… 「適性」のある人が、膨大な努力をすると、それが「結果」につながるのです。数式で表すならば、「適性」×「努力量」=「結果」です。
何かの専門家になるには、1万時間以上の努力量が必要だといいます。「適性」がある人は、1万時間の血のにじむような努力を楽しみながらこなすことができる。一方、「適性」のない人は、苦しくて途中で脱落する。「適性」が花開く前に、ドロップアウトするのです。
ここで「努力」という言葉を便いましたが、スポーツや音楽であれば「練習」であり、知的作業であれば「勉強」ということになります。
全ての人には、何らかの「適性」があるはずです。それを発見し、磨きをかけていく。
いろいろなことにチャレンジすることで、適性は発見できます。学校の教科でも、「数学」なのか「国語」なのか「英語」なのか、人によって得意教科が違っていますが、そこにも「適性」が隠れています。それは、いろいろなことをやってみない限りわからないのです。
勉強することで適性は発見され、勉強することで適性は磨かれていきます。
「才能」なんてものは、誰も持っていないので心配することはありません。でも、あなたは何らかの「適性」を持っているはずです。その適性を発見し、勉強によって磨いていけば、必ずその適性を開花させ、目覚ましい結果を出すことができるのです。
(樺島紫苑『ムダにならない勉強法』サンマーク出版) ~
自分が何に適性があるのか。何を伸ばせばいいのか。
それを見つける機関として、学校はベストではないのかもしれないが、今の人間社会においては、かなり有効な、現時点では最も汎用性の高いシステムだといえるだろう。
藤井聡太新棋聖の快挙を見て、類い希な才能をもっている人はすごい、と私たちは感じる。
しかし、もともと天才で、なんの苦労も悩みもなく今の地位に達した……というわけではおそらくないだろう。
まず、将棋に出会わなければならない。5歳にときに、たまたまおじいちゃんが将棋を教えてくれるという幸運が必要だ。
おじいちゃんが教えてくれたのが、たとえば将棋ではなく囲碁であったら、どうだったろう。
習字やピアノやダンスだったら。何をやっても今の地位に達すると想像することは難しい。
あっという間にルールを憶え、おじいちゃんを負かしてしまったからといって、自宅から通えるところに将棋の道場があるという条件がなければ、成長の過程はまた違っただろう。
さまざまな幸運と、それを生かす自らの力があわっさって、「結果」が生じる。
私たちは、その結果を見て、「あの人はもともと才能がある」と表現する。
~ 才能は「結果」ですから、最初から存在するものではありません。でも人には、生まれつき、何かに向いている性質というものがあるはずです。私はそれを「適性」と呼びます。「才能」はありませんが、「適性」は間違いなくあります。
… 「適性」のある人が、膨大な努力をすると、それが「結果」につながるのです。数式で表すならば、「適性」×「努力量」=「結果」です。
何かの専門家になるには、1万時間以上の努力量が必要だといいます。「適性」がある人は、1万時間の血のにじむような努力を楽しみながらこなすことができる。一方、「適性」のない人は、苦しくて途中で脱落する。「適性」が花開く前に、ドロップアウトするのです。
ここで「努力」という言葉を便いましたが、スポーツや音楽であれば「練習」であり、知的作業であれば「勉強」ということになります。
全ての人には、何らかの「適性」があるはずです。それを発見し、磨きをかけていく。
いろいろなことにチャレンジすることで、適性は発見できます。学校の教科でも、「数学」なのか「国語」なのか「英語」なのか、人によって得意教科が違っていますが、そこにも「適性」が隠れています。それは、いろいろなことをやってみない限りわからないのです。
勉強することで適性は発見され、勉強することで適性は磨かれていきます。
「才能」なんてものは、誰も持っていないので心配することはありません。でも、あなたは何らかの「適性」を持っているはずです。その適性を発見し、勉強によって磨いていけば、必ずその適性を開花させ、目覚ましい結果を出すことができるのです。
(樺島紫苑『ムダにならない勉強法』サンマーク出版) ~
自分が何に適性があるのか。何を伸ばせばいいのか。
それを見つける機関として、学校はベストではないのかもしれないが、今の人間社会においては、かなり有効な、現時点では最も汎用性の高いシステムだといえるだろう。