⑨ そこには無論のこと多量のひとりよがりがあるわけだが、そういう根源性から書いていると信ずることが、私にある安心感を与える。これは私がこういう文章を書いているときの不安感と対照的なものなのだ。自分の書きものに対する責任のとりかたというものが、作品の場合と、文章の場合とでははっきりちがう。
⑩ これは一般的な話ではなくて、あくまで私個人の話だが、〈 作品に関しては、そこに書かれている言語の正邪真偽に直接責任をとる必要はないと私は感じている。正邪真偽でないのなら、では美醜かとそう性急に問いつめる人もいるだろうが、美醜にさえ責任のとりようはなく、私が責任をとり得るのはせいぜい上手下手に関してくらいのものなのだ。 〉創作における言語とは本来そのようなものだと、個人的に私はそう思っている。もしそういうものとして読まぬならば、その責任は読者にあるので、私もまた創作者であって同時に読者であるという立場においてのみ、自分の作品に責任を負うことができる。
⑪ 逆に言えばそのような形で言語世界を成立させ得たとき、それは作品の名に値するので、( 現実には作家も詩人も、創作者としての一面のみでなく、ある時代、ある社会の一員である俗人としての面を持つものだから、彼の発言と作品とを区別することは、とくに同時代者の場合、困難だろうし、それを切り離して評価するのが正しいかどうか確言する自信もないけれど、 )離れた時代の優れた作品を見るとき、あらゆる社会的条件にもかかわらずその作品に時代を超えてある力を与えているひとつの契機として、〈 ウそのような作品の成り立ちかた 〉を発見することができよう。
そういう根源性から書いていると信ずる → 安心感
↑
↓
こういう文章を書いている → 不安感
作品……言語の正邪真偽・美醜に責任をとる必要はない
↑
創作における言語とは本来そのようなもの
そのような形で言語世界を成立させ得たとき
↓
作品の名に値する
↓
時代を超えた力をもつ作品
∥
ウそのような作品の成り立ちかた
Q10「そのような作品の成り立ちかた」とはどういうことか、説明せよ。
A10 作品を構成する言語に対する責任をとる必要がないほどに作者自身は捨象され、
純粋に作品世界が立ち上がってくる状態になること。
⑩ これは一般的な話ではなくて、あくまで私個人の話だが、〈 作品に関しては、そこに書かれている言語の正邪真偽に直接責任をとる必要はないと私は感じている。正邪真偽でないのなら、では美醜かとそう性急に問いつめる人もいるだろうが、美醜にさえ責任のとりようはなく、私が責任をとり得るのはせいぜい上手下手に関してくらいのものなのだ。 〉創作における言語とは本来そのようなものだと、個人的に私はそう思っている。もしそういうものとして読まぬならば、その責任は読者にあるので、私もまた創作者であって同時に読者であるという立場においてのみ、自分の作品に責任を負うことができる。
⑪ 逆に言えばそのような形で言語世界を成立させ得たとき、それは作品の名に値するので、( 現実には作家も詩人も、創作者としての一面のみでなく、ある時代、ある社会の一員である俗人としての面を持つものだから、彼の発言と作品とを区別することは、とくに同時代者の場合、困難だろうし、それを切り離して評価するのが正しいかどうか確言する自信もないけれど、 )離れた時代の優れた作品を見るとき、あらゆる社会的条件にもかかわらずその作品に時代を超えてある力を与えているひとつの契機として、〈 ウそのような作品の成り立ちかた 〉を発見することができよう。
そういう根源性から書いていると信ずる → 安心感
↑
↓
こういう文章を書いている → 不安感
作品……言語の正邪真偽・美醜に責任をとる必要はない
↑
創作における言語とは本来そのようなもの
そのような形で言語世界を成立させ得たとき
↓
作品の名に値する
↓
時代を超えた力をもつ作品
∥
ウそのような作品の成り立ちかた
Q10「そのような作品の成り立ちかた」とはどういうことか、説明せよ。
A10 作品を構成する言語に対する責任をとる必要がないほどに作者自身は捨象され、
純粋に作品世界が立ち上がってくる状態になること。