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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

音と音楽2

2010年08月28日 | 日々のあれこれ
 畏友(と勝手に思っている)の堀裕嗣先生が、教育実習生の指導について書いておられる。
 教育実習生の授業をビデオに撮り、それをDVDにやいて実習生に渡すことにし、こう述べられる。

 ~ これを明日実習生に渡す。土日で自分の語りがいかにダメかということを確認してくるよう促すつもりである。いくら壮大な授業観に基づいて授業をしても、いくら指導された授業技術を駆使してみても、語りが悪ければ無駄である。そして語りは、いくら四六時中指導できる立場にいる実習担当教諭でも直してはあげられない。自分で気づき、自分で直していくしかないのである。そもそも語り口調は、2週間の実習で直せるような代物ではない。実習を終えたあとも、彼が日常的に意識し、直そうと試み続けることによってのみ改善される、そういう質のものである。~

 学校の先生には、自分の授業を録音や録画で見たり聞いたりした経験のある人と、ない人と二種類ある。
 ひょっとしたら、後者の比率が大きいかもしれない。
 この経験があるのか、ないのかは、かなり決定的な差ではないかと思う。
 同僚でも、「この人自分のしゃべりを聞いたことない人だな」と感じる人はいる。
 若い先生には強く勧めるけど、ベテランの方には…。
 教えるレベルの変わらない人と、少しずつでも変わる人と、最終地点での差はたぶんかなり大きいのだが、変わらないタイプの人は、その差自体に気づかずに退職できるから、ある意味幸せなのかもしれない。

 ただし、語りの技術が決定的に劣っていても、人間的に生徒を惹きつけることのできる先生もいるのは事実だし、やたら語りが上手で、でも冷静に考えてみると中身が何もない先生というのもいるのも事実なのだ。
 ここで自分の中では自然に音楽につながっていくのだが、「語り」と「語られる中身」は、「音」と「音楽」に対応するかな、と思って。
 だから、教師が語りと中身の両面を高めていくべきなのと同じで、音と音楽の両面を磨いていく必要がある。
 順番にではなく、ある程度同時に。
 伝えたい中身がある、でも生徒が聞いてくれない、という状況を本気でなんとかしたいと思ったとき、教員は伝える方法をみつけようとする。
 伝えたい音楽がある、でもうまく伝えられない、という状況を本気でなんとかしたいと思ったとき、われわれはその技術を身につけようとする。
 部活の場合は、教員とちがって、できなくてもおまんまの食い上げにはならないので、本気度の涵養が一番難しいのかもしれない。 


 
コメント
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