さて下記ブログのような“感想”をいだいて、ぼくは床に積んである文庫本のなかから、1冊を取り出してみる。
この本は昔、単行本で読んだことがある。
この本を死んだ母に貸したこともあったように思う。
まず巻末の“単行本あとがき”を読んでみる;
★ この「ノート」は、「朝日ジャーナル」昭和49年10月4日号から、昭和50年10月3日号まで、一年間、連載したものである。その間、世界と日本は、政治的経済的に、第二次大戦以来最大の激動期をむかえ、また、人間と文化が根底的に問われざるをえなかった「時」でもあった。この「ノート」は、その内乱状態の、つかのまの空白と沈黙のなかから生まれた。
まず、《昭和49年10月4日号から、昭和50年10月3日号》という日付がいつのことなのか、とっさにわからない。
ぼくは、元号が苦手である。
しかし“昭和45年”が“1970年”であることを思い出し(その年にぼくは大学を卒業し就職した)、換算して、昭和49年が1974年であることに思いいたった(笑)
しかし、1974年から1975年の一年間が、どのような《内乱状態》であったのかは、とっさに思い出せない(つまりいろいろ記憶を、思い出さねばならない)
ぎょっとしたのは、田村隆一の次の文章である;
《この3月で、ぼくもやっと53歳になった。》
すなわちこの単行本が刊行された1976年(昭和51年)に田村隆一は《53歳》だったのだ。
現在のぼくは、64歳である。
いったい、いつの間に、ぼくは53歳の田村隆一より年上になってしまったのか!
ぼく自身にしか意味のないブログを書いた(笑)
この本の最初にかかげられた西脇順三郎の詩;
タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ
もう長い間、鉛筆をけずっていない。
ましてその木屑を燃やして、そのにおいを嗅いだこともない。
閉じる門もない。
今夜もまだ蒸し暑い。
けれども、ぼくにも今年の秋は、まだ、来るらしい。
* 上記の本は、田村隆一『詩人のノート』(講談社文芸文庫2004)