Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

言論の耐えられない軽さ

2011-08-27 08:32:50 | 日記


いま見た“日本有名人”の発言あれこれ。

ぼくの感想は、このブログのタイトルどおり;


◆茂木健一郎(ツイッター)
*kenichiromogi 茂木健一郎
今の世論調査の「民意」って、テレビ、新聞で形成されたものでしょ。悪いけど、10年古いよね。
*kenichiromogi 茂木健一郎
みんな、まともな人は、新聞、テレビ、うんざりしているんだけど、仕方がないよね、統計学で、大数の法則だから。でも、記者クラブの下の民意って、カダフィ政権とあまりかわらないね。
*kenichiromogi 茂木健一郎
まあ、いいや。オレ、日本の政治からは、降りたから。しばらく勝手にやったらいいよ。おやすみ。
*kenichiromogi 茂木健一郎
前原は、少なくともないよな。プリンシプルに反するから。小沢さんに対する仕打ちは、はっきり言うけど、独裁国家の恣意的な愚行と、何もかわらない。それを「基本的に維持する」と言っているやつは、「民意」なら当選するんだろうが、オレは支持しない。
*kenichiromogi 茂木健一郎
日本の政治は、あまりにも非生産的で、愚者が支配しているから、まともに「創造性」を尊敬している人は、近づきたくなくなる。寝技師がぜんぶ消えたら、コミットしてもいいけど。まともな政策論争、しろよ。
*kenichiromogi 茂木健一郎
まあ、日本の記者クラブの諸君は、相変わらず、本質的な政策論争とはまったく関係のない、政局報道にいそしんでおくれ。100年後には、君たちの書いた文字は、すべて忘れ去られているから。おれは少しでも明るい未来を夢見ることにするよ。本当におやすみ!


◆ 内田樹(ブログ)
「公民」に求められるのは、何よりもまず「他者への寛容」である。そして、それは「痩せ我慢」なしには達成しえない。自分の好き嫌いを抑制し、当否の判断をいったん棚上げし、とりあえず相手の言い分に耳を傾け、そこに「一理」を見出し、その「一理」への敬意を忘れないこと。それが「公民への道」の第一歩である。それを教えるのが学校教育の第一の、最重要の課題だと私は思っている。


◆ 高橋源一郎(ツイッター)
*takagengen 高橋源一郎
すいません。「恋する原発」の件で。ゲラも戻したところだったんですが、「上」の判断で、急遽、掲載が見合わされることになりました。やっぱり、あの内容じゃ無理だったみたいですね。詳しくは、また。
*takagengen 高橋源一郎
今日の朝日新聞朝刊に論壇時評を書いています。「伝えたいこと、ありますか」というタイトルです。ぼくがつけたタイトルは「面白くっても、大丈夫」だったんですけどね。読んでいただければ幸いです。「恋する原発」の件は、少々、お待ちください。それでは。
*takagengen 高橋源一郎
昨日、寝る前に衝撃の事実発覚。奥さんに「ねえ、くまのプーさん、って女だって知ってた?」といわれました。マジかよ! ぼく、プーさんが主役の小説、書いてるんですが……。ちなみに、今月の21日が90回目の誕生日だったみたいです。


◆ 矢作俊彦(ツイッター)
*orverstrand 矢作俊彦
それがこの国の現実だ。君の言う通り、ゴルバチョフに年間10億円ぐらい支払って、日本国行政CEOをやってもらうのも悪くない。いや、たとえクリントンだって民主党のどの代表候補よりマシだと思う。要するに10万人死なせる覚悟がない人間は、10万人どころか、ひとりも救うことが出来ないんだ。


◆田原総一郎(ブログ)
新聞やテレビはすぐに小沢さんが誰を選ぶかで決まるという。
だが、それは表側だけの問題である。
少なくても僕は、小沢さんは数の論理だけで考えるような、
薄っぺらい人間ではない、と思っているからだ。
いますぐではないにしても、いずれ総理大臣にしたいと
小沢さんが思っているのは、細野剛志である。
仙谷さんもそう思っているだろう。
小沢さんと仙谷さんは、本質は違う。
お互いに喧嘩もしている。
しかし、政治家・小沢一郎と政治家・仙谷由人は、
同じ眼で同じものを見ていると思っている。
ただ、細野さんはまだ若い。
だから、細野さんが総理、という話は、おそらく次か、
その次のことだ。


◆宮台真司(ブログ)
総じて僕らは、コンビニエンス(便利)やアメニティ(快適)をハピネス(幸福)と取り違えてきた。更に深い水準ではハピネス(幸福)とウェルビーイング(存在の取替不可能)を混同してきた。だからエネルギーを馬鹿食いする高GDP社会で、不幸な人々ばかりになった。
非常時が訪れ、快適さも便利さも失われたとき、つまりシステムに依存できなくなって初めて、「幸せとはなにか」「どう生きるのが良いのか」という、幸福と存在の取替不可能に関わる本当の問いを僕らは突きつけられる。問いに答えるための議論の厚みを手にする段である。


◆ 東浩紀(ツイッター)
*「復活の日」の出版時に小松左京は33歳、「果しなき流れの果に」が35歳、「日本沈没」が42歳か。彼我の差に鬱になるな。
*あれは研究書だから比べものにならない。ちなみに27歳です。RT @haimexx: 「存在論的、郵便的」を29で書いたあなたがなにをいいますか。RT @hazuma: 「復活の日」の出版時に小松左京は33歳、「果しなき流れの果に」が35歳、「日本沈没」が42歳か。彼我の差に鬱
* 若者たちを置いて帰宅。
* 若さって問題あるけど、しかし素晴らしいものだと思った。
* おれはこれから痩せる、とか宣言してしまった。。。


◆堀裕嗣(北海道国語教師ブログ)
☆ サザンのデビューは1978年。ぼくは小学校6年生だった。一見、サザンと同世代の人たちのほうがその影響を色濃く受けていそうに思われるけれど、実はそうではない。同世代の人たちはそれ以前からさまざまな音楽を聴き、さまざまな語彙をもっていた。それとの比較としてサザンを受け止めたはずである。しかし、ぼくらの世代はそれ以前に聴いていた音楽などピンクレディとキャンディーズくらいのもので、いわばサザンによって無垢をサザン色に染められたのである。その後、いかなる音楽を聴いてもそれは桑田佳祐というフィルターのもとに認識せざるを得なかった。ビリー・ジョエル以降の音楽はすべて桑田との対照で理解された。いや、遡って聴いたボブ・ディランやビートルズさえ桑田との対照で聴くことしかできなかった世代なのだ。これを前世代は不幸なことだというだろうが、他の世代にどう見えようが、それは我々が生まれたときに親を選べなかったことと同様の構図でしかないのであり、ぼくらの責任ではない。
☆ 以後、30年余り。この思春期から四十代半ばに至るまで、トップを君臨し続けているのは各界を見回しても、桑田佳祐・村上春樹・ビートたけしの3人だけである。他にはいない。誰一人いない。その候補さえ浮かばない。あの、この国に豊かさが完成して時代に社会との小競り合いからに勝利し、バブルを駆け抜け、失われた十年においても失われず、望まないことを善とする時代に至るまで、トップに君臨し続けているのは、3人だけである。
☆ 政治家なんて彼らの足下にも及ばない。


◆ 天声人語
▼菅さんが政治の「泉」に残した一本の匙は、「脱原発依存」だろう。これで四面楚歌(しめんそか)は極まったが、共感する人も多かった。水底から拾い上げる後継首相はいようか。水を濁してごまかすなら、離れる支持も多かろう▼もう一つお手柄を挙げれば、与野党乱戦の「菅おろし」を通じて、政治の貧相を改めて周知させたことか。何とも皮肉な「功」を残して夏とともに去る。かくて初秋の風物詩と揶揄(やゆ)された首相交代が、2年ぶりに復活する。地位の軽さはいよいよ極まる。


◆ 読売編集手帳
◆原発事故対応のヤマ場に官邸を留守にした現地視察、然り。引きずり降ろされる形で辞めたくないメンツ優先の居座り、然り。電撃発表の向こう受けを狙って閣内の意思疎通を軽んじ、公言したエネルギー政策の基本方針が一夜にして「個人の見解」にしぼんだ醜態、また然り◆民主党代表選がきょう告示される。誰が“ポスト菅”の重責を担うにしても、〈忌〉の一字は受け継いではなるまい。部首の「心」は名称を「したごころ」という。票欲しさに、信念を曲げて党内実力者にすり寄る下心も忌むべきものの一つだろう◆〈志〉に燃える新代表の登場を待つ。



以上全部引用だよ。






どうもぼくが見ている<言論>(新聞サイト・ブログ・ツイッター)の選択が間違っているのでしょうか?

もっと“まともな”(なにかを考えている)発言があったら、ぼくに紹介してください。