Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

昔の名前

2011-08-15 13:27:15 | 日記



ぼくは読書計画を立て、なるべく“系統的に”(もちろん自分の基準でしかないが)本を読もうとする。

先日もこのブログに、“当面読む本”のリストさえ掲げた。
しかし、必ず、この計画通りに読めない。
自分が読めないはずの計画を立てたり、ましてや、ブログにそれを“公表”してしまうのは、自分にプレッシャーをかけたい(笑)からであろうか。

ただし先日の“当面読書”リストのうち、辺見庸『水の透視画法』のみは、今日にも読み終わるだろう(下のブログに書いたのもその一章である、またル・クレジオ『はじまりの時』は読了した)

昨日からまた(前に中断した箇所から)読んでいるのは、松浦寿輝『クロニクル』(東京大学出版会2007)である。

この“松浦寿輝”という名も、ぼくは相当前から知っていて、ずいぶん前に松浦の詩集は買ったことがあったのに、読んでいなかった。
ここ数年(たぶん去年から)彼の小説を数冊読んだ。
“数冊読んだ”からには、けっしてつまらなかったわけではないが、特に好きなわけでもない。

ぼくは、1954年前後に生まれた世代に関心があるのである(なぜかは不明;笑)
たとえば、松浦寿輝と四方田犬彦。
この二人の共通点は、たとえば、“ゴダール好き”だが、共通しない点(対立点!)も多いだろう。


さてこの『クロニクル』で今読んだ所にも、何人かの<名前>が出てきた;
吉本隆明、三島由紀夫、稲垣足穂、伊丹十三。

ぼくに関心があるのは、現在、これらの名はいかに認知されているのかということである。

まず“知っているか知っていないか”ということがあり、たとえばこの4人は、いつの時代の人だったか?というようなことも。

ぼくにとって?
ぼくにとっては、このなかでいちばん好きなのは、伊丹十三である。
いちばん読んだのは、吉本隆明である。<追記>
三島由紀夫も数だけは読んだが、なにも心に残っていない。
稲垣足穂は、まったく読んだことがない。


『クロニクル』に伊丹十三『女たちよ!』からの引用があった;

《 私自身は――ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない 》


しかしぼくが『女たちよ!』を読んだのは、半世紀近く前のような気がするし、この本はもうとっくにぼくの手元にない。
上記の言葉もまったく記憶してなかった。

ぼくにとっての“昔の名前”(日本人)のリストを書くなら、

寺山修司、岡本太郎、山本周五郎、谷川俊太郎、安部公房、三島由紀夫、石原慎太郎、植草甚一、伊丹十三などをあげることができる。
そして、吉本隆明と村上春樹(小林秀雄と司馬遼太郎は読んでいない;笑)

そして大江健三郎だけが、“現在”に残った。

たとえば、流行で、“岡本太郎”が現在に復活し、“上記の名”を知らないひとでも、《芸術は爆発だ!》を知っていることは、ぼくの記憶と係わりない。

しかし松浦寿輝の“世代”と、それより若い世代が、いかなる名前のリストを持っているかには、関心がある。





<追記;夜中に>

この“吉本隆明の記憶”という松浦の文章に引用されている、

《幼いころもわたしには、父の背中は鋼のようにおもえた。硬いというより色合いと匂いと言ったほうがよかったが》

という吉本隆明の文章についても、なにか書くつもりで、忘れた。

ぼくには《父の背中》の記憶はない。







異形の者

2011-08-15 10:32:02 | 日記


昨日、新聞各紙の社説が、一斉に、”震災と終戦“というテーマで書かれているので、”今日は8月15日ではないのに?“といぶかしんだ。

今日になって、今日が新聞休刊日であることを知った、すなわち終戦(敗戦)記念日に、新聞はお休みである。

やや大袈裟に言えば、日本の歴史も世界の歴史も、新聞社の“自己都合”でどうにもなるのであった。

しかも(実は)昨日、ぼくはこの各紙(朝日、読売、日経、産経、東京)社説の比較検討ブログを書いたのである。
そして、それをエントリーしなかった。

震災後、“時事的ニュース”に対して書いた(自分の)ブログを、“ボツにする”ことが多くなった。
というか、ぼくはDoblogの時から長い間、書いたブログはほぼ“すべて”出してきた。
それが変わった。

自分の“意見”に自信がないというより、そこで扱っている対象が、ブログに書くほどの対象であるか、に疑問が生じる。

たとえば、現在の民主党代表選である。

とにかく“今年の終戦記念日の記念”として昨日掲載の各紙社説のタイトル(だけ)を記録しておく;


◆ 朝日新聞:《終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す》

◆ 読売新聞:《戦後66年 政治の「脱貧困」をめざせ》

◆ 毎日新聞:《大震災と終戦記念日 「ふるさと復興」総力で》

◆ 日本経済新聞:《8.15を思い、3.11後の日本を考える》

◆ 産経新聞:《あす終戦の日 非常時克服できる国家を 「戦後の悪弊」今こそ正そう》

◆ 東京新聞:《終戦の日に臨み考える 新たな「災後」の生と死》



今日書きたいのは、上記社説(ぜんぶ)のように徹底的に空疎“でない”言葉とはなにか、ということだ。

たとえば、こうある;

(かつて)《おのれを市民という者はいなかった》


ある本を読んでいて、ある言葉とかあるセンテンスに“撃たれる”ということは、ある。

どんなすぐれた本でも、その日の体調が悪く、集中力に欠け、クーラーをつけていても、頭がボーっとしてくる時に、目を覚まさせる言葉や文章がある。

《おのれを市民という者はいなかった》

という文は、辺見庸“緋ぢりめんと不動明王”という文章にある。

ここで<かつて>とカッコ付けでかいた時期は、辺見庸の子供時代である。

★ 眼もあやな緋ぢりめんの長じゅばんをばさりとはおり、大股であるいてくる男を見てどぎもを抜かれたことがある。(……)ふりかえると、緋ぢりめんが肩口からはだかり、牙をむきだした不動明王の顔が背に半分のぞいた。港町に育った子どものころ、うだるような夏の宵であった。

そしてこの文章が書かれた2010年の夏の夕、《ひとり公園のベンチにすわり、あの男を思った》のである。


さてぼくは、辺見庸より二歳年下であるが、ここに書かれている通りの“異形の者”とすれちがったことはない。

つまり、“ありのままの同形の、反復されるイメージ”はない。


しかし、“わからない”ということではない。

★ においは手に負えない不逞ななにかであった。下卑ていて、無法で、どこかわが身とまったく無縁でない、かすかに哀切な空気であり、消えてゆく記憶の粒子であった。

★ 金持ちは表面うらやましがられたが、金の亡者は心底軽蔑された。不当労働行為はいくらでもあったけれど、からだを張った抵抗もそれなりにあった。おのれを市民という者はいなかった。監視カメラなんぞなかった。口達者は尊敬されなかった。歌手や俳優もまともなスターはCMになんかでなかった。人びともマスコミもいま同様に無責任で、むなしく愚かしかった。たったひとりの持久的不逞には、だが、一目おいたりした。


どうも最近の“若者”は、たいした歳でもないのに、“自分の人生の思い出話”が好きなようだ(茂木健一郎のような“若者”もいる)

すぐ、“ぼくの子供の頃、あそこでザリガニをとってね…”とかはじめる(笑)

しかし、“おもいでばなし”は、それが正確であろうと、不正確であろうと、60歳を過ぎてからにしてほしい(爆)

つまり“かつて”(Once upon a time)ということには、ある程度の時間が(歴史が)必要である。

現在新聞社(=テレビ)で“論説委員”(最近は編集委員というの?)とかしているひとは、定年前なんだから、当然、60歳前なのである(笑)




<注記>

言うまでもないので、言わなければいいのに、言うが、

ぼくは<市民>より<ヤクザ>がいい、と言いたいのではない(たぶん辺見庸も)

ただこのブログを書いていて、ぼくは自分がずっと(学生の頃から)“べ平連”という名前に違和感を(はっきりいえば嫌悪を)感じてきたかの理由がわかった。

べ平連の活動も思想も(たぶん)そんなに悪くなかった。

しかし“一般常識”(そんなものがあるとして)に反して、大江健三郎は、“平和と民主主義と市民“的なひとでは、まったくないので、好きである(小田実とは、ちがう)