Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

おめでとう、青山真治

2011-08-14 10:21:06 | 日記


<青山監督に「審査員特別賞」> テレ朝NEWS (08/14 09:31)

スイス南部の保養地で開催されている「第64回ロカルノ国際映画祭」で13日、青山真治監督(47)の「東京公園」に対し、「金ヒョウ賞(審査員特別賞)」が贈られることが決まった。今回特別に設けられた賞で、常設の最高賞に匹敵する賞という。ロカルノ映画祭は、カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界3大映画祭に次ぐ若手監督の登竜門として知られており、青山監督はこれまで4回出品し、審査員を務めたこともあった。今回、「東京公園」で最高賞受賞はならなかったが、これまでの実績などが評価された。青山監督にとっては、2000年のカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞した「EUREKA(ユリイカ)」以来の国際映画祭での栄誉となる。「東京公園」は、小路幸也氏の同名小説の映画化。カメラマンを目指す大学生、親の再婚で義理の姉となった女性、幼なじみの女性を中心に「死」と向き合うことの難しさを描いた。
(引用)



ぼくは青山真治の映画は、「EUREKA(ユリイカ)」と「レイクサイド マーダーケース」しか見たことがない(それもテレビで)

けれども、小説は、『ホテルク・ロニクルズ』と『ユリイカ』を最初に読んで以来、ほぼすべてを読んでいる。

そして“現在進行形の”作家のなかで、いちばん共感できる(というか唯一共感できた)ひとである(映画での“例外”は、押井守の「スカイクロラ」であった)

とくに『Helpless』を読んだとき、ぼくより“若い”ひとに、まだ“ときめける”ことがうれしかった。

ほんとうは青山真治のこれまでの映画を“すべて”見たい。
そして日本映画の現在について、ぼくなりに考えたい。

まず、「東京公園」が見たい。







またまたゴダール語録

2011-08-14 00:52:02 | 日記


godard_bot Jean-Luc Godard
ヌーヴェル・ヴァーグがある時期のフランス映画を突き破ることができたのは、ただ単に、われわれ三、四人の者が互いに映画について語りあっていたからです。―ゴダール
8月10日
(引用)


ぼくはこれまでこの“godard_bot”というツイッターを何度か引用している。

パソコン上に時々刻々あらわれる、さまざまな言葉に疲れたとき、この<言葉>は、ぼくにとって、真の癒しである。

しかし、こういうぼくの“感じ”がぜんぜんピンとこない方々が、たぶん沢山おられるのではないかと予想する。

それは、ゴダールを知っているとか、ゴダールの映画を見ているかどうかに、関係しないわけではないだろうが、たぶん、ソーいうことでもない。

ぼく自身、“ゴダールがいちばん好きな監督”ではないし、“ゴダールが映画史上最高の監督のひとりである”と確信しているわけではない。

たとえば、このブログの最初に掲げた“語録”にしたって、なにか物事の本質に迫る真理が述べられているわけでもないだろう。

すごく“気が利いたこと”が言われているのでもないだろう。
しかし、しかし、ぼくには、とても“わかる”気がするのである。

すなわち、“話し合う”何百人はいらない、のである。

《三、四人の者が互いに○○について語りあって》いられることが、ぼくの“理想(願望)”である。

逆に言えば、これこそが、“現在”の不可能事である。

スティーヴン・キングの『IT』において、この世でいちばん恐ろしいものを撃退できたのも《語り合う三、四人の者》の協働であった。<注>

こういうことを言ったら、ますます“ワカンナイ”と言われそうだ!




<注> ビートルズも”三、四人で”、音楽を変えた。





* 画像はゴダール映画に出ていないマリー・ラフォレ