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★ ウィトゲンシュタインが同じことを述べていまして、「この世界に神秘はない。この世界があることが神秘だ」という言い方をしています。つまりこの世界、別の言葉では自然といってもいいのですが、そのことが神秘(奇蹟)だというわけです。その中に、あるいはそれを超えて、特別に神秘があるわけではない。
<柄谷行人:“世界宗教について”―『言葉と悲劇』>
★ だが、<出来事>の記憶が、他者と、真に分有されうるような形で<出来事>の記憶を物語る、とはどういうことだろうか。そのような物語は果たして可能なのか。存在しうるのか。存在するとすれば、それはリアリズムの精度の問題なのだろうか。だが、リアルである、とはどういうことなのだろうか。無数の問いが生起する。
<岡真理:『記憶/物語』>
★ 人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。
ただ、認識の生を生きることによって。
<ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン:“草稿1914-1916”>
★ 女は庭仕事の手をとめ、立ち上がって遠くを見た。天気が変わる。
<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>
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