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★ ソクラテス的認識と悲劇的認識の違いは、認識が「解明しがたいものを凝視する」あの点をソクラテスが知らないところにあるとニーチェは見る。精神のソクラテス的な宇宙では、すべてが明るく、まだ闇があると思われても、それは一時的なものとされる。ソクラテス的な楽観主義は、昼が必ずやって来て、闇もやがて明るくなるのを信じている。そんなにも認識を信頼できるのである。こうした確信はどこから来るのか。それは世界の本質は善であるとのソクラテス的=プラトン的直感に負っている。陰になって、暗いものは、認識不足のみがその原因なのである。
★ プラトンの描くソクラテスにあって、認識することがまだはっきりとは経験的=実際的世界の奪取を目指してはいないが、ニーチェにはこうした展開が「知の万能治癒力」という認識楽観主義にあると見える。一世代後のアリストテレスでは、認識と自然支配のこの連関はもっとはっきりしたものになっている。
★ 人間が目的を定め、それに向かう意向に従い、それに沿って行動するとき、宇宙も想像の上に現れて来る。しかしそんな想像をしてはならないと、デモクリトスは言う。すべては原子が落ちて来るように、因果性をもって起こり、衝突し、連鎖を作りはするが、このことは恣意的な事柄であって、目的因ではない。どのような目的ももたず、それゆえ「意味」を追うこともない。「盲目的な」必然性である。デモクリトスの原子=宇宙は「無意味なもの」である。ニーチェはデモクリトスを説明して「世界は、理性とも衝動ともまったく関わりなしに、揺り集められたもの。すべての神々や神話は不要」と言う。人間が事物に与える感覚の質は誤解を招きやすいもので、「甘いもの、冷たいもの、色は、考えられているだけのもので、実際には原子と空虚以外に何もない」とデモクリトスは言う。
★ 「実際には」というこの言い方で、デモクリトスは見慣れた生活世界の全体を粉砕する。今日の自然科学がしているようにである。われわれは太陽が昇るのを見るが、実際にはそうでないことを知っている。
<ザフランスキー『ニーチェ その思考の伝記』(叢書ウニベルシタス2001)>
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