Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

記憶について

2010-04-09 13:52:19 | 日記


今日の読売編集手帳は言う;

《室町時代の歌謡集『閑吟集』に、〈昨日は今日のいにしへ 今日は明日の昔〉とある。いつの世も日々の出来事は、「いにしへ」の彼方へ足早に去っていく。とはいうものの、である◆一寸前なら憶えちゃいるが/一年前だとチトわからねエなあ…ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』で歌ったが、自民党が惨敗を喫した衆院選からは、まだ1年もたっていない》(引用)


ぼくたちの記憶喪失症は、着々と進行中であるらしい。
“自民党の惨敗”を忘れた人々は、“自分の1年前”を覚えているのだろうか。

たとえば“このブログ”についても、1年前に、Doblogからgooへ移行したのであった。
Doblogが、勝手に先方事情で“サービスを停止した”からである。

もちろんこれは、ささいなこと、であった。

ささいでないことについての記憶について天声人語が書いている;

《▼1940年、ソ連軍の捕虜になったポーランドの将校ら約2万人が銃殺された。ソ連はナチス・ドイツの仕業と主張した。真相は長く伏せられたが、ゴルバチョフ時代の90年になってやっと認めた。今年は事件から70年の節目になる▼ロシアでの式典には、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ氏(84)の姿もあったそうだ。事件で父親を失った遺族である。長く温めて完成させた「カティンの森」は日本でも公開されている。歴史を次の世代に渡すのが使命、という気迫が映像に満ちている▼ワイダ氏の思いに、「人間の歴史は虐げられた者の勝利を忍耐強く待っている」というインドの詩人タゴールの言葉が重なり合う。犠牲者も遺族も、ソ連の「残酷と虚偽」に虐げられた。「勝利」とは、史実が世代を超えて記憶され続けることだろう▼映画へのメッセージで、監督は「9月17日」を知らない若者を嘆いていた。ソ連軍がポーランドに侵攻した日である。国は違っても、伝え継ぐ難しさは国境がない》(引用)


これは、“ポーランド”という国の話である。

いったい誰が(つまり“日本人”である誰が)、1940年のポーランド人へのソ連の虐殺を“記憶する”だろうか?

この問いは、“いったい誰が現在のパレスチナにおける虐殺を記憶するだろうか?”という問いとなる。
すなわち、“固有名詞”は、いろいろ“代入可能”である。

しかし、そもそも、これらの<虐殺>は、記憶される前に、“認識されて”いるのだろうか?

たしかに、ひとは、“ヒロシマ・ナガサキ”についても、“アウシュビッツ”についても、知っていると思っている。

しかし“それら”は、“知っているのに忘れられた“のだろうか?
<虐殺>は、これら有名事件だけはない。

《人間の歴史は虐げられた者の勝利を忍耐強く待っている》という“タゴールの言葉”は、何を“意味する”のか?

《「勝利」とは、史実が世代を超えて記憶され続けることだろう》とか、
《国は違っても、伝え継ぐ難しさは国境がない》
という天声人語氏の“意見”は、何を“意味する”のか?

こういうことを“言う”(書く)ことが、<史実が世代を超えて記憶され続ける>ことに“なる”のだろうか?

たしかに、ここに上記のように“ぼくが言う(書く)”ことも、“抽象論(観念論)”である。

しかし、ぼくにとって、上記天声人語で重要なのは、《映画監督アンジェイ・ワイダ氏(84)の姿》である。
しかもぼくは「カティンの森」という映画を見ていない。

ぼくが見たのは、「地下水道」(1956)、「灰とダイヤモンド」(1958)、「二十歳の恋」(オムニバス1962)、「大理石の男」(1976)などである。

ぼくは「大理石の男」を見たときがっかりして、ワイダへの関心をなくしていた。
ぼくにとってのアンジェイ・ワイダは、「灰とダイヤモンド」である。

つまり1本の映画が、記憶された。

記憶というのは、具体性においてあり、すべてが記憶されるのではない。

それは恣意的であり、偶然的でもあるだろう。
だからこそ、なにを記憶するかが、重要なのだ。

すなわち、“1本の映画”でさえ、軽んじられない。

もし<歴史>ということを“考えられる”なら、あらゆる事件から、なにを現在において記憶しているかが、問われる。

あるいは、自分が記憶していなかったことを、どうやって“知る”かが問われる。

いま思い出せないのだが(記憶が不明瞭なのだが)、むかし大江健三郎が《記憶してください、私はこのように生きてきました》という言葉を引用していたのを、“思い出す”。

《一寸前なら憶えちゃいるが/一年前だとチトわからねエなあ》(笑)

記憶してください、私はこのように生きてきました、生きています。






知らないふり

2010-04-09 07:15:21 | 日記


内田樹ブログが普天間基地および日米関係について書いている(“従者の復讐”)。

その長いブログで内田氏が言っているのは、以下のことにつきる;

《けれども、自国の没落を代償に差し出しても、アメリカの滅亡を達成することは日本人の歴史的悲願なのである。
私はさきに日本人は「アメリカの軍事的属国であることを知っていながら、知らないふりをしている」と書いた。
これにはもう少し追加説明が必要だ。
日本人がほんとうに知らないふりをしているのは「日本が従者として主人におもねることを通じて、その没落を念じている」ということそれ自体なのである。
私は沖縄の基地問題はこのような分析的な文脈で考察すべきことだろうと思う。》(引用)


たしかに、このような“考察”は、あまり“言われていない”だろうから、こういう文章を“面白い”と思ったり、こういう文章を“不愉快だ”と思う人もいるだろう。

ぼくは、どっちでもない。
つまり“面白く”ない。

そもそも内田氏の“ロジック”の原則は、《人間は「自分の得になる」と思うことしかしない》ということである(この文章中にも書いてある)

しかし、こういう“原則”を、“リアルだ”と思う(考える)ことが、すでにぼくにとっては“現状維持(保守)”である。

だから、内田氏が、“面白い”と思う人は、たんに“通俗”である。
ぼくは内田氏が、“まちがったことを言っている”と言うのではなく、“通俗”だと思う。

ただし、この文章を、ぼくが取り上げる気になったのは、《知らないふりをする》ということ自体である。

《知らないふりをする》というのは、内田氏も言っているように、《知っていながら、知らないふりをしている》ということだ。

しかし、ぼくらは、“ほんとうに”知っているのだろうか?

たしかに、《知っていながら、知らないふりをしている》ということも、たくさんある、いやになるほど。

しかし、ぼくたちが、たんに、《知らないこと》もおびただしくある。

つまり、“知りもしないのに、知った気になっている”のである。

現在“ぼくたち”が失っているのは、むしろ<こっち>ではないだろうか。

すなわち、<知ること>の革命性である。

すなわち、知ることが、何かを、根底的に変えることを、である。



たとえば、こういうことである。
あなたは、
《人間は「自分の得になる」と思うことしかしない》
ということについて、
何を“知っている”のか?