★ 人間は小屋を建てる。しかし、そのなかにひき篭もってしまうわけではない。窓をうがち、扉をつくり、内部と外部をむすぶ通路をしつらえる。わたしたち人間は、統合をめざしながらも分割をおこなわざるをえず、分割をせずには統合もなしえない存在である。小屋を建てることで空間を分節化しつつ、その内と外を媒介する装置をつくりだす。この分割と統合をめぐる主題は、やはり人間に固有のものである。
★ そして、境界。あらゆる境界は、わたしたちの想像や夢の源泉であり、始原のイメージ群が湧きいづる場所である。世界という存在の奥底をのぞきこもうとする誘惑と、寡黙な存在をことごとく征服したいという欲望とが、そこに渦をまき、蓄積されている。
★ <異人>とは、共同体が外部にむけて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめにおかれた門、である。内と外・此岸(こちら)と彼岸(あちら)にわたされた橋、といってもよい。媒介のための装置としての窓・扉・門・橋。そして、境界をつかさどる<聖>なる司祭=媒介者としての<異人>。知られざる外部を背に負う存在(もの)としての<異人>。内と外が交わるあわいに、<異人>たちの風景は茫々とひろがり、かぎりない物語群を分泌しつづける。
<赤坂憲雄;『異人論序説』(ちくま学芸文庫1992)>