Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

彼女を知ることは、彼女を愛すること

2010-04-02 20:20:49 | 日記


To know, know, know her
Is to love, love, love her
Just to see her smile
Makes my life worthwhile
Yes, just to know, know, know her
Is to love, love, love her
And I do and I do
And I do
(昔の歌)


☆ 哲学の定義としてソクラテスの“無知の知”というのがある。
つまり自分が無知であることを知ることが、哲学することである。
しかし、自分が無知であることを知ってしまえばよいのではないだろう。
ソクラテスの対話というのは、“あなたが知っていると信じていることを、あなたは本当に知っているのか?”という執拗な問いかけなのだ。

☆ すなわちソクラテスは、その対話相手が“私は知っている”と思い込んでいることを粉砕するのだ。

☆一方、むかし日本には“教養主義”と呼ばれるものがあったらしい。
しかしこの教養主義が無力であった(役に立たなかった)ため、いつのころからか、教養はむしろ侮蔑の対象となった。
少なくとも、“教養がない”ことを、ひとは、恥じなくなった。

☆ たぶんこの教養にかわるものは、“情報”である。
たしかに、この情報をたくさん持っているか否かのグレードはあるものの、情報は持っていなくても、“検索”可能である。

☆ しかし、林達夫、渡辺一夫、大岡昇平、堀田善衛、加藤周一、大江健三郎のような人々を読んですぐわかることは、彼らの圧倒的な教養の厚みなのだ。
彼らはたくさんの情報をもっていたが、それだけではなかった。

☆ だから“情報ではない教養(というもの)を構成するものはなにか?”ということを考える必要はある。
それを“経験”とか“感性”とか“人格”というふうに言ってしまう。
しかし彼らに共通していることは、やはり知識の<量>である。

☆ “量より質”であろうか?
しかし、量がなくて、質があるひとには、なかなかお目にかかれない。
しかし“教養ある人”が、“クイズ王”であったり、“HOW TOの達人”であったためしもない。

☆ ある対象を知ること。
たとえば、“中国”について、その歴史や、風俗や、文学や、美術工芸品についてよく知っている人とそうでない人とでは、<現在の中国(人)>に対する認識が、まったく異なるだろう。
(ぼく自身、中国についてはよく知らないので、そのことが、わかる)

☆ 上記の例=中国は、まったく“任意”である。

☆ 彼女を知ることは、彼女を愛すること、である。

☆ ぼくたちは、知ることによって、彼女を愛することも憎むことも、できる。
しかし知らなければ、なにもできない。

☆ そしてこのブログは、最初のソクラテスの問いへ、戻る。



民主主義国家における“政治”のレベルは、その国民のレベルに等しい

2010-04-02 09:56:43 | 日記

ぼくは“引用”が得意であるが(笑)、ここでタイトルにした“民主主義国家における“政治”のレベルは、その国民のレベルに等しい“というのは、とくに誰からの引用でもない。

もちろん、そういうことを“言った人”は、たくさんいただろうけどね。

この“テーゼ”は、今日の天声人語を読んで思いついたものである。
大新聞コラムは、民主党政権の欠点を言うのが“売り”となってきているが、そういうことを言っている自分が、民主党政権と“同レベル”でしかないことには、なぜか無自覚である。

そもそも、大新聞コラム(主に天声人語と読売編集手帳)をこのブログで“批判”してきたら、それを“不快”とするコメントが続いたので、“自粛”していた。
というか、あまり熱心に読まなくなった(読んでもしょうもない)

今日天声人語をクリックしたら、なんと書き出しが<スペイン>だった、近日ぼくが<スペイン>に関心を持っていることは、近日のブログに書いている。

すなわち天声人語が、“ぼくの話題”に“すりよって”(笑)きたのであろうか?その部分以下の通り;

16から17世紀にかけて栄華を誇ったスペインを、司馬遼太郎は「盗賊が財宝をかかえているような経済だった」と言っている。世界を巡って大いに財を集めたが、消費するばかりで産業を築く元手にすることがなかったからだ▼そして「王や貴族、冒険家たちがその財宝をつかいはたしたとき、故(もと)の木阿弥(もくあみ)になった」と書いた(「街道をゆく・愛蘭土(アイルランド)紀行」)。そのスペインに民主党が重なり合う。せっかく集めた民意という「金銀財宝」を、ただただ蕩尽(とうじん)しつつある(引用)

まずなぜ<歴史>の話題を持ち出すとき“司馬遼太郎”なのか?

“バカのひとつおぼえ”とは、このことである。

また<スペイン>でおこったことは、上記引用のような“単純なこと”では、ない。

このブログは、ここから展開されるはずであるが、仕事に行く時間である(笑)

帰って、この続きを書けるか否かは不明である。

ついでに読売編集手帳も貼り付けておく。
当然、この文章にも、批判がある。

たとえば、大江健三郎の『さようなら私の本よ!』(まだ読んでない)には、T.S.エリオットの詩の引用が掲げられている;

《むしろ老人の愚行が聞きたい》



〈踏めりしは死体のいづこなりしやとこよひ高熱のこころ凍るを〉。死体を踏んで歩いた、その感触が足裏に残る。あれは腕であったか、顔であったか…◆歌人の竹山広さんは25歳のとき、結核で入院していた長崎市内の病院で被爆した。安否の知れぬ兄を捜し、地獄絵図のなかをさまよったときの記憶だろう◆〈面倒なことだが孫よ人間はベッドでひとりひとり死ぬのだ〉。歌の背後に、ベッドで死ねなかった無数の人々がいる。告発も、あらわな怒りもないだけに、悲しみはいっそう深く染みとおる。竹山さんが90歳で死去した◆どの歌も、声に出して読んでみたい流れる調べのなかに、しんとした静けさがある。たとえば、〈わが傘を持ち去りし者に十倍の罰を空想しつつ濡れてきぬ〉、あるいは〈ヨン様がゐぬチャンネルに切り替ふる心のせまき老人われは〉といった、諧謔に富む歌の場合もそうである◆サクラの季節に逝った人に、その花を詠んだ歌があった。〈さくらよりさくらに歩みつつおもふ悔恨ふかくひとは滅びむ〉。人間の愚かさが行き着く果てを見届けた人だけが持ち合わせる静けさだろう。
(2010年4月2日01時32分 読売新聞編集手帳)