Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

Once upon a time in Spain

2010-04-07 20:18:02 | 日記


ぼくは『ゴヤ』を読みはじめて、堀田善衛というひとが好きになった。
もちろん“堀田善衛”という名は知っていたが、彼の小説をちゃんと読んだ記憶がない。
『ゴヤ』はとっくに死んだ母が愛読していたが、当時ぼくは関心がなかった。

それで堀田善衛の本をAmazonで調べていて、スペイン滞在記を見つけた。
『スペイン430日-オリーブの樹の蔭に』(ちくま文庫1989)
もう品切れの本なので、マーケット・プレイスで200円+送料で買った、いま届く。

見ると、この文庫をぼくは昔持っていたような気がする(持っていたが読み通さず処分したのだ)

‘あとがき’を読む;
★ 1977年の早春に、拙作『ゴヤ』4部作を完成したとき、私は身に非常な疲れと、自分自身の生全体がひどく希薄になったと感じていた。
けれども当時私はまだ60歳未満くらいであり、このあとどのくらい生きるのか見当がつかず、すぐ目の前に死の崖ップチがあるような気がしたリ、まだまだ時間があるようにも思え、人生の設計図が描けないで閉口していた。
  (……)
それでいろいろに思いあぐねたあげく、居を移すことにした。どこへ行くか?すぐ死の方へ行くわけにも行かぬとすれば、これまで何度も通って、勝手知ったる他人の家のような気のしているスペイン国へ、と思いさだめたのであった。(引用)


堀田善衛のような有名なひとと、自分を比べるのはナンですが(笑)、しかもぼくは60歳を過ぎたワケですが、ぼくも、《身に非常な疲れと、自分自身の生全体がひどく希薄になったと感じ》ないわけでは、ないのである。

つまりこの“非常な疲れ”というのは、“自分自身の生全体がひどく希薄になった”ということと“同じ”であると感じるのだ。
ぼくはこれまでも“人生の設計図”など描けたことはないが、《すぐ目の前に死の崖ップチがあるような気がしたリ、まだまだ時間があるようにも思え》というのは、わかる。

だが、考えて見ると、ぼくの“これまでの生”が、希薄でなかったわけではない。
とくにその大部分だった、“学生時代”と“サラリーマン時代”の、<学校>と<会社(職場)>での自分というのが、どうにも思いだせないほど<希薄>なのだ。

“この間”、希薄でなかったこと(思い出せること)があるとすれば、それは、プライベートなことや、聴いた音楽や、見た映画や、読んだ本や、旅行のことだけである。

さて『スペイン430日』は、日記体である。
書き出し;
★ 1977年7月17日(日曜日)
朝から素晴しい天気である。
今日、小生60歳の誕生日である。
その予定にして来たこととはいえ、思えば妙なところで誕生日を迎えたものである。ここは北スペイン、カンタブリア海に面したアストゥリアス地方のアンドリンという村である。
(……)
この村に到着して、現在のこの家を借りて住みはじめて今日で1週間であるが、家内は毎日一度は、
「なんだかヘンなところですねえ」
と言う。(引用)


日記を読むのが好きである。
もうとっくに亡くなった人の、“1977年”の日記。

いいなあ、と思う。
この“いいなあ”にも、いろんな感想がある。

まず、どこの誰であろうと、そのひとの“日常が”(日常への感性が)がクリアに表出されているのを読むのは気持ちよい。
(しかし“ブログ”は、どーしてこのようで“ない”のだろう!)

もちろん、スペインで暮らせるのも、“うらやましい”。

日本から脱出不可能なぼくは、せめて、本で読む(笑)





ぼくのきらいな“有名人”が、ぼくと同じことを言っていることについて

2010-04-07 15:03:49 | 日記


内田樹ブログが、新聞コラムの批判をしている。
ただし対象は、毎日新聞の“余禄”である。
ぼくは、ご存知のように“天声人語”と“読売編集手帳”の批判を何年も続けてきて、もう飽きたのでやめようと思っている。

内田氏の“批判”を引用するが、その“部分”だけなら、ぼくとほぼ同じような“意見”が書かれている、しかしそもそも内田氏はなぜ“毎日新聞コラム”を批判しているのだろうか?
いまマスメディアを批判するなら、読売、朝日、フジ産経グループこそ批判すべきだ。
引用開始;

《このコラムは典型的な「世論」の語法で書かれている。
新聞のコラムというのは「そういうものだ」という醒めた感懐をたぶん持って、このコラムニストは定型を書き飛ばしている。
それが書けるのは「自分が書かなくても、誰かが同じようなことを書くだろう」と思っているからである。
たぶん、多くの記者たちは、そう自分に言い聞かせて「定型」的な文章を書く自分との折り合いをつけているのだろう。
自分が書かなくても、どうせ誰かが書くのだから、自分ひとりがここで「こういうのを書くのはもういい加減にしないか」と力んで見せても始まらないと思っている。
新聞の凋落にはさまざまな説明があるけれど、「私には言いたいことがある。誰が何と言おうと、私は身体を張っても、これだけは言っておきたい」というジャーナリストがジャーナリストであることの初発の動機をどこかに置き忘れたためではないのか。
私にはそのように思われるのである》
(引用終わり)


《新聞の凋落にはさまざまな説明があるけれど、「私には言いたいことがある。誰が何と言おうと、私は身体を張っても、これだけは言っておきたい」というジャーナリストがジャーナリストであることの初発の動機をどこかに置き忘れたためではないのか。私にはそのように思われるのである》(引用)

というのは、まさに、“ぼくも”言いたいことである。
ただし対象は“新聞(コラム)”だけではない。
すなわち、“内田先生”にも言いたい(笑)


さて今日の天声人語である(爆)
ほんとうに、天声人語というのは、どうしてこうも“ぼくの神経を逆撫でする”ことを毎日書き続け“られる”のであろうか!

この“コラム”を書いているのは、<男>であろうか!!!
男なのである(笑)
男でなければ、こんな“女が腐った”文章を書けるはずがない。
引用開始(笑);

《女優の故沢村貞子さんに「男女同量」という随筆がある。ある日、新しい夫婦茶碗(めおとぢゃわん)を買いに行った。気に入ったのを眺めていてふと気づくと、紺と赤の色は違うが、二つは同じ大きさである▼男物の傍らに小ぶりな女物がそっと寄り添う。そうした夫婦茶碗を見慣れた目には新鮮だった。買って帰り、食卓に並べてみた。同じ大きさが「嬉(うれ)しかった」と沢村さんはつづっている。その一文を、宇宙飛行士の山崎直子さんが夫に支えられて飛び立ったニュースに思い出した▼頭では分かっていても、「男女同量」的な夫婦の実践は難しい。山崎大地さんの場合も単なる美談ではなかったようだ。仕事をやめて家事や育児、介護もこなしてきた。小紙の別刷りに連載した「新宇宙家族」には複雑な胸の内がにじんでいた▼葛藤(かっとう)の中、夫は心身の調子を崩す。妻も追い込まれた。すべて崩壊しかねない危機を、米国の神学者ニーバーの一節に支えられたと、直子さんは自著に書く▼〈神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ〉(大木英夫訳)。宇宙飛行も生身の人間の営みなのだと、改めて思う▼沢村さんに話を戻せば、男女同量の茶碗でつい食べ過ぎたそうだ。使うに難しいと悟るが「何とか上手に使いこなしたい」と結んでいる。同量の茶碗に、妻の幸と夫の幸を上手に盛り合う時代と心得たい。夫婦でいっぱいの地球を眺めて、宇宙船は回っている。》
(引用終わり;全文引用だよ)


あ~あ。

といえば、おしまいである。


しかし“ブログ”であるからには、その“理由”を説明する“義務”がある(そうでなければ自分のブログに取り上げなければよい)

その理由を一言で言えば、この世の中には、<夫婦>でないひともいる、ということである。

これだけで、ぼくの<論拠>は充分である。
“天声人語の世界”には、夫婦+子供数人の家族しか、<住めない>。

このような<差別>が、“公共的な世界観”でありうるはずがないのである。

にもかかわらず、天声人語氏が、自分の<個人>的信念で、自分が“夫婦+子供数人の家族”が好きだ、というのなら、わかる。

しかし、ここで、天声人語氏は、そういう<私的見解>を述べているのではない。

これが、ぼくには、“不快”であるだけでなく、根源的<虚偽>と思える。
しかもこういう<ベーシックな認識>において虚偽である“認識”を、公然と書くということは、もし殺人が罪であるなら、それにひとしい<罪>である。

いいですか、<ぼく>は子供はいないが、何十年も<夫婦>をやっている。
だから、ぼくは結婚できないので“ひがんで”上記のようなことを言っているのでは、ない(笑)

ただし、ぼくにとっての<夫婦>も、天声人語氏が理想とする(規範とする)<夫婦>では絶対にない(なかった)ことも、たしかである。


ぼくはここで“沢村貞子の夫婦茶碗”(笑)や“宇宙飛行士の夫”を、批判しているのでは、ない。
あまり“面白くない”が、他人の夫婦がどうであっても、とやかく言いたくはない。

ぼくが批判しているのは、そういう個別の夫婦(すなわち“唯一の夫婦“を、例に挙げて、しかも“神学者の言葉”まで持ち出して、なにかを<標準化する(規格化、規範化する)>天声人語の<意図>である(<無意識>でもよい;下記ブログ参照!)


《同量の茶碗に、妻の幸と夫の幸を上手に盛り合う時代と心得たい。夫婦でいっぱいの地球を眺めて、宇宙船は回っている》

などと、結論付けられても、<夫婦>のリアルについて、なにも述べたことにならない。

それどころかこれは、<夫婦>についての、ひからびた糞のような“思い込みを”を読者に向かって投げつけているのだ。




夢の本

2010-04-07 13:29:41 | 日記


★ 1896年1月1日の内省的な手紙の中で次のように書いている。「ぼくにはわかる。きみは医師になるという回り道を経て、生理学者として人間を理解するという、最初の理想に到達しようとしている。ぼくは心のいちばん奥で、哲学という当初からの目標に到達したいという願いをあたためている」(フロイトのフリースへの手紙)

★ フロイトはほとんどの哲学者の無益な言葉遊びを激しく軽蔑していたが、彼自身は生涯を通じて自分自身の哲学的な目標を追い求めた。この不一致は表面的なものである。フロイトは「哲学」に特殊な意味を与えた。彼は筋金入りの啓蒙主義者として、形而上学者たちの哲学的思索を無用の抽象主義として蔑視していた。心の及ぶ範囲を意識と同一視する哲学者たちに対しても同様に敵意を抱いていた。フロイトのいう哲学とは、精神の科学的理論に体現された科学的経験論であった。


★ フロイト理論の決定的な点は、心の中には偶然はないということである。ただし、フロイトは人間が偶然に左右されることをけっして否定しなかった。それどころか、むしろ偶然の力を強調した。「われわれの人生はそのすべてが偶然である。精虫と卵子の出会いによるわれわれの発生からしてすでに偶然である」。また、人間の選択が真の選択であることをも否定しなかった。精神分析療法の一つの目的はまさしく、「患者の自我になんらかの決断を下す自由を与えること」である。

★ しかし、フロイトのいう「偶然」も「自由」も、自発性の恣意的・無作為的な発現ではない。(略)たしかに、因果律の手から自由を守り通すことは、人間がいちばん大切にしている、したがって最も執拗で錯覚的な願望の一つである。だが、精神分析はそうした錯覚的幻想に慰めを与えてはならない、とフロイトは強く警告する。このようにフロイトの心の理論は純粋な決定論である。


★ 同時代の研究者たちの多くと同じく、フロイトも、現代の都市・ブルジョワ・工業文明が神経質患者に際立った影響を及ぼしていると確信していた。フロイトのみるところ、神経質は目だって増えていた。しかしながら、現代文明が神経質の原因になっていると主張する他の人びとは、現代文明の性急さ、騒々しさ、急速なコミュニケーション、精神機械の過労などを指摘したが、フロイトは、現代文明が神経質の病因になっているのは、それが性行動を過度に束縛しているからだと考えた。

★ 多数派の見解とのこの相違点が、精神障害の原因に関するフロイト自身の見解の核心であった。他の精神科医たちが例証として挙げるすべての現象が、強迫神経症、ヒステリー、パラノイア、その他もろもろの障害を引き起こす一因であることについては、フロイトも異論はなかった。だが彼は、これまでの医学はそれらの障害の隠された本質を突き止めることができなかった、と確信していた。とりわけ、医師たちはほとんどまったくといっていいほど、性欲やそれが引き起こす無意識的葛藤が演じる決定的な役割から目をそむけてきた。そのために医師たちは、患者の遠い前史、すなわち遺伝の重要性ばかりを強調し、もう一つの、はるかに重要な前史、すなわち性的葛藤が生まれてくる幼児期を無視してきた。『夢判断』は、まだ完成に程遠いとはいえ、そうした見解、すなわち心理学者のための心理学を、フロイトが初めて包括的に論じた本なのである。


★ フロイトの独自の貢献は、曖昧な、いわば詩的な概念を取り上げて、それを精密にし、無意識の起源と内容、そして、表現を求める無意識の横暴なやり方を特定することによって、この概念を一つの心理学の土台としたことである。フロイトは後にこう述べている。「精神分析は、病理的な抑圧の研究を通して、『無意識』という概念に本気で取り組まざるをえなくなったのである」。

★ この無意識と抑圧との関係は、フロイトが精神分析の理論化に取り組みはじめた頃まで遡る。意識的思考の連鎖が、ばらばらの要素が偶然寄せ集まっているかのように見えるのは、相互の関連関係のほとんどが抑圧されているからにほかならない。フロイト自身の言葉を用いれば、抑圧理論は「神経症理解の要」である。いや、神経症だけではない。無意識のほとんどは抑圧された材料からなる。フロイトの概念化にしたがえば、この無意識は、心の中の、一時的に姿を消しているが容易に思い出せるような思考を収容している部分ではない。フロイトはこの部分を前意識と呼んだ。それに対して本来の無意識は、言ってみれば、防御の完璧な牢獄のようなものである。


★ 思い出したいという欲望を、忘れたいという欲望が迎え撃つ。この葛藤は、ほとんど生まれたときから精神的発達の構造に組み込まれているが、文化のなせる業でもある。文化は警察として外的に作用したり、良心として内的に作用したりする。

★ 自己欺瞞や偽善は、真の理由を都合のいい理由に置き換える。それらは抑圧の意識的な仲間であり、家族の和合、社会的調和、あるいはたんなる体面のために、激しく突き上げてくる欲求を否定する。ただし、欲求を否定はするが、破壊することはできない。


★ フロイトは、お気に入りの患者のひとりであった「鼠男」が引用したニーチェの言葉を好んだ――「『私はそれをした』と記憶が言う。『私がそんなことをしたはずがない』と自尊心が言い、一歩も引かない。結局、記憶が折れる」。自尊心とは文化の束縛の手であり、記憶は思考と行動の中にある欲望に関する報告である。自尊心が勝つかもしれないが、欲望が人間の最も強情な性質でありつづけることには変わりない。かくして夢がふたたび問題になる。夢は、人間が願望する動物であることを余すところなく示している。『夢判断』が問題にしているのはまさしくそのこと、すなわち願望とその運命である。

<ピーター・ゲイ;『フロイト 1 』(みすず書房1997)>





April come she will

2010-04-07 06:43:06 | 日記

April come she will
When streams are ripe and swelled with rain
May, she will stay
Resting in my arms again

June, she'll change her tune
In restless walks she'll prowl the night
July, she will fly
And give no warning to her flight

August, die she must
The autumn winds blow chilly and cold
September I'll remember
A love once new has now grown old

<S&G>