☆ 《20世紀の日本とはわれわれの思考の揺らめきを誘う何かである。それはすでに終わったものだが、なお歴史の重い地層として残っている。それはいまや過去のある集団的な夢のようであるが、それを夢とする現在にたいして、その現在性の意味や証しをつねに問いかけてくるものである》
☆上記は内田隆三『国土論』(筑摩書房2002)‘あとがき’からの引用である。
こういう文章を読んで、そのレトリックに感心していてはならない(笑)
いまこの引用を読んだ‘あなた’にとって、<20世紀の日本>は《思考の揺らめきを誘う何か》であるだろうか?
☆ たしかに‘それ“は、あなたが”20世紀の日本“にどれだけ生きたかに係わっている。
しかし今あなたが、20歳だとして、自分の人生の半分しか20世紀の日本に係わっていないにしても、あなたの両親や祖父母は、20世紀の日本に係わっている。
☆ ぼく自身は、‘半世紀も“係わった(笑)
☆さてそこで、“20世紀の日本”が、いつからであったかをあなたは、即答できるか?
ぼくはできなかったので、年表で調べた(手近にあった岩波新書・シリーズ日本近代史③の巻末略年表で;
西暦1901年とは、明治34年である。
この年表の記述を引用する;
2月 愛国婦人会創立、福沢諭吉没
5月 社会民主党結成(2日後禁止)
6月 第1次桂太郎内閣
12月 田中正造、足尾鉱毒事件で天皇に直訴
☆ しかし、ぼくが読みたいのは“年表”ではない。
☆ぼくが読みたいのは、<20世紀の本>である。
ここに、あまり有名でない出版社から刊行された鷲田清一+野家啓一編『20世紀を震撼させた100冊』(出窓社1998)がある。
この本には20世紀の“直前”から1988年までに刊行された、<100冊>がある。
ちなみに“最初の本”は、1857年刊行のボードレール『悪の華』である。
“最後の本”は、1988年刊行のラシュディ『悪魔の詩』である。
☆ この“最初と最後”の本に、<悪>という字があるのは、編纂者の意図ではなく、偶然であろう(笑)
☆ しかし、“20世紀”が、<悪>という字(ことば、がいねん)をめぐって展開されなかったかどうかは、考えるべきことである。
☆ この『20世紀を震撼させた100冊』の鷲田清一氏による‘はじめに“のなかに興味深い引用がある、太平洋戦争に向かう時代に東北大学に在籍した思想史家カール・レーヴィットの言葉;
《日本の西洋化が始まった時期は、ヨーロッパがヨーロッパ自身を解決しようのない一個の問題と感じたのと、不幸にも同じ時期であった》
☆ しかし、ぼくの考えでは、もし“ヨーロッパ”に可能性があるなら(それは“非ヨーロッパ”による相対化を必用とするが)、それは、ヨーロッパの<自己批判能力>である。
ぼくが信頼する“ヨーロッパの言説”はすべて、みずからを<批判>する言説であった。
☆ そしてもちろん<問題>は、ヨーロッパと日本の<関係>である。
もし“ヨーロッパが古い”と考えている人がいるなら、彼らは、“アメリカUSA”がヨーロッパからの移民(とアフリカやアジアや中南米からの移民)で形成されていることに、無知なだけだ。
☆ しかし、まず“20世紀の本”を読もうではないか!
☆ この『20世紀を震撼させた100冊』にリストアップされた<100冊の本>のうち、ぼくが読了しえた本は、ほとんどない!
☆ほとんどない、のである(笑)
これは、ぼくの“個人的な恥”をさらすことだろうか?
いや、これは、そういう“個人的な問題”ではない、ぜったいに!
☆ この『20世紀を震撼させた100冊』に選ばれた100冊が、“絶対の規準”であるなどと、ぼくは言いたいわけではない。
しかし、このリストを見て、“呆然とする”感覚は必要である。
☆ 私は何を読んできたのか? 私は何を知っているのか?
☆ しかも<本>というのは、“20世紀に刊行された”ものだけではないのである(爆)
☆ たとえば、“20世紀を震撼させた本”のなかでも代表的な本、フーコー『言葉と物』を読めば、ヴェラスケスやセルバンテスが“気にかかかる”わけである。
☆ ゆえに、読書は、<遡行>する(“さかのぼる”)
☆ ここに『20世紀を震撼させた100冊』のリストを掲載したかったが、疲れた(笑)
この本が現在も書店で売っているとは思えないので、興味あるひとは、古本で購入を勧めます。
☆ ぼくとしては、この<目もくらむ本>の集積のなかから、内田隆三『国土論』(現在208pまで読んだ)を読み続けます。
★ 名は思い出したくないが、ラ・マンチャのさる村に、さほど前のことでもない、槍かけに槍、古びた楯、痩せ馬に、早足の猟犬をそなえた、型のごとき一人の郷士が住んでいた。昼は羊肉より牛肉を余分につかった煮込み、たいがいの晩は昼の残り肉に玉ねぎを刻みこんだからしあえ、土曜には塩豚の卵あえ、金曜日には扁豆(ランテーハ)、日曜日になると小鳩の一皿ぐらいは添えて、これで収入の4分の3が費えた。そののこりは、厚羅紗の服、祭日用のびろうどのズボン、同じ布の靴覆いに使い、ふだんの日は黒っぽいベリョリ織で体面をととのえた。家には40歳に近い家政婦と、まだ二十歳にならぬ姪と、それに痩せ馬に鞍もつければ、剪定用の鉈もふるう、畑仕事や市場への買物に行く若者がいた。われらが郷士の齢(よわい)はまさに50歳になんなんとしていた。
★ ところでご存じねがいたいことは、上に述べたこの郷士が、いつも暇さえあれば(もっとも1年うちの大部分が暇な時間であったが)、たいへんな熱中ぶりでむさぼるごとく騎士道物語を読みふけったあまり、狩猟の楽しみも、はては畑仕事のさしずさえことごとく忘れ去ってしまった。しまいにはその道の好奇心と気違い沙汰がこうじて、読みたい騎士道物語を買うために幾アネーガという畑地を売り払ってしまった。こうやって、手に入るかぎりのそういう書物をことごとく己が家に持ち込んできたのであるが、あらゆるこの種の本の中で、あの名高いフェリシヤーノ・デ・シルバの作ったものほど彼の嗜好に投じた作品は一つもなかった。なぜならその文章の明快な点と、あの独特のこんがらがった叙述が、彼にはまるで珠玉とも思われたからであって、中でもどこを開いても『わがことわりに報い給う、ことわりなきことわりにわがことわりの力も絶えて、君が美しさをなげきかこつもまたことわりなり』などと書いてある、ああいう恋の口説や決闘状を読むに及んでいっそうその感を深くしたからである。
★ こういうたいへんな叙述のおかげで、哀れにもこの騎士は正気を失って、これを理解し、その意味を底の底までつきつめようと夜の目も寝ずにつとめたのであるが、こればかりはよしんばアリストテレスがそのためばかりによみがえってきたところで、しょせん意味を引き出すことも理解することもできなかったにちがいない。
<セルバンテス;『ドン・キホーテ 前編』(ちくま文庫1987)>