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wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

新治廃寺跡と新治郡衙跡に行く

2023-01-14 07:53:37 | 茨城・栃木・埼玉

正月に茨城の実家に帰省したおり、近くの新治廃寺跡(はいじあと)と新治郡衙跡(ぐんがあと)に行ってきました(2023年1月4日)。

2か所とも、実家から歩いていける距離にありますが、遺跡のあるところには石碑が立っているくらいで特に見るべきものがあるわけでもなく、子どものころもほとんど行った覚えがありません。しかしながら、国指定文化財にもなっており、今後、遺跡の整備計画もあるらしく、私が育った地域の遺跡をいちおう確認しておこうという気持ちで見てきました。

 

凶暴ネコは私の滞在中、ケージに入れてもらっています。昨年、飼いネコに噛まれて亡くなった有名シェフの方がいました。冗談にならないんですよ、ホントに気をつけないと。

 

そしたら、もう1匹、見慣れぬネコが出てきました。つい先日、12月に実家にやってきて保護されたオスネコだそうです。この子は、心優しいネコで、私に攻撃してくることはいっさいありません。人慣れしていて撫でてあげるとよろこびます。元々、どこかで飼われていたネコが、家出したか捨てられて実家にたどり着いた可能性が考えられます。

しかし、このネコは外が好きなのだそうで、外に出してくれと要求してきます。外に出すと、半日ほどどこかを放浪してから戻ってくるのだそうです。都会では考えられないことですが、田舎では今でも飼いネコが外と家を自由に往来しているようです。私は、キャット・ウォッチャーとしてネコの行動を観察できるからいいのですが、実家がネコ屋敷にならないかちょっと心配です。

 

さて、遺跡巡りは、新治郡衙跡からです。こんな感じですよ。石碑が立っているだけで、あたりは畑です。少し高くなった台地のようなところにあります。

ここには、奈良・平安時代に、常陸国新治郡の役所がありました。新治郡は、今の笠間市、桜川市、筑西市にまたがるけっこう広い地域です。「古事記」に、にいばり=新治の地名が出てきます。郡衙には、郡庁、正倉、館、厨家、門、垣などがあり、郡の人々から租税を取り保管していたそうです。

 

こちらが奈良時代に創建された新治廃寺跡。大きな木がシンボルのようになっていますが、遺跡よりだいぶ後の時代に植えられたのでしょうか。

ここは金堂跡。

 

柱の礎石が残っています。

 

このように、金堂の横に東塔、西塔、奥に講堂やその他のお堂が建つ立派な伽藍だったようです。奈良仏教は東国でもかなりの勢力を示していたことがうかがわれます。

東塔の跡。石碑が傾いています。後ろに礎石の跡のようなものが見えます。

 

近くには小さなため池がありました。

 

近くの香取神社。

 

筑西市立農業資料館。見学は予約制だそうです。

 

筑波山の上に髭のよう雲が浮いていたので撮りました。

さて、新治廃寺跡と新治郡衙跡はこれからどんなふうに整備されるのでしょうか。


西武鉄道ラビューに乗って、秩父へキャンプに行く

2022-09-17 07:57:21 | 茨城・栃木・埼玉

夏休みに秩父へキャンプに行ってきました(2022年8月12-13日)。

キャンプとは言ってもテント泊ではなく、コテージに宿泊して、バーベキューなどの食材セットを買って自分たちで料理して食べるという形式です。これなら、車でキャンプ道具を運搬する必要もなく、必要なものはだいたい現地にそろっているというお手軽なキャンプの方法です。去年の夏から家族でときどき行っています。

そして、西部秩父線の特急ラビュー(Laview)に乗りました。これは世界的な建築家の妹島和世さんがデザインしたものです。明るくてキレイでワクワクするような列車でした。

 

車両先端の丸みがすごいです。妹島さんのデザインは、金沢21世紀美術館大倉山集合住宅のように、硬質な曲線が特徴ですね。

2020年のブルーリボン賞を受賞しています。ブルーリボン賞とは、毎年、鉄道友の会会員の投票により選定される賞です。

 

窓がとても大きいのも特徴。

座席が、クマのぬいぐるみのようでかわいいですよね。

 

西武秩父駅に着きました。これは、駅に直結の土産物屋+フードコート+温泉。

 

さらにバスで移動して、目的地のPICA秩父に到着 

 

われわれが泊まるコテージ。テラスでバーベキューができます。ただ、台風が迫っているので天気が心配。雨が降ってもここで焼きます。

周りはうっそうとした森でいい感じ。

建物の周りにはキノコがたくさん生えています。最近、関東で大量発生しているという猛毒のカエンタケは見なかったです。

 

夕方になったので、炭に火を入れました。娘がポップコーンを作ろうとしています。

これは2日目の朝。

PICAの炭は火が付きやすくて使いやすいです。

 

キャンプ場をチェックアウトして行ったのが、秩父ミューズパーク。位置的には、広大な秩父ミューズパークの中にPICA秩父が入っているかんじです。本当はフォレストアドベンチャーで森遊びをしたり、カートに乗ってみたいと思っていたのですが、台風が近づきつつあるので、午前中だけ軽く散策して早めに帰ることにしました。

ミューズパーク内の閉鎖中のプール横にある、これも閉鎖中のゲームセンターと子供用遊具たち。

夜になったら勝手に動き出しそうな、子供が一人で来たら帰って来れないような、ちょっと怖い雰囲気のある場所です。今時あまり見ないこの廃墟感は貴重です。

 

で、ちゃんと運行していたスカイトレインというのに乗って、秩父ミューズパークを1周しました。スカイロードという園内の道路を走るのですが、園内はとても広大で、贅沢に作られているのに、人が少なすぎるという違和感を感じて、なんでこうなってしまったのだろうかと答えの見えない疑問を考えるのでした。

「ミューズの泉」

 

「野外ステージ」

 

「音楽堂」

 

スカイロードの終点でスカイトレインを降りました。

これは「旅立ちの丘」という名の展望台。

秩父の市街地と荒川にかかる秩父公園橋。

 

秩父のシンボルにして石灰岩の採石地、武甲山(1,304m)の頂上には雲がかかっています。

一瞬、雲がどいて頂上が見えました。

 

帰りのバスで通った秩父公園橋の上から見る荒川。この下流に川下りで有名な長瀞があります。

そんな秩父のキャンプ旅でした。PICA秩父は価格的にもリーズナブルでよい施設だと思います。


茨城の城下町、結城に行く

2022-09-03 08:31:13 | 茨城・栃木・埼玉

夏休みに茨城県の実家に帰ったおり、城下町の結城に寄ってきました(2022年8月11日)。最近は、故郷の名所・観光地巡りをするようにしています。この3月には城下町の真壁に行っています。

 

実家の庭に咲くハギのような植物。

 

ケイトウ。

 

これは何でしょう?

 

真壁の旧市街もそうですが、ここ結城市もはじめて来たところです。ふだん用事がないので仕方がないのです。まずは、結城城址から見てみます。城跡の北側に父の車を停めてもらって、見に行きます。

 

土塁(堤防)や堀があったような地形です。

 

土塁を上がると、いろいろと記念碑が建てられています。ここは、結城合戦があった場所で、それにちなんだタイムカプセルが埋まっているということのようです。

 

結城城ナンタラカンタラ記念碑と書かれています。読めません。

 

水野家顕彰碑。結城家は鎌倉時代から安土桃山時代までここの城主でしたが、江戸時代は水野家がこの地を統治しました。

 

城跡公園として残されていますが、城のような建物はまったくありません。

 

城跡公園の一角にある聡敏(そうびん)神社は、水野家を祀っています。

 

結城蔵美館。ここの本蔵では、近隣で作家活動をしている人の作品展示と販売を行っていて、我々が行ったときは、写真展が行われていました。

こちらの袖蔵では、結城の歴史の展示がされています。

 

結城の歴史年表です。左から2行目に、結城氏初代朝光(ともみつ)のことが書かれています。朝光の母は源頼朝の乳母の一人であり、朝光は頼朝から結城の地を与えられたそうです。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、実衣に琵琶を教える役で出てきますが、2代目将軍源頼家をあまり快く思わないことが梶原景時にとがめられ、成敗されそうになったところ、御家人集団に助けられ、逆に梶原景時が滅ぼされるというストーリーが描かれていました。結城家はこの後、400年にわたって結城の養蚕産業と結城紬を発展させていくことになります。

 

水野家家臣の甲冑。

 

天下三名槍という「御手杵の槍」。戦闘に使ったわけではなく、陣地に目印として立てたそうです。下の写真は、熊毛で作られた鞘(さや)です。

 

街に点在する国登録有形文化財の見世蔵。

紬問屋の奥順。現在も店舗として使用されているそうです。

ここの屋敷は、つむぎの館として、中まで見学できます。

結城紬は2010年、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。


2022GWの茨城帰省時に行ったところ2ー母子島遊水地

2022-05-21 07:53:27 | 茨城・栃木・埼玉

2022年ゴールデンウィークに茨城の実家を伺ったさいに寄ってきたところを、2回に分けて紹介している2回目です。今回は、母子島(はこじま)遊水地です(2022年5月5日)。

 

利根川の支流である小貝川は、五行川と合流し、さらにこのあたりで大谷川と合流し、流量も多くなり、広い河川敷になっています。そして、たびたび洪水を起こしてきたため、1986年の小貝川水害の後に、この場所に遊水地が整備されました。

ちなみに、小貝川は蚕養(こかい)川と書くこともあり、西を流れる鬼怒川は絹川と書くことがあります。このあたりが昔、養蚕や絹織りが盛んだったためでしょう。前にも書きましたが、祖母は絹糸つくり、母は絹織りの着物つくり、私は大学で蚕の変態研究と、3代続いて蚕のお世話になってきました。

 

これが、母子島遊水地。

バックの筑波山が映えます。秋と冬の年に2回だけ、筑波山頂から太陽が昇る「ダイヤモンド筑波」が見れたり、水面に映る「逆さ筑波」が見れるなど、撮影スポットにもなっているそうです。

水の透明度は低いですが、釣りをしている人がいたので、魚がいるのでしょう。

水辺の草原には低木が多く生えていて、ちょっとアフリカのサバンナのような雰囲気もあります。

 

実は今回の帰省には、別のある目的がありました。私の小学校・中学校からの友人N君が4月末に亡くなったのです。N君のお宅に、ご焼香ならぬ(神式の)献米のごあいさつに伺ってきました。私が洋楽やロックを聞くようになったのは彼の影響です。昨年夏には久しぶりにたくさん話をすることができて、また近いうちに会えることを楽しみにしていました。とても寂しいことです。ご冥福をお祈りします。ここに、彼の好きだったエリック・カルメンの1978年のヒット曲「チェンジ・オブ・ハート」をリンクしたいと思います。

ERIC CARMEN Change Of Heart (#19 USA/1978) HQ


茨城の城下町、真壁に行く

2022-03-12 07:50:08 | 茨城・栃木・埼玉

先日、茨城県の実家に帰ったおり、古い町並みの残る真壁に寄ってきました(2022年2月27日)。

実家には両親含めて3人が住んでいますが、そのうち2人は病人のため、様子を見るのと今後のことを相談するために時々帰っています。唯一元気な父親には車で近くの目ぼしい観光地によく連れて行ってもらっています。実家は筑西市にあり、私は小学校から高校までの12年間住んでいたのですが、若かったときは歴史的な町などにまったく興味がありませんでした。そのため、まだ行ったことのない近隣の歴史的名所がいくつか残っています。今回は、そのうちの一つ、桜川市真壁町の旧市街に連れて行ってもらいました。国の重要伝統的建造物群保存地区になっているそうです。

 

実家の庭に咲くフクジュソウ。

小さなセツブンソウの花。

クリスマスローズはまだつぼみ。

 

そして、実家では去年の夏ごろからオスネコを飼っています。子ネコのときに玄関にいたので育てることにしたそうです。誰かが捨てていったのか、ノラネコの母親が置いていったのか、わかりません。しかし、似た大人ネコが時々うちの庭に来るらしいので、後者ではないかと実家の人たちは推測しています。若いオスネコだから、元気で気性も荒く、私が家に上がると近くに寄ってきてずっと唸っていて今にも攻撃されそうなので、ケージに入れてもらいました。

次の日、ケージから出たネコは、私にも少し慣れてきたようで、遊んであげたら、楽しくてしょうがないらしくて、しつこいしつこい。写真は、私の服の袖のところを噛みつきに来ているようす。

 

真壁の旧市街巡りは、真壁伝承館から始まります。ここは江戸時代の真壁藩、のちに笠間藩の役所である真壁陣屋のあった場所に作られた施設で、本館、歴史資料館、図書館、ホールからなっています。設計組織ADH(木下庸子、渡辺真理) が設計した建物で、グッドデザイン賞、日本建築学会賞の他、多くの賞を取っていて、建築物としても注目されています。

 

建物の写真をたくさん撮ったのですが、ファイルが壊れてしまい、お見せできるのはこの2枚だけです。

 

歴史資料館の展示。展示計画を東京大学総合研究博物館が行っているということで、片田舎の資料館にしては本格的な作りになっています。3万5千年前にはここに人が住んでいたのですね。

 

そして、真壁城があったのです。戦国時代に藩主の真壁家によって築城されました。その城下町としての名残が今の真壁旧市街です。平安時代には真壁長幹が、源頼朝の奥州合戦に従軍したそうです。それ以外にも、日本の歴史にはいろいろと絡んでいるようです。

 

真壁伝承館を出て、街を少し歩いてみます。ムラカミ書店では、真壁土を使った窯変(ようへん)陶器が販売されていました。鉄分の多い真壁土を用い、釉薬で表面を覆って還元状態にして、1300℃という高温で焼くと、10回に1回くらいの確率できれいな鉄の光沢が現れるので、それを売っているのだと、(おそらく)作者の作二郎さんが熱心に説明してくれました。独特ですね。

 

蔵を利用したクラフト屋さん。

 

村井醸造。

 

根本医院。門の左のほうに立っているのは登録文化財のしるしです。真壁には、102棟の登録文化財があるそうです。

 

上宿通りの先の山のふもとのあたりが真壁城跡です。

 

伊勢屋旅館。明治中期の建物。

玄関の雛人形を中心とした置物や装飾に、タイムスリップしたような感覚を覚えます。

江戸時代には勢州楼という料亭だったそうです。

 

すこし歩いただけでも、これだけの古い建物がありました。多くは明治時代の建築のようです。

ここ真壁町は交通の便がわるいのが残念です。私が小学生だったころは、筑波鉄道というのが通っていたのですが、廃線となり、いまは陸の孤島のような場所です。水戸線岩瀬駅とつくばエクスプレスつくば駅からバスで行けるようですが、不便です。それでも、ゆっくり1日かけて探索してみたいなと思う町でした。その時は、伊勢屋旅館に泊まりたいものです。