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僕の読書ノート「おっぱいの進化史(浦島匡、並木美砂子、福田健二)」

2021-06-05 20:51:27 | 書評(進化学とその周辺)

哺乳類進化の中でもとくに重要な、乳と乳房(乳腺)を意味する「おっぱい」に特化して書かれた本である。本書の大部分を占める乳とその成分と進化については浦島氏、発酵乳について福田氏、乳利用の歴史について並木氏が分担執筆している。浦島氏は本書で、乳(ミルク)と乳房のことを「おっぱい」という言葉で言い続けているので、私もそう言うことにする。

乳中の成分から見てみよう。おっぱい中の脂肪含量はウシやヒトでは、それぞれ3.3%、3.5%であるが、動物によって大きく違っていて、クジラでは52%、アザラシでは68%にも達する。かれらにとっておっぱいは白い液体というようなものではなく、脂っこい固まり、濃い生クリームを食べているようなものである。クジラやアザラシのような海棲哺乳類の場合、子どもは海水中でも体温を保たなくてはならないので、皮下脂肪をなるべく早く体につける必要がある。また、真水が得られない海の中で生活しているお母さんにとって水分は貴重である。そうした理由で、おっぱいの脂肪分が多くなっていると考えられる。

牛乳に含まれる糖として乳糖が知られているが、哺乳類のおっぱいには乳糖の他にもミルクオリゴ糖が含まれている。ミルクオリゴ糖は乳糖に様々な単糖が結合して作られる。単孔類と有袋類や、有胎盤類の中のクマでは、乳糖よりミルクオリゴ糖のほうが多い。浦島氏はミルクオリゴ糖の専門家なので、それについての記述がくわしい。ミルクオリゴ糖の中にも多くの種類がある。おっぱいには、人間の血液型(ABO式)を決める血液型物質のようなミルクオリゴ糖が含まれていて、動物の種類によって異なっている。これらは、ウイルスのような病原体を排除するはたらきがあるのではないかと著者は考えている。ミルクオリゴ糖には、タイプⅠ型、タイプⅡ型、それ以外のタイプに分けられる。タイプⅠ型が多いのはヒトだけで、類人猿ではタイプⅡ型が多く、それ以外の哺乳類はタイプⅡ型だけを持っているということで、ヒトの進化との関係でどういう意義があるのか興味が持たれる。

単孔類のおっぱいに特徴的な成分に、MLPというタンパク質がある。これは2014年に発見されたばかりで、細菌の増殖を抑えるはたらきがあると考えられている。MLPとよく似たC6orf58というタンパク質は、そのほかの哺乳類や鳥類、魚類ももっている。このような祖先のタンパク質がもともとおっぱい以外のところで発現していたものが、単孔類ではおっぱいで発現するようになった一方で、他の哺乳類ではなぜ発現していないのかはわかっていない。

哺乳類の起源をおさらいしてみる。両生類から、乾燥した陸上での活動に向いた固い皮膚と羊皮のような殻の卵をもつ有羊膜類(爬虫類、鳥類、哺乳類の祖先)が現れ、そのなかから約3億年前に単弓類が進化した。単弓類から、獣弓類、キノドン類へと進化し、恐竜の繁栄が始まった2億2500万年前(三畳紀)に哺乳形類が出現したがまだ卵を産んでいた。そして、約2億年前(ジュラ紀)に哺乳類が現れ、おっぱいを子どもに与えて育てるようになった。

乳腺は、汗腺の一つであるアポクリン腺から進化したと考えられている。乳腺から、タンパク質、乳糖や多くの水に溶ける成分はエキソサイトーシスという方法で細胞外に分泌されるが、脂肪はアポクリン腺同様、アポクリン分泌という方法で、脂肪が細胞膜に包まれた形で分泌される。この膜が脂肪球膜と呼ばれる。実は、皮膚からおっぱいのような栄養素が分泌される現象は、両生類の一部でも見られるという。ある種のイモリにおいて、孵化したばかりの幼体が、皮膚腺のよく発達している親の皮膚、あるいは皮膚腺分泌物を食べていることが観察されている。このことから、皮膚の腺からは栄養が分泌され、水分を介して卵へ補給されていて、幼体が孵化したあとも栄養として与えられているのではないかと想像されている。哺乳類の中でも祖先的と考えられている単孔類には乳首がなく、2か所ある「乳嚢」というおっぱいが分泌される場所に100くらいの小さな孔が開いたミルクパッチと呼ばれる部分があり、おっぱいはそこから分泌され、赤ちゃんはそれを舐めるようにして受け取る。

おっぱいのタンパク質には、おっぱいの中だけにしか発見されない固有のものがあるが、突然出現したわけではなく、体内の他のタンパク質から進化して作られたと考えられている。こうしたタンパク質として、カゼイン、β-ラクトグロブリン、α-ラクトアルブミンがある。カゼインは、おっぱいのタンパク質の中で最も量が多く、おっぱいを白く見せている。カゼインは、SCPP(分泌型カルシウム結合性リンタンパク質)という、無機質を沈着させたり、組織の中でカルシウムの状態を調節するタンパク質のグループに含まれる。SCPPは、歯や骨の形成に関係するもの、唾液中でカルシウムを運搬するものなどがあり、カゼインは骨格の発達に必要なカルシウムとリン酸を小腸から吸収しやすくする働きがある。一つの仮説として、SCPPタンパク質は、羊皮状の卵の表面にカルシウムを運搬する役割を持っていたが、遺伝子の変異によって、現在のようなカゼインへと進化し、赤ちゃんの栄養源へとその役割を進化させたという考え方がある。

β-ラクトグロブリンは、タンパク質栄養として以外の働きに、赤ちゃんへビタミンA、ビタミンD、脂肪酸や、脂肪によく溶ける化合物を運搬することが考えられている。単孔類、有袋類、複数の有胎盤類のおっぱいに見られるが、ヒトには含まれていない。β-ラクトグロブリンは、リポカリンというタンパク質ファミリーに含まれる。リポカリンには「バレル型脂溶性ポケット」という部分があり、その中に水に溶けにくく油に溶けやすい化合物を取り込んで運搬している。

α-ラクトアルブミンはカルシウムを結合する性質を持ち、乳糖を作る酵素を構成する2つのタンパク質のうちの1つを担っている。哺乳類のおっぱいにも含まれている、細菌の細胞壁を壊して死滅させる酵素であるリゾチームから、カルシウムと結びつくリゾチームへと進化し、さらにα-ラクトアルブミンになったと考えられている。単孔類にも存在している。

細胞膜のところで、脂肪球膜を作るのに働く2つのタンパク質がある。一つはピューチロフィリンで、免疫グロブリン・スーパーファミリーのメンバーであり抗体とよく似ている。もう一つはキサンチンオキシドレダクターゼで、本来は尿酸の形成や窒素との反応などの多くの機能に関係しているタンパク質で、おっぱいでは微生物の活性を抑える役割をもっている。このように、別の機能を持っていたタンパク質が、おっぱいの成分になって別のある機能を持ったり、おっぱいの成分を作るために働くようになったりと、うまく利用されていることが多い。

浦島氏はここまでのまとめとして、「おっぱいをはじめとする体の機能や循環、分泌などの生理からは、化石研究とはまたちがった視点で哺乳類の進化の謎に迫ることができます。このような学問領域は今まさに始まった段階にあります」と述べ、今後の哺乳類進化におけるおっぱい研究の進展について期待を示している。

福田氏の担当した章で興味深い内容として、次のようなことが書かれていた。これまで、赤ちゃんは微生物にまったく汚染されていない、まっさらな状態で子宮から出てきて、産道を通るときに母親の膣に住んでいた乳酸菌が赤ちゃんへ移行すると考えられていた。しかし最近になって、赤ちゃんが生まれて初めて出すうんちである胎便と授乳開始後の大便からバクテリアが見つかり、その中からビフィズス菌を含む放線菌門、大腸菌などを含むプロテオバクテリア門、乳酸菌が含まれるフィルミクテス門に属する菌が見つかったという。具体的な経路は不明だが、お母さんに住みついたバクテリアが、おなかの中にいる赤ちゃんへ移行している可能性が考えられている。

また、乳酸菌は一般的には身体にいいと考えられているが、かならずしもそうでない場合もあるということが注意点として述べられている。そして、乳酸菌が宿主に接着するために使っている菌体表面のタンパク質の中には、病原性細菌の宿主接着に使われるのと同じものがいくつも存在するという。宿主へ接着するメカニズムに関しては、病原細菌と乳酸菌は多くの部分で共通しているということである。

並木氏の担当した章で興味深い内容として、動物の家畜化の歴史が書かれている。まず人間は、2万年前にオオカミを祖先種とするイヌとの共同生活を始めた。1万年ほど前には、イラン、イラクの国境のあたりで、ベゾアールという反芻獣をもとにヤギの家畜化が始まった。少し遅れて、東中央アジアやウラル地方のウリアルを祖先種としてヒツジの家畜化が始まった。7000万年前くらいに、西南アジアでオーロックスを祖先種としてウシが家畜化された。4000年前に、アジアスイギュウを祖先種としてスイギュウが家畜化された。4500~5000年前に西南アジアでヒトコブラクダが、4500年前にイラン東部でフタコブラクダが家畜化されたとしている。

おっぱいは化石にも残らないし、現存動物の遺伝子からの解析もあまり進んでいるようには見えない。以上、これまでにわかってきたおっぱいの進化について本書からまとめてみたが、いろいろと興味深いことがわかってきた一方で、これから解明されるべき課題も残されているように感じた。


僕の読書ノート「猫はこうして地球を征服した(アビゲイル・タッカー)」

2021-04-25 21:21:54 | 書評(進化学とその周辺)

 

著者のアビゲイル・タッカーは、米国のスミソニアン誌の記者である。子供のころからネコとともに暮らしてきた大のネコ好きなのだが、ネコへの偏愛とはほど遠いとてもクールな視点で、現代のネコの繁栄について分析している。

ネコの繁栄ぶりはたいへんなもので、世界のイエネコの個体数は6億を超え(英語版原著発行2016年の時点)、さらに増え続けている。全世界のイエネコの数は、ライバルのイヌの数の3倍に達しており、その差は広がっていくだろうとしている。米国でペットとして飼われているネコの数は1986年から2006年までのあいだに1.5倍になり、1億匹に近づいている。一方で、ネコに対する人間社会の対応は矛盾だらけだ。米国の一部の州では「ペット信託」によってイエネコが数百万ドルもの遺産を法的に相続できるが、別の場所では屋外に住むネコが害獣と分類されている。米国では毎年何百万匹という健康なネコが安楽死させられている一方、ニューヨーク市では最近、迷い込んだ2匹の子ネコを助けるために巨大地下鉄網の広大な部分で運転を止めたという。

人間とネコとの関係は昔からあった。昔は、人類はネコの食糧だった。ネコ科の動物たちは人類の祖先を洞窟に持ち込んだり、森のなかでガツガツ食べたり、内臓を抜いた死骸を巣穴に隠したりしていた。実際、ヒト属のものとされる世界最古の完全な形で残されていた頭蓋骨は、グルジアのドマニシにある洞窟から見つかったが、そこは絶滅した巨大チーターのピクニック場のような場所だったらしい。今でも、殺された霊長類全体の3分の1以上が、ネコ科の動物の犠牲になっていて、ヒョウの糞からローランドゴリラの足の指や、ライオンの糞からチンパンジーの歯が見つかっている。

イエネコの祖先となる野生のネコ科動物は、1種類なのか、それとも複数の種類なのかわかっていなかった。2000年代のはじめ、カルロス・ドリスコルは、10年をかけて世界中の1000匹のネコからDNAを回収して解析した結果、すべてのイエネコはたった1種のヤマネコ、それもリビアヤマネコという亜種の子孫であることがわかった。リビアヤマネコは、トルコ南部、イラク、イスラエルという中東を原産とし、今でもその地域に住んでいる。

Felis silvestris lybica 1.jpg(リビアヤマネコ、Wikipediaより)

では、どうやってリビアヤマネコはイエネコになったのだろうか。野生のネコ科動物はヤマネコも含めてほとんどすべて、たいてい人間をひどく恐れていて、野生のリビアヤマネコもほとんどは人間を避けているが、ときには変わり者がいて、人間を追いかけ、ペットのネコといちゃついて異種交配を繰り返している。そうした一部のリビアヤマネコの性格の変化=遺伝子の変化ー敵意のなさ、恐怖心のなさ、大胆さーが、ネコと人間のあいだに生まれる絆の源になったのだろうと考えられている。

飼いならされた動物の多くは、共通した特有の身体的特徴を持っていて、例えば斑点模様の被毛、小さい歯、幼く見える顔、垂れた耳、丸まった尻尾などがある。これらの特徴を「家畜化症候群」と呼ばれているが、進化生物学の難問の一つだともされている。ダーウィンもこの現象には気づいていて、垂れた耳は飼いならされたイヌ、ブタ、ウサギにはごく当たり前に見られるが、野生動物ではゾウを除いてまったくない。しかし、イエネコは必ずしもこのような外見を持っていないところが興味深い。家畜化症候群は神経堤細胞(多様な細胞・組織へと分化する細胞群)のわずかな欠損や機能低下で生じる可能性があると考えられている。神経堤細胞は、胎児の発達中に体のさまざまな部分に移動し、頭部形態、軟骨形成、毛色などたくさんの要因に影響し、この細胞のちょっとした欠損が、奇妙な色や垂れた耳、曲がった尻尾といった結果を導く。イエネコにおいて、家畜化症候群の特徴は一部だけに限定されてあらわれていることは、ネコの神経堤細胞がまだ欠落の途上にあり、飼いならしの過程がまだ進行中であることを意味しているということだ。

ネコは人間にとって実用的にはなんの役にも立たず、家畜化しても意味はなく、ネコは自ら進んで飼われるようになったが、目に見えるようなサービスはほとんど提供してこなかった。ある意味、ネコは人間に魔法をかけたらしい。ネコと人間の共通の祖先がいたのはもう9200万年も前のことだが、ネコは不思議なほど人間に似ている。とくにネコは人間の子どもに似ている。オーストリアの動物行動学者(本書では「民俗学者」と誤訳されている)コンラート・ローレンツはこれを「ベビー・リリーサー」と呼んだ。ベビー・リリーサーとは、私たちに人間の子どもを思い出させてホルモン分泌の連鎖反応、オキシトシンの幸福感を起こす、身体的特徴のことを言う。こうした特徴には、丸い顔、ぽっちゃりした頬、大きな額、丸い目、小さな鼻などがある。

さて、ネコの特徴はいいことばかりではない。悪いところは、地球の生物多様性の破壊者としての側面だ。つまり、ネコは生き物の絶滅に関与しているということだ。スペインの研究では、世界中の島で姿を消しつつあるすべての脊椎動物のうちきわめて控えめに見積もっても14%でネコが一因となっているとしている。また、オーストラリアの絶滅種、絶滅危惧種、近危急種(準絶滅危惧種)に該当する138の哺乳動物のうち、89種の運命にイエネコが関与しているとしている。それは、生息地の消失と地球温暖化よりも、はるかに切迫した問題だという。このため、一部の地域ではネコ駆除作戦が実行されている。ただし、ネコを殺してほしくないと思っている人たちは多い。ネコの命が大切か、絶滅危惧種の命が大切か、私たちには公正に判断するのが難しくなっている。

ネコを飼っていると私たちの心や身体によい影響を及ぼすのかどうかについても、どうもよい報告は少ないようだ。イヌの飼い主やペットを飼っていない人に比べて、ネコの飼い主は、心臓病患者の生存率、なんらかの医師の診療を受ける頻度、精神的なヘルスケアを求める割合、血圧、体重や全般的な健康上の障害など、様々な調査で悪い結果が出ている。イヌと比べてネコを飼うことによる、運動量の少なさ、触れ合う時間や心理的な交流の少なさなど、理由を見出そうとしている。(個人的な思いつきであるが、もともと心身になんらかの問題がある人はネコを飼う傾向があるということはないだろうか?ネコの社会性の低さは、人間の自閉スペクトル症候群(ASD)に似てはいないだろうか?)

ネコは孤立して生きる動物で、人間と暮らしても社会的協調を身につけなかった。人間はネコに自分たちのやり方を教えることはできない。逆にネコが主導権を握って私たちを手なずけるようになるのだという。私たちが自分に対するネコの愛着や愛情だと思っているものは、条件づけされたものであり、食べものをねだっているのだとしている。また、ネコは生まれつき同種の仲間を嫌い(私が飼っていたネコがとくにそうだった。久しぶりに実の母ネコに会っても嫌悪感を示していた)、直接のアイコンタクトを脅威とみなし、互いに見つめ合うことを嫌う。ただし、ネコは順応性の高い生き物でもあり、ネコ同士や他の動物と仲良くしている場面を見ることもあるが、例外的なのだという。そして、ネコにとって大切なことは、不変性と、予測可能性だという(このあたりもASDのようだ)。エサの時間がいつもと少しずれるだけでネコはイライラする。

ネコの品種改良が進められている。それは、イエネコと野生種とのハイブリッドによって、野生に見えながら飼いならされている美しい品種を創ることが目指されている。まだあまり日本には入ってきていないかもしれないが、そうして創られた品種が、ベンガル、トイガー、パンサレット、チートーである。チートーはアジアのヒョウとイエネコのハイブリッドで、雄の中には14キログラム近いものもある。

チートーってどんな猫?性格と特徴から考える飼い方のコツ!

(チートー、shutterstock.comより)

ネコはインターネットで大人気である。有名な人気ネコにリルバブがいる。いつも舌を出していて嬉しそうに見えるというのだ。(私はネットでリルバブの写真を見たら、病的な異様さがあって可哀そうになってしまった)実際のところ、リルバブは歯が1本もなく、下顎は未発達で、大腿骨は曲がっていて、膀胱もときどき機能障害を起こすのだという。人間は常にネコを擬人化したくなる。人間に似た特徴と表情の空虚さのせいで、ネコの心を「読み取りたい」という気持ちは抑えがたくなる。そして、ネコの写真に説明文をつけるという娯楽がオンライン上で広まっている。いまや世界に浸透している日本生まれのハローキティについても述べられている。ハローキティには口がないのが特徴だ。

本書を読んでみると、ネコは人間との間で心の奥底でつながっている神秘的で愛すべき存在だという、私たちネコ好きが思っていた気持ちは、もしかしたら勘違いだったのか?と思わせる内容であった。ネコ好きにとっては他にもちょっと残念な内容が多かったが、これは平均的なネコの話であって、あなたや私の大切なあのネコはもっと進化した特別なネコなのだと思うことにしようではないか。


僕の読書ノート「いじめとひきこもりの人類史(正高信男)」

2021-03-13 21:36:40 | 書評(進化学とその周辺)

書店でたまたま見つけて、タイトルに惹かれて購入した。

いじめの起源についてこう述べている。野生の動物は不快と認識するものには近づこうとしないし、危険を感じれば逃げる。だから不快な社会的経験は起きない。人類はある時から遊動生活を捨てた生活を始めた時、共同体ができた時、社会的排除という不快な社会的経験が起きるようになったとしている。定住生活は地球上の様々な地域で、およそ5000年前、同時並行する形で始まった。そして、自分たちの共同体に所属するメンバーに向かって、共同体秩序維持の目的で「異人扱い」がなされるようになった時、いじめが始まったと考えられる。

野生の動物にいじめはないのだが、ある操作をするといじめが発生することが知られている。ニホンザルの社会は野生下においてはいじめはない。ところが、「餌付け」をするようになると、順位制が確立し、上位の個体による下位の個体へのいじめが起きるようになる。人間の共同体や定住生活に近い社会になっているのかもしれない。こうして集団の外で生活するようになった、ニホンザルは「ハナレザル」とか「ハナレ」呼ばれる。一方、人間社会においては、例えばキリスト教以前のヨーロッパ社会では、社会の外で生活するものは「森の放浪者、”人狼”」「ヴァルク」として認識されていた。こうした、一般社会の外で生きている人たちには、いわゆる発達障害と呼ばれている者が多い。ところが、人間以外で自然状態で生活している霊長類では発達障害というものは報告されていない。遺伝情報には異常があったとしても、外見や行動上ではまったく異常が見当たらないというのだ。発達障害とは違うが、人間にはダウン症という染色代の数が一本多いことによる遺伝的障害がある。ところが、同じような染色体異常があっても、サルでは何ら異常が見受けられないという。このように人間にしばしば見られる障害、とくに発達障害は人間に固有の生物現象であるという。

ここまではとても興味深く読んできた。しかし、本書の後半になると少し偏っているように感じた。昔から、共同体からいじめだされた放浪者「異人」として、日本では「職人」、ヨーロッパでは「ヴァルク」「バンディット」の存在が知られている。日本におけるこうした人たちとして、西行、親鸞、芭蕉、良寛、鴨長明、吉田兼好を例に挙げて、日本には昔から漂泊・ひきこもり文化が存続してきたと主張している。それはそれであるかもしれないが、こうした人たちは文芸等の才能に秀でていて強い信念を持って隠遁生活をしていたのであって、現代の「ひきこもり」で苦しむ人たちの多くが、毎日やる気が起きなくて無為に過ごしている現状とはかけ離れていると感じた。さらに、今日のコロナ禍による積極的なひきこもり生活や、社交不安緩和のためのCBD(カンナビジオール、大麻草由来の麻薬成分以外の成分)の効果が、発達障害やひきこもりの人たちにとって非常に期待できると強く推奨されていた。そういったことも役に立つ可能性があっていいのだが、もっと他に対応方法はないのか、在宅勤務とCBDだけで全て解決できるわけではないだろうと強く感じた。

さて、ここで重大なことをお伝えしなければならない。著者に興味を持ったのでネットで調べてみた。著者は2020年3月まで京都大学霊長類研究所の教授であった。そして、著者が実施したCBDの効果の臨床試験論文(2019年11月刊行)に捏造疑惑が持ち上がっているということを知った。朝日新聞DIGITALの2020年4月21日付で「京大元教授、大麻合法成分の論文データ捏造か 本人否定」のタイトルで記事が掲載されている。

該当する論文は「Nobuo Masataka. Anxiolytic Effects of Repeated Cannabidiol Treatment in Teenagers With Social Anxiety Disorders. Front. Psychol., 08 November 2019」である。

そもそも、臨床試験を開始する前に、大学や医療機関などの倫理委員会で承認を受け、公的データベースに登録することは必須となっている。この論文に書かれている倫理委員会と公的データベースの承認番号が架空のものらしい。試験内容も虚偽なのかどうかははっきりしていないようだが、架空の承認番号を書いている時点で、サイエンスとしてはアウトである。試験内容も捏造されていたとは信じたくないが、さっと読んでみたところ、どこの医療機関で試験が行われたのかが書かれていないという不明瞭さがあった。

上記の事案は、2020年4月に報道されているのだが、その後の2020年10月になって本書が刊行されている。このことを知っていたら、本書を読むことはなかっただろう。


僕の読書ノート「進化医学 人への進化が生んだ疾患(井村裕夫)」

2021-01-30 11:07:31 | 書評(進化学とその周辺)

病気の原因を進化学の立場から解明するのが進化医学。日本語で書かれた進化医学の教科書としては、2013年刊行の本書が唯一かと思われる。著者の井村裕夫氏は、進化医学は今なお医学のなかで市民権を得ていない状態であるが、ドブジャンスキーの言葉をもじった「ゲノム進化の理解なしには、生物学も医学も意味をなさない」という立場に立って本書を執筆している。

各章ごとに、とくに興味を持った点をまとめてみた。

 

第1章 病因論と進化医学

・進化医学は、疾病の診断、治療に直接役立つものではないが、疾病の発生病理をよりよく理解し、対策を考える上で多くの情報を提供してくれ、研究者が自らの研究の意義をよりよく理解するのに必要だとしている。また、一般医家にも一般人にも多くの情報を提供してくれる。例えば、ビタミンC不足、高尿酸血症、新興感染症、自己免疫疾患やアレルギーなどの進化学的意義を考えることで、医師の日常の診療や一般人の健康の維持に役立つことができるという。

 

第2章 生命進化38億年の歩みと疾患 

・ミトコンドリアはなくてはならない細胞内小器官であるが、10億年以上前に細菌がわれわれ真核細胞に共生したのが由来である。そのため、組織が傷害されるとミトコンドリアのDNAやホルミルペプチドが放出され、それらが細菌の成分と類似しているので、Toll様受容体9やホルミルペプチド受容体Ⅰを介して自然免疫を誘発し、敗血症のようなショック、多臓器不全を伴う炎症正反応をきたすことがある。つまり、外傷によって細菌感染と類似した反応が引き起こされる。

・腫瘍は多細胞生物に進化してから出てきた。多細胞生物でも、海綿では腫瘍の存在は知られていない。サンゴでは腫瘍らしいものが知られている。三胚葉系生物である軟体動物、線虫、昆虫、甲殻類では種々の腫瘍が知られているが、増殖が遅く、転移する例は知られていない。脊椎動物では魚類、両生類、爬虫類のいずれでも悪性腫瘍が知られており、転移も観察されている。鳥類、哺乳類などの温血動物では腫瘍の発生はいっそう増え、とくにヒトで多い。ヒトでがんが多い一番の理由は長寿になったことであるが、その他にもライフヒストリーの変化、さまざまな化学物質への接触、カロリー・脂肪摂取量増加、感染症など様々なものがある。進化医学からみたがんの存在理由が考察されるようになったが、まだ十分理解は進んでいない。

 

第3章 人類への進化と疾患

・各種霊長類の比較から、脳の大きさと腸管の容量との間に負の相関があり、エネルギー消費の多い腸を短くすることによって脳を大きくすることができたという仮説がある。脳の発育や維持には、大量のエネルギ―、脂肪、タンパク質を必要とする。原人が石器を使用するようになり動物の死肉や骨髄を食べるようになったこと、ホモ属が火を用いて料理するようになったことで、腸への負担が軽減され腸が短くなり脳の発達に貢献したという考えだ。

 

第4章 進化生物学と医学

・外適応(エグザブテーション)とは、ある機能をもって進化してきたものを、全く違った機能に活用することをいい、すでにダーウィンが指摘していた。例えば、断熱の目的で進化した羽毛を、鳥が空を飛ぶのに使ったこと、魚の顎骨に関連した骨を地上動物が中耳の耳小骨に使ったことなどがある。また、眼のレンズである水晶体の主成分はクリスタリンというタンパク質であるが、酵素遺伝子がそのままクリスタリンとして用いられていたり、元は酵素遺伝子であったものが重複して変異を重ねてクリスタリンとなっていることが明らかになってきた。

 

第5章 進化ゲノム学

・ここでは、転移エレメント、非コードRNA、インプリンティング、エピジェネティクス、遺伝子重複、全ゲノム関連解析(genome-wide association study: GWAS)、分子進化の中立説、進化発生遺伝学(Evo-Devo)といった重要なキーワードがたくさん出てくる。

 

第6章 感染と防御機構の進化

・宿主に本来存在しない寄生体が侵入し、定着することを感染とよぶ。感染によって宿主に病的状態が起こることを感染症という。寄生は生物の世界ではきわめて普遍的な現象であり、最も小さい細胞体であるマイコプラズマに感染するウイルスも知られているし、最大のウイルスであるAcanthamoeba polyphaga mimivirusにはスプートニクという小さなウイルスが感染するという。

・宿主と寄生体の関係は軍拡競争に例えられる。宿主は次々と防御機構を進化させたが、寄生体はそれを巧みに回避する手段を用い、共進化してきた。自然免疫や獲得免疫に関与する遺伝子には選択圧の証拠がみられることから、寄生体が免疫機構に巧みに対応して宿主に脅威を及ぼし続けていることが示されている。寄生体の対応は軍拡競争というよりは、ゲリラ型の戦術だとしている。

・現代においてアレルギーが増加している理由として、衛生仮説と旧友仮説がある。衛生仮説では、環境の変化によって感染症が減少し、Th1(細胞性免疫)優位からTh2(液性免疫)優位へと変わったことがアレルギー増加の原因であると説明するが、アレルギー疾患においてもTh1型の反応は見られるし、Th1あるいはTh17系の炎症性病変であるⅠ型糖尿病、炎症性腸疾患、多発性硬化症などは、衛生状態がよい先進国でむしろ増加していることから、十分説明できていない。旧友仮説では、哺乳動物の腸内にいる旧友である共生菌や寄生虫はTregを誘導して免疫系を制御しているが、旧友が存在しなくなってそのような制御が働かなくなりアレルギー疾患や炎症性腸疾患が増加したとしている。どちらの仮説が正しいか正しくないか不明であるが、寄生体の少ない環境になったことで免疫系の調節に異常が生じていることは確実だろうということだ。

 

第7章 栄養・エネルギー代謝と進化

・酵母の細胞質や、線虫、昆虫の体液中の主要な糖質はトレハロースである。トレハロースは、エネルギー源であるだけでなく、細胞保護作用もある。脊椎動物では、トレハロースよりエネルギー効率の高いグルコースを使用するようになった。しかし、グルコースは還元糖であり、糖化によってタンパク質を障害する可能性がある。糖化の防止は重要であり、血中グルコース(血糖)の濃度を狭い範囲に保つことが必要となり、インスリンの進化が起こったと考えられている。

・肥満が存在する理由の説明として、倹約遺伝子仮説がある。獲物をとったときに飽食により効率よくエネルギーを蓄積した者が飢えのときに強くて生き残ったが、食物の豊かな現代社会ではそれが肥満、糖尿病の原因になるという説である。しかし、飽食によって効率よく脂肪を蓄積するためには、インスリンへの感受性が高くなければならないが、一般に肥満者や糖尿病者では早期からインスリン抵抗性があることが知られている。また、倹約遺伝子に相当するものも見つかっていないため、根拠はないと考えられる。

 

第8章 捕食ー被食関係、体の大きさ、寿命の進化医学

・交感神経系は、防衛反応あるいは緊急反応で重要な役割を果たしている。捕食者に遭遇して、戦うか、逃げるかをとっさに判断しなければいけないとき、交感神経系の緊張が強いられた。パニック障害という病気は、発作的に現れる強い不安感、心悸亢進、めまい、消化器症状などを主徴候とするもので、緊急反応に類似している。緊急反応は、闘争か逃走のための反応で、すべてのヒトに起こるが、その反応が不適切に起こるのがパニック障害である。捕食者の多い環境では臆病なほうが有利であったが、捕食者のいない現代の社会では病気の原因になったという仮説がある。ダーウィンがパニック障害だったという説もある。

 

第9章 脳と心の進化と疾患

・人間は他の生物にはみられない精神的能力ー例えば、言語、社会性、将来を計画する能力、宗教心、利他主義などーを持っている。しかし、これらの特徴の萌芽を他の生物に見出すことができる。ヒトでとくに発達しているところがあるとはいえ、基本的に連続性があると考えられる。ダーウィンは1871年の「人間の進化と性淘汰」の著作のなかで、人間と下等動物の心的能力について、記憶、想像力、感情、自意識、美の意識、社会性などを比較し、両者に大きい違いがあるとしてもそれは程度の問題であって、質的な相違ではないと述べている。これは、進化心理学の基礎となる概念でもある。

・精神疾患や関連する障害の中でも、自閉症スペクトラム障害、ウィリアムズ症候群、注意欠陥・多動性障害、統合失調症、うつ病などは進化学的な説明が可能になってきた。一方、神経性食欲不振症などの摂食障害、性同一性障害、自殺、自傷行為などは、進化学の立場から説明が困難である。これらの中には長い進化のなかで形づくられてきた、人間の心と現代の文明とのミスマッチによるものもあるかもしれない。

 

最後に、「おわりに」で述べていることは、進化と病気の関係はトレードオフの関係にあるということだ。トレードオフとは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるをえない二律背反の状態、あるいは関係をいう。とくにヒトは長い生命進化の歴史から見ると非常に短い期間に環境を大きく変えてしまった。そのことが、爆発的な糖尿病の増加や精神疾患の漸増という結果を生んだとしている。また、個体差が大きいほうが環境変化によく適応できるが、一方では先天性疾患が多いことにもつながる。進化と病気は共存していく運命にあるのかもしれない。


僕の読書ノート「わたしは哺乳類です(リアム・ドリュー)」

2020-10-24 08:16:54 | 書評(進化学とその周辺)

この本は素晴らしい。哺乳類の進化を論じている本であるが、現在どこまでわかっているかが書かれているだけではない。どういう仮説が立てられて、どうやって研究が進展してきたか、ナゾ解きの道筋が書かれているのである。これだけの情報を収集してまとめるのに、相当な時間と労力を要したことと思われるが、自分や家族のこともときおり話題にしながら(自分たちも哺乳類である)、飄々とした語り口で話は進んでいく。一度読んだだけではなかなか頭に入らないくらい情報は膨大であり、私にとってはずいぶんと勉強になった。

 

章ごとに、興味をひかれた内容をピックアップしてみた。

第1章 なぜ精巣は体外に出たのか

・精巣を包む袋、陰嚢は、はじめは腹部の中で作られるが、ヒトでは筋肉と靭帯からなる滑車システムに乗り、腹部を渡る7週間の旅に出る。その後、数週間の後、筋収縮の波により鼠径管を通って外に押し出される。この旅の複雑さゆえに、うまくいかないケースが頻発し、男児の3%は精巣の下降が途中で止まった状態で生まれてくる。鼠径管というトンネルも、腹壁の大きな弱点になっていて、この管を通って内臓が滑り落ちてしまい鼠径ヘルニアとなることが多い。また、陰嚢は、体外に露出していることで、ケガをしやすいというリスクも持った。このようにデメリットが多いのに、哺乳類の陰嚢はなぜ体の外部に出たのか?

・陰嚢が体の外部にある理由として、精子の生成にとって高い体温が障害になるという説がこれまで一般的に信じられてきた。また、メスへのアピール説や、「ギャロッピング(全力疾走)仮説」と言って運動による腹圧の上昇を避けるためだという考えもある。最近になって研究の進展があり、精巣を下降させるシグナル物質となるインスリン様ペプチド・INSL3が発見された。より哺乳類の祖先に近いと考えられているカモノハシには、この遺伝子の原型があり、そのあとに登場した哺乳類ではこの遺伝子の重複が起き、一方の型が精巣の下降に関する機能を、もう一方の型が乳首の発達に関する機能を進化させるに至ったことがわかった。これは、哺乳類の特殊性の創造に貢献した、遺伝的大事件の1例だとも考えられる。しかし、精巣が体外に出た理由はまだ解明されたとは言えない段階だ。

第2章 カモノハシに学ぶ

・現存する哺乳類は、ヒトを含む有胎盤類、カンガルーなどの有袋類、カモノハシなどの単孔類に分類される。単孔類は、1億6600万年前に哺乳類の主流派から飛び出した系統の生き残りだ。そして、有袋類と有胎盤類は、1億4800万年前に共通の祖先から進化した。したがって、単孔類のカモノハシとハリモグラは、それ以外のすべての現生哺乳類の受け継いだ形態ができるよりも2000万年ほど前に、哺乳類がどのような特徴を持っていたのかを示す証拠になる。しかしながら、カモノハシを「生きた化石」と呼んだダーウィンの記述は正しいとは言えない。現存する種はどんなものでも進化している。カモノハシは泳ぎ、潜り、穴を掘り、生殖しながら、彼ら独自の曲がりくねった道を歩み、独自の特徴を進化させてきた。

第3章 性を決める新たな発明

・一般的に哺乳類は、メスがXX染色体、オスがXY染色体を持っている。Y染色体がオスらしさを作っている。このY染色体の性決定領域(Sex Region of the Y)の頭文字をとってSRYと名づけた遺伝子の存在が、1990年にネイチャー誌で報告された。SRYは有胎盤類と有袋類のY染色体上にある哺乳類固有の遺伝子であり、オスをオスたらしめている。カモノハシは、メスがXXXXXXXXXX染色体、オスがXYXYXYXYXY染色体を持っている。ところが、SRYは、カモノハシにもハリモグラにも見られなかった。そして、カモノハシの性染色体はXXXXXXXXXXとXYXYXYXYXYでさえない可能性が出てきた。一方、齧歯類のモグラレミングはY染色体遺伝子そのものを持たない。別の齧歯類アマミトゲネズミはY染色体上にSRY遺伝子を持たない。これらのことから、すべての哺乳類でSRYを持つ持たないにかかわらずオスかメスという性表現型は残っている。そして、オスとメスという身体の形態は、SRYが登場する以前から脈々と続いてきたものだ。つまり、この遺伝子は、性的二型を生みだした張本人ではなく、単にそれを表現するための手段として、獣亜綱(有袋類と有胎盤類)の哺乳類が利用するようになったものにすぎないということだ。この事実は、性という形質(表現型)がその基礎となる特定の遺伝子とはかかわりなく存続することを示唆している。

第4章 風変わりな生殖器

・哺乳類が進化するあいだに、陰茎のもとになる細胞が肢の前駆細胞から尾の前駆細胞に変わっていた。つまり、進化の途中で陰茎はまったく違う細胞から作られるようになったが、なぜそうなったかはわかっていない。陰茎の形態には多様性があり、ネコのは棘に覆われていて、ヒツジのは螺旋状をしており、セイウチのは骨があり、有袋類とカモノハシのは双頭であり、ハリモグラのは4つの亀頭がある。そのため、陰茎は動物界でもっとも急速に進化した構造だとも言われている。

・メスの生殖器も多様性がある。ヒトでは、2本の卵管が単一の子宮、子宮頸部、膣とつながっている。一方、齧歯類とウサギでは、2本の卵管に別々の子宮と子宮頸部がある。シカ、ウマ、ネコでは、2つの子宮が1つの子宮頚部を共有している。有袋類は2つの子宮と3つの膣があり、2つの膣は精子を運び入れるため、1つの膣は赤ん坊を送り出すためのものである。

第5章 受胎と発生ー細胞進化のイノベーション

・個体は死んでいく。一方、精子と卵子という生殖細胞系列は、その動物の身体の構築にはまったく寄与しない細胞の系列で、実質的に不死であり、世代から世代へ受け継がれながら分裂を続けていく。私たちの身体と心は、ホモ・サピエンスの生殖細胞が末永く分裂し続けるための生物学的構造の要素にすぎない。精子や卵子を自分の所有物とする常識は完全に覆され、生殖細胞に所有される身体、それが私たちなのだ。

第6章 胎内で対立する父母の遺伝子

・哺乳類の妊娠期間中には、母と子の対立が起こるという。胚が子宮壁に埋め込まれた瞬間から、父系遺伝子は胚を動かし、母親の利益よりも胚の利益を優先することができるという。デイヴィッド・ヘイグの論文によると、妊娠のごく初期から、栄養膜細胞は母体組織を分解する酵素を分泌し、母体組織はその酵素を阻害する化学物質を分泌する。また、胎盤が自身の発生を加速させる成長因子を分泌するのに対し、母体の脱落膜化間質細胞はその成長因子を中和するタンパク質を分泌する。そうした相互作用は、捕食者と被捕食者、あるいは宿主と寄生者のあいだに見られる軍拡競争に似ているととらえている。他にも、胎盤は母体のインスリン抵抗性を高め、ひいては血糖値を高めるホルモンを分泌している。母親の側もこれに対抗して、母体でのインスリン産生量を増やしたり、さまざまなホルモン受容体を適応させている。子をつくるDNAを用意する親の性別によって、子に受け渡されたときに、どの遺伝子がオンになるかオフになるかが決まる。こうした現象を「遺伝的刷り込み(ゲノムインプリンティング)」といい、有袋類と有胎盤類で見られ、ヒトでは200の遺伝子が知られている。現在では、子が子宮を出た後も、それらの遺伝子の影響が続くことがわかっている。

第7章 ミルキーウェイ

・ダーウィンは、眼や翼のような複雑な形質の初期形態は現在とは同じ機能を持っていなかった例もあるだろうと述べていた。一方で、ダーウィンは、母乳の先駆物質は、現在の母乳よりも栄養価の低い、おおざっぱににじみ出る液体(現在と同じ機能)だったと主張した。しかし、現在の権威者のほとんどは、母乳の原型、あるいはそのまた原型は、栄養摂取とは関係のない別の機能を担っていたと考えている。その例として、二つの説がある。一つは、ダニエル・ブラックバーンとヴァージニア・ヘイセンが1980年代に提唱したもので、母乳は抗菌液として生まれたというものだ。二つめは、オラフ・オフタデルの説で、母乳の原型は当初、卵を乾燥から守るうえで重要な役割を果たしていたというものだ。

・哺乳類を他の動物類と区別する性質はたくさんあるが、メスだけの形質にちなんで”哺乳”類と呼ばれるようになったのはなぜか。カール・リンネが命名者であるが、哺乳類と名づけた理由は説明されていなかった。後に、ロンダ・シービンガーの調査によって、リンネが乳母制度をめぐる熾烈な社会政治闘争にかかわっていたことがわかった。1700年代のヨーロッパでは、富裕層の大多数は子を代理母に委ねていた。乳母制度が非常に高い乳幼児死亡率に寄与していると確信したリンネは、乳母制度を攻撃する論文を発表し、授乳の自然さを訴え、獣たちでさえ母親が子をやさしく養っていると強調し、おおいなる自然そのものが「愛情に満ちたつつましい母」であると力説した。その6年後に「哺乳綱」という語を考案している。シービンガーは、リンネの命名の選択は、そうした政治的信念から生まれたものだと考えている。

第8章 夫婦が先か、子育てが先か

第9章 歯と骨と恐竜

・哺乳類の進化において、頭部の骨格構造が大きく変化してきた。その一つが、口腔と鼻腔の変化である。爬虫類は口腔と鼻腔に分かれていなくて、ひとつの腔しかない。哺乳類の祖先は、第二の骨口蓋を進化させた。オープン構造の大きなビルに中2階を組み込むかのように、上顎のふたつの側面から伸びた部分が中央で融合し、独立した口腔と鼻腔を形成した。奥のほうでつながっているが、鼻はにおいを嗅ぎ、口はものを食べることができる。呼吸はどちらを使ってもできる。しかし、第二の口蓋が進化した理由については、まだ論争が続いている。新たにできた口蓋には複数の有益な機能がある。一つは上顎を強くする機能ができ、顎にかかる力が強くなっていったことの助けになっている。二つめは、食事と同時に呼吸するのを可能とし、温血動物の燃料である食べ物と酸素の摂取速度を上げることができた。三つめは、鼻腔に並ぶ鼻甲介という渦巻き状の骨からなる組織が作られるようになり、鼻腔の表面積を拡大し、感覚細胞が多くなることで嗅覚が鋭くなった。また、鼻に入る空気を温め、汚れを粘液で付着し、加湿することで、肺の受ける衝撃を和らげている。さらに空気を吐くときには、呼気に含まれていた水分が鼻甲介で吸着されて回収される。

・哺乳類は2億1000万年前に進化したが、恐竜が陸の動物の支配者であったため、陸に君臨する動物相を築くまでに1億4500万年ほどの時を待たなければならなかった。その間、哺乳類は恐竜の脇役といてすごしてきたのか?最近の化石研究から、ジュラ紀の中期に当たる1億8000万年前~1億6000万年前ごろに、哺乳類の爆発的な形態学的変化が起きていたことが突き止められた。この時期は、有胎盤類と有袋類の祖先にあたる、最古の獣亜綱の哺乳類が生息していた時期になる。

・2001年、マーク・スプリンガーの研究チームとスティーヴン・オブライエンの研究チームは、それぞれ同じ結論の研究結果を発表した。それは、大量の遺伝学的データをまとめることで有胎盤類は次の4つの系統群で表せるというものだ。

①アフリカ獣上目。アフリカに起源を持つグループに与えられた新しい名称。

②移節上目。南米に生息し、貧歯類とも呼ばれるナマケモノ、アリクイ、アルマジロで構成される。

③ローランド獣上目。現在の北米、グリーンランド、欧州、アジアの大半で構成されている超大陸ローラシアから名づけられたグループ。ローラシアでは、食虫類、食肉類、有蹄類、クジラ、センザンコウ、コウモリの祖先たちが進化した。

④真主齧上目。ヒトはここに含まれる。この単系統群は、霊長類とその近縁、齧歯類、ウサギとその仲間で構成される。

上記の分類法は、これまでの哺乳類の系統樹を完全にひっくり返すものだった。大陸ごとに個別に哺乳類が進化したことになる。この分類法には目印となる形態学的特徴はなにもない。4つの地理的に大きく分かれた哺乳類たちが、それぞれよく似た形態を収斂進化させたということになる。

第10章 高速で燃える生命

・同じ大きさの冷血性の脊椎動物に比べ、温血動物である哺乳類や鳥類は、最大20倍ものカロリーを消費している。そのため、ナイルワニなら年に1回の食事ですむが、サイズの近いトラは2週間か3週間ごとに食事をとる必要がある。爬虫類のヒョウモントカゲモドキは餌なしで何週間も生きられるが、トガリネズミは絶食が5時間を超えると死んでしまう。哺乳類はじっと座っているときでさえ、周囲温度より高い体温を保つためだけにかなりのエネルギーを費やしている。われわれの祖先はなぜこれほど不経済な生理的特性を身につけたのか、理由はまだわかっていない。

第11章 夜につちかわれた感覚

・嗅覚は哺乳類の感覚のなかでも地位が高い。たいていの哺乳類は、鼻から来る情報の処理に脳のかなりの部分を割いている。1991年、リンダ・バックとリチャード・アクセルは、ラットの嗅覚受容体の遺伝子を分離し、1000種類の嗅覚受容体を持つことを示した。その功績により、二人はノーベル生理学・医学賞を受賞した。他の有胎盤類も同じくらいの数の遺伝子を持っている。有袋類のオポッサムも1000前後であるが、カモノハシは350ほどだ。アリゲーターで400、鳥類とカメは200ほど、トカゲと鳥類は100前後である。このことから、受容体の拡張は主に、単孔類が分岐してから、有胎盤類と有袋類が分岐するまでに起きた可能性が高い。しかし、有胎盤類の中でも、ハクジラでは嗅覚受容体のほぼすべてが退化、霊長類では400ほどになっていて嗅覚の縮小が示唆される一方、ゾウは機能するものだけでも2000、さらに機能していないものが2000もあり、優れた嗅覚を表わしている。

第12章 悩ましきは多層の脳

・哺乳類の脳に特徴的な構造に新皮質がある。厚さ0.5ミリから3ミリほどの神経組織の薄層で、脳の外側を覆っている。複雑なしわを描いているヒトの脳をコーティングしている灰白質の大部分は新皮質からなる。新皮質には6つの層が存在する。層1はもっとも外側で、ここに含まれるニューロンの細胞体はごくわずかで、軸索が走り、他の層のニューロンの樹状突起の最上部と接している。その下にあるのが、層2/3(層2と3の区別はマニアックなので、この二つはひとまとめにされることが多い)には、新皮質回路の中心となるニューロンが含まれる。層4にあるのは、それよりも小さいニューロンで、視床と呼ばれる領域から来る情報を受け取っている。皮質に届くほとんどの感覚情報は、視床から送られている。層5と6には、それぞれ数は少ないが大型のニューロンが含まれている。このニューロンの軸索が皮質の外へ出ている。新皮質を流れる情報には基本的なルートが存在していて、視床からインプットされた情報が、層4→層2/3→層5/6の順に流れてアウトプットされる。

・一方、爬虫類の背側皮質では、一層の興奮性ニューロン層がインプット層としても機能している。視床から情報を受け取ったのと同じニューロンが軸索にスパイクを送り出し、その軸索がまた皮質を出ている。このため、情報をあちらこちらにすばやく届けるための回路にはなっていない。つまり、マルチタスクを単一のニューロン層でこなしているが、それを4つか5つのスペシャリストに置き換えるプロセスが、哺乳類の新皮質の起源であるという仮説がある。

・以前は、鳥類の脳が哺乳類の脳と同じように機能するとは考えられていなかった。多層構造になった哺乳類の皮質とは異なり、鳥類の前脳は小塊のような核が寄り集まったもので、一見すると解剖学的構造はまったく異なっている。アナ・カラブレーゼとサラ・ウーリーはキンカチョウの鳴き声に対するニューロンの反応様式を発表した。ケン・ハリスは、その内容の哺乳類との共通性に注目し、2015年に論文で示した。鳥類の「L2野」にあるニューロンが哺乳類の層4のニューロンと同じように機能していた。どちらも最初に発火し、同じように情報をコーディングしているのだ。哺乳類でも鳥類でも、この領域が、視床から伸びる軸索の最初の標的になっている。次いで、鳥類の別の核にあるニューロンが、層2/3と同じように機能する。そして、哺乳類の層5ニューロンに相当するのが、鳥類の脳の「L3野」である。このことから、ハリスは次のように結論している。「皮質に標準的な微小回路が存在し、実際に鳥類と哺乳類で相同しているのなら、その回路は3億年以上前に生息していた哺乳類と鳥類の最後の共通祖先で稼働していたということだ」

・おそらく、動物には心がない、擬人化して考えるなという、これまでの機械論的な心理学的研究の流れにたいする反論だと思うが、「現代の行動神経化学ー動物の認知能力を推測する科学ーでようやくわかりはじめているのは、動物たちの知能を理解しようとするなら、さまざまな動物の行動をもっと共感的に、もっと注意深く観察して調べる必要があるということだ」と述べている。最近日本でも話題になっている(「アレックスと私(アイリーン・M・ペパーバーグ)」)、オウムのアレックスにひたすら話しかけ、ちょっと変わり者と見なされてきたアイリーン・ペパーバーグによる研究によって、アレックスが理解可能な語彙を増やしたこと、色の概念を理解していること、そして単純な算数ができることを証明し、鳥類の知能に対する理解を深めたことを例に挙げている。

第13章 絡みあいループする進化

・身体の各部位の機能の相互作用は、その進化を理解するための重要なポイントになる。相互作用は相互依存性を生む。したがって、ある生物グループを定義する、あるいは生み出しうる、ただ一つの特性ー「鍵を握るイノベーション」ーなどありえない。つまり、様々な特性がお互いに依存、影響し合いながら進化してきたということになる。例えば、乳腺のような複雑なものが進化するためには、汗腺を母乳ディスペンサーに変えるだけでは足りず、大量の食糧から乳製品に変換できるよう余分なエネルギーを保存する能力が必要だったし、卵の世話をする動物でなければならなかった。そうしたものの同時進行の適応のどれが欠けても、哺乳は存在しえなかった。そして、母親が子に母乳を与えるようになると、今度は上下が完全に噛みあう歯を生体の顎で進化させることが可能になり、より効率的にエネルギーを収集できるようになり、増えたエネルギーはより大きな脳を養い、それが優れたハンティングにつながり....と、複雑な相互依存性のループは果てしなく続いていく。