goo blog サービス終了のお知らせ 

wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「現代思想 2021年10月号 特集=進化論の現在」

2022-03-19 13:57:30 | 書評(進化学とその周辺)

本号は「特集*進化論の現在」ということで、進化論の人文社会学における扱い、影響を知りたいと思って購入した。現代思想らしい、あきらかに一般読者向けではない堅い(固い)文章が続く。ユヴァル・ノア・ハラリの本を読むのとはわけが違う。そして、2段組み230ページというボリュームもあり、読むのに難儀したが、なんとか読了した。半分も理解できていないかもしれないが、様々な分野からの話題が提供されているので、少しは知見が広まったのではないだろうか。それから、主題・副題の「進化論の現在ーポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来」という未来的な方向性で書かれた文章はあまりなかった。どちらかというと、個々の学問分野の過去における議論について総括している文章がほとんどだった。また、進化論と人文学との交点でもある進化心理学に関する話題や、イデオロギーと疑似科学が結びついた旧ソ連のルイセンコ進化論に関する議論がなかったのも残念だ。

たくさんの小論文が集められているので、それぞれのタイトル、著者(専門分野)、私の一言まとめを記して備忘録としたい。

・「進化生物学の現在」長谷川真理子(行動生態学)ー進化をめぐる誤謬が3つ(種の保存、完璧、進歩)まとめられている。

・「体系学の舞台は変転し続ける」三中信宏(進化生物学)ー生物学の問題がコンピューター科学や数学・統計学の周辺科学と絡みあうようになるのは、分子データを扱うようになるよりも前、形態データが扱われていた時代のことであった。

・「考古学と進化論」中尾央(自然哲学)ー生物体が環境に働きかけ、環境を作り替えることによって選択圧そのものを変えてしまう、ニッチ構築理論というものがある。

・「「表情研究」の現在と課題」中嶋智史(実験心理学)ー表情の適応的意義は不明であったが、近年、複数の表情筋の組み合わせから表情の解析を行う手法(FACS)によって、様々な哺乳類、とくに霊長類における表情の表出についての系統的な研究が開始されつつある。

・「自然における意識の位置づけを問い直す」米田翼(哲学)ー19世紀後半、進化生物学と実験心理学が合流して「比較心理学」という研究プログラムが成立し、その創始者の一人ジョージ・ロマネスは、人間と動物の「心の連続性」について述べた最初の人物とされている。

・「21世紀のハーバート・スペンサー」藤田祐(近代イギリス思想史)ーダーウィンの「種の起源」(1859)を受けて、スペンサーは「適者生存」(1864)という言葉を提唱したので、スペンサー社会進化論が「社会ダーウィニズム」と呼ばれることが多いが、ダーウィンではなくラマルク進化理論であるという説もある。

・「進化論の被造物」伊藤剛史(イギリス史)ー近代イギリスには2つの動物観が現れた。一つは、ダーウィン的な人と動物の差は程度の差にすぎず、本質的なものではないというもの。もう一つは、人には動物を虐待から守るべき責務があるというもので、すでに19世紀には動物虐待防止法が制定されている。

・「社会的動物/家畜的人間」橋本一径(表象文化論)ー社会ダーウィニズムや社会生物学が、社会性の起源として動物たちの利他行動に着目したとき、ミツバチは再発見された。あらゆる動物に等しく権利を認めることを突き詰めれば、やがて昆虫の権利や、果ては植物の権利を認めるか否かといった議論ー巨大な困難ーに行き着くことは避けられない。

・「<自然な科学>としての進化論」吉川浩満(文筆家)ー自己啓発の源流にニューソートという宗教運動があり、その教義は「人間が心の中で強く思ったことは必ず現実化する」(ポジティヴ・シンキング)というものである。ニューソートでは、「進化」という語が多用されるが、その理由は進化論(ダーウィニズム)が目的論を自然主義的な枠組みで扱えるようにしたことと関係がありそうだ。

・「「肥満の流行」とメタファーとしての「進化」」碇陽子(文化人類学)ー肥満差別という差別概念がある。これに反対するのがファット・アクセプタンス運動である。肥満差別においては、適者生存の考え方が根底にある。

・「人はなぜ虫をきらうのか」足達太郎(応用昆虫学/熱帯作物保護学)ー虫は人間の役に立ってきたが、いっぽうで人間に深刻なわざわいももたらしてきた。畑の作物を食いつくしたり、病気を伝播したりし、しだいに「害虫」とよばれることになる。

・「進化論と日本人種論」徳田匡(歴史社会学)ー「系統樹」を発表したのは生物学だけではなかった。ダーウィンの「種の起源」(1859年)に先立つ1953年に比較言語学者のアウグスト・シュライヒャーが言語の系統樹を発表している。比較言語学の特徴の一つは、「言語」を人間から切り離して「自然」として考察する。

・「デヴィッド・グレーバーの人類学と進化論」片岡大右(社会思想史/フランス文学)ー人類学とは、単に人文・社会科学の一部門にとどまる学問ではない。理系の人類学ー自然人類学あるいは生物学的人類学ーは、ダーウィニズムの刷新と結びついて目覚ましい成果を上げてきた。そうした成果を背景に、進化生物学の側から文化および社会人類学に対いて投げかけられる学問的総合の呼びかけを前にして、ティム・インゴルドのような文系の人類学者は警戒心を示す。

・「バイオソーシャル・ビカミングス抄」奥野克巳(文化人類学)ー再度、インゴルドが登場する。男が狩りをする社会では、男は家族に与える肉を持って帰るために狩りをしようと考える一方で、獲物を獲ることは捕食者と獲物間の相互関係という生態学的な力学の影響を受ける。前者は社会人類学(社会関係)、後者は動物生態学(有機体)で理解されるかもしれないが、インゴルドはこのように二面で捉えるのではなく、ひとつの同じものだと主張する。

・「パンデミックの時代なのだろうか?」ディペッシュ・チャクラバルティー人間たちは常に自らの技術を改善しアップデートするが、それと同時に微生物は、しばしば人間自身によって作り出された何らかの状況で進化し宿主を変えていこうとする。終わりなき戦いである。

・「性・優生学・人類の未来」加藤秀一(社会学/性現象学)ー現代の進化生物学をかくあらしめるのに多大な貢献をした人々の中に、堂々と優生学の必要性を訴える人物がいる。「分子進化の中立説」をとなえた日本の遺伝学者・木村資生も、血縁淘汰説をとなえたW・D・ハミルトンもそうである。ハミルトンの主張は、現代は医療によって弱いものが淘汰されなくなったというものだが、進化を進歩と混同し、適応を向上と同一視しているようなところがある。何らかの遺伝子変異をもつがゆえに従来は短命だった個体が、医療の発展によって救命され、長じて子孫を残しうる確率が高まったなら、それはその個体あるいは遺伝子が新たな環境の変化に適応したというだけのことである。

・「クリスパー(CRISPR)哲学とラマルクの危険な思想」美馬達哉(医療社会学/神経科学)ー前出の藤田の主張にも近いことが書かれている。ダーウィニズムを事後的な自然淘汰のメカニズムを重視する思想で、ラマルキズムを事前のバイアスによる方向性を持った突然変異を強調する思想とみなす限りは、優生学を含む人類による意図的なデザインによる遺伝改造の試みはダーウィニズムではなくラマルキズムと親和的である。これまで、社会ダーウィニズムと呼ばれてきた思想は、かつて一度もダーウィニズムであったためしはなく、社会ラマルキズムであった。

・「神経生態社会性にむけて」ニコラス・ローズ、ラスムス・バーク、ニック・マニングーメンタルヘルスを、神経科学的な面からではなく、社会的な問題として考察している。権力と社会的排除、社会統制と抵抗、アイデンティティ、ジェンダー、人権化とスティグマ化、自己、主観性と主体化、規範、正常性と正常化、知識とその権威は、精神病と名づけられるようになったものを理解するための中心的な概念になった。


僕の読書ノート「ヒトの社会の起源は動物たちが知っている(エドワード・O・ウィルソン)」

2022-02-12 07:54:17 | 書評(進化学とその周辺)

エドワード・O・ウィルソンは、米国の著名な昆虫学者、社会生物学者、そしてバイオフィリアという用語を提唱したナチュラリストとして知られているが、つい先日の2021年12月26日に92歳で亡くなられた。日本では、小3国語の教科書に出てくる、ウィルソンの研究を紹介したエッセイ「ありの行列」でご存知の方もいらっしゃるかもしれない。ウィルソンはたくさん本を出しているが、古いものは絶版していて、中古も価格が跳ね上がっていて簡単には買えない。そんななかで出た新版で読める本だったので貴重だと思い購入したら、当人が亡くなられてしまった。新書版くらいの大きさで、実質155ページの短い本だが、ウィルソンが人生で探求してきた研究と思索の集大成のようなものかもしれない。

利他的行動の進化は、血縁選択説という学説で説明することが現在主流になっている。それに対して、ウィルソンは集団選択説が重要であるという非主流の主張をしているため、若干評判はよくないようである。吉川浩満氏が本書の最後に、そのあたりも含めてていねいな解説を書いているので参考になる。その集団選択説によってヒトのような社会がどうして作られたかを説明しているのが本書である。ウィルソンが本書で主張する内容は次のようなものだ。

著者は、社会が生物学的に組織される際、自然選択は常にマルチレベルでー個体レベル、集団レベルで同時にー行われてきたとしている(本書の後半のほうでは個体レベルでの選択を否定している)。そして、生物体も社会も利他的抑制によって成り立っている。ある細胞は一定の時間で死滅して他の細胞が生き続けられるようにプログラムされている(アポトーシス)。様々な種類の細胞のうち、一つだけが利己的に再生産することを選択すると、その細胞はところ構わず増殖して大量の娘細胞を生み出し、がん化する。

著者は、真社会性をとくに成功した社会として捉え、次のように説明している。「真社会性とは、集団を繁殖カーストと不妊カーストに組織化する性質で、発生する割合は進化系統のごくわずか、時期も地質年代的には比較的遅く、場所はほとんどが陸上だ。それでもこれらのわずかな例がアリ、シロアリ、ヒトの誕生につながり、陸生動物の世界で優勢になっている。」真社会性はまれであり、すべての動物のうちわずか十数の独立した系統から生まれている。哺乳類では、ハダカデバネズミとヒトだけである。ヒトが真社会性であることの論拠は、不妊カーストの存在である。祖母つまり更年期以後の女性、同性愛者、世界各地の組織宗教の修道院的な秩序、男が女の役割をする初期のプレーンズ・インディアンのなかで確立されているバーダッチというシステムの存在、などをそうした根拠としてあげている(こうした人たちが繁殖カーストの役に立っているのか、つまり集団内の個体数の増加に寄与しているのか疑問には感じるが)。

実験的に、単独性のハチ同士を無理やり一緒にすると、真社会性のハチと同じように行動する傾向があることが報告されている(自然にこういうことが起きうるのかどうかは不明だ)。これを前適応といって真社会性への移行の準備ができている状態だとしている。集団選択がそうした変化を支持すれば、バネ仕掛けで真社会性に一気に移行するのだという。

集団選択説では、集団内の一部のメンバーが自身の寿命や繁殖の成功、あるいはその両方を犠牲にすれば、集団が競合するほかの集団より優位に立てる場合、寿命を縮めたり、自信の繁殖の成功度を減らしたり、あるいはその両方を行う可能性があるというものだ。すると、変異と選択によって利他主義の遺伝子が集団内に広がる。利他主義が広がった結果、メンバー間の近縁度は高まるが、その逆はないとしている。

ウィルソンは利他性が現れる理由を説明する主流の説である血縁選択説を否定する。1964年、イギリスの遺伝学者ウィリアム・D・ハミルトンが真社会性の発生の鍵を握るのではないかと、血縁選択を示した。血縁選択の公式は「BRーC>0」で示される。ここで、B(集団内のほかの個体に対するメリット)にR(近縁度)を掛けた数値がC(自分の損害)を上回る場合、利他主義が進化することの閾値を示したものであり、ハミルトンの一般法則(HRG)とよばれる。これに対して、2013年のウィルソンらによる論文では、BやCは予測できないことなど、HRGは論理的に成り立たないと主張している(たしかにHRGが自然界で観察されたという研究結果を聞いたことはない)。

真社会性の定義のポイントは集団内の分業である。ヒトにおける分業のきっかけとして、火の使用を挙げている。すでに集団内に支配ヒエラルキーへと自己組織化する素因があり、オスとメス、若者と高齢者とのさも存在し、集団内で指導力と野営地にとどまる傾向にもばらつきがあり、火の使用がきっかけとなって、バネ仕掛けで複雑な分業が生じたとしている。

チンパンジーは世間で思われているほど凶暴ではないという主張もあるが(「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」フランス・ドゥ・ヴァール)。一方、ウィルソンによると、チンパンジーのコニュニティーは不気味なほど人間そっくりで、戦争によって縄張りを拡大しようとしているという。集団で敵の縄張りを定期的にパトロールし、劣勢の敵のオスを見つけると情け容赦なくかみ殺すのだという(例えば中国の現状などを考えると、個体レベルというよりは集団レベルでの内側を向いた利他性のように見えなくもない)。

以上のようなウィルソンの主張であるが、利他性の進化がどのように起きたのかは、集団選択説や血縁選択説以外にも様々な説がある(「なぜ心はこんなに脆いのか 不安や抑うつの進化心理学」ランドルフ・M・ネシー」)。現時点では、一つの理論に決めつけるのは早計なのではと感じた。


僕の読書ノート「なぜ心はこんなに脆いのか 不安や抑うつの進化心理学(ランドルフ・M・ネシー)」

2021-12-31 19:02:01 | 書評(進化学とその周辺)

まず最初に、本書の副題に「進化心理学」という言葉が入っているが、原題が「Good reasons for bad feelings: Insights from the frontier of evolutionary psychiatry」であるので、「進化精神医学」とするほうが正しい。著者のランドルフ・M・ネシーは精神医学者であるが、進化医学の開拓者的な立場にいる人でもある。

なぜ精神疾患は存在するのか?なぜこれほど多くの人が精神疾患を患うのか?なぜ不安やうつ病、依存症や拒食症、自閉症や統合失調症、双極性障害を引き起こす遺伝子は、自然選択によって消え去らなかったのか?そうした問いを考えることで、精神疾患のより深い理解と、より効果の高い治療の実現につながる。それを示すことが、本書の目的であるとしている。

エピローグの最後のほうで書かれている結論を、先に引用しておく。『私は、進化や行動について学ぶことが即時的な恩恵をもたらすかどうかについては断言できないと考えていた。だが実際に多くの症状について、私の提供する治療は大きな変化を遂げた。パニック障害が闘争・逃走反応システムの誤報であること、そして誤報が起きる仕組みは煙探知機の原理によって説明できることを臨床医が理解していれば、パニック障害の治療は大きく改善される。飢餓に対する防御メカニズムは、正のフィードバック・スパイラルを起こしやすいこと、そして過酷なダイエットによってそのようなシステムが起動してしまうことを知っていれば、摂食障害の治療を改善できる。人間に備わる学習メカニズムと、大昔には想像もつかなかったような新たな物質とその入手経路が組み合わさることで依存症が生まれるという認識によって、依存症の治療を改善できる。そして、私が教えた精神科の研修医たちは口を揃えて、うつ病の患者に「どうしてもうまくいかないけど諦められない、重要な目標がありますか?」という質問をしてみることが非常に重要だと感じる、と言っている。』

468ページある本書の内容は盛沢山であった。いろいろと勉強になったので、興味深かったポイントを章ごとに記録しておきたい。

1.新たな問い

・愚かな行為によって自分の存在をこの世から消し、その遺伝子を自ら抹消した人に贈られる「ダーウィン賞」という賞がある(調べたら、実在するとてもブラック・ユーモアな賞である)。その一方で、恐れが強く、家を出ることもままならない人もいる。そういう人は早死にすることはないが、多くの子どもをもつこともない。不安の程度が中ぐらいの人は、より多くの子どもを残す。その結果、中程度の不安をもつ人の占める割合が一番多くなる。

・ネシーは進化生物学者ジョージ・ウィリアムズと議論を重ね、1994年(日本版は2001年)に共著で「病気はなぜ、あるのかー進化医学による新しい理解」という本を出している。これが、進化医学という新しい分野の発展の契機となった。今では、ほとんどの主要な大学で進化医学の講義が行われるようになっているという(これは米国のことであって、日本はどうなのだろうか?)。

2.精神疾患は病気なのか

・精神医学の診断体系として、米国で作られたDSM(Diagnositc and Statistical Manual of Mental Disorders)(精神疾患の診断・統計マニュアル)があり、世界中で使用されている。これは定期的に改訂されてきているが、改訂のたびに論争が起きた。現在は、2013年に改訂されたDSM-5が使われている。296人からなる米国精神医学会の特別委員会が、ときに激しい論争も交えながら、10年の歳月ををかけて作成した。この版では、パーソナリティ障害群がほかの疾患と同じカテゴリーに移され、「物質依存」と「物質乱用」が「物質使用障害」として一つにまとめられるなどいくつかのカテゴリーが統合され、「広場恐怖症」が「パニック障害」から独立して記載されるなどの変更により、それ以前の版よりも一貫性が高く、有用な版となった。一方で、カテゴリーを「軽度」から「重度」までのスケールに置き換えるという提案が却下されたことや、遺伝子、血液検査、スキャンといった方法による検査ができるまでに至ってないことなど、まだ不満が持たれている。

3.なぜ私たちの心はこれほど脆いのか

・精神疾患を含めた病気全般について、私たちが脆弱である6つの進化的理由を挙げている。①ミスマッチー私たちの体は現代的な環境に対応する準備ができていない。②感染症ー細菌やウイルスが私たちよりも速い速度で進化している。③制約ー自然選択には限界がある。④トレードオフー体のあらゆる機能には利点と難点がある。⑤繁殖ー自然選択は繁殖を最大化するものであり、健康を最大化するものではない。⑥防御反応ー痛みや不安などの反応は脅威を前にした状況では有用だ。

・上記の⑥防御反応について。人間の苦しみを生み出す防御反応のほとんどは、そのときだけに限ってみれば不必要だが、それでも完全に正常な反応である。これは、煙探知機が誤って作動して警報を鳴らすのと似ているので、「煙探知機の原理」とよんでいる。不必要な嘔吐や痛みがたまに起きるのも、食中毒や組織損傷から身を守る防御反応が確実に起きてくれることを考えれば、決して無駄ではない。

・病気を適応としてみることは、進化医学の分野で見られる深刻な誤謬だ。病気は、自然選択によって形づくられた適応ではないからだ。一部の病気に関連づけられる遺伝子や形質は、それぞれが利点と難点をもたらし、自然選択に影響を与える。だが、統合失調症や依存症、自閉症、双極性障害といった病気そのものに有益な点があるのではという考えは間違っている。「なぜ自然選択は、私たちを病気に対して脆弱にするような形質を残したか?」という問題設定が正しい。

4.辛い気持ちの妥当な理由

・目標を追求する過程で、いくつかの特定の状況に遭遇すると、それぞれ異なる適応上の課題を突き付け、さまざまな情動を形づくる。機会という状況は熱狂を引き起こす。成功という状況は喜びを引き起こす。脅威という状況は不安を引き起こす。喪失という状況は悲しみを引き起こす。

5.不安と煙探知機

・さまざまな不安障害はそれぞれ危険な状況と関連性がある。動物による危害の可能性→小動物恐怖症、転落による怪我→高所恐怖症、捕食者や人間による攻撃→パニック発作・広場恐怖症、社会的地位の喪失→社会不安障害、病気→心気症、社会的拒絶→魅力の欠如への恐怖、怪我・失血→針への恐怖・失神する恐怖。

・著者は患者に、パニックの症状は命を脅かすような危険から逃げる際には有用であり、パニック発作はトーストが焦げたときの煙探知機のアラームの誤報なのだと説明するようになった。これを聞くと患者のおよそ4分の1は、こう言うようになった。「先生、ありがとうございます。そういうことだったんですね。これで納得がいきました。もし、また助けが必要になったら電話します」

・著者は臨床医としての駆け出しのころ、不安障害の患者に対して、彼らが病気になってしまったことへの同情を示そうとしていた。そのせいで、自分は弱くて問題を抱えた存在なのだと多くの患者に感じさせてしまっていた。だが、不安は役に立つ反応であること、ただし行きすぎてしまうケースがよくあるのだと説明するようになると、多くの人は自分がおかしいわけではないと感じられ、勇気づけられたと話してくれるようになった。

6.落ち込んだ気分と、諦める力

・ロンドンの精神分析医だったジョン・ボウルビィは、落ち込んだ気分がもつ機能を進化的に考えた最初の研究者の一人だ。動物行動学者コンラート・ローレンツと生物学者ロバート・ハインドとの対話にヒントを得て、母親から引き離された赤ん坊の行動に、進化的な視点から注目した。母親と引き離される時間が長くなると、最初は抵抗して泣き、次に黙ってうずくまり、体を揺らすようになる様子は、絶望した大人そっくりだった。赤ん坊の泣き声は母親が戻ってきて赤ん坊を抱きあげる動機になる。泣いている時間が長くなるとエネルギーの無駄使いになり、かつ捕食者を引き寄せてしまうので、ひっそり静かにしているほうが有益である。これらの発見は愛着理論として発展した。

・心理学者のエリック・クリンガーの1975年の論文で、気分は状況の良し悪しによって変化するということを示している。人は、人生に関わるような目標に向けて前進しているとき、いい気分を味わう。だが、目標達成を阻害するような障害が現れると、不満感が生じ、しばしば怒りや攻撃性として表出する。そして、目標に向けての全身がままならない状態になると、やる気がそがれ、一時的に社会的引きこもり状態になる。達成不可能な目標を完全に諦めた後には、落ち込んだ気分は消え、代わりに喪失によって引き起こされる一時的な悲しみがやってくる。そしてその後は、達成し得る別の目標を追求すべく、新たに動き始めるのだ。しかし人生には、例えば職探しやパートナー探し、命に関わる病気の治療法など、諦められない目標もある。そのような場合には、人は達成できない目標の追求から抜け出せなくなり、本格的なうつ病へと発展してしまう。

7.妥当な理由のない辛い気持ち:気分調節器が壊れるとき

・数千もの遺伝子の差異が、身長や糖尿病の発病の有無、血圧、うつ病などに影響を与えているが、それぞれの遺伝子による影響はごくわずかだ。その一つ一つを異常と呼ぶのは理に適わない。

8.個人をどう理解すべきか

9.罪悪感と悲嘆ー善良さと愛情の代償

・クリニックで診察にあたっていると、人間の本性に関する考え方が患者の人生や悩みに影響していることがはっきりとわかる。患者のパーソナリティーを短時間で把握するために、著者は一つの質問をしている。それは、「人間の本性とはどのようなものだと思いますか?」という問いだ。この人の治療はおそらく成功するだろう、と一番思わせてくれる解答は、「ほとんどの人は、ときには良いこともするし悪いこともします。状況による部分は。とても多いと思います」というものだ。より頻繁に耳にする答えからは、人類全体を含めたほとんどすべてのことを良いか悪いかで断罪しようとする、人間の強い傾向がみてとれる。「ほとんどの人は、良い人間だと思います。皆、できるだけ正しいことをしようとしているわけですから」と答える患者は、神経症傾向があることが多く、治療における関係性は良好なものになることが多い。一方で、「大体の人は自分のことしか考えていません。でも、そんなものですよね」というような答えを返す人は、親しい人間関係で問題を抱えていることが多い。

・社会的行動・協力的行動が、血縁選択(ウィリアム・ハミルトン、ジョン・メイナード=スミス)、相互利益、便宜の交換(ロバート・トリヴァース)という概念で説明できるようになったことは、私たちの時代におけるもっとも偉大な科学的達成の一つだ。しかし、それでも説明しきれない部分は残る。選択の作用によって強力能力が形成される仕組みとして、このほかに少なくともあと二つの可能性、コミットメントと社会選択がある。

・社会選択は、倫理的行動をとる傾向であり、私たちの遺伝子に息づいている。ほとんどの人は、親や兄弟姉妹、配偶者との関係を通して、心からの思いやりというものを体験する。そしてそれは友達や、ときには犬や猫との関係にも強く存在することがある。私たちがペットを大切に感じるのは、ペットもまた私たちのことを大切に思ってくれるからだ。そしてそれは、社会選択を通した何千年にもわたる家畜化の結果だ。

・私たち人間も、ほかの人間が下す選択によって家畜化されている。私たちは正直で信頼できて、親切で気前が良く、そしてできれば裕福で力をもった人をパートナーや友達に選ぶ。このプロセスによって、「利他的な遺伝子のランダムでない集まり(スチュアート・ウェスト)」が発生する。私たちはそうしたプロセスから恩恵を受けるだ、同時に社会不安や、人にどう思われているのだろうという絶え間ない心配は、深い人間関係を実現するために必要な代償なのだ。

10.汝自身を知れ―否、知るな!

・動物行動学会に行って、研究者たちと議論していたら、当然のように「無意識」を確信しているような話が多く出てきた。「無意識」を研究する精神分析は、現代の精神医学からは排除されているが、著者はそれ以来、「無意識」や「抑圧」が現実にあるように考えるようになった。ある研究では、精神疾患に至る二つの主な経路が明らかにされた。一つ目の経路は内面化、つまり抑制、不安、自己非難、神経症、抑うつだ。そして二つ目の経路は外面化、つまりほとんど抑制することなく自己の利益を追求するという、社会的対立や依存症につながりやすい方法だ。そして私たちの多くは、この二つのグループのあいだをうろうろしている。

・この二つの戦略は、短寿命型と長寿命型の生活史戦略、およびその精神疾患との関連性の可能性と関係している。幼年期に厳しい環境にされされると、長期的利益の価値を低く捉えるようになり、長期的な関係性を犠牲にしてでも目の前の機会をつかもうとする行動が引き起こされることが示されている。このことが、幼少期の困難な経験と境界性パーソナリティ障害との関連性を説明する助けになるかもしれない。

11.不快なセックスが、遺伝子にとって都合がいい理由

・自然選択によって、私たちの脳と体は繁殖を最大化するように形づくられている。そして、そのために、人間の幸福という甚大な犠牲が払われているのだ。だから、性的な問題やフラストレーションは、どこにでも当たり前にあるものだ。

・「妻がセックスしたがらなくてどうしていいかわからないんです。別れたくはないけど、セックスのない人生も嫌なんです」という患者に対して、先輩医師は次のような簡潔な助言を与えた。「それなら、選択肢は四つあります。セックス・セラビーに通うか、離婚するか、浮気するか、あるいは結婚生活を続けてマスターベーションするか。その中から選べばいいだけです」。こんなそっけない助言をするなんて、あまりにぞんざいな対応のように当時の著者には思えた。だが実際のところ、この助言は多くの人が体験する難問に見事に答えている。

12.食欲と、その他の原始的な欲望

13.いい気分と、その有害な理由

・人間にとって精神活性作用をもつほとんどの化学物質は、昆虫の神経システムを妨害するために進化を遂げた。人間の脳内の化学物質が今とは違う種類のものだったら、私たちはこれほどまでに依存症に脆弱ではなかっただろう。だが、私たちと昆虫は5億年ほど前に共通の祖先から分岐したのだ。私たちの神経物質は、今も昆虫のそれとほとんど変わらないままだ。幸い、ほとんどの植物性神経毒は、人間を死に至らしめることはない。だがドラックは、私たちの動機付け構造をハイジャックし、人生のコントロールを奪ってしまう。

14.適応度の崖っぷちに引っかかる心

・統合失調症と自閉症と双極性障害は、それぞれまったく異なる病気だ。しかし、共通点も存在する。まず、どの病気も、有病率はそれぞれ世界人口の約1%であり、軽症型はそれぞれ全人口の2~5%だ。これらの病気が遺伝的要因による影響を受けることは、強力なエビデンスによって支持されている。発症リスクのうち遺伝的変異による影響が占める割合は、双極性障害が70%、統合失調症が80%、自閉症が50%だ。

・2000年代に入るころには、これらの病気を引き起こす対立遺伝子が近々発見されるに違いないという期待が高まった。しかし特定の遺伝子は見つからなかった。もう少しマクロな視点で遺伝子マーカーに注目し、精神疾患を持つ人たちのほうが、特定の遺伝子座における遺伝子変異を持つことが多いのかどうかを検証したが、結局そのような遺伝的変異は存在しないということがわかった。その理由として考えられる一つの可能性は、関連する遺伝的変異があまりにもまれなものであるため、たとえそれが大きな影響力をもっていたとしても見つけることができない、というものだ。そして、遺伝的要素による影響の大部分は、小さな影響力をもつ多数の対立遺伝子による非常に複雑な相互作用によって生み出されていることが示されている。

・ゲノム刷り込みは、遺伝子が母親由来か父親由来かに応じて遺伝子のスイッチを選択にオフにすることができる。この仕組みによって、母親由来の遺伝子は、胎児をほんの少し小さいまま保つことで、お産をより安全なものにして優位性を得る。一方で父親由来の遺伝子は、胎児が大きく成長させることで優位性を得る。進化生物学者のバーナード・クレスピらは、父親由来の対立遺伝子の発現比率が大きくなると自閉症のリスクが上がり、母親由来の対立遺伝子の発現比率が大きくなると統合失調症のリスクが上がるというエビデンスを集めた。体の大きな赤ん坊は父親由来の遺伝子の発現が強くて自閉症に可能性が高くなり、小さい赤ん坊は統合失調症への脆弱性が高くなると予測されるが、500万人のデンマーク人の医療記録の調査によって予測が裏付けられている。

・最近確立された新たな手法によって、統合失調症への脆弱性に影響を与える遺伝的変異の多くが初めて現れた時期は、人間がチンパンジーと分岐した後、つまり約500万年前以降に現れたと考えられることがわかった。

・著者は「崖型の適応度関数」というモデルを提唱している。これによると、ある形質の適応度が最大となる点が崖の淵にあたる場合、個体の繁殖の成功が最大化される点よりも少し高いところに形質の平均値がくるように自然選択が働く。平均値の形質をもつ個体のうち数パーセントは、崖の外側にはみ出し、高い病気リスクをもつことになる。この考え方は一般には認識すらされていない。しかしこのモデルは、特定の精神疾患を引き起こす特定の遺伝的原因が見つからない理由を説明できる可能性があると考えている。問題は欠陥のある遺伝子によって引き起こされるのではない。代わりに、ペーパーロック現象(ブレーキを使いすぎるとブレーキが効きにくくなる現象)に見られるような内因的なトレードオフが、崖型の適応度地形を形づくった結果として、リスクが生じるということになる。

エピローグ.進化精神医学―島ではなく、橋となる

・そして最後に、本書と同じ、なんで人間はこんなに苦しいのかという問題に取り組んだあのシッダールタが登場する。シッダールタは、人生の痛みと悲しみを目の当たりにし、その原因と解決方法を求める探求を始めた。そして彼の出した結論は、すべての苦悩は欲望から発する、というものだった。この答えは正しいように思える。もしシッダールタが現代に生きていたら、彼はおそらく、なぜ自然選択は欲望とその追及によって引き起こされる苦しみや喜びの情動を形づくったのだろう、という問いに取り組んでいたのではないだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今年一年ありがとうございました。よいお年をお迎えください。


僕の読書ノート「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか(フランス・ドゥ・ヴァール)」

2021-11-13 08:04:57 | 書評(進化学とその周辺)

著者のフランス・ドゥ・ヴァールは、世界的な霊長類学者、進化認知学者である。日本の霊長類学者たちともつながりがある。著書も多いが、この「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」は動物の認知、「共感の時代へ」は動物の共感、「ママ、最後の抱擁――わたしたちに動物の情動がわかるのか」は動物の情動、とそれぞれテーマが分かれているようだ。

動物に心や意識などない、あるのは本能と学習による機械的な反応のみだと考えていた心理学に対抗して、動物にはそれぞれの環世界(ウンヴェルト、種ごとに異なる見たり感じている世界)や高い認知(思考)能力があるのだとする動物行動学の考え方が次第に正しいことがわかってきた。そうした著者を含めた世界の動物認知の研究の流れを解説した本である。章ごとに見ていこう。

[プロローグ]

・我々が動物に接する中で体験するような逸話も大切である。日常的な逸話からは認知能力がどのような目的に適うのかがわかり、実験から得た証拠によって他の説明が排除できる。著者はその両方に同じように価値があると考えている。

・動物は出会いの挨拶に加えて別れの挨拶もするのだろうか。つまり、先のこと、未来のことを考えているのか。チンバンジーを観察していると、ちゃんと短い別れの挨拶をするので、先を考えているように思われる。しかし以前は、動物は現在に囚われているとされていて、そうした将来について考える能力があることは懐疑的に思われていた。

[第1章 魔法の泉]

・人間と動物の類似性を指摘することが、「擬人観」だと言ってそしられることがある。しかし、擬人観が問題になるのは、私たちから遠く離れた種を対象とするなど、人間と動物との比較の範囲を広げ過ぎたときだけだ。たとえば、キッシング・グラミーという魚は、成魚どうしが争いを解決するために、突き出た口をしっかり合わせることがあるが、この習性を「キッシング(口づけ)」と呼べば誤解を招く。一方、類人猿は離れ離れになっていたあと、互に唇をそっとあてがって挨拶をするので、人間のキスと非常に似た状況でキスしていることになる。

・比較心理学という分野があるが、ここでは伝統的に動物を人間のただの代役と見なしてきた。人間を単純化したのがサル、サルを単純化したのがラット・・・という具合だ。連合学習によってあらゆる種の行動が説明できると考えられていた。この分野の創始者の一人であるB・F・スキナーは、どんな種類の動物を研究するかは関係ないと感じていた。これに対して、動物行動学者のローレンツは、比較心理学は比較とは無縁だとジョークを飛ばしていた。つまり動物個々の比較をするのでなく、「ヒトの行動の非ヒトモデル」として動物たちをいっしょくたにしているだけだと。

[第2章 二派物語]

・著者は、動物行動学こそ自分が進みたい分野だとはっきりしていたが、その前にその競争相手の学問分野である比較心理学、それを支配した行動主義の心理学教授の研究室で助手として働いた。

・逸話は、研究の出発点としては重要だが、けっして終着点ではない。逸話の集積はデータにはあらずである。

・動物に文化があるという最初の証拠は、芋を洗う日本の幸島のニホンザルから得られた。1952年、日本の霊長類学の父である今西錦司は、初めて次のように主張した。もし個体が互いの習慣を学び合い、その結果、さまざまな集団の間で行動の多様性が生まれるのなら、動物には文化があると言って差し支えない、と。この考え方は、当時はあまりに革新的だったので、西洋の科学界がそれに追い着くのに40年かかり、今ではかなり広く受け容れられている。

・今日の進化認知学は、比較心理学と動物行動学という二つの学派の良いとこ取りをした、両者の混合物になっている。比較心理学が開発した制御された実験の方法論と、動物行動学の豊かな進化的枠組みと観察技術を採用している。それに加えて、少なくともフィールドでの研究では、さらに第三の学派である日本の霊長類学が影響を及ぼしている。個々の動物に名前をつけ、何世代にもわたって彼らの社会的経歴を追跡することで、集団生活の核心にある血縁関係や交友関係が理解できる。第二次世界大戦直後に今西が始めたこの手法は、イルカからゾウや霊長類まで、長寿の哺乳動物の研究では標準的になった。今西は研究対象にしている種に共感するよう、私たちを強く促した。同じように、今の私たちなら、彼らのウンヴェルトに入ろうと努力するようにと言うだろう。

[第3章 認知の波紋]

・オマキザルは、人間や類人猿より遠縁の新世界ザルと分類されているが、石を使った木の実割りをする。4000年前の、チンパンジーの打撃石器遺跡も発掘されている。これらの動物たちは、私たちが経験してきた石器時代に暮らしていることになる。

・落とし穴付き筒課題という実験がある。この課題は意外と難しくて、人間の子供も4歳以上にならないと確実には解決できない。5頭のチンパンジーでこのテストをすると、2頭が解決できた。彼らは行動と道具と結果のつながりを頭の中で思い描いていたのだ。これは「表象による心的戦略」として知られており、行動する前に解決することが可能になる。類人猿は、他の霊長類とは一線を画すような認知能力を持っていると考えられる。

[第4章 私に話しかけて]

・近年は、鳥類も高い認知能力を持つことがわかってきている。アイリーン・ペパーバーグが30年にわたって飼育・研究したヨウムのアレックスが、鳥類の知能を調べるその後のあらゆる研究のために道を切り開いた。鳥類は哺乳類の大脳皮質に類すると思えるものをほとんど持たないので、学習は苦手で、思考など問題外だと以前は見なされていた。

・アレックスもそうだし、一部の鳥類は人間の言葉を話せる。しかし著者は、人間だけが言語を操る種だと思っている。人間という種以外に、私たちのものほど豊かで多機能の、記号によるコミュニケーションが存在するという証拠は皆無である。他の種も、情動や意図のような内的なプロセスを伝えたり、非言語的なシグナルで行動や計画を連携させたりすることが十分できるが、彼らのコミュニケーションは記号化されていないし、言語のように際限ない柔軟性を持っているわけでもない。

・人間の明瞭な発話と、鳥が鳴くときの微妙な運動制御の両方に影響を与える遺伝子としてFoxP2が知られている。鳴き鳥と人間は発声の学習にもっぱら関連した遺伝子を少なくとも50個共有している。言語の進化についての研究には、動物との比較は避けて通れない。

・私たちの情動や認知的プロセスについて、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)で脳をスキャンする研究が行われている。動物は動いてしまうためこの方法が使えなかったが、うまくしつけた犬を用いてできるようになった。人間でも犬でも、類似した認知的プロセスが類似した脳領域を稼働させることがわかってきているなど、神経科学的な研究法が進みつつある。

[第5章 あらゆるものの尺度]

・京都大学霊長類研究所にいるチンパンジーのアユムは、コンピューターのタッチスクリーンに映された1から9までの数字を思い出し、消えた数字とその場所を当てる作業で、人間以上の記憶力を示した。ある種の認知能力についていえば、チンパンジーは人間を超えている面もあるということになる。

・他者の心的表象や行動を理解するための認知的枠組みを示す「心の理論」という概念がある。この概念は霊長類の研究に由来する。それにもかかわらず、いつのまにか定義し直され、少なくともしばらくは、類人猿には無縁に見えた。しかし、心の理論は人間ならではのものであるという包括的な主張は、もっと含みのある段階主義的な見方に降格されなくてはならない。おそらく人間は互いの理解の程度が高いだろうが、他の動物との違いはそれほど明確ではない。

・人間の共感能力は決定的に重要な能力であり、それが社会全体を束ね、愛する人や大切な人と私たちを結びつけている。著者は、他者が何を知っているかを知ること(心の理論)よりも、共感能力のほうが生存にはあるかに重要な土台だと考えている。認知科学は共感を見下す傾向にある。しかし、経済学の父であるアダム・スミスによって、「想像力を働かせて、苦しんでいる者の立場になること」と定義された共感的な視点取得は、人間以外の種でも広く知られている。

[第6章 社会的技能]

・ヒヒやマカクの群れでは、メスの序列はそのメスの出身家族次第でほぼ完全に決まる(最近のサイエンス誌に、ブチハイエナの母親の社会的地位が子どもに継承されるという論文が出ていたが、そのような世襲の現象は霊長類では以前から知られていたのだ)。メスは友人や血縁者の緊密なネットワークのせいで、母系の序列にまつわる規則からけっして逃れられず、高位のメスの娘は高位になり、低位のメスの娘は低位に収まる。

・動物の協力はおもに血縁関係に基づくと、あたかも哺乳類が社会的昆虫であるかのように説明される。だがこの説は、フィールドワーカーたちが野生のチンパンジーの糞から抽出したDNAを分析したところ、誤りであることが立証された。分析結果から遺伝的関係を判定した結果、森の中で行われる助け合いの大部分は血縁関係のない類人猿間で生じていると結論された。飼育下での研究では、見知らぬ霊長類どうしでさえも、食べ物を分け合ったり恩恵を施し合ったりするように誘導できる。エドワード・O・ウィルソンは1975年の著書「社会生物学」で、協力行動の進化に関する優れた理論を概括し、人間の行動に対する進化的な取り組みが始まるのを助けた。しかしそのような取り組みは冷めてしまったようだ。

・チンパンジーは凶暴で好戦的である、「悪魔のよう」でさえあるという現在の悪評は、そのほぼすべてが野生の世界における近隣の群れの成員に対する振る舞いに基づいている。チンパンジーたちはときおり、縄張りを巡って残忍な攻撃を仕掛けることがあるが、命にかかわるほどの激しい闘いになることはきわめて稀である。

・チンパンジーは不公平に対して抗議するが、それは相棒よりも少ない報酬しかもらえないときだけではなく、多くもらったときにもする。これは明らかに人間の公平感に近いように思われる。

[第7章 時がたてばわかる]

・記憶のためにも未来志向のためにも脳の海馬が欠かせないことが、ずっと以前から知られている。海馬は脳の他の主要な領域と同様、人間特有のものではない。ラットにも同様の構造があり、迷路課題をこなしたら後のラットの脳波から調べたところ、海馬はラットの過去の経験の固定の他に、まだ通っていない迷路の道筋の探求にも携わっているらしいことあわかってきた。人間も将来を思い描いている間にやはり海馬の活動が見られる。かつては人間だけが心的時間旅行をすると考えられていたが、人間と動物の違いは程度の問題であって、質の問題ではないというダーウィンの主張した連続性という立場に私たちはますます近づいている。

・性的暴行で告発されたフランスのある政治家は「欲情したチンバンジーのように振る舞った」と言われたが、著者はチンパンジーに対する侮辱だと主張する。人間が衝動のままに行動するとすぐさま、私たちは躍起になってその人を動物になぞらえる。しかし、チンパンジーは性的欲望に身を委ねるのではなく、欲望を慎んだり、情動制御ができる。もし誰もが好き勝手に振る舞ったとしたら、どんな階層制度も破綻してしまう。社会的序列は魚やカエルからヒヒやニワトリに至るまで、さまざまな種に存在し、自制は動物社会に古くから見られる特徴である。

[第8章 鏡と瓶を巡って]

・自分自身の利益のために他者の真似をするのではなく、他の誰もと同じように行動したいと望むのを体制順応主義といい、人間の分化の基盤であるが、チンパンジーも体制順応主義者であることがわかってきた。子供が親の真似をするのにも体制順応主義が見られるが、性差があり、オマキザルでは娘には見られるが息子には見られなかった。チンパンジーでは、母親は娘のお手本の役割を果たすが、息子にとっては必ずしもお手本になるとはかぎらない(娘が父ではなく母の影響を受けやすいのは人間でも同じだ)。

・親切な行為は伝染するだろうか?喧嘩好きなアカゲザルと、温和なベニガオザルという2種類のマカクの幼い子どもをいっしょに5か月間生活させた。共同生活のあと、アカゲザルは寛大なベニガオザルと同程度まで、仲良くする技能を発達させた。ベニガオザルから引き離されてからでさえ、アカゲザルは喧嘩のあと、典型的なアカゲザルの4倍近く頻繫に仲直り行動を示した。気質が改善されて生まれ変わったアカゲザルは、体制順応主義だといえる。

[第9章 進化認知学]

・情動は、認知と同等に注目されてしかるべきテーマだ。そこには神経科学が大きく関与することも求められる。いずれ本書のような読み物には、神経科学の情報が大量に盛り込まれ、観察された行動が脳のどのメカニズムによるものかが説明されることだろう。

・私たちの課題は、もっと動物の身になって考えることであり、それによって各動物に特有の状況や目的に気づき、動物の立場から彼らを観察して理解することだ。私たちは自らの研究に生態学的な妥当性を求め、他の種を理解する手段として人間の共感能力を奨励したユクスキュル、ローレンツ、今西の助言に従っている。真の共感は、自己に焦点を合わせたものではなく他者志向だ。


僕の読書ノート「カモノハシの博物誌(浅原正和)」

2021-09-11 07:50:53 | 書評(進化学とその周辺)

本書は現役の若手研究者による執筆である。著者の人柄を反映してか、とてもまじめな書きぶりで、単孔類カモノハシの生理・生態・進化・ヒトとの関わりの歴史がなんでもわかる本になっている。少し物足りなく感じたので、何が足りないのか考えてみたら、遺伝子について触れられていないことに気がついた。カモノハシの独特な性染色体について触れられている程度である。書名が「博物誌」だから仕方ないか。ともかく、単孔類の進化を中心に私なりにピックアップしたポイントを下記に書き出してみた。

・カモノハシの母乳の特徴として、とくに鉄分が多く含まれていることが挙げられていた。これは、別の単孔類であるハリモグラや有袋類にも見られる特徴であり、胎児のうちにお母さんから胎盤を通して供給された鉄分を十分に蓄える前に、未熟な状態で生まれてきて、そのあと大きく成長するためだという。

・カモノハシの繁殖に成功した動物園は、オーストラリアにしかなく、ヒールズビルサンクチュアリは数少ないそのうちの一つである。ここで1944年、動物学者デビッド・フレイの指揮の下、世界で初めて繁殖に成功した。次に成功するのには、1999年、そして2001年までかかった。生きたカモノハシは戦前と戦後に米国に渡ったことがある。戦後に日本に送る計画もあったが、立ち消えになっている。現在では、神経質なカモノハシの海外移送は難しいということで、行われていない。

・陸上脊椎動物である四足動物の進化の過程をおさらいできる。両生類と卵が乾燥に強い有羊膜類に分かれた。有羊膜類は、顎に穴が2つある双弓類と顎に穴が1つある単弓類に分かれた。双弓類は、爬虫類、恐竜、鳥類に分かれた。単弓類は、盤竜類、獣弓類、哺乳類に分かれた。

・単弓類の進化の過程で、異形歯性(歯がいくつかの種類に分かれていること)、子育て、体温調節のための汗腺や体毛など、哺乳類の特徴である形質が少しずつ獲得されてきた。

・カモノハシやハリモグラを含む単孔類は原始的な哺乳類であるが、単孔類よりもさらに原始的な哺乳類のなかまを含めた大きなグループを哺乳形類とよぶ。最古の哺乳形類アデロバシレウスは2億2500万年前に生息、その後1000万年ほどで、モルガヌコドン、メガゾストロドン、シノコドン、カストロカウダが出現している。2億1000万年前~1億6000万年前にオーストラロフェニダが生息し、単孔類につながる系統となった。この時代は、超大陸パンゲアの分裂が起きたときで、オーストラロフェニダや単孔類は南方のゴンドワナ大陸で誕生、有胎盤類や有袋類は北方のローラシア大陸で誕生した。

・授乳の起源はいちおう単孔類にあるとされているが、その前のことはよく分かっていなかった。しかし、乳腺の元となった汗腺は獣弓類の段階で獲得されていた可能性がある。単孔類には、口に母乳を吸い込むための構造があるという説が提示されているが、2019年には、化石に残された舌骨の形態から、単孔類以前の哺乳形類の段階から液体(ミルクを含む)を飲むのに適したのどの構造があったことが明らかになっている。授乳の起源を考える上で興味深い知見である。

・子育ての戦略は大きく2つに分かれる。たくさん子どもを産む一方で、子ども1人1人にはあまり資源を配分しない戦略「r戦略」と、子どもを少数だけ産み、その1人1人に多くの資源を配分する戦略「K戦略」である。カモノハシは一度に産む卵は多くの場合2つなので、K戦略的である。魚類などは何百何千という卵を産むものもいてr戦略的である。哺乳形類に近いキノドン類、トリティロドンのなかまは、母親が一度に産んだと思われる幼体が38個体もあったという。このように、哺乳類になりかけの段階では、今の哺乳類ほどのK戦略はとっていなかったと考えられる。

・哺乳類の胎生は、単孔類と有袋類のあいだのどこで進化したのかは、いまだに謎である。中生代に栄えた哺乳類の多臼歯類は、胎生であったとする説もあり、そうだとすると単孔類が分かれてからすぐに胎生が進化したことになる。

・哺乳形類と哺乳類とを区別するのに、下顎と中耳の骨の関係が使われる。哺乳形類では、下顎に中耳骨(関節骨)が完全に付着した状態である。哺乳類では、メッケル軟骨で接続しながらも中耳骨の成分が下顎から分かれた状態である。哺乳類はこうして中耳が複雑化し、聴覚が発達していった。

・研究者として生きていくことのたいへんさが書かれている。研究者の仕事はなんでもやらなければならなくて多忙を極め、ポスト競争が激烈であり、過労死の危険を常に背負っている。著者自身も危なかったことがあるし、身近で命を失った人の話を聞くこともある。この本は、こういった環境の中で死んでも残せるものを、と思って書いている側面もあるという。

・生物の多様性を研究することは、天地創造の秘密を解き明かす学問、「自然神学」として奨励されるようになった。つまり、キリスト教の神学と近いところで初期の生物学が発展した。生物の分類体系を完成させたリンネも、そのような背景から研究を進めた。