goo blog サービス終了のお知らせ 

wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」(篠田謙一)」

2023-04-22 08:24:33 | 書評(進化学とその周辺)

スバンテ・ペーボ博士が、「絶滅したヒト科動物のゲノムと人類の進化に関する発見」でノーベル生理学・医学賞を受賞したのが、2022年10月だった。本書はまさにこの分野ーゲノム解析による進化人類学ーの現在の知見をまとめた本であり、こうした学術的なかたい内容の本としては、ずいぶんと売れたようである。帯には「ノーベル賞で話題!」と書かれていて、ペーボ博士の業績はどうすごいのか、いかに革新的だったのかといったことの解説が書かれているものだと思っていた。しかし、そうした内容は「はじめに」において少しだけ触れられているものの、詳しい説明はまったくなかった。本書の初版が出たのが2022年2月だったから、間に合わなかったということもあるのだろうが、期待がはずれてしまった。また、この分野の研究が急速に発展してきた最大の立役者は、研究技術の革新があったことだと思われる。どういった技術が使われてこの研究が行われているのかについて、しっかりした解説が欲しかったが、これも簡単な記述だけで済まされていて肩透かしを食らってしまった。だから、売れているというわりには、期待外れの感があったことは否めない。

しかしながら、様々な異論が多くて仮説の段階を脱していない説ばかりだが、現時点での研究状況や成果が網羅的にまとめられているという点で、多くの情報が得られるというメリットはあった。その中で、私が興味を持ったところを挙げてみた。

 

【はじめに】

・ここ数年、古代DNA研究が活況を呈している。その背景には、次世代シークエンサの実用化が大いに関係している。次世代シークエンサの技術を使うと、サンプルに含まれるすべてのDNAを高速で解読することができる。2006年に次世代シークエンサが実用化し、2010年にネアンデルタール人の持つすべてのDNAの解読に初めて成功するなど、古代DNA解析にもとづいた人類集団の成り立ちに関する研究が非常に活発になり、現在では世界各地の一流科学誌に毎週のように論文が掲載されている。

【第一章 人類の登場】

・ネアンデルタール人の脳容積の平均は1450ミリリットルで、中にはホモ・サピエンス(平均1490ミリリットル)を凌ぐものもいたことがわかっている。ただし、ネアンデルタール人の脳で発達するのは主として視覚に関わる後頭葉の部分である。一方、ホモ・サピエンスで発達するのは、思考や創造性を担うと考えられている前頭葉で、このことは、同じような容積を持ちながらも、私たちとネアンデルタール人とでは、社会生活や認知が異なっていたであろうということを示唆している。

【第二章 私たちの「隠れた祖先」ーネアンデルタール人とデニソワ人】

・古代試料にはごくわずかなDNAしか残されておらず、しかもそれは非常に短い断片となっている。PCR法を使って、それらの試料を増幅して分析を行うのだが、この際に問題になるのが外在性DNAの混入、いわゆるコンタミネーションである。これは古代試料のDNA分析が始まった1980年代から、研究者を悩まし続けている問題だ。現代人のDNAの混入は、発掘調査の現場から実験室の分析に至るまで、あらゆる過程で起こる危険性がある。実験室での手順については、世界の主要なラボでコンタミネーションの危険性をほぼ払拭できるようになっている。発掘時、あるいは人骨試料の保管時にこの問題が残っていたが、近年では、のちのDNA分析を前提とした発掘が行われるようになっており、発掘の時点からコンタミネーションを起こさないように慎重な措置が取られるようになってきた。

・人骨からではなく、洞窟堆積物からも古代ゲノムを検出することができるようになった。核ゲノムでは、得られたデータが同一個体からなのか、あるいは複数の個体に由来するのかなどを判定しなければならず、人骨から得られたデータよりも解析が困難になる。それでも今後この方法は、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスの解析に応用されて、化石の空白地域での集団の変遷についても、新たな知見をつけ加えていくことが期待される。

・ホモ・サピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人は60万年ほど前に共通の祖先から分岐したが、その後の交雑によって、互いのDNAを交換することがあった。一般に生物進化では、隔離によって集団の分裂が起こり、その状態が長く続くことで種分化して、異なる種が成立する。けれども、数十万年の人類進化の歴史を概観すると、分化とともに交雑がホモ・サピエンスを形成するために重要であった。

【第三章 「人類揺籃の地」アフリカー初期サピエンス集団の形成と拡散】

・現在では、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したということはほぼ定説となっている。もっとも古いホモ・サピエンスの化石が、アフリカの30万年ほど前の地層で発見されているからだ。しかしながら、ネアンデルタール人やデニソワ人の共通祖先から分岐したのが60万年ほど前なのにもかかわらず、誕生からかなり長期間にわたってホモ・サピエンスの祖先と考えられる化石がないことや、数十万年前にネアンデルタール人とのあいだで交雑があったことなどを考えると、ホモ・サピエンスの最初の祖先はアフリカではなくユーラシア大陸にいて、30万年前以降にアフリカ大陸に移動したグループがのちに世界に広がることになるアフリカのホモ・サピエンスとなり、ユーラシアに残ったグループは絶滅したというシナリオも考えられる。

【第四章 ヨーロッパへの進出ー「ユーラシア基層集団」の東西分岐】

・西アジアで農耕が始まるのは1万1000年前とされている。彼らはヨーロッパに農耕とゲノムをもたらすことになるが、もともと中東の農耕民は単一の集団ではなかった。

・それまでの狩猟採集民の生活から、およそ4900~4500年前に、ハンガリー、ウクライナ、アルタイ山脈に広がる地域で、ヤムナヤと呼ばれる牧畜を主体とする集団の文化が生まれた。彼らは瞬く間に広範な地域への拡散を成し遂げ、ヨーロッパの農耕社会の遺伝的な構成を大きく変えることになった。たとえば彼らの流入後、ドイツの農民の遺伝子の4分の3がヤムナヤ由来の遺伝子に置き換わったことがわかっている。現代のヨーロッパの言語は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれるグループに分類される。ヤムナヤ集団がインド・ヨーロッパ語の祖語を話していたとする可能性も出てきている。

・次世代シークエンサを使った古人骨の分析では、その人骨の持つすべてのDNAを解析することになる。したがって、その人物が持っていたヒト由来のDNAだけではなく、細菌やウイルスのDNAもデータとして取得できる。このため、過去の疾病を特定することも可能になる。3回、世界的大流行が発生したぺストもその例となっている。

【第五章 アジア集団の成立ー極東への「グレート・ジャーニー」】

・長らく人類未踏の地であったミクロネシア、メラネシア、ポリネシアに進出したのがオーストロネシア語を話す人びとである。この言語は、台湾から東南アジアの島嶼部、ニュージーランドやハワイ、イースター島などの太平洋の島々、そしてアフリカ大陸東岸に位置するマダガスカルまでの地球上のおよそ半分を占める広大な地域で話されている。その中で、台湾の先住民の使うオーストラロネシア語がもっとも古く、台湾内部の先住民の各グループ間での違いが大きいことから、言語学の研究からは台湾が源郷であり、さらにその祖先は、中国南部の海岸地域に居住していた集団であると考えられている。これを「アウトオブ台湾モデル」と呼ぶ。

【第六章 日本列島集団の起源ー本土・琉球列島・北海道】

・日本人の成り立ちについては、「二重構造モデル」と呼ばれる学説が定説として受け入れられている。二重構造モデルでは、旧石器時代に東南アジアなどから北上した集団が日本列島に進入して基層集団を形成し、彼らが列島全域で均一な形質も持つ縄文人となったと仮定している。一方、列島に入ることなく大陸を北上した集団は、やがて寒冷地適応を受けて形質を変化させ、北東アジアの新石器人となったと考えられている。弥生時代の開始期になると、この集団の中から朝鮮半島を経由して、北部九州に稲作をもたらす集団が現れたとされ、それが渡来系弥生人と呼ばれる人びとになる。つまり、縄文人と渡来系弥生人の姿形の違いは、集団の由来が異なることに起因すると説明している。

【第七章 「新大陸」アメリカへー人類最後の旅】(内容略)

【終章 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのかー古代ゲノム研究の意義】

・人類集団間(いわゆる人種や民族)よりも、同じ集団の二人の間のほうが遺伝的な変異(SNP)が大きい。ホモ・サピエンスのゲノムは99.9パーセントまで共通である。研究者は残り0.1パーセントの違いに注目して、個人ごとあるいは集団ごとの違いを明らかにしていく。細かい違いを問題にしていくというのは、科学の方法としてはオーソドックスなものなので、研究の方向として間違っているわけではない。この0.1パーセントの中に、人びとのあいだに見られる姿形や能力の違いの原因となっている変異があることも事実である。ただし、大部分は交配集団の中に生まれるランダムな変化で、基本的に能力などの違いを表すものではない。(私は著者とは違って、この0.1パーセントの遺伝子の違いによって生み出される何が私たちを苦しめているのかを解明することは重要だと考える)


僕の読書ノート「哺乳類前史: 起源と進化をめぐる語られざる物語(エルサ・パンチローリ)」

2023-03-11 07:39:53 | 書評(進化学とその周辺)

 

著者のエルサ・パンチローリ氏はイギリスの若手古生物学者である。名前にパンチがきいているので、はじめ男性だと思っていたが、本を読んでいくと途中で女性であることがわかる。現在、オックスフォード大学のリサーチフェローなので、いわゆるポスドクということで、本来ならどんどん研究成果=論文を出すことに集中して、パーマネントの職を得ることを目指す時期だと思われるが、こんな大著の本をよく書けたものだと驚いた。5カ月の執筆休暇を取ったという。さらに、次の本もすでに出版したという(日本語訳は未刊)。イギリスというところは、リチャード・ドーキンスのような科学啓蒙家が高く評価される国だから、パンチローリ氏のようなキャリアの築き方が許容されるのかもしれない。

さて、本書の内容に入る。時代を切り拓いてきた過去の古生物学者の発見ストーリーや、自らの研究のための発掘旅行の話が多い。しかし、本題はこれまでの常識的な哺乳類進化史観に異をとなえることである。哺乳類は、恐竜がいた中生代には目立たないようにひそやかに暮らし、恐竜が絶滅したのちの新生代になってようやく勢力を拡大したと考えられてきた。しかし、パンチローリ氏によれば、哺乳類の前身は、早くも古生代に誕生して一時代を築き、中生代にも適応拡散して一定の進化的成功をおさめていたことを示している。つまり、哺乳類の歴史はかなり古く、進化的実験を繰り返してきたのである。では、章ごとに、ポイントをピックアップしていきたい。

 

【序章】

・絶滅生物の科学(ここでは古生物学を中心として)は劇的な変容を示している。ビッグデータを解析する統計的手法と、化石のCTスキャンの普及により、まったく新しい研究分野が拓かれた。古生物学の多様性のバランスは、まだかなり白人と西洋に偏っているが、常識を覆す画期的発見の中心地は、ヨーロッパや北米から、中国、アフリカ、南米に移りつつある。こうした国々では、標本を外国の博物館に持ち去る旧弊が改められ、現地研究者たちが自国の遺産として化石を研究している。

【第1章 霧とラグーンの島】

【第2章 カモノハシは原始的じゃない】

・単孔類には、ほかの哺乳類の分類群で起こったような変化を経ていない、初期の哺乳類そのままの特徴が備わっている。それでも、かれらは「高度に派生的な」グループであり、系統樹の根元にいる共通祖先から遠く離れている。例えば、カモノハシの名前の由来である「カモのくちばし」に似た吻は、完全にかれら独自の食料探知デバイスであり、哺乳類の歴史全体を通じて、ほかには一度も進化したことがない形質だ。

・カモノハシの吻には、4万個以上の機械受容器と電気受容器が分布している。一方、ハリモグラの吻にも電気受容器と機械受容器があるが、カモノハシと違って、鋭い聴覚と嗅覚も使って食料を探す。

【第3章 頭にあいた穴ひとつ】

・古生代の石炭紀に、魚類が陸上に上がって四肢形類となる。四肢形類のプロトタイプは、無羊膜類と呼ばれ、水に頼って繁殖する。いまも両生類として生き残っている。そこから分かれた、有羊膜類は、水への依存から脱し、完全な陸上生活に踏み出した。約3億年前、有羊膜類は、単弓類(頭にある穴が一つ)と竜弓類(多くは頭にある穴が二つの双弓類)という2大系統に分かれた。単弓類は哺乳類に加え、さまざまな絶滅動物たちが含まれる。一方、竜弓類は、爬虫類と、爬虫類の一種である恐竜の子孫である鳥を含む。

【第4章 最初の哺乳類時代】

・古生代のペルム紀には、単弓類が拡散して盤竜類が出現した。骨盤トカゲを意味するが、爬虫類ではない。背中に帆柱が並ぶディメトロドンがよく知られている。

・植物食は陸生動物のなかで複数回独立に進化したが、植物食に特化した適応としてもっとも古いもののひとつを石炭紀後期からペルム紀前期にかけての単弓類(盤竜類)に見出すことができる。植物食者は微生物の協力が必要である。共生細菌をどのように獲得したかは不明であるが、初期四肢動物が腐敗した植物質、あるいは植物食の昆虫を食べたときに取り込まれたのではないかと考えられている。やがて植物分解細菌の一部が消化管の中で生存し、宿主との共生関係が発達した。

【第5章 血気盛んなハンターたち】

・ペルム紀に、盤竜類の中から獣弓類が出現した。かれらは、温血性、代謝の高いライフスタイル、もしかしたら体毛、犬歯・切歯(前歯)・奥歯の形状が異なる異歯性、といった哺乳類と結びつける主要形質の数々を獲得した。また、盤竜類の中でもディメトロドンの仲間から、獣弓類が生じたらしい。

・獣弓類は、ペルム紀最大のイノベーターであり、狩りや消化、闘争や木登りや穴掘りといった適応を進化させた。その獣弓類の中ではかなり地味な、ゴルゴノプス類や、それに似た雑食性・植物食性のグループであるテロケファルス類に近縁の種類がわたしたちの系統を生み出した。ペルム紀の最終盤に現れた、大部分はかなり小型でぱっとしない種類がキノドン類であり、現生哺乳類の祖先である。

【第6章 大災害】

・ペルム紀末に、シベリアで大規模な洪水のような噴火が起きた。噴出した溶岩の量は、仮に中国の上に重ねると300メートルの厚みに達するという。これによる大気ガスと気候の変動により、史上最大の大量絶滅が起き、海生生物の81%、陸生生物の75%が消し去られた。獣弓類も深刻なダメージを受けた。

・中生代の三畳紀に入ると、多様な爬虫類が、ニッチ空間の再獲得をめぐる競争で獣弓類に勝利した。

【第7章 乳歯】

・キノドン類はペルム紀後期に出現し、大量絶滅をくぐり抜けた。イヌに似た比較的小型の動物だったかれらは、頭骨の側頭窓が広がり、頬骨の幅と奥行きが増した。頭頂には骨でできたモヒカンヘアのような矢状稜が形成された。こうした特徴は、顎の筋肉の大きさと配置の変化を反映していて、かれらの嚙む動作がますます正確になったことを裏づけている。

・三畳紀の哺乳類の系統はとても小さかった。現代の動物学研究では、ふつう体重5キログラム未満の動物が「小型」と定義され、これはキツネより小さい。三畳紀後期、哺乳類の系統はこの閾値をはるかに下回るサイズに縮小し、体重が数百グラムを超える種は存在しなかった。

・哺乳類は、高い代謝と体温を獲得した。これらの特徴のおかげで、かれらは三畳紀後期に小型化を実現しただけでなく、夜行性にもなった。夜の冷え込みは、体内に熱生成システムをもつ動物にとっては問題ではなかった。わたしたちの眼には、2種類の主要な光受容細胞がある。ひとつめの錐体は、光への感受性はより低いが、解像度が高く、日中の視覚に適している。もうひとつの桿体は、より光への感受性が高いものの、代わりに解像度では劣る。こちらは光量の少ない状況でより役に立つ。現生哺乳類は、視細胞の大半が桿体であり、錐体は比較的少ない。歩かの脊椎動物は4種類の錐体をもつのに対して、哺乳類には2種類しかなく、色盲である。このことは、哺乳類の夜行性の過去を裏づける証拠だ。霊長類は、すぐれた色覚を再獲得した数少ない哺乳類である。

・哺乳類の耳にはほかの四肢動物にはない骨がある。中耳の槌骨とキヌタ骨である。これらはアブミ骨と強調してはたらき、音を増幅し、可聴周波数の幅を広げる役割を果たしている。化石記録から、これらの骨はもともと下顎の一部だったことが判明している。ひとつは関節骨で、かつてキノドン類の祖先の顎関節の一部を構成し、哺乳類の進化の歴史のなかで、これらの骨は縮小し、やがて中耳の内部に統合された。

・現在の哺乳類約5500種のうち、90%は小型種で、齧歯類がその大半を占める。現生哺乳類の体重の中央値は1キログラムに満たない。小さくこそこそするのは、進化的に見れば降格などではなく、生き抜くための冴えたやり方だ。

【第8章 デジタルな骨】

・頭骨のてっぺんの頭頂孔という小さな穴は光量を感知する機能をもち、四肢動物の共通祖先から受け継がれ、ほとんどの爬虫類と両生類には存在し、単弓類でも長く維持されてきた。しかし、哺乳類系統で頭頂孔は消失した。これは、胚発生中のある遺伝子のはたらきと関係がある。Msx2と呼ばれる遺伝子であるが、その遺伝子に変異を持つマウスの頭骨には、祖先において頭頂孔があったのとまったく同じ位置に孔ができる。さらに、毛包の維持に支障をきたし、乳腺の発達も阻害される。頭頂孔、毛包、乳腺という3つの形質が、ひとつの遺伝子と結びついている。ここから、三畳紀中期にキノドン類のMsx2遺伝子に生じた変異が、哺乳類を定義するこれらの特徴の発達に関与した可能性が浮かび上がる。

【第9章 中国初の大発見】

・クレードとは、ひとつの共通祖先をもつ生物のグループをさす。哺乳綱というクレードには、有胎盤類有袋類単孔類と、約1億6000万年前に存在した共通祖先よりあとに現れた、絶滅したこれらの親戚すべてが含まれる。かれらは「真の」哺乳類だ。ドコドン類などの最初期の哺乳類は、哺乳綱の共通祖先よりも前の時代に系統樹から分岐した側枝であり、より大きな多様性を内包するカテゴリーである哺乳形類に属する。

・モグラ的な特徴(指の骨数や指の本数の減少など)は、比較的最近になって生じた特殊化だと考えられてきた。私たちはモグラを、哺乳類のその他の高度な特殊化(樹上生活、水中生活、滑空、動力飛行など)と同様に、「哺乳類の時代」(新生代)以降の発明とみなしてきた。そこに、ジュラ紀のモグラ、ドコソフォルが発見された。小さなショベル型の手では、指骨が3つから2つに減っていた。このことは、高度に特殊化したモグラ的適応が中生代にあったことや、胚発生の過程ではたらく遺伝的変異の時代を越えた存在を示唆するものであった。

・中生代哺乳類の研究者は生態を重視するようになった。化石からこのテーマを探求するおもな方法のひとつに、生体形態学(エコモーフォロジー)がある。習性がどのように身体的特徴をつくりあげるか、あるいは形態と機能の関係を調べるやり方だ。その分析手法は大きく様変わりした。かつては、測定と比較に多大な労力を費やしたが、いまではプログラミングと自動化により、こうしたプロセスに統計的な厳密さをもたらすようになった。

・キノドン類は、下顎そのものの振動を通じて音を感じ、アブミ骨を介して蝸牛にシグナルを送っていた。それを下顎中耳(MMEC)という。現生哺乳類の耳(DMME)では、この下顎の骨が耳の中に収まったのだが、その過程には謎がある。初期の単孔類であるステロポドンは、DMMEを持っていなかったが、子孫である現生の単孔類はDMMEをもっている。また、初期の獣類(単孔類以外の哺乳類)もDMMEをもっていなかったが、多丘歯類と呼ばれる、獣類の近縁の齧歯類に似た動物たちは、獣類よりも前に哺乳類の系統樹から分岐したにもかかわらず、DMMEを備えていた。後獣類(有袋類)と真獣類(有胎盤類)はもちろんDMMEをもつが、その共通祖先はDMMEをもたなかった。これについては、DMMEが独立に複数回進化したと主張されている。つまり、単孔類を含む系統、獣類の共通祖先、多丘歯類がそれぞれ独自にDMMEを進化させたという仮説は理にかなっている。

【第10章 反乱の時代】

・歯の生え変わりは、四肢動物で起きる。例えば、ベルトコンベア式の生え変わりパターンでは、口の奥から新しい歯が萌出し、古い歯が前から抜け落ちて、新しい山脈が絶え間なく供給される。このようなパターンは、現生哺乳類のいくつかのグループでも進化した。例えばゾウは、巨大な臼歯を顎の後方から新たに送り出し、古い臼歯と入れ替える。ゾウの長い生涯のうちに生え変わりは最大で6回起こり、存命中に6代目の歯がダメになると、かれらはふつう餓死してしまう(歯の寿命が命の寿命を規定している)。海牛類、すなわちジュゴンやマナティーも同じしくみを採用している。しかし、海牛類は臼歯の供給回数に上限はないらしく、一度にひとつずつ、歯列が完全に揃うまで送り出される。一部のカンガルーも同様だ。これらは、植物食による著しい摩耗への対処として、動物たちが改変してきたことだ。

・白亜紀に、後獣類と真獣類が現れた。アジアで発見された樹上性の真獣類エオマイアは、「暁の母」という意味で、ハムスターのようでモフモフ毛玉を持っていた。これは、現生哺乳類の系統が約1億2500万年前のアジアで繁栄していた証拠である。現代の哺乳類の物語は、ほとんどの人が教わってきた6600万年前よりも、はるかに昔から始まっていた。

【第11章 故郷への旅】

・白亜紀の最後に大量絶滅(K-Pg大量絶滅事象)が起き、恐竜がいなくなった後、いち早く台頭したのは真獣類の哺乳類だった。こうして「哺乳類時代」の第二幕が始まった。この時代、新生代の古第三紀は6600万年前に始まった。

・著者らは、中生代の哺乳類を3つの異なるグループに分けてそれぞれの多様性を比較した。初期に多様化した哺乳形類(モルガヌコドン類やドコドン類など)、最初期の「真の」哺乳類(多丘歯類やゴビコノドン類など)、そして獣類、つまり現代の哺乳類だ。その結果、哺乳形類と初期哺乳類の系統は、中生代の大半にわたって獣類よりも多様性が高かった。一方、獣類はK-Pg大量絶滅のあとまでは、控えめであった。この結果から、私たちの祖先である獣類を抑え込んでいたのは恐竜よりも、むしろ広義の哺乳類の兄弟姉妹だった可能性が示唆された。白亜紀末に起こった、競合する別の哺乳類系統の絶滅は、恐竜たちの退場と少なくとも同じくらい、現代の哺乳類の台頭を後押しする重要な要因だった。

・K-Pg大量絶滅の後の、新生代、古第三紀初期に有胎盤類が、ほぼすべての大陸でいくつもの系統へと急速に多様化した。最初のアフリカ獣類(ゾウ、ツチブタ、キンモグラを含む系統)がアフリカに現れる一方、北半球ではローランド獣類が新天地に足を踏み入れ、コウモリ(翼手目)の祖先や鯨偶蹄目の祖先が出現した。さらに、有胎盤類の第3の主要系統である、真主齧上目が形成された。これは齧歯目を含むグループである。(分子系統学では、こうした分類法とは少し違いがあり、またこれらの系統の分岐はK-Pg大量絶滅の前に起きたと考えているようだ)

・今日において大量絶滅が起きている。その原因は言うまでもない。そして、今回の大量絶滅を生き残る哺乳類は、前回の生存者とよく似ているだろう。小型で、巣穴に暮らす、夜行性のジェネラリストだ。この生活様式は、過去2億1000万年にわたって実践されてきた。危機対応は手慣れている。わたしたちは不確かな時代を生きているが、化石記録から何かひとつ、大きな安心材料が得られるとしたら、生命はいつだっとどうにか生き延びるということだ。これまでずっとそうしてきたように、単弓類が進化のレースを走りつづけることは、自信をもって断言できる。ただし、バトンを握るのはわたしたちヒトではなさそうだ...というのが著者の最後の主張である。

【訳者あとがき】

・本書の訳者の的場知之氏は、この分野の専門家ではないかもしれないが、よく勉強されていて、本書刊行後に報告された新発見について紹介している。2022年7月にネイチャーに掲載された、哺乳類の内温性の獲得時期を新たな手法で推定した論文が出た。内温化し体温が高い状態になると、内耳の半規管を満たす内リンパの粘性が低下するため、半規管の構造もそれに応じた変化を強いられるはずだという仮説に基づき、56種類の単弓類の内耳構造を分析した。その結果、内温性を示唆する半規管の構造変化は、三畳紀後期の哺乳形類の時代に急速に生じたことがわかった。一方、本書では、ペルム紀末から三畳紀前期にかけて、内温性を発達させる試行錯誤のような段階があったとしており、さて、どちらが正しいのか、どちらも正しいのか決着がついたわけではないが、哺乳類のルーツをめぐっては、このような斬新な視点からの驚くべき発見が今後も飛び込んでくるだろうとしている。

 

Beasts Before Us, with Dr Elsa Panciroli


僕の読書ノート「進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語(千葉聡)」

2023-01-21 08:09:10 | 書評(進化学とその周辺)

巻貝の進化を研究する東北大学教授の千葉聡博士と研究仲間をめぐる物語である。著者の千葉氏は、前著の「歌うカタツムリ」で毎日出版文化賞・自然科学部門を受賞しているだけあって、生物系の名文筆家である。巻貝というあまり目立たない生物を対象にした研究は、注目されることも少ないが、それでも進化生物学の謎の解明に斬りこんでいくためのよい材料になりうるということを示してくれている。巻貝の進化の研究者への取材レポートやエピソードなどがいくつか紹介されるが、彼らはみな著者の弟子であったことが、後のほうの章で次第にほのめかされていく。だから、千葉ファミリーという研究者グループの生態学という読み方もできる。また、著者は、古生物学(地学)からスタートして、のちに生態学者(生物学)となった変わり種であることも明かしている。

進化学はアカデミアの研究者だけで成り立っているわけではないという。「元々本書では、魅力的な研究成果を挙げながらも、偶然あるいは本人が望まなかったため、プロとしての活躍の場をアカデミア以外の世界に移した人々のストーリーも等しく取り上げるはずであった。だがいくつかの困難な問題があり、それは果たせなかった。強調しておきたいのは、科学への貢献こそが重要なのであって、その世界に籍があるか否かは些末な話ということだ。・・・プロとして科学や産業や社会に直接貢献することも素晴らしいが、プロにならずとも、良きファンとして科学を支えることはそれ以上に素晴らしいことだと思う」われわれのような、在野の進化学ファンにとってはうれしい言葉だ。

進化を考える上で、「種」とは何かは難しい問いであり、たくさんんの定義がある。しかし、有性生殖をする多細胞生物で、最も多くの場面で種の定義として採用されているのは、生物学的種と呼ばれる定義ー互いに交配できる個体からなる集団で、かつ他の集団に属する個体とは交配できない集団ーである。染色体の数や形、構造などが違っている個体間では、交尾しても正常な受精が行われにくいうえ、胚発生が上手くいかないのが普通であるので、別種と考える。ところが、巻貝のカワニナ類の染色体は7対から20対と様々で、種で異なるだけでなく、同種の同じ集団の中で、染色体の形が個体ごとに違っている場合があるし、染色体数が異なる集団が交雑して、雑種ができたりしているという。生物学の常識に反する奇妙な現象であるが、その理由は解明されていないようだ。

日本の進化学の歴史についてふれられている。「1980年代は、進化ー突然変異、自然選択、遺伝的浮動を中心原理とする総合説を扱う講義は、大学ですら稀だった。当時、私の知る生物学の教授は、進化なんてホラ話、まともな研究者は相手にしない、と断言していた。なぜ日本の進化学は、こんな扱いを受けるほど崩壊していたのか。原因は主に三つ。科学への政治介入、海外動向への無関心、そして権威主義だ。」として、旧ソ連のルイセンコ説という共産主義と結びついた疑似科学が日本でも席巻していたこと、今西進化論という世界では通用しない日本独自の進化論が一世を風靡していたこと、ポストモダン思想と生物学の合体から生まれた特異な進化説が総合説を否定する論陣を張っていたことを挙げている。一方で、木村資生博士の中立説や、伊藤嘉昭博士や若手たちの研究など世界標準とつながる研究も生まれており、魑魅魍魎が跋扈する無法地帯の様相を呈していた。このあたりの記述は、80年代に生物学科の大学生だった私自身、当時体験していたことが含まれていて共感をおぼえた。

進化の新たな知見が見出されつつあるー①同じ環境の下では、同じ系統の種は、同じ性質と同じ群集を進化させる。②遺伝的、形態的にいったん分化した集団が出会って交配したり、異なる種が環境変化の後に雑種を作ったりした。つまり、系統の分化と融合の繰り返しによって適応拡散をおこしていた。(2022年のノーベル生理学・医学賞を受賞したペーボ博士が発見した、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交配がまさにこれに相当するのだろう)③種分化しつつある集団に見えるものが、寄生虫の感染の有無を示すものである場合もある。


僕の読書ノート「ソロモンの指輪 動物行動学入門(コンラート・ローレンツ)」

2022-09-24 07:44:42 | 書評(進化学とその周辺)

 

約40年前の学生時代に読んだ本をひさしぶりに読み返そうと思って、実家の本棚でホコリをかぶったままだったのを持ち出してきた。1983年2月28日の改訂第24刷である。当時も生物学関係者の間では有名な本であったが、今や文庫化もされ、10代に薦める名著として、一般向けの動物啓蒙書の古典となった。書かれたのは、1949年のことである。

古代イスラエルのソロモン王は特別な指輪をつけると動物と話ができるという伝説が伝わっているが、自分は指輪などしなくても、動物と話ができるよ、というところから書名が来ている。著者のコンラート・ローレンツは、フリッシュ、ティンバーゲンとともに、動物行動学分野の研究成果によって1973年のノーベル医学生理学賞を受賞している。本書にも、ローレンツの研究成果の片鱗が出てくる。刷りこみという学習の一様式、オス同士の戦いの儀式化という生得的(本能的)な性質、人間の言語とは違って気分をダイレクトに表す音声によるコミュニケーションなど、動物たち(脊椎動物)の認知と行動のかたちの一端を明らかにしている。そうした学問的発見が、動物たちとの愛情あふれる遊びのようなふれあいにおける観察の中から得られた様子が描かれているのが本書である。

場所は、ドナウ河畔のアルテンベルクにあるローレンツの家であり、そこで様々な動物たちが飼われている。半ば野生的な、半ば人工的な、独特なスタンスで動物たちとつき合って、彼らを観察している。通常、おりの金網は動物が外に逃げないような役目を持つものだが、ローレンツの家の金網は動物、とくに鳥たちが家の中や庭に入ってくるのを防ぐためのものである。野生で暮らす動物たちがここをなじみの場所だと思っているのだ。

オス同士の闘いは儀式化されていて死ぬまで戦わないようになっていること、宝石魚類は夫婦で子育てをするだけでなく夫婦が個人的に結びついていること、ガチョウなどのヒナが「刷りこみ」によりローレンツを親だと認識すると、やりなおしがきかないため後が大変だという苦労話、(高い認知機能を持つ)コクマルガラスの行動の話はどうしても擬人的に聞こえるかもしれないが、逆に動物的な遺産が人間の中に残っていることが示されているだけであること、コクマルガラスやイヌのような社会生活をする高等な動物たちでは生理的気分を伝達する発信器官と受信器官が人間よりはるかによく発達し、音声や身体の動きなどで無意識に気分表現のやり取りをしていること、その音声を理解して真似することでローレンツは鳥にメッセージを伝えられること、オオカミ系とジャッカル系のイヌの性格の違い(現在では全てのイヌの祖先はオオカミであることがわかっている)、イヌの忠誠さほど自分にあたたかい安らぎを与えてくれものはないこと(本書にネコは出てこない)、などなど話題はもりだくさんだ。

アヒルと先祖のマガモは、鳴き声が共通しているという。アヒルでも、人間が腰をかがめてでも、ゲッゲッゲッ....といいながらゆっくり歩きだすと、子ガモはあとをついてくるという。近縁種のカルガモの成鳥なら、近所の池にいるので、鳴き声をまねしたらどんな反応をするか今度試してみようか。そんな、実験心をかきたてる本である。

草食動物のウサギは、仲間同士で(加減がわからないかのように)殺し合う。一方、肉食動物のオオカミは、仲間同士で(本気を出したら殺し合いになることがわかっているかのように)傷つけあわないような社会的抑制がはたらいている。ローレンツは本書の最後をこう結んでいる。「いつかきっと相手の陣営を瞬時にして壊滅しうるような日がやってくる。全人類が二つの陣営に分かれてしまう日も、やってくるかもしれない。そのときわれわれはどう行動するだろうか。ウサギのようにか、それともオオカミのようにか?人類の運命はこの問いへの答えによって決定される」


僕の読書ノート「進化と人間行動 第2版(長谷川寿一、長谷川真理子、大槻久)」

2022-07-09 07:09:48 | 書評(進化学とその周辺)

 

進化心理学、あるいは人間行動進化学の教科書的な本が読みたいと思って探したところ、本書の第1版に行き着いたのだけれど、出版が2000年とやや古い。そうこうしているうちに、改訂されて第2版が出るという情報を得たので、待っていたら2022年4月についに出たのが本書である。待ったかいのあった、良い本であった。とくに「第9章 血縁に寄らない協力行動の進化」の内容は、非常に勉強になったし、血縁のない他者との協力行動がここまで科学的に説明ができるようになったのかという感慨を持つことができた。本書の章立てと、注目した内容をまとめておきたい。

第1章 人間の本性の探求

第2章 古典的な進化学

第3章 現代の分子進化学

第4章 「種の保存」の誤り

第5章 霊長類の進化

第6章 人間の進化

第7種 ヒトの生活史戦略

第8章 血縁淘汰と家族

第9章 血縁によらない協力行動の進化

第10章 雄と雌:性淘汰の理論

第11章 ヒトにおける性淘汰

第12章 ヒトの心の進化へのアプローチ

第13章 ヒトにおける文化の重要性

[まえがき]この20年間の人間行動進化学の大きな進展が三つ挙げられている。①進化的基盤を持つ人間の本性と文化的影響の交絡が、様々な研究によって解明されるようになった。20年前に協調されていたヒューマン・ユニヴァーサルズ(人間行動の普遍性)や通文化性に対して、文化的ゆらぎが大きいことが再認識されるようになった。②協力行動や利他行動の進化に関する研究が理論・実証の両面で大きく進展した。数理生物学や実験社会科学との交流により、特に間接互恵性に関する研究が進んだ。③隣接領域である進化人類学と認知神経科学(脳科学)の発展により、人間行動の進化基盤と神経基盤の解明が進んだ。前者としては、アルディピテクス・ラミダスの詳細な解析、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人・デニソワ人との交配の事実などがあり、後者としては、行動と認知の神経基盤について、他の動物との共通性と相違点について多くの事実が明らかになったことがある。

[第1章 人間の本性の探求]エドワード・ウィルソンは、1975年の著書「社会生物学」において、心理学、社会学、文化人類学、法学、倫理学などの人文・社会系の学問は、社会生物学という名のもとに、遺伝子レベルの淘汰の理論で統一されるだろうと予言した。さすがにそれは誤りであったが、1990年代以降くらいから、伝統的な心理学、社会学、文化人類学、言語学、法学、経済学、美学、倫理学、哲学などの分野から、人間性の進化的基盤を探求する研究がたくさん現れてきた(デネット、スパーバー、スカイムス、ホジソン、アレクサンダー、ペトリノヴィッチ、ピンカー、スコット-フィリップス、トマセロなど)。

[第3章 現代の分子進化学]行動が、遺伝によっているのか学習によっているのかは議論のあるところだが、人間以外の動物では遺伝による部分が大きいようである。例えば、ボタンインコ属に属するルイゴシボタンインコとコザクラインコは、巣材の運び方に違いがある。前者は葉の切れ端などの巣材をくちばしに一つずつくわえて運ぶのに対し、後者は体の後ろの羽毛の間に巣材をいくつかはさみこみ運ぶという行動を見せる。これら2種の交雑個体の行動を調べたとところ、くちばしでくわえて運ぶか羽にはさみこんで運ぶか、それらの間を決めかねるような行動を示した。数カ月が過ぎると、より高い頻度でくちばしで運ぶようになったが、巣材を羽の間にはさみこもうとするそぶりも見せた。そして、このようなそぶりをほとんど見せなくなるには、3年もの期間を要した。おそらくは3年間の学習の成果と考えられるが、遺伝的な要素がいかに行動に影響を与えるかを示す一例となっている。

[第4章 「種の保存」の誤り]現在、個体淘汰によって行動は進化してきたという考え方が主流になっている。しかし、群淘汰での説明が人々には好まれる。自己の利益だけに基づいた個体淘汰の説明は、話としては非常に利己的に聞こえる。なわばり行動を「自己の利益のため」と言うよりは、「皆で資源を均等に使うため」と説明するほうが、聞いている人の耳には心地よいだろう。協力や助け合いといった行動が私たちヒトの身近に存在し、生きていくのに必須な行動で、親からもしっかりと教育される行動である。私たちヒトが、他者との協力に依存して暮らしている種であることは、また別の説明がされている。

[第5章 霊長類の進化]心理学では、他者の心的状態(意図や欲求、信念など)を推測する能力を「心の理論」(theory of mind)と呼ぶ。「心の理論」は、心理学者のデイヴィッド・プレマックが最初に提唱した心の機能で、プレマックは類人猿が「心の理論」を有するかを問題にした。なぜ「心の理論」が心的能力かと言えば、他者にも心というものが宿っていると見なせるか、すなわち他者にも自分と同様に「心という内的理論体系」があるとみなせるかどうかについての能力だからである。ヒヒの群れでは「戦術的欺き」が観察されるが、これが本当に他者の心的状態を推測していることなのかどうかを実証するのは困難である。別の機会に「条件づけ」として学んでいるだけかもしれない。

[第6章 人類の進化]リチャード・ランガムは、人類における火の利用と調理の開始は通説よりはるかに古く初期ヒト属までさかのぼると考察し、火の利用の開始が人類進化上の画期的な出来事だったと論じた。火の利用により、様々な利点がもたらされたが、加熱調理により効率的なエネルギー摂取が可能になり、脳の進化が促されたと論じている。男女の絆の強化と家族(夫婦)の成立も火の賜物だという。現代のキャンプファイアーや暖炉でもそうだが、火にはヒトの心をおだやかにする機能もあり、共同体生活がうながされたとも考えられている。ちなみに、私は当初、バーベキューのために炭に火をおこすことができなくて、妻にずいぶんバカにされたことがある。火をおこせる能力なんて趣味人か昔の人の技術だと思っていたのだけれど、実は現代においても、男性の(生きていくための)能力として女性から重要視されるものなのだということを、これを読んで納得した。

[第8章 血縁淘汰と家族]「利他行動」という言葉を最近よく見かけるが、なんなのかきちんとわかっていないような気がする。単に他人の役に立つことをするのが「利他行動」ではない。「利他行動」とは、自らの行為によって自分の適応度(利益)が減少し、他者の適応度が増加することである。自分は損をする行動なのだ。ここでは、ある行動を、①自己の適応度が増加したか否か、②他者の適応度が増加したか否かの二つの側面で、4種類に分類している。自己も他者も適応度が増加するのが相互扶助行動、自己の適応度は増加するが他者の適応度は減少するのが利己行動、自己も他者も適応度が減少するのが意地悪行動、自己の適応度は減少するが他者の適応度が増加するのが上記した利他行動となる。最近、頻繁に事件が起きている、他人を巻き添えにして自分も死ぬというテロリズムは意地悪行動に該当するのだろう。

自分と同じ遺伝子を持つ他者、つまり血縁者に対して利他的行動を行うことは自分の遺伝子を広げることにつながるので進化してきたという考え方が、現在主流の血縁淘汰説である。では、生物はどうやって自らの血縁と非血縁を認識しているのだろうか。一つ目は「表現型マッチング」で、見た目、匂い、音など、知覚できる何らかの手がかりを使って自分と相手のそれが似ているかを判断し、似ていれば血縁者であろうと判断する方法である。しかし、この方法のためには、優れた感覚器とそれを利用するための優れた神経基盤を持っていなくてはならず、ヒトではこの方法による血縁認識はとても難しいと考えられている。よく、娘が父親を臭いというのは、近親婚を避けるために、個人ごとに異なりかつ遺伝するタンパク質であるHLAの匂いを嗅ぎ分けているのかもしれないなどと言われることがあるが、単なる俗説なのかもしれない。二つ目は、「物理的近縁性」で、親子やきょうだい、および血縁者はしばしば物理的に近い場所に存在する傾向がある。「物理的に近くにいること」が「血縁者であること」を示唆し、血縁認識をすることができる。三つ目は、ヒト特有であり、ヒトにおいて最も重要な血縁認識の方法である「親族呼称」である。私たちの言語には、自己と血縁者との関係性を詳細に表す単語ー父親、姉、息子、おじ、おい、祖母、いとこ、大おじ、などーがたくさん存在する。これらの呼称を繰り返し用いることで、ヒトは明示的な血縁認識をしている。

[第9章 血縁によらない協力行動の進化]血縁によらない協力行動を進化させる仕組みは、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」にも説明されていたが、血縁選択性の陰に隠れてしまってあまり印象に残っていない。本書ではこのような仕組みとして、直接互恵性、裏切り者検知、間接互恵性が明示的に示されている。直接互恵性は、互恵的利他行動とも呼ばれ、ロバート・トリヴァースが示したロジックである。XとYの間で、互いに利他行動を行うことで、コストより利益のほうが大きければ、両者の適応度の上昇に結びつき、このような行動は進化するというものである。友人とのものの貸し借りや隣人との助け合いなどが、直接互恵性の好例である。しかし、ヒト以外の動物で直接互恵性が存在するかどうかは否定的な見解が多いという。

レダ・コスミデスとジョン・トゥービーは進化心理学という学問の名づけ親である。彼らは、直接互恵性が強い淘汰圧となった結果、ヒトの心は裏切り者検知がとても得意なように進化したはずだと考えた。「裏切り」とは、対価となるコストを支払わずに、利益だけ得る行為である。「利益を受けるものは必ずその対価を支払っていなければならない」というルールが、社会契約の基本であり、ヒトは裏切り者に対して特別に敏感に反応する性質を有していることは、実験などでも実証されている。

直接互恵性のような当事者同士の二者間の仕組みと違い、協力の受け手以外の第三者が協力者にお返しをすることで行われる協力の受け渡しのしくみを、間接互恵性と呼ぶ。間接互恵性において協力を提供した人物は、社会からよい評判を得て、またその評判によって自分が困ったときに社会の誰かから助けてもらうことができる。リチャード・アレクザンダーは、間接互恵性こそ私たちの道徳システムの起源であろうと述べている。