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wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語(若山三千彦)」

2024-02-17 08:05:38 | 書評(進化学とその周辺)

 

老人ホームで亡くなる方を看取る犬がいるというネット記事を読んで、調べてみたらその犬「文福」について書かれているこの本に行きつき、中古ですぐ購入した。新品は品切れのようだ。文福という犬の行動、とくに共感力についての貴重な記録として読ませてもらった。「文福」だけでなく、ホームにいる他の犬や猫たちの愛情深い、死に行く人に対する共感的な行動についても書かれている。横須賀市にある特別養護老人ホーム「さくらの里山科」は高齢者が犬や猫と共生できるホームである。そこの理事長である若山三千彦さんが、登場人物を偽名にして、自ら第三者の立場をとって書いた本である。犬や猫が飼い主や自らの死を理解できているのかどうか科学的に証明するのは難しいが、死を理解できている可能性を示唆するような行動は観察できる。特筆すべき、犬と猫が自らあるいは人が死に向かうときに示した行動を下記に記しておきたい。まるでフィクションのような話が出てくるが、れっきとしたノンフィクションである。

[犬の文福のケース]

・文福は保護犬、つまり保健所で殺処分予定だった犬である。死の寸前で、動物愛護団体の「ちばわん」に救われたのだ。...明日はもう生きられない。それを察知した文福の顔は暗くひきつっていた。その瞳には絶望の色が浮かんでいた。...そんな悲惨な体験を持つ文福が、今は献身的に高齢者を看取っているのだ。...おそらく文福は、人に見捨てられ、ひとりぼっちで死の淵に立ったからこそ、死に向かい合う不安を理解しているのだろう。

・いつも元気いっぱいの文福は、その陽気さと、最高の笑顔が入居者に愛されている。普段は寂しそうな様子を見せることはないが、看取り介護の対象者に寄り添うときは切なそうな表情を浮かべる。...逝去される3日前に、部屋の扉の前で項垂れていた。半日間扉の前にいたあと、部屋に入り、ベッドの脇に座って入居者を見守っていた。逝去される2日前にベッドに上がり、入居者の顔を慈しむようになめ、そこからはずっと寄り添っていた。その次の方も、さらに次の方も、文福がベッドに上がり、顔をなめて、寄り添い始めてから2日以内に逝去された。

・文福は看取りをすると、そうとうエネルギーを奪われるらしい。逝去された入居者に2日間寄り添っていた文福は、疲労困憊、とまではいかなくても、かなり疲れた様子だった。ここで職員として仕事を始めたばかりの田口は、大きなミスをして深く落ち込んでいた。膝に顔を伏せてすすり泣いていた田口は、隣からやさしい感触が伝わってきて、顔を上げた。文福が寄り添うように座っていた。ついさっきまで疲れてケージのなかで寝ていた文福が、いつの間にか隣に来ていたのだ。コトリともたれかかるようにして、田口の肩に頭を載せてきた。...文福は人の気持ちを察する天才だった。多くの職員が文福に励まされていた。多くの入居者が文福に慰められていた。文福の人に寄り添う力も、ささやかな奇跡と言えるかもしれない。

・もともと上品な人だった入居者の江川さんは、認知症に進展によって攻撃的な性格に変化していた。江川さんは文福を罵り続けた。寝たきりであっても、いつも険しい顔をして、目が血走っていた。江川さん自身が苦しそうだった。不幸そうだった。しかし、それでも文福は江川さんに寄り添い続けた。どんなに邪険にされても寄り添うのをやめなかった。職員たちはその後長いあいだ、このときの文福の様子を不思議がっていた。一体あのとき、文福はなにを考えていたのだろう。なぜ怒鳴られても江川さんに寄り添っていたのだろう。そして文福の一途さは、小さな奇跡を起こしたのである。「ごめんねー、文福。殴ってごめんねー」江川さんが、弱々しく腕を持ち上げると、懸命に文福を撫でようとしたのである。その瞳からは涙があふれていた。「ワンッ」文福は大喜びで吠え、江川さんの枕元ににじり寄ると、ペロペロと顔をなめた。

[末期がん患者の伊藤さんと飼い犬チロのケース]

・伊藤さんの最期のとき、伊藤さんは時おり目を開き、そこにチロがいると安心して微笑んだ。血圧が危険なほど下がっても、食事がとれなくなっても、伊藤さんはチロに微笑みかけていた。そうして、静かに静かに、生命の炎は燃え尽きようとしていた。...「・・・チロ・・・」声にならない小さな声で、しかし、確かに呼びかけた。枕元に座っていたチロは、そっと伊藤さんの顔をなめた。伊藤さんはかすかに微笑んだ。微笑みながら天に旅立っていった。望みどおりチロに看取られながら。「くぅーん」チロはわずかに声を上げて、伊藤さんの顔をやさしくなめていた。いつまでも、いつまでもなめ続けていた。

[テンカンを持つ保護犬アラシともっとも気にかけてくれた認知症の山田さんのケース]

・多臓器不全症でアラシが亡くなる前日の夕方、ケージのなかで寝ているアラシの名前を呼んで、山田さんが手を伸ばすと、アラシは精いっぱいの力を振り絞ってケージから這い出てきた。そして山田さんの手に頭をこすりつけた。何度も、何度も頭をこすりつけた。それはまるで、山田さんにお礼を言っているように見えた。翌朝、アラシは山田さんの腕のなかで静かに息を引き取った。最期まで幸せそうな顔だった。「アラシや」山田さんはアラシを抱きしめて嗚咽していた。

[看取り活動をする猫トラのケース]

・保健所から保護された猫トラは持病の肺炎のためいつも鼻水を垂らしていて、目やにもひどかった。人間が大好きなトラは、見学者が来ると喜んで足元にすり寄っていく。そして、ひとりひとりの脚に身体をこすりつけて歓迎の挨拶をする。皆これだけで心を鷲掴みにされてしまう。ペットセラピーの専門家が見学に訪れた際、トラと入居者の様子を見て感嘆して言ったものである。この子はどんな訓練を受けたセラピードッグもかなわないアニマルセラピーを行っていると。

・トラに看取られることを希望していた認知症の斉藤幸助さんは、猫に囲まれる老春の日々を数年間謳歌したのち、逝去された。亡くなる3日前、もう起き上がることができない斉藤さんのベッドでは、トラが寄り添っていた。斉藤さんはとっても満足そうな顔をしていた。かねて切望していたとおり、トラに看取られて天国に旅立ったのである。斉藤さんだけではない。2の3ユニット(猫が共生するエリア)で入居者が逝去されたときには、必ずトラが寄り添っていた。トラは文福と同じような、看取り活動をする猫だったのである。

・ただし、トラの不思議な力は、文福とは少し異なっていた。入居者が逝去される場合だけでなく、一時的に弱って寝込んでいる場合も必ず寄り添うのである。結果として、逝去されるときにも寄り添うことになるのだ。文福は入居者が亡くなることを察知する力を持っており、その最期を看取る活動をしている。それに対してトラは、入居者が弱っていることを察知する力を持っており、弱っている人には寄り添って癒やす活動をしているのだ。文福は看取り犬で、トラは癒やしネコなのだ。

・何人もの入居者を癒やし、看取ってきたトラも、ついに自分が看取られる時が来た。トラが最期を迎えようとしていたとき、猫たちの世話をしていたユニットのリーダーの安田は休暇を取っていて不在だった。安田は電話でホームに呼ばれた。「トラ、もうすぐママが来るからね。ママが来るまで頑張るんだよ」トラはわずかに目を開けて、小さな声でニャアと鳴いた。遠方に出かけていた安田が駆けつけてきたのは深夜だった。安田がベッドに駆け寄ると、もう動く力もなかったはずのトラが立ち上がって安田にすがりついた。「トラ、トラ―!」安田は泣きながらトラを抱きしめた。その腕に入居者の中村さんが手を添えて一緒に抱きしめた。そのままトラは、ふたりの腕のなかで静かに息を引き取った。


僕の読書ノート「共感革命:社交する人類の進化と未来(山際壽一)」

2023-12-09 08:04:32 | 書評(進化学とその周辺)

 

これはレビューするのが難しい。読む前の期待が大きすぎた。京大霊長類学派は、近年の不祥事で評価がガタ落ちしてしまったが、知名度も高く良識ある山際氏がそれをどれだけ挽回してくれるのか?「共感」はまさに諸刃の剣で現代において重要なキーワードだと私も感じていたので、どれだけ素晴らしい科学的論理展開を示してくれるのか?そのような過剰な期待があったので読んでみたのだが、申し訳ないが期待ほどではなかった。書かれていることはまっとうなことも多いのだが、私のような偏屈な人間には物足りなかった。

何が物足りなかったかというと、著者のあたまの中にある記憶や思いをそのまま、口述筆記のように書いているだけなのである。そういう文章でも通用するのは養老孟司氏のような限られた思索家だけだ。科学者の文章ではない。山際氏は科学者なのだから、論文や本からトピックスを引用、説明して緻密な論理構成を組み立ててほしかった。それが科学者が書いた本の説得力でもあるし、醍醐味でもある。本書は、そういう労力をかけずに楽して書いている感じがするのだ。また、主題である共感についての心理学的な考察がないし、そもそも定義が正しくないように思える。例えば、「共感は相手に共鳴し、相手の気持ちがわかることを指す。英語で共感は「エンパシー」で、同情は「シンパシー」になる。シンパシーは共感の上に成り立つものだ。進んで自分から助けることが相手のためになる、とわかっていないと成立しない」と書いているが、逆じゃないだろうか。先にシンパシーがあって、その上にエンパシーが発達してきたというのが動物進化の流れではないだろうか。

気を取り直して、有用に感じた内容もあるので書きとめておきたい。

・ユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」で、ホモ・サピエンスが言葉を獲得し、意思伝達能力が向上したことを「認知革命」と呼び、種の飛躍的拡大の最初の一歩と考えた。しかし、著者は「認知革命」の前に「共感革命」があったという仮説を持っている。

・人類は180万年ほど前にアフリカ大陸を出た。そのためには、サバンナにいる多くの猛獣に対して防衛力を備えた社会性を持っていたはずだ。その社会性とは、共感力、つまり他者と協力する能力を基にしたものだっただろう。また人類の親は、頭だけが大きく身体の成長の遅い子どもを、たくさん抱えることになる。そのため親だけでは子どもを育てられず、他の仲間の手を借りる必要が出てくる。そこに共感力が育つきっかけが生まれた。

・農耕牧畜で領土が生まれ、ずっとその中だけで暮らしていると、領土内に住む人々の間でしか共感を感じなくなる。領土の外の共通の敵づくりに役立ったのが言葉だ。言葉はアナロジーで、同じ人間でも「こいつはキツネのようにずるいやつだ」「コウモリのように卑怯なやつだ」「鬼畜米英」という言い方をして、人間ではない生き物や、危険な外敵に仕立て上げることができる。戦争の起源は「共感力の暴発」でもある。

・人類最初の神殿とされているのが、トルコ南東部で発掘されたギョベクリ・テペで1万2000年前に建立されたと考えられている。人類の文化が生まれた「ゼロ・ポイント」と呼ばれている。最初の小麦の生産地もすぐ近くにあるが、およそ1万年ほど前とされており、神殿建立のほうが先という説がある。

・戦争は人類の歴史の中でも、きわめて新しいものだ。人類が狩猟採集生活をしていた時代に戦争をしていたという証拠は、現在見つかっていない。人類最古の戦争は、約1万2000年以上前とされている。スーダンのヌビア砂漠にあるジェベル・サハバで大量の人骨が見つかり、槍などで傷ついている形跡があることから、この頃から戦争があったのではないかといわれている。

・ホセ・マリア・ゴメスたちの哺乳類の系統樹分析では、種内暴力による死亡率は全哺乳類では0.3パーセント、霊長類の共通祖先では2.3パーセント、類人猿の共通祖先で1.8パーセントぐらいしかなく、人類になっても旧石器時代くらいまで2パーセントで安定している。それが、新石器時代、とくに3000年前以降の鉄器時代に入ると15から30パーセントと急に跳ね上がる。つまり、暴力によって殺し合う人間の精神性はつい最近の傾向で、しかも大規模な都市国家や武器の登場とともに現れてきたことになる。

・これからの人類の生活スタイルとして著者が予想?あるいは推奨?するのは、科学技術をうまく使い、狩猟採集時代の精神に戻る、「シェアとコモンズを再考する時代」の到来である。未来の社会は労働ではなく、自身の承認欲求を満足させるようなボランティア活動が人々の生きる意味になるだろう。そして、人々はそれぞれ複数のコミュニティに属し、それらを渡り歩いて過ごすようになる。これまでのような成長ー教育ー仕事―趣味といった単線的な人生ではなく、それらを同時に実践するような複線的な人生が主流になる。


僕の読書ノート「進化で読み解く バイオインフォマティクス入門(長田直樹)」

2023-10-21 07:46:36 | 書評(進化学とその周辺)

 

企業で生物医学系の研究の第一線から離れて5年、今は研究開発の管理業務を担当するようになり、さらにあと1年で定年である。しかしこれからも、研究のフィールドで何か新しいことを見つけてみたいという気持ちはある。そんな状況で一人でもできることは、自然観察のような生態学的研究か、バイオインフォマティクスを使った進化学的研究だろうと考えた。バイオインフォマティクスの分野ならプロでなくても、家のパソコンとネット上の公的データベースを使ってなにか面白いことができそうな気がする。そんな思いつきで、まずは学習を始めるためのとっかかりとして選んだ教科書が本書である。

とりあえず一通り読んでみたが、理解できたのは3分の1程度か。それは言いかえれば、これから何度も読み返す価値が残っていると言うこともできる。様々なバイオインフォマティクスの研究方法の原理説明として、数式がたくさん出てくるが、なかなか理解がおぼつかない。しかし、数式は理解できなくても、コンピューター・プログラムを使うことで、実用的には困らないのかもしれない。だから、あまり数式の理解にこだわらなくてもいいのかもしれない。もちろん理解できるに越したことはないだろうが。

けっこう基本的な用語でもよくわかっていないことが多い。そんな専門用語の説明をあげつらってみた。

・集団遺伝学:種レベルでの遺伝情報の進化を扱う学問分野をよぶ。集団とは、交配を行うことのできる生物の集まりのことであり、生物種に対応する。個体で起こった突然変異は生殖を経て次世代に伝わり、集団の中で数を増やしたり減らしたりする。

・分子進化学:種より上のレベルでの遺伝情報の進化を扱う学問分野をよぶ。種より上のレベルでは、種間の比較を行うことが基本であるので、種内の多様性については目をつぶり、問題を単純化する。

・アレル頻度:アレルとは対立遺伝子のことである。たとえば、ある単数体の集団で、半数の個体においてゲノムのある塩基サイトでの塩基がAであり、もう半数の個体のゲノムでGであった場合、Aの頻度は0.5であると表現し、これをアレル頻度とよぶ。

・ハーディーワインベルグ平衡:「ほかの集団と隔離された十分に大きな集団では、任意交配が行われており、変異が中立であれば、次世代の遺伝子頻度が前の世代の遺伝子頻度と同じになる」というのがハーディ―ワインベルグ法則である。遺伝子型(対立遺伝子の型)の頻度は1世代で平衡に達する。この状態をハーディーワインベルグ平衡とよぶ。集団遺伝学の多くの解析では、個々の遺伝子型(たとえば、AA、AT、TT)の頻度よりも、アレル頻度(たとえば、A、T)を中心に考えることが多く、集団の中にあるアレルの集まりのことを遺伝子プールとよぶ。

・ハプロタイプ:染色体レベルでのアレルの組み合わせをいう。例えば、染色体の二つのサイト、サイト1の遺伝子がa、サイト2の遺伝子がbで、サイト1と2との間に組み換えが起こらなかったとすると、アレルbは常にアレルaと同じ染色体上に存在することになり、ハプロタイプabを持つことになる。

・cic制御変異、trans制御変異:プロモーター配列やエンハンサー配列に起こり、直接遺伝子の発現量を変えるようなゲノム上の変異をcic制御変異よぶ。このcis制御変異によって起こされた発現の違いは、さらに別の遺伝子の発現を変える可能性がある。このように別の遺伝子の発現に対しては間接的にはたらく。間接的に遺伝子の発現量を変えるような変異を、trans制御変異とよぶ。

・NM、XM:ゲノム配列が決定された生物について、転写産物を単位として配列をまとめたのがNCBIのRefSeqデータベースである。RefSeqのデータで、cDNA配列がもとになっている転写産物のアクセッション番号は「NM..」で始まり、ゲノム配列よりコンピュータによる予測によってのみ同定されている遺伝子には「XM..」で始まるアクセッション番号がついている。後者はより不正確な遺伝子配列を含んでいる可能性が高いので、注意が必要である。

・統合TV(現在は、TogoTV):日本語で書かれたデータベースやツールの使い方を紹介するサイトとして、ライフサイエンス統合データベースセンターが提供する統合TVがある。データベースの紹介から簡単なチュートリアルまでそろっているので、興味がある方は触れてみることが薦められている。


僕の読書ノート「人間の由来・下(チャールズ・ダーウィン)」

2023-07-15 08:04:33 | 書評(進化学とその周辺)

 

チャールズ・ダーウィンによる1871年の著、「The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex」の下巻である。上下巻を合わせた「第Ⅰ部 人間の由来または起源」の約300ページと「第Ⅱ部 性淘汰」の約700ページのうち、性淘汰の後半部分約500ページが下巻に入っている。最後に「全体のまとめと結論」の章があって、訳者の長谷川眞理子氏による解説が付いている。性淘汰は、自然淘汰とともにダーウィンが初めて提唱した概念であり、進化の理論であるが、今もって研究は継続されており、まだ解明されていないことがたくさん残っているということだ。

下巻の構成と、章ごとに気になった内容を下記に列記した。

 

第Ⅱ部 性淘汰(続き)

第12章 魚類、両生類、爬虫類における第二次性徴

第13章 鳥類の第二次性徴

第14章 鳥類(続き)

・鳥類など動物たちの眼玉模様に注目して、種間で比較することで、単純な紋様から目玉模様にどのように進化してきたかが熱心に考察されている。「さまざまな鳥類の羽や哺乳類の毛、爬虫類や魚類の鱗、両生類の皮膚、多くの鱗翅目の翅、その他さまざまな昆虫などにおいて、目玉模様ほど美しい装飾はないので、それらについては特別に扱うべきだろう。」

・ダーウィンの時代のイギリスでは、人種差別は当然のこと、動物に対してもずいぶんと残酷なことがされていた。「(原注)狩猟管理人が、今年ここで、中に5羽のひなのいるワシの巣を見つけた。彼は、そのうち4羽を獲って殺したが、1羽は、親鳥を殺すためのおとりにするように、羽を切って残しておいた。次の日、このひなに給餌している間に親鳥は両方とも撃ち殺されたので、彼は、これで仕事は片づいたと考えた。翌日来てみると、思いやりのある2羽のワシが巣におり、みなしごを引き取るつもりでいた。この2羽も彼は殺して、巣を離れた。あとで戻ってみると、さらに別の2羽が同じような思いやりを見せて座っているのが発見された。彼は、その一方を殺し、もう一方も撃ったが発見できなかった。それ以上は、実りのない試みをしようとする鳥は来なかった。」

第15章 鳥類(続き)

第16章 鳥類(続き)

・性淘汰はどうやってはたらくのか。「新しい色調やその他の違いが生じ、そこに性淘汰がはたらいて、そのような変異が蓄積されていくことになるだろう。性淘汰とは、雌の好みや賞賛という、とりわけ変動しやすい要素に依存しているからである。そして、性淘汰は常にはたらいているので、...異なる地域に住んでおり、交雑することがなく、したがって新たに獲得された形質を交換しあうこともないような動物たちが、十分に長い時間を経たあとにも異なったものに変わらなかったとしたら、驚くべきことであろう。これらの指摘は、雄だけに限られているものも両性に共通のものも含めて、婚姻羽や夏羽にも同様に当てはまるものである。」

第17章 哺乳類の第二次性徴

第18章 哺乳類の第二次性徴(続き)

第19章 人間の第二次性徴

・人種間のひげの多さの違いを考察している。日本人にも言及しているが、ひげをそる習慣を考慮していないようだ。「ユーラシア大陸では、インドを越すあたりまでは毛深いひげが見られる。ただし、古代にディオドロスが指摘しているように、セイロンの原住民にはしばしばひげがない。インドの先では、シャム人、マレー人、カルマック人、中国人、日本人にひげは見られないが、日本列島の北の端の島に住んでいるアイヌ人は、世界でも最も毛深い人種の一つである。」

・ダーウィンの時代は、知的能力が女性より男性の方が高いと考えられていた。「男性と女性の間の知的能力の主な違いは、深い思考、理性、想像力を必要とするものであれ、単なる感覚と手の動きを必要とするものであれ、どんな仕事においても、男性の方がすぐれた業績を上げることに現れている。詩、絵画、彫刻、作曲と演奏の両方における音楽、歴史、科学、そして哲学の各分野において、最もすぐれた男性と女性の2つのリストをつくり、それぞれ5、6人の名前をあげようとしても、比較にならないだろう。」

第20章 人間の第二次性徴(続き)

第21章 全体のまとめと結論

・ダーウィンは、人間の精神や心の能力は他の動物と明確に区別されるものではないという論調で議論しているが、道徳については区別しているようだ。「道徳的存在とは、自分の過去と将来の行動とその動機を比較して、あるものを良しとし、他のものを悪いとすることのできる存在である。そして、人間は確実にそのようにつくられているという事実は、人間と下等動物とを分ける区別のなかで最も大きいものである。」

・社会性、良心、共感について...「援助を与えようとする動機も、人間ではある程度、(下等動物から)変容している。それはもはや、盲目的な本能的衝動のみからなるのではなく、自分の同胞からの賞賛や非難に大きく影響されている。賞賛や非難を評価することと、それを与えることとは、ともに共感に依存しており、この感情は、すでに見た通り、社会的本能のなかでも最も重要な要素の一つである。共感は、一つの本能として備わっているものではあるが、習慣や練習によって大いに向上させることができる。」

・神は初めから存在していたのではなく、人間の精神が一定まで高まったときに初めて心に存在するようになったという見解である。「神に対する本能的な信仰心があるということが、神の存在そのものを証明していると、多くの人々が論じているのを私は知っている。しかし、これは早まった議論である。もしそうなら、我々は、人間よりもわずかばかり強い力を持っているだけの、多くの残酷で悪意に満ちた精霊の存在をも信じなけらばならなくなるだろう。そのような存在に対する信仰は、恩恵に満ちた神への信仰よりもずっと広く世界中に広まっている。宇宙全体の創造者としての、普遍的で慈愛に満ちた神という概念は、長く続いた文化によって人間の精神が高められるまでは、人の心の中には存在しなかったのだろう。」

・性淘汰についてあらためて定義している。「性淘汰は、ある個体が繁殖に関連して同性の他の個体よりも成功することによって生じるが、自然淘汰は、両性のあらゆる年齢の個体が、一般的な生活条件に対してどれほど成功するかによって生じる。性的な闘争には二つの種類がある。一つは同性の個体間で、競争者を追い出したり殺したりする闘争であり、たいていは雄どうしの間で闘われる。これに関して、雌は受動的にとどまっている。もう一方の闘いは、これも同性の個体間で闘われるものだが、異性、たいていは雌を、興奮させたり魅了したりするための闘争である。ここでは雌は、もはや受動的にとどまってはおらず。よりよい配偶相手を積極的にエ選ぶ。」

・人間が崇高な精神や知性を持つようになってからもずっと残り続ける祖先の生物学的性質にふれて、本書は締められている。「人間は、最も見下げ果てた人間に対しても感じる同情や、他人に対してのみならず、最も下等な生物に対しても適用される慈愛の感情や、太陽系の運動や構成に対してまで向けられた神のような知性など、そのすべての高貴な性質にもかかわらず、これらすべての素晴らしい力にもかかわらず、そのからだには、依然として、消すことのできない下等な起源の印を残していることを認めないわけにはいかないだろうと、私には思われるのである。」

【訳者解説】

・性選択についての現代の見解は...「雌による選り好みというプロセスの提唱者であるダーウィン自身、雌が選り好みをするには、それなりの高度な能力が必要だと考えていた。しかし、実はその必要はないのである。高度な認知能力などなくても、ある程度の刺激に対する感覚のバイアスがあれば、そのような求愛ディスプレイをする雄を選ぶことはできる。そして、そのような感覚のバイアスに意味があれば、雌の選り好みと雄のディスプレイは一緒になって進化するだろう。ダーウィンは、自然界で動物の雌が実際に選り好みをしていることを示すことはできなかった。それが最初に立証されたのは、実に1989年である。その後、選り好みの研究は飛躍的に進展しているが、今でも未解決の問題は多々あり、興味深い研究領域であり続けている。」


僕の読書ノート「人間の由来・上(チャールズ・ダーウィン)」

2023-06-17 07:47:16 | 書評(進化学とその周辺)

 

本書はチャールズ・ダーウィンによる1871年の著、「The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex」の長谷川眞理子氏による日本語訳である。当初、日本語訳は1999-2000年に「人間の進化と性淘汰」として刊行されているので、「人間の由来」より、そちらのほうがタイトルとしては的確である。その時代におけるダーウィンの先見性や、これでもかといわんばかりの綿密な情報と考察の積み重ねにはすばらしいものがあるが、現代の進化生物学の常識から考えたらどうしても時代性を感じてしまう。なかなか読み通すのには苦労したが、人類や動物の進化学という学問がここから始まったのだと考えれば、その分野に興味のある人は一度読んでおいてもいい本かもしれない。長谷川眞理子氏による訳注が章ごとに付いているので、現代の進化生物学における見解などもわかるようになっている。

上下巻を合わせると、「第Ⅰ部 人間の由来または起源」に約300ページ、「第Ⅱ部 性淘汰」に約700ページがさかれていて、後者の分量が多い。上巻の構成と、章ごとに気になった内容を下記に列記した。

 

第Ⅰ部 人間の由来または起源

第1章 人間が何らかの下等な形態のものに由来することの証拠

・今では動物福祉の観点から許されないような実験がこの当時はされていて、その1例がサルにアルコールや煙草を摂取させる実験だ。「多くのサル類は、お茶、コーヒー、強い酒を好み、私は自分の目で見たことがあるが、喜んで煙草を吸うようになる。ブレーム...は自分が飼っていたヒヒの何頭かが酔っ払ったのを見たことがあり、彼らの行動や奇妙なしかめっ面について、おもしろい話を書いている。その翌朝には、ヒヒたちは非常に機嫌が悪かった。彼らは痛む頭を両手ではさみこみ、実に惨めな表情をしていた。...このような些細な事実は、サル類と人間の味覚の神経がいかに類似しているかということの証拠であり、両者の全神経系が同じような影響を受けることを物語っている。」

第2章 人間と下等動物の心的能力の比較

・ダーウィンは、人間の心の原型はすで霊長類にあったと考えていた。「本章での私の目的は、人間と高等哺乳類との間には、心的能力において本質的な差はないということを示すことにある。」

・言語を生物の進化とのアナロジーで考察しているのは慧眼ではないだろうか。「言語も、生物と同様、大きな集団とそれに属する小さな集団とに入れ子のように分類することができ、その由来によって自然分類することもできれば、他の性質によって人工的に分類することもできる。優位な言語や方言は広範囲に広まり、他の言語を徐々に絶滅に追いやっていく。...言語も、生物種と同様、一度絶滅すると二度と復活することがない。二つの異なる場所から同一の言語が発生してくることもない。異なる言語どうしは、かけ合わさったり、混合したりすることがある。」

第3章 人間と下等動物の心的能力の比較(続き)

・驚くべきは、すでにこの時代に共感の進化について論じていることである。現代につながる問題意識である。「私たちが他人に同情して親切な行動を示すときには、何かよいお返しがあることを期待しているものであるし、共感が習性によって大いに強化されることも間違いないからだ。この感情がどんなに複雑な様相で始まったとしても、それはたがいに助け合ったり守り合ったりするすべての動物にとって非常に重要な感情なので、自然淘汰によって増強されるに違いない。つまり、最も共感的な個体を最も多く有する集団が最も栄え、より多くの子どもをあとに残したに違いないからである。」

第4章 人間がどのようにして何らかの下等な形態から発達してきたのかについて

・人間だけでなく動物の心には多様性があることを述べている。「人間の心的能力には、同じ人種の中にも変異と多様性があり、異なる人種間ではさらに大きな差があることはよく知られているので、ここで多くを述べる必要はないだろう。...このことは下等動物の間でさえみとめられる。動物園で働いていた人々は、誰もがこの事実を認めており、イヌや他の家畜を見ても容易にわかることだ。」

第5章 原始時代および文明時代における、知的、道徳的能力の発達について

・他人との互恵性や共感に再び触れている。「同じ部族に属する人間の中で、...各メンバーの推論の力と予測の力とが向上してくるにつれ、各自は自分の経験から、誰かを助ければふつうはお返しを得るということを素早く学習するに違いない。このような下賤な理由から、人間は仲間を助ける習慣を身につけたのかもしれない。そして、仲間に対して慈愛に満ちた行動を取る習慣が、最初に慈愛に満ちた行動を取らせる衝動を与えている共感の感情をさらに強めることになったに違いない。そして、何世代にもわたって従われてきた習慣は、遺伝するようになるのだろう。」

第6章 人間の近縁関係と系統について

第7章 人種について

 

第Ⅱ部 性淘汰

第8章 性淘汰の諸原理

・性淘汰とは何か。「雄が現在のような構造を獲得したのは、存続のための争いで生き残ることに適していたからではなく、他の雄と比べて有利だったからであり、そのような有利な形質が雄の子のみを通じて受け継がれたからだと考えられる。そこには性淘汰がはたらいているに違いない。」

・去年の冬、私が水辺で観察していて、北から渡ってきたキンクロハジロが最初オスばかりなのが気になっていた。渡り鳥の行動として繁殖を行う春では、このようなことがあり得ることを示すダーウィンの記述があった。「雌の心的能力が選り好みを行うのに十分だと仮定するならば、雌たちは多くの雄の中から一頭を選び出すことができるだろう。しかし、多くの場合、なるべくたくさんんの雄たちの間に闘争が生じるよう、あたかも特別に仕組まれているかのように見える。例えば、渡り鳥では、ふつう雄が雌より先に繁殖地に到着するので、それぞれの雌が現れるたびに、多くの雄がその雌をめぐってすぐに闘い始める。」

第9章 動物界の下等な綱における第二次性徴

・雄と雌との交尾行動は猟奇的なまでに危ういことがある。クモの仲間において「雄は雌に近づくにあたって非常に用心深いが、それは、雌のはにかみかたが危険なところまで推し進められているからである。ド・ギア―は、ある一匹の雄が「交尾前の愛撫の真っ最中に、彼の注意の対象によって捕らえられ、彼女の網に包まれてむさぼり食われてしまった」のを見たが、それは彼の心を「恐ろしさと義憤で満たす」光景だった。」

第10章 昆虫における第二次性徴

第11章 昆虫(続き)―鱗翅目