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バイエルン国立歌劇場「魔笛」

2017-09-30 21:30:31 | 音楽
バイエルン歌劇場のオペラを久しぶりに観た。
行くかどうかずっと迷っていて、実際に観た人の感想を読んでチケットをとったのが公演2日前。
曲の予習も体調管理も慌ただしかったけど、観に行って本当によかった。
バイエルンの・ミュンヘンの底力を見た!と思えるような、完成度の高い公演に感服、感動した。








忘れないうちに感想メモを走り書き
◇舞台装置
絵本のような舞台。幻想的で美しい色合い。
青森で見たシャガールの碧や、8月に観たユーリ・ノルシュテインのアニメーションを思い出した。
舞台美術の一部はペトラ遺跡に着想を得たらしい。
一番気に入ったセットは、終盤にパパゲーノ・パパゲーナ・子どもたちが出てくる場面の背景。大きな木とヒマワリの淡く暖かな色合いが印象に残った。
あの舞台美術、絵本になったら絶対に買う。というか絵本にしてほしい。
舞台セットに描かれた柱状節理や滝(=段差)に反応したのはブラタモリ効果か。

◇演出
評判どおりオーソドックスで普遍的で、安心して観ることができる演出。でも決して古臭くもないしつまらなくもない。
人物ひとりひとりが(歌ってないときも)演技していて、しかもそれが表情豊かなので、まったく退屈しなかった。
冒頭の三人の侍女やパパゲーノの動きが特に印象的。生き生きしていて見る方もとても楽しい。
人物の動きで聴衆を微笑させる場面がたくさんあって、ふふふふ、とか、くすくす、とか、さざなみのような笑いが何度もホールを包んだ。

◇プロダクション
アウグスト・エヴァーディング演出、ユルゲン・ローゼ美術という今回のプロダクションは1978年から続くものらしい。
サヴァリッシュが映像に残したものと同じ舞台セットが生で観られるなんて感無量、という感想もネットでいくつか見た。(劇場のサイズが本場と違うので、今回あらたに造ったセットもあったらしい)
来年で40年を迎えるこのプロダクションには「古くさい」という感想もあったけど、実際に観て思ったのは、さすが40年つづくものは違うな、ということ。私は古くささやマンネリは感じなかった。

◇歌手
みんな良かったけど、特にパパゲーノを演じたミヒャエル・ナジがよかった。表情豊かな演技はもちろん、声がとてもいい。どこがどういいかうまくいえないけど、惹きつけられる声。
パパゲーノとともに評判が良かったのが、パミーナを演じたハンナ=エリザベス・ミュラー。声量豊かでよく通る、しなやかな声。終盤まで声量が衰えず安定してた。アリアでは2千人を超える聴衆が静まりかえった。「水を打ったよう」ってこういう状態のことをいうのか。
ザラストロのマッティ・サルミネンの安定感も物語に厚みと説得力を与えていた。
夜の女王のブレンダ・ラエはディズニー濃度高めの容貌。アリアは聴く方も手に汗握るほど難しいけど、ちゃんと声が出てた。
あと3人の童子を演じたテルツ少年合唱団の子たち。美しく純度の高い声だった!

◇音楽
厚みがあって聞きごたえのある演奏。
休憩後は弦の響きがまろやかになった。

◇まとめ
完成度の高い、素晴らしい公演だった。
オーケストラ、歌手、演出、舞台セットすべてに満足した。オペラは総合芸術なのだと久しぶりに実感。

終演後はあちこちで「楽しかったわね」「面白かった!」の声が。
観た後とても晴れ晴れとした気分になる公演だった。





コルネリウス・マイスター指揮 ベートーヴェン「田園」読響のコンサート

2017-09-19 00:01:55 | 音楽
こちらにも、あらためて。
コルネリウス・マイスターは今回の公演で初めて名前を聞いた指揮者。1980年生まれらしいので、指揮者の世界ではまだまだ若手…なのだけど、オペラハウスでの経験が長いと知って関心が急激に高まった。

予感は的中、冒頭の弦楽器から心を掴まれた。
目が潤む瞬間もあった。

オペラを振る指揮者は面白い。
交響曲を聴いても音楽に陰影が見え、どこか立体的に感じられる。歌手の存在を意識しているのかなと思わせる。(オーケストラの奏でる音楽の他に何かが存在している気配がしたのだ)

音楽のうねりが心地よくて、気がつくと曲が終わっていた。

丁寧な音づくりながら迫力もあり(嵐の場面ではヴェルディを連想した)、表情豊かな音楽。どんな場面も素晴らしかったけど、とりわけ優雅さが心に残った。

2018年からはシュトゥットガルト州立歌劇場で音楽監督を務めるらしい。
いつかこの人の指揮で「ばらの騎士」を聴けたらいいな。(ピンポイントすぎる願望かしら)






ダニール・トリフォノフ/プロコフィエフ ピアノ協奏曲2番

2017-09-18 23:45:47 | 音楽
2年ぶりのダニール・トリフォノフ。
池袋の東京芸術劇場で、プロコフィエフのピアノ協奏曲2番を聴いた。



予習の段階から「この曲トリフォノフが弾いたら凄いだろうな…!」と期待が高まってたけど、想像以上の名演だった。

最初のピアノの音を聴いたとき、滴るような音だなぁと思った。「みずみずしい」よりもさらに熟成して、しっとりした感じ。
高音はギュッと凝縮された、とても密度の高い音で、打鍵の強さがとりわけ印象に残った。
どんなに強く弾いても「力任せに叩いてる」わけでは決してないし、どんなに速く弾いても音楽が乱れたり崩れたりしない。技術的には安心して聴けるのに音楽はとてもスリリング。

身じろぎせず集中して聴いていたせいか、終演直後からずっと肩凝り、頭も酸欠気味。放心状態のまま、終盤の怒涛のような演奏が頭の中で何度も鳴り響いていた。

一晩寝ても感動は薄れず、むしろ心の奥深くまで刻みこまれ染みこんでいく感じ。(翌日は廃人として1日過ごした)

2年前に聴いたときも凄いピアニストだと思ったけど、しばらく聴かないうちに更に凄みを増した気がする。
これからは来日するたびに聴きに行かなくてはとあらためて思った。



読売日本交響楽団
第200回土曜マチネーシリーズ
指揮/コルネリウス・マイスター
ピアノ/ダニール・トリフォノフ
曲目/
スッペ 喜歌劇〈詩人と農夫〉序曲
プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第2番
ベートーヴェン 交響曲 第6番〈田園〉
アンコール(ピアノ)/プロコフィエフ シンデレラより ガヴォット


      

「音楽」カテゴリの記事はこれで100個目。
過去のコンサートの記録を読み返すと「あたま酸欠」ばかりで何の参考にもならない!ので、今回は何とか言葉を絞りだしてみた。これからは少しでも記憶の手掛かりになるような言葉が残せればと思う。
(ともかく、キリの良い記事がトリフォノフで何か嬉しい)



あたまのなかでファツィオリが

2017-09-12 21:12:26 | 音楽


まだまだ日中は暑いけど、朝晩はだいぶ過ごしやすくなったこの頃。秋のコンサートシーズンに向けて少しずつ予習を始めた。
コンサートシーズン、といっても今秋の予定は月1回ずつの計3回。クラシックの曲をあまり知らないので、予習のペースを考えるとこれくらいがちょうどいい。

図書館でCDを借りてiPhoneに入れて通勤中に聴く、というのが私の予習の基本だけど、録音機会が少なくて図書館にCDがなければYouTubeに頼る。

9月のコンサートの場合、2曲のうち1曲は演奏機会がとても多くCDもたくさん出てるけど、もう1曲は図書館にCDがなかったのでYouTubeで予習中。家でしか聴けない(パケットが…)から時間も限られるけど、何度か聴くうちに「聴き覚えのある旋律」「好きな旋律」が少しずつ増えてきた。

「聴く」以外にも、作曲当時の時代背景や同時代の芸術作品を調べたりすると理解も深まるのだろうな。(とくに今回は20世紀の曲なので尚更)
コンサートまでの数日間に、いろいろな角度から曲に近づければと思う。




水戸芸術館でアルゲリッチを聴く

2017-05-19 20:21:57 | 音楽
ちょうど1週間前のこと。水戸室内管弦楽団とアルゲリッチが奏でるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を聴きに水戸まで行ってきた。

会場は水戸芸術館コンサートホールATM。わずか600席のホールということで音響の良さを期待してたけど、ホールに足を踏み入れた瞬間コントラバス(ちょうど音の調整中だった)のふくよかな響きに出迎えられ、あぁこれは期待以上のホールだと確信した。

とにかくこじんまりとしたホールなので、客席と舞台の距離が近い。というか、ほぼ一体化してる感じ。(ホールの一番後ろに立ってさえそう感じる。)そして木をたくさん使っているので音がとても美しく響く。
舞台が近いから奏者を至近距離で見ることができ、膝に置いたバッグから音の震えが手のひらに伝わる。(にもかかわらず、)耳は豊かでまろやかな響きに満たされる。ここまで五感が同時に刺激されるホールは初めて。こんな素敵なホールでアルゲリッチを聴けるなんて夢のようだった。

コンサート前半は水戸室内管弦楽団によるグリーグの組曲「ホルベアの時代より」とグノーの小交響曲(管楽九重奏)。
前半の曲は全く予習してなかったのだけど、すぐに音楽に惹きこまれ、楽しく聴いた。

休憩が終わり後半。アルゲリッチと指揮者が登場し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が始まった。
曲が始まってしばらくの間はオーケストラのみの演奏。その間、アルゲリッチは音楽に合わせて体をかすかに揺らしたり、ホールの天井の方を見上げたり。私の席からはアルゲリッチの顔がよく見えたので、オーケストラの演奏に耳を傾けつつ、目は彼女に釘づけ。彼女と同じ空間で、同じ音楽を愉しんでいることが嬉しかった。

そしていよいよピアノ。アルゲリッチの演奏は何度か聴いているけど、ホールや座席によって音の聴こえ方も違う。この日の音は、芯のある、ぎゅっとつまった音だなぁという印象。それが明確にしっかり響く。
弾み、飛び跳ねるような旋律でも、「音の凝縮感」と軽やかさという相反する感覚を同時に感じたのは、いま思い返してみると本当に不思議。

第2楽章はかなり集中して聴いていたはずなのに、記憶がほとんどない。(音楽に没頭しすぎて記憶することを忘れたのか。こんなこともあるのだな。)

第3楽章の冒頭、ピアノが始まったときにオーケストラの人たちの間に「あら?!」と微かに驚きを帯びたような笑みが広がったのは、間をあけずに3楽章が始まったからなのか、ピアノのテンポがリハーサルの時より速かったからなのか。いずれにせよ両者の掛け合いには全く支障ないまま、軽やかに、時にはダイナミックに曲が進んだ。

3楽章では同じような旋律が何度か繰り返されるのだけど、次はどんな演奏でくるのか、そのたびごとにわくわくした。
いつも不思議に思うのだけど、アルゲリッチのピアノは、どんなに速く強く弾いても気品があるし、緩急強弱を自在につけても音楽が「だらしなく崩れる」ことが決してない。
そしてこの人、「年とともに円熟味が増し…」という評が(いい意味で)全く当てはまらない。いくつになっても新鮮な驚きをもたらしてくれる。

この日のオーケストラについても記しておこうと思う。
事前に何度も聴いたはずのこの曲に「こんな美しい旋律があったのか」と、はっとさせられる瞬間が何度もあった。
さざなみのように音楽が静かに広がっていくような演奏も、ピアノにやさしく寄り添う演奏も、ピアノと対話するような演奏も、どの瞬間をとっても美しい音楽だった。

終演後は室内楽を聴いた後のような感覚をおぼえたのだけど、コンサート翌日に水戸芸術館スタッフのブログに載った指揮者の言葉が的確に言い表していた。「マルタは、オケのメンバーが自分の音をよく聴いているのを分かって弾いている。そしてマルタもオケの音をよく聴いているから、室内楽の頂点みたいな演奏ができた。」と。
完璧な演奏ながらも、あたたかみ、親密さ、穏やかさに満ちていた理由はそれだったのか。

この日の指揮者は小澤征爾。アルゲリッチとは何十年も前から共演を重ねてきた「盟友」ともいえる存在らしい。演奏を終えたあとのアルゲリッチの肩を「マルタ、おつかれさま!」というように両手でぽんぽんたたいたり、アルゲリッチから花を渡されて「僕にくれるの?!嬉しい!」という表情で顔を輝かせたり、舞台の上のちょっとしたやりとりからも二人の親密さが伺えて微笑ましかった。この夜の演奏には二人の関係性も大いに寄与していたはず。

ホールとオーケストラと指揮者とアルゲリッチ。どれが欠けても成り立ちえない、奇跡のような素晴らしいコンサートでした。