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水戸芸術館でアルゲリッチを聴く

2017-05-19 20:21:57 | 音楽
ちょうど1週間前のこと。水戸室内管弦楽団とアルゲリッチが奏でるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を聴きに水戸まで行ってきた。

会場は水戸芸術館コンサートホールATM。わずか600席のホールということで音響の良さを期待してたけど、ホールに足を踏み入れた瞬間コントラバス(ちょうど音の調整中だった)のふくよかな響きに出迎えられ、あぁこれは期待以上のホールだと確信した。

とにかくこじんまりとしたホールなので、客席と舞台の距離が近い。というか、ほぼ一体化してる感じ。(ホールの一番後ろに立ってさえそう感じる。)そして木をたくさん使っているので音がとても美しく響く。
舞台が近いから奏者を至近距離で見ることができ、膝に置いたバッグから音の震えが手のひらに伝わる。(にもかかわらず、)耳は豊かでまろやかな響きに満たされる。ここまで五感が同時に刺激されるホールは初めて。こんな素敵なホールでアルゲリッチを聴けるなんて夢のようだった。

コンサート前半は水戸室内管弦楽団によるグリーグの組曲「ホルベアの時代より」とグノーの小交響曲(管楽九重奏)。
前半の曲は全く予習してなかったのだけど、すぐに音楽に惹きこまれ、楽しく聴いた。

休憩が終わり後半。アルゲリッチと指揮者が登場し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が始まった。
曲が始まってしばらくの間はオーケストラのみの演奏。その間、アルゲリッチは音楽に合わせて体をかすかに揺らしたり、ホールの天井の方を見上げたり。私の席からはアルゲリッチの顔がよく見えたので、オーケストラの演奏に耳を傾けつつ、目は彼女に釘づけ。彼女と同じ空間で、同じ音楽を愉しんでいることが嬉しかった。

そしていよいよピアノ。アルゲリッチの演奏は何度か聴いているけど、ホールや座席によって音の聴こえ方も違う。この日の音は、芯のある、ぎゅっとつまった音だなぁという印象。それが明確にしっかり響く。
弾み、飛び跳ねるような旋律でも、「音の凝縮感」と軽やかさという相反する感覚を同時に感じたのは、いま思い返してみると本当に不思議。

第2楽章はかなり集中して聴いていたはずなのに、記憶がほとんどない。(音楽に没頭しすぎて記憶することを忘れたのか。こんなこともあるのだな。)

第3楽章の冒頭、ピアノが始まったときにオーケストラの人たちの間に「あら?!」と微かに驚きを帯びたような笑みが広がったのは、間をあけずに3楽章が始まったからなのか、ピアノのテンポがリハーサルの時より速かったからなのか。いずれにせよ両者の掛け合いには全く支障ないまま、軽やかに、時にはダイナミックに曲が進んだ。

3楽章では同じような旋律が何度か繰り返されるのだけど、次はどんな演奏でくるのか、そのたびごとにわくわくした。
いつも不思議に思うのだけど、アルゲリッチのピアノは、どんなに速く強く弾いても気品があるし、緩急強弱を自在につけても音楽が「だらしなく崩れる」ことが決してない。
そしてこの人、「年とともに円熟味が増し…」という評が(いい意味で)全く当てはまらない。いくつになっても新鮮な驚きをもたらしてくれる。

この日のオーケストラについても記しておこうと思う。
事前に何度も聴いたはずのこの曲に「こんな美しい旋律があったのか」と、はっとさせられる瞬間が何度もあった。
さざなみのように音楽が静かに広がっていくような演奏も、ピアノにやさしく寄り添う演奏も、ピアノと対話するような演奏も、どの瞬間をとっても美しい音楽だった。

終演後は室内楽を聴いた後のような感覚をおぼえたのだけど、コンサート翌日に水戸芸術館スタッフのブログに載った指揮者の言葉が的確に言い表していた。「マルタは、オケのメンバーが自分の音をよく聴いているのを分かって弾いている。そしてマルタもオケの音をよく聴いているから、室内楽の頂点みたいな演奏ができた。」と。
完璧な演奏ながらも、あたたかみ、親密さ、穏やかさに満ちていた理由はそれだったのか。

この日の指揮者は小澤征爾。アルゲリッチとは何十年も前から共演を重ねてきた「盟友」ともいえる存在らしい。演奏を終えたあとのアルゲリッチの肩を「マルタ、おつかれさま!」というように両手でぽんぽんたたいたり、アルゲリッチから花を渡されて「僕にくれるの?!嬉しい!」という表情で顔を輝かせたり、舞台の上のちょっとしたやりとりからも二人の親密さが伺えて微笑ましかった。この夜の演奏には二人の関係性も大いに寄与していたはず。

ホールとオーケストラと指揮者とアルゲリッチ。どれが欠けても成り立ちえない、奇跡のような素晴らしいコンサートでした。








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