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ダニール・トリフォノフとチョ・ソンジン

2018-01-14 20:11:04 | 音楽
「幸せな家庭は似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違う」とトルストイは書いたけど、芸術については逆のことがいえるのではないか。絵画でも音楽でも、素晴らしいものはそれぞれ異なった魅力があるように思う。

ダニール・トリフォノフとチョ・ソンジン。若手ピアニストと聞いて私が最初に連想する、ともに才能溢れる人たちだ。

彼ら2人のことを初めて知ったのは3年前。2015年6月12日、と日付まで特定できるのは、ジャンルカ・カシオーリのリサイタルの日だったから。
都心のホールで開催されるピアノリサイタルは入口で渡される公演のチラシも膨大な量で、そのほとんどがピアノ関係。パラパラと最初の数枚に目をやったものの奏者の名前をほとんど知らず、誰がどんな演奏をするのかも想像がつかない。(奇跡とか天才とか◯◯絶賛とか巨匠◯◯の正統な後継者とか、煌びやかな言葉はたくさん踊っていたけれど)

ちょうどその日は床に直置きしたくない(でも膝の上にも載せたくない)荷物があって、荷物の下敷にとチラシの束の中から何も考えずに1枚を引き抜いたところで知人が到着した。
久しぶり、おつかれさま、リサイタル楽しみね、なんて軽く言葉を交わした直後、知人が文字どおり血相を変えて聞いてきた。「それ、どうしたのっ?!」
視線の先にはさっきのチラシ。え、これ?この束の中に入ってたけど?
チラシには髪の毛サラサラの青年の写真。まだ若いけど、もの凄い才能をもったピアニストなのだと知人は言う。それがダニール・トリフォノフだった。

ふたたびチラシを繰っていると、あるチラシを見て「この人は才能がある」と知人が言う。それがチョ・ソンジンだった。(こちらは既に実演に接していたそうで、知人も冷静だった)

同じ日に名前を知り、その後も似たような時期にリサイタルに行く機会があったことに加えて、二人とも才能を感じさせるし活躍の場もどんどん広がっているから、私の中では同じ記憶の引き出しにおさまっている。にもかかわらず、演奏から受ける印象は全く違った。
のだけれど、今年になってチョ・ソンジン の弾くショパンのピアノソナタを聴いたときにフッとトリフォノフ のことを思い出したのは何故だろう。
(もしかすると冒頭のトルストイの言葉は「逆」じゃないのかもしれない。)






ジョナサン・ノット&東京交響楽団「ドン・ジョヴァンニ」

2017-12-31 22:23:18 | 音楽


ミューザ川崎で上演されたコンサート形式のオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の感想。

コンサート形式のオペラ、なのに演出家の名前があったのである程度期待はしてたけど、期待以上に楽しめた。「演劇を観た」感が強い上に、ステージ空間を本当に巧く活かしていて、歌手とオーケストラの一体感もある。これまで「コンサート形式のオペラ」に抱いていた印象がかなり変わった(オペラやコンサートと並ぶひとつのジャンルだと思った)。

演奏について。
オーケストラには冒頭から惹きつけられた。はっとする瞬間が何度もあったけど、とりわけホルンやフルートが印象に残った。第2幕冒頭、弦楽器の官能的な音にも驚いた。
全体的に余計なものを削ぎ落としたような音楽なのに、その脊髄は驚くほど高濃度だと感じた。

演出について。
合唱の人一人一人にも演技がついていて、好きなタイプの演出。(演出監修の原純さんという方、ペーター・コンヴィチュニーから演出を学んだときいて納得した)
演出で気に入ったところは、
◇序曲で舞台に登場し、去っていくドン・ジョヴァンニ
◇婚礼の場面で、一人一人が演技してるところ
◇終盤の照明の切替
◇いろいろな用途に使われる台
◇最後に投げキスして去っていくドン・ジョヴァンニ

終盤の演出、倒れていたドン・ジョヴァンニがゆっくり起き上がって皆の周りを歩き舞台から去っていくところで、2011年のスカラ座(R.カーセン演出)を思い出した。
どちらも「わるいやつが地獄に落ちました、めでしめでたし」で終わらないところがいい。

演出とは違うけど、指揮者のジョナサン・ノットの指揮姿も格好良かった。随所でハンマーフリューゲルを弾きながらなので立ったり座ったりの指揮だけど、立っても座ってもとても絵になってた。


公演から一夜明けても頭の中で音楽が鳴り、ノットの指揮姿や歌手たちの歌い動く姿を何度も反芻した。
聴きに行くきっかけとなった標題役が来日できず残念だったけど、それを補って余りある素晴らしい公演だった。


ところで、歳のせいか季節のせいか、今年はオペラの翌日によく体調を崩した。9月の「魔笛」の後は寝込んで会社を休んだし、この「ドン・ジョヴァンニ」の後は喉を痛めた。精神が満たされる一方で身体は消耗するのか。甘美劇薬モーツァルト、オペラ観るのも命懸け。(来年は公演翌日の消耗も見込んで予定を組みたい)






エディタ・グルベローヴァ「ランメルモールのルチア」

2017-11-30 23:45:52 | 音楽
昨年に引き続きグルベローヴァが来日するというので、今年もまた聴きに行った。
演目はハンガリー国立歌劇場の「ランメルモールのルチア」。最終幕、10分以上にわたる「狂乱の場」が聴きどころ。



グルベローヴァの声には今回も圧倒された。光を帯びた声に陶然とし、高音を伸ばす(アクートというらしい)ところでは何度も鳥肌が立った。そして狂乱の場の美しさといったら!

もう最後かもしれない、さみしい、とか、70歳になっても歌ってて凄い、とかの音楽以外の雑念は一瞬で消え去った。

思えば彼女の歌声を初めて聴いた時からそうだった。
今から15年前、「ノルマ」の1幕目で早くも夢見心地な気分になったことを鮮烈に覚えている。(その後、いい気分になった勢いで飲んだシャンパンが体内を巡り、次の幕で舟をこぎ横からコツンとつつかれたことまでセットで良い思い出)

15年後もこうして同じ場所で彼女の美声を聴けるなんて奇跡みたいだ。

彼女の歌だけでなく、舞台(グレーがかった色合いや効果的な照明)も演技(歌手たちの動き)も良かったし、オーケストラも素晴らしかった。艶やかな弦に優しいフルート、何度もオーケストラピットを覗きこんだ。
そして会場。音楽が立ちのぼり、よく響くおかげで美声と美音を心ゆくまで愉しめた。

そんなわけで、3週間経っても晴れやかな気持ちで思い出せる、幸福な公演でした。






梯剛之 ショパン・リサイタル2017@東京文化会館 小ホール

2017-11-12 21:11:14 | 音楽
10月下旬、梯剛之のピアノリサイタルへ。会場は東京文化会館の小ホール。



昨年6月に聴いたときとはまた違った印象。
今回は葬送行進曲とノクターン(20番)の叙情的な演奏が特に心にのこった。


曲目(すべてショパン)
即興曲第1番、2番、3番、4番「幻想即興曲」
ピアノ・ソナタ第2番「葬送行進曲付き」
ピアノ協奏曲第1番(弦楽四重奏版)
アンコールは遺作のノクターン






オペラの適温と朝靄の金木犀

2017-10-12 23:34:02 | 音楽
最低気温が17度または10度を下回ると温かい飲みものの売上がぐっと増えるというデータに基づき、JRの駅の自販機はそのタイミングでホット飲料を導入したり増やしたりしているらしい。

少し前がまさにその最初のタイミングだったようで、おかげで最近は駅のホームで温かいお茶を飲めるようになった。
これから秋が深まって最低気温が10度を下回るようになると選択肢がさらに増えるはず。ホットの林檎ジュースとか。

ところで私の場合、どうやらオペラにもこのような「気温の境界線」があるらしい。
少し先に予定している公演があるのだけど、それは先日のモーツァルトと違って「オペラと聞いて連想する、ソプラノ歌手がうぁーーーーっと高い声で絶叫するようなオペラ」で、高温多湿の季節にはどうしても聴く気になれなかった。(吉田秀和氏も「高揚する情念」という絶妙な表現を用いて似たような趣旨のことを書いておられた。その高揚する情念が聴き手の逃げ道をことごとく塞ぎ、迫り、まとわりついてくる!)

そういうわけで予習用に借りたCDはだいぶ前にiPhoneに入れていたものの、駅の自販機にホット飲料が登場するくらいでは耳が受けつけず、10月になって「この頃、なんだか朝晩は寒いくらいね」という時候の挨拶が交わされはじめてようやく聴いてもいいなという気分になった。(調べてみたら最低気温が15度を下回った頃と一致した)



まとわりつく情念も迫りくる音楽も、肌寒い空気の下ではそれほど不快ではない。
そして肌寒くなるとコーヒーも温かいものが恋しくなる。そういえば水出しコーヒーからホットコーヒーにしたのも同じようなタイミングだったな

とはいえ今は、先週末からぶり返した暑さのため予習もいったん中断している。ふたたび飲みはじめた水出しコーヒーを片手に聴くのはカシオーリかブレンデル。ピアノの独奏は季節を選ばないみたい。