ビバさんのさんぽ道

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加悦SL広場が3月末で閉園に

2020-03-22 02:02:45 | 遠出(国内)
京都府与謝郡与謝野町滝にある「加悦(かや)SL広場」が2020年3月末で閉園になるというので、21日に行ってきました。

7時32分京都発の特急きのさき1号で8時38分綾部着、8時51分綾部発9時13分西舞鶴着までJRで行き、


JR西舞鶴駅のホームから続きになっている京都丹後鉄道の西舞鶴駅に移動すると、隣接して京都丹後鉄道の車両区があり、ラッピング列車が停まっているのが見えました。



9時37分西舞鶴発の京都丹後鉄道で宮津、天橋立、岩滝口と過ぎて、



10時25分与謝野駅に着きました。。




与謝野駅の駅舎の中に「丹後山田駅資料室」がありました。
「丹後山田駅」とはなんじゃろうと思ったのですが、与謝野駅は1925年~1990年は国鉄、続いてJR西日本の「丹後山田駅」と言われ、1990年に北近畿タンゴ鉄道に移管されると「野田川駅」となり、2015年からは京都丹後鉄道の「与謝野駅」と改称されたのです。
国鉄時代は複数の線路が引き込まれ、1926年~1985年には加悦鉄道がこの丹後山田駅から加悦駅まで走っていたので、この駅はかなり重要なポイント駅だったようです。資料室には、国鉄・JR西日本だった頃の、駅にゆかりのある鉄道部品や、戦争中に出征する兵士達を見送る写真が展示されていました。




駅前に大きな建物があり、駅が賑わっていた頃に、丹後ちりめんの行商人達がたくさん泊まったという旅館「大正亭」の跡ではないかと思われました。

与謝野駅から11時1分発の丹海バスで11時31分に「SL広場西」で下車、徒歩5分で「加悦SL広場」に着きました。
与謝野駅からレンタサイクルがあるらしいので、それを借りて廃線跡を走ろうかと思っていたのですが、3月末までの冬季は休業していて利用することができず、時間待ちの長いバスで行くしかありませんでした。


SL模型が乗っているアーチが「加悦SL広場」の入口になっています。



加悦鉄道の旧加悦駅を復元した建物が入場受付になっています。
加悦駅は大正時代の代表的な洋風建築の一つとして知られ(町指定文化財)、待合室には当時の時刻表、ランプ、時計、ベンチなどが置かれ、展示室には昔の駅で使われていた鉄道用具やレールがたくさん展示されていました。



駅舎の二階も飼料が展示されていました。

加悦鉄道は、1925(大正14)年、丹後地方の町民823名の出資によって設立され、翌年、国鉄の連絡駅、丹後山田駅から加悦駅の間、5.7kmが開業しました。
当初は沿線の特産品である丹後ちりめんを京阪神地区に輸送することを主目的としていましたが、その後、加悦駅の南西にある大江山でニッケルの採掘が開始されたため、1940(昭和15)年に加悦駅から大江山鉱山駅までの貨物専用線が2.6キロ延長し、1942(昭和17)年には丹後山田駅から北東の岩滝町にある精錬所(日本冶金工業大江山製造所)への専用線も開通しました。しかし、戦後は蒸気機関車からガソリン車、ディーゼル機関車に変わり、さらに、自動車交通の波に押され、1985(昭和60)年に加悦鉄道は廃止されてしまいました。

その後、1996年からは大江山鉱山駅跡地に、加悦鉄道を走っていた多くのSLや気動車など27両を展示して、鉄道保存展示施設「加悦SLの広場」として、宮津海陸運輸株式会社が運営してきました。しかし、車両の整備をする技術継承が困難で、車両の維持が難しいという理由で、2020年3月末で閉園することになったのです。



閉園前だというので、家族連れや鉄道好きらしい男性がたくさん来ていました。
3月31日までは毎日営業しています。午前10時~午後5時開園。入場料大人400円。




場内周遊ミニ列車「ロケット号」と、きかんしゃトーマス・バッテリーカーも走っていました。



重要文化財になっている2号蒸気機関車(旧鉄道省形式120)(鉄道院時代に123号に番号変更)(与謝野町指定文化財)(日本産業考古学会産業遺産認定)
1873(明治6)年にイギリスで製造され、輸入されたもので、日本で2番目に古いSLです。1874年から大阪~神戸間を走り、活躍していましたが、1915年、簸上鉄道(島根県)に払下げ。1926年に加悦鉄道が購入、1956年まで297,800キロを走りました。

なお、加悦鉄道の1号車は鉄道省5100形で、加悦鉄道開業の際、相模鉄道より購入したものでしたが、1936年に解体され現存していません。




1261号蒸気機関車(旧鉄道省形式1260)Cタンク。(与謝野町指定文化財)
1923年、日本車輛製造(株)で製造のC形タンク機関車。1943年ニッケル鉱石輸送のために、国鉄より加悦鉄道が譲り受ける。ニッケル輸送、貨物輸送、旅客輸送に活躍。1967年使用廃止。



(左)C58形蒸気機関車(C58390号)
  唯一の本格的テンダー(炭水車)式1C1型機関車で、テンダー式として、最初の密閉式運転室を採用し、主に寒冷地に配属されました。
1946年、旧国鉄が汽車製造(株)で製造。函館本線、石北本線に配属され、1975年まで走りました。同年、展示用として旧国鉄より借用しました。

(右)C57蒸気機関車(C57189号)
  歴代蒸気機関車のうち最も端麗とされ、「貴婦人」と呼ばれました。
1946年、旧国鉄が三菱重工三原製作所で製造。国鉄新潟機関区、山陰本線、羽越本線等で1971年まで走りました。1973年展示用として、旧国鉄より貸与を受けました。




4号蒸気機関車。C形タンク。(与謝野町指定文化財)
1921年、河東鉄道(長野電鉄)が川崎造船所兵庫工場で製造。河東鉄道3号機。1934年に長野電鉄より譲り受け、1940年、空気圧縮機、空気ブレーキ取り付け。旅客と、日本冶金大江山製造所の貨物輸送に活躍し、1967年まで稼動しました。



103号蒸気機関車。
アメリカのH.K.PORTER CO.社が1915年に製造し、長門鉄道を経て、1947年、東洋レーヨン滋賀工場で入替用に使用、1964年まで稼動。同年、宝塚ファミリーランドへ寄贈され、カウキャッチャーなどが整備されたのち、展示保存されていました。





京都市の大宮交通公園に展示してあったC160は、同公園の改修に伴って、加悦鐡道保存会に譲渡され、2019年12月に「加悦鐡道資料館」に帰郷し、旧加悦駅の横に展示されています。
上の写真は大宮交通公園にあった時(2019年9月28日)のものです。



投炭練習機。
蒸気機関車のボイラーに石炭を投入する基本動作、火床の理想的形成方法などを訓練するための設備で、左の石炭庫から右のボイラーの中に投入します。


手動式の転車台で、現在でも動かす事ができます。




キハ101。(与謝野町指定文化財)
1936年、加悦鉄道10周年を記念して、日本車輌株式会社で新造した半鋼製片ボギー車。貴重な三軸車。第2次世界大戦中は木炭を燃料にしたこともある。
2004年4月、動態化復元に成功しました。



40900形 内燃三等荷物動車(キハユニ51号)。(与謝野町指定文化財)
1936年、芸備鉄道(昭和12年国鉄が買収)が発注し、日本車輛株式会社で製造。40900形キハユニ18。1952年、舟木鉄道(昭和36年廃止)へ払い下げ。1962年加悦鉄道に譲り受け、改造後キハ51。1985年まで稼動。1994年キハユニ51に修復。ローカル線専用のデッキ付き。



DB201。
1953年、株式会社森製作所で製造。戦後、石炭価格の高騰に伴う運転経費の増大に対処するため購入。蒸気の足回りを利用した草分け的ディーゼル機関車。森製作所製機関車の唯一の生き残り。”森ブタ”の愛称で親しまれています。1999年動態化復元に成功しました。







DC350形内燃機関車(DC351号)。
1956年、南部鉄道が汽車製造(株)で製造。1967年、加悦鉄道が譲り受け、蒸気機関車廃止後の日本冶金工業大江山製造所の貨物列車を牽引しました。



DB202。
1963年、株式会社日立製作所で製造。日本冶金川崎で、構内側線、神奈川臨海鉄道で1984年まで使用しました。動態保存中。



小型内燃機関車(KD-4) 通称「カトーくん」。
1956年、日本通運が加藤製作所で製造。キリンビール専用線、専売公社専用線などで使われていましたが、1976年廃車になり、1999年加悦鉄道が譲り受け展示しました。動態保存中。

後方に続くのは、遠州鉄道ト400形無蓋貨車(ト404)。
1923年遠州鉄道が大阪梅鉢鉄工所で製造。2000年遠州鉄道で廃車となり、加悦鉄道保存会が譲り受け展示しました。
加悦鉄道ではニッケル鉱石を輸送するための無蓋貨車を50輌以上保有していました。



ラッセル雪かき車 キ165。
1938年、旧国鉄土崎工場で製造。山陰線で活用した雪かき車。後部に連結した蒸気機関車より動力と圧縮空気を供給され、前方と左右の翼で積雪を左右に押し分けて除雪を行います。1981年加悦町が展示用として国鉄より借用しました。




TMC100。
1961年、富士重工宇部工場で製造。保線用として譲り受け。方向転換もできるラッセル併用多目的車輌。動態保存中。




ハブ3号形客車 付随荷物緩急車。(与謝野町指定文化財)(日本産業考古学会産業遺産認定)
1889年ドイツで製造、九州鉄道が購入。1922年に伊賀鉄道へ払下げ後、1927年から加悦鉄道で走行。客室(定員24人)と手荷物室にわかれています。



ハ10形付随客車。(ハ10号)(与謝野町指定文化財)(日本産業考古学会産業遺産認定)
1926年、伊賀鉄道が大阪梅鉢鉄工所で製造。加悦鉄道創業の際、新車を譲り受けました。二重屋根を持つボギー台車で、創業から1968年まで旅客輸送に活躍しました。



内部。中央一段高くなった屋根の下に明り取りの窓があります。







ハ4975形付随客車。(ハ4995号)(与謝野町指定文化財)(日本産業考古学会産業遺産認定)
1893年、旧逓信省鉄道庁新橋工場で製造。1928年、鉄道省より加悦鉄道に譲り受ける。定員40人。木造、2軸、二重屋根を持つ、明治期の代表的非貫通型客車で、「マッチ箱」と呼ばれていました。製造当初の照明は天井より吊り下げたランプでした。1935年に廃車となり、加悦駅構内で倉庫として使われていましたが、1970年復元されました。


椅子は畳貼りになっていました。




サハ3104。
1925年、藤永田造船所で製造。キハ083稼動までのつなぎとして譲り受け。元は電車でしたが、加悦鉄道では客車として1972年まで朝夕時のみ稼動(3年間)。その後側板を撤去し、休憩車として利用。1996年移転に伴い、”カフェトレイン蒸気屋”に改造しました。
閉園前のためか、レストランは営業していませんでした。



京都市電 N5号。
京都市電は、1985(明治28)年、京都の七条駅-伏見間に日本最初の電車として開通し、1961(昭和36)年、京都駅-北野神社間の廃線によって廃車しました。北野線所属28両中の23号車(1910年梅鉢鉄工所製造)が宝塚ファミリーランドを経て譲渡、展示されていました。
同じく北野線で走っていた1911年梅鉢鉄工所製で京都市平安神宮で保存されている市電が、2020年に重要文化財になったので、これも同じような価値がある車輌ではないかと思われます。


以上のように、加悦SL広場には蒸気機関車6輌、内燃機関車9輌、付随客車6輌、その他の車輌6輌で計27輌の車輛が展示されています。
これだけの数の貴重な産業遺産が残るSL広場、閉園になったら、これらの車輌はどうなるのでしょうか? 保存のために、与謝野町や京都府が何とか動いてもらえないものでしょうか?



加悦SL広場がある場所は、元は加悦鉄道の「大江山鉱山駅」があったところです。この南西方向には大江山があり、その北西山麓から1934年から1945年までニッケル鉱石が掘り出され、この駅から運び出されていました。大江山鉱山の採掘には、日本人鉱夫の多くが出征し人手が足りなくなると、学生、囚人が大量に投入され、さらに戦争の連合軍捕虜が投入され、強制的に労働を強いられました。



SL広場の近くに3本の煙突が立っているのが見えました。これは、ニッケル鉱山の跡で唯一残っているもので、採掘した土を乾燥させるための設備でした。大江山ニッケル鉱山の跡がこんなに近くにあるとは全く意外でした。

辺りは今では「大江山運動公園」になり、アスレチックやグランドゴルフができるようになっており、近くには「道の駅 シルクのまち かや」「よさの野菜の駅」「リフレかやの里」「加悦工芸の里」などの施設が立ち並んでいました。


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