CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

感じる時間

2012-11-22 09:37:18 | 日記
雨の予報だったが、晴れている。
あわてて、洗濯機のスイッチを入れる。
鳥たちが歓喜の歌を唄いながら飛び回っている。

そんな朝。

我が家の前の山桜の木の間に1本柿の木があり、たわわに実をつけている。
もう何年も経っている木なので、実に手が届くわけもなく、毎年、鳥たちのお食事として供されている。

「携帯番号とメールアドレスがかわりました」とメールが届く。
あ・・・この人もスマホかぁ・・・とため息をつく。
まぁ、ケータイのショップを覗くと携帯電話はほとんど姿を消しているのだから、
仕方ないとも言えるが・・・
それにしても、携帯電話で充分と・・・みんなが考えればスマホなんていらないのに。

我が家は、いわゆるテレビゲーム全盛期に子どもを育ててきた。
我が家には、いわゆるテレビゲームはなかった。(モノポリーが主役(笑))
テレビゲームのない家には、友達は来ない。とまで言われたが、買わなかった。
あれば、使いたくなる。あるのに、我慢しろ。それは無理だと思った。
なにしろ、仕事に出ていて、子どたちだけの時間が長い。
自制することは、大変なことだ。

以前にも少し書いたが我が家に『携帯』が導入されたのは、
ひとり親世帯となって、子どもたちが、常に私と連絡を取れるようにしたかったから。
比較的、遅い時期の導入だ・・・
そして、今や我が家にも大量のゲームソフトがあり、大きくなった子どもたちがそれに興じている。
なんとも・・・私には理解しがたい。

先日、友人のブログにタブレット購入。タブレットからの初ブログ更新とあった。
ん?それは、電車の中かしら???

私自身、ケータイ依存症気味だと思う。
電車の中でメールを受信すれば、直ぐに読む。
ささっと、返事のできるものには即返信。
そんな自分が、車窓の景色を見ることをしなくなっていることに気づき少しゾッとした。

今や電車の中は、個人のprivate空間がひしめき合っているかのように
座っている人も膝にはPC
タブレットをのぞき込み画面に指を走らせている。
立っている人たちも、スマホを覗きこんでる。

これを異様な風景だと感じる私が、おかしいのだろうか・・・
これを危険な風景だと感じる私が、おかしいのだろうか・・・

以前、車内でメイクしている女性が現れ始めた時、世間は色々物申したし、
一般的に『おかしい』ことだと言われた・・・

私には、今、車内で繰り広げられる光景も同じように『おかしい』と思えるのだが・・・

携帯電話の使用は車内マナーに反するというのは、一般常識になった。
今繰り広げられている光景は、うるさくないし、
それぞれ、眠ってる人もいるし、静かなら迷惑をかけていないし、指摘する人はあまりいない。

でも・・・女の子のメイクは指摘されていた・・・

今、繰り広げられている車内の光景は、なぜ、容認されるのだろう。
経済活動に不可欠で人が人として成長している姿なのだろうか。

気づかないまま、何かを失う。。。

私には・・・理解しがたい何かが、この30年くらいで加速してしまっている不安を感じる。

つまり、電車の車内や道路は、自室ではないわけで、
そこは、他人が空間を共有しているわけで、
それらの人々が、お互いに意識し合うこと(気を遣うこと)で成立する空間。
社会的空間だと思う。

その場所で、画面からの情報に意識が集中したり、
その画面の中の人たちと交流していたり・・・

だから、私は、スマホはもたないぞ!と思うわけです。
つまり、もったら我慢できなくなる、依存する自分がわかるから。
なくても、不自由しないから。
というより、ないほうが『感じる時間』を楽しめそうだから。

そのほうが
道ばたの秋桜や、
山桜の葉が落ちる姿とか、
ひこうき雲に気がつく機会を確保できそうだもの。

そんな風に思うのです。

心がいつでも感じて、風に舞うように、そんな状態でいたいと思う私です。

そんなことを言いながらも、レッスンの音に集中しながら街中を歩いている私。
あまり、褒められたものではありませんね(^^ゞ

そうだ!あまり本を読まない私からのお薦め本!
川上弘美さんの『七夜物語』・・・『ハリーポッター』より私はこっちが好き(^.^)

『感じる時間』を大切にしたいこの頃です。