CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

2011年7月26日 JICA二本松避難所 その2

2012-11-07 05:15:51 | 被災地のこと(記録と記憶)
今日は、11月5日のブログの続きです。

私には、じっちゃんが、嬉しかったのか、怒ってるのか・・・わからなかった。
わからないまま、握手を待っているほかの方たちの元へ走った。

「ありがとね。これからも、がんばってねぇ」
「素敵だったよぉ」
「今度、淡谷のり子さんの歌も聞かせてよ」

みなさんから、励まされたのは私の方だった。

そして、あの嗚咽していたおかあさん。その娘さん・・・そのお子さん。親子三代・・・
「じっちゃんのところ、行ってくれてありがとう。私の父です。」
娘さんは言います。
「あの日、まだ歩くこともできなかったこの子が、今はもう歩けるんですよ。
 『春よ来い』歩き始めたみぃちゃんは、この子のこと。おんもへ出たいと・・・」
と涙を浮かべていました。

この日は、私のイベントのあとにもう一つイベントがありました。
宮川彬良さん(ピアノ)と平原まことさん(サックス)の音楽会。
スタッフの方にお時間があればどうぞと声をかけられた。

音楽会が始まるまでの間・・・じっちゃんの姿が脳裏を駆け巡っていた。

私とは違い、生まれ育った土地は自分の一部のような感じなのだろう。
そこから、離れることは身を切られるような感じなのだろう。

そこへ戻ることができない。いつ戻れるかわからない。
戻れないまま、自分は死んでしまうかもしれない。
不安や怒りを誰にもぶつけることができない。

じっちゃんの心の叫びが聞こえるようだった。

音楽会の時間になった。
講堂のグランドピアノの周りに、L字型にパイプ椅子が並べられていた。

空いている席に座り、演奏を聴いていると、ふと、強い視線を感じた。
誰かが私を見ている。。。確認してみると、じっちゃんだ!

会場中の人たちは、宮川彬良さんと平原まことさんを見つめている。
楽しいトーク、素晴らしい演奏。。。
その中で、じっちゃんは、じっと私を見つめていた。
そばに行こうかと、なんども考えたが、我慢していた。

音楽会の最後に、女性が登場し、会場のみなさんもご一緒にと『ふるさと』を唄い始めた。
じっちゃんは、私を見つめたまま、大粒の涙をこぼし始めた。
私は、たまらず、じっちゃんのもとに駆け寄った。
じっちゃんが・・・これまで人前で泣いたことのないような、頑固で偏屈そうなじっちゃんが
私の肩につかまり、手を握り、声を上げて泣き始めた。

なんで? なんで? じっちゃんが泣かなきゃいけないのは、だれのせい!
私も一緒に、泣いた。

演奏会は終了し、宮川彬良さん平原まことさんとの写真撮影の準備が始まった。
私は、ご挨拶もそこそこ会場を後にした。

じっちゃんは、何一つ・・・言葉では、語らなかった。
じっちゃんは、ただただ、泣いた。声を上げて泣いた。
私の肩につかまり、私の手を握り、体を震わせて泣いた。

じっちゃん・・・今どこにいるのかな?元気にしてるかな?

時は過ぎてゆくけれど、そのことで、
さらに深い悲しみや絶望に包まれたりしていないだろうか。

もし、そうだとしても、笑顔の時間が少しでも増えている事を祈らずにいられない。