CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

南相馬でのこと

2012-11-11 09:18:47 | 被災地のこと(記録と記憶)
今日は、11日。

脱原発の集会が全国で展開される予定なのにあまり報道されない。
日比谷公園を出発点とするデモは、東京都が公園の使用許可をしなかったため中止となった。

その他の行動は、予定通りとのこと。

私は、遅番勤務。仕事をしながら、雨が降らないことを祈ることになる。
高齢の方やお子さん連れの方は、くれぐれも体調管理を優先されますように。

私は、今年9月11日に『城南信用金庫』に口座を開設した。
1000円。。。
その後、火の車の車輪すら『城南信用金庫』を通過することができず、1000円のまま(-_-;)

『城南信用金庫』の電力に対する、原発に対する、判断と行動に賛同するから、
メインバンクにしようと決めたが・・・なにしろ火の車のメインバンク・・・
あまり役には立たないかも。。。なにしろ、残高1000円のまま・・・
住宅ローンの借り換えも申し出てみたが・・・私の収入と雇用の状態では、無理だとの判断。
だろうな・・・家人の年金と同じか少ないくらいの私の収入。昇給も退職金もない。
そんな私だが・・・
宝くじ当たったら、城南信用金庫の口座に入金することを誓う!

さて・・・南相馬のこと。

7月27日、宿泊は『和風亭もりのゆ』
宿に到着して、目にしたものは、壁にある修理のあと。
修理・修復ができていない部屋は、天井のエアコンが、落ちかけてダクトが垂れ下がったまま。

日帰りでお風呂が利用できるため、近隣の避難所から被災者の方がいらしていた。

宿からほど近い食料品や日用雑貨を扱うお店を覗いてみた。

店先に美味しそうなトマトがあった。きゅうりも。
お店の方に、「これください。」というと
「あんた、どっから来たんかい?」と問われた。
「東京です。明日、原町の避難所で歌唄うんだ。」
というと、目を丸くして
「東京の人が、南相馬の野菜を食べてくれるんかい?」
というではないか・・・
「だって、とっても美味しそうだし(^.^)おばさんも毎日食べてるんでしょ。
な~んも。な~んも。心配ないさ。」
おばさんは、店の奥に
「この人ら、東京から来て、避難所回ってるんだってさ。うちのトマト食べてくれるって。」
と大喜びだった。そして、沢山お土産をくれた。

そのお店には牛乳がなかったので、街中を歩く事にした。
というか・・・福島に入ってから、ずっと牛乳を手に入れることが難しくなっていた。
どこのお店にもない。

原町区の商店街は、ほとんど人通りがなかった。
シャッターがおりている店がほとんどで、車も少ない。

喫茶店でコーヒーでもと思ったが、なかなか見つからない。
なにしろ、誰かに聞きたくても人とすれ違わない。

やっと見つけた喫茶店に入りコーヒーを飲む。
ホッとする。

お店のご主人はいう。

配送の人から電話が来るんだ。
どこどこまで来たから荷物を取りに来てくれって。
ここに、オレら暮らしてるんだよ。
それなのに、ここに来るのは嫌なんだと。被爆が怖いんだと。
オレら、ここに生活してるんだぜ。
配送の人間も入ってこない。
去っていく人もいる。子どもが小さかったり、いろいろ事情はあるんだと思う。
現にうちのかみさんも子ども連れて避難している。
温泉の避難所で三食昼寝付きさ・・・
そんな風に思いたくないけど、ふざけんな!町を誰が守るんだって思ってる自分がいる。
テレビつけりゃ、東京の公園で線量計もって測って大騒ぎ・・・気分悪くなってテレビを消す。
オレらのとこの線量測ってみろって言ってやりたい。
人間だ。生きてるんだ。ここで。
腹立ててる自分も・・・あほらしくなるけどな・・・

多分・・・原発を受け入れるときにも、町や村の人々は反対する人、賛成する人・・・
利害も絡み辛い思いを強いられたと思う。

そして、いま・・・3.11前は、
「おはよう!」
「よう!元気にやってるか?」
と言葉を交わした人々が・・・それぞれの選択を強いられ、
言葉を交わすこともできなくなり、絆を失っている。。。

その現実、それを引き起こした原因、それを容認してきた私たち。

南相馬で過ごした時間も、多くのことを考えさせられた。

南相馬に入る前の宿。被災者が避難している温泉旅館。
隣の部屋は、被災者一家だった。小さなお子さんを連れていた。
三食昼寝付き・・・のご身分。と思われがちだか、
ひとりの子どもを抱っこして、やんちゃ盛りのこの手を引く彼女はこう言った。
「本当に、ありがたいんです。美味しいあったかいご飯。
でも・・・納豆だけでもいい、
自分の炊いたご飯をこの子たちに食べさせてあげたいって・・・
自分の刻んだ野菜を食べさせてあげたいった・・・
早く仮設に入って、自分たちの食べたいものを食べたいと思うんです。
贅沢ですよね。。。」と少し顔を歪めていた。

外から見れば、温泉旅館に暮らせるなんていいじゃないと思うが
そんなモンじゃない。そのことを思い知らされたひとコマでした。

喫茶店のマスターに彼女の言葉を伝えると
「それじゃ帰ってこいってんだ。この町から温泉に逃げ込んでる奴らもいるんだ」と。

心が、感情が、3.11.以来、どんなに痛めつけられているのだろう。

外から見ている私には、代わることのできない苦しみが、町中に溢れていました。

テレビでは、頑張ろう!絆!と繰り返し流されている。

その画面に、言葉に、助けられている多くの人がいる。
その一方で、その言葉が空虚に響き、苦しんでいる人がいる。

2011年7月の南相馬でのこと・・・また、書きます。