2018年が終わろうとしている。
いつものように日が暮れて、朝が来る。
が、自分を振り返り、先をイメージする。
ほんの少しだけ、そのきっかけをくれる日かもしれない。
2018年は、たくさん歌う機会をいただいた。
前からわかってはいたが、舞台とは恐ろしい。
全てが見えてしまう・・・そのことを改めて思い知る年となった。
Liudas Mockunas の4日間。
感じあい、感じたことから、大切に音を繋ぐ。
理屈ではなく、意味でもない。
空気の圧や色や、景色が変わる。
それはきっとミュージシャンの心が
自由にしなやかに、膨らんだり縮んだり、
走り出したり、立ち止まったりするからに違いない。
そのしなやかな感性あればこそ、
こちら側(立ち会っている観客)が、自由にイメージできる。
心が動くことが、必須。
もちろんそれは、じっとしているという動きも含めてだ。
心が動かなければ、音(コトバ)を発した瞬間に『嘘』が見える。
集中と解放、そして血肉化。
吟味し、留意し、解き放つ。
今年感じたことを、どこかに大切に抱えながら、
2019年は歩くとしましょう。
私の人生は、まだ始まったばかり。
そんな気持ちの年の瀬となりました。
2018年、多くの方にブログを覗いていただきました。
ありがとうございました。
2019年も頑張らずにブログ続けていきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
いつものように日が暮れて、朝が来る。
が、自分を振り返り、先をイメージする。
ほんの少しだけ、そのきっかけをくれる日かもしれない。
2018年は、たくさん歌う機会をいただいた。
前からわかってはいたが、舞台とは恐ろしい。
全てが見えてしまう・・・そのことを改めて思い知る年となった。
Liudas Mockunas の4日間。
感じあい、感じたことから、大切に音を繋ぐ。
理屈ではなく、意味でもない。
空気の圧や色や、景色が変わる。
それはきっとミュージシャンの心が
自由にしなやかに、膨らんだり縮んだり、
走り出したり、立ち止まったりするからに違いない。
そのしなやかな感性あればこそ、
こちら側(立ち会っている観客)が、自由にイメージできる。
心が動くことが、必須。
もちろんそれは、じっとしているという動きも含めてだ。
心が動かなければ、音(コトバ)を発した瞬間に『嘘』が見える。
集中と解放、そして血肉化。
吟味し、留意し、解き放つ。
今年感じたことを、どこかに大切に抱えながら、
2019年は歩くとしましょう。
私の人生は、まだ始まったばかり。
そんな気持ちの年の瀬となりました。
2018年、多くの方にブログを覗いていただきました。
ありがとうございました。
2019年も頑張らずにブログ続けていきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。