CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

2018年に感謝し、2019年を思う。

2018-12-31 00:05:02 | 表現にからむ様々なこと
2018年が終わろうとしている。
いつものように日が暮れて、朝が来る。
が、自分を振り返り、先をイメージする。
ほんの少しだけ、そのきっかけをくれる日かもしれない。

2018年は、たくさん歌う機会をいただいた。
前からわかってはいたが、舞台とは恐ろしい。
全てが見えてしまう・・・そのことを改めて思い知る年となった。

Liudas Mockunas の4日間。
感じあい、感じたことから、大切に音を繋ぐ。
理屈ではなく、意味でもない。
空気の圧や色や、景色が変わる。

それはきっとミュージシャンの心が
自由にしなやかに、膨らんだり縮んだり、
走り出したり、立ち止まったりするからに違いない。
そのしなやかな感性あればこそ、
こちら側(立ち会っている観客)が、自由にイメージできる。

心が動くことが、必須。
もちろんそれは、じっとしているという動きも含めてだ。
心が動かなければ、音(コトバ)を発した瞬間に『嘘』が見える。

集中と解放、そして血肉化。

吟味し、留意し、解き放つ。

今年感じたことを、どこかに大切に抱えながら、
2019年は歩くとしましょう。

私の人生は、まだ始まったばかり。
そんな気持ちの年の瀬となりました。

2018年、多くの方にブログを覗いていただきました。
ありがとうございました。

2019年も頑張らずにブログ続けていきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。




どうやら年の瀬。

2018-12-30 08:57:01 | 日記
怠惰なのは寒いせいだ。
片付けや大掃除が進まないのも寒いせいだ。
いやいや、違う。
私、ずっと仕事だし、この時期一番忙しくって、
頭フル稼働するから、一番疲れる時期で、
そんな時に、日常のあれこれ以上のことができるはずがない。

お煮しめを毎年頑張ったしおせち料理、手作りしていた。
今年は『筑前煮』と『なます』で勘弁してもらおう。
栗きんとん黒豆は、私の担当ではない。
SOSがない限り手を出さない。

どうやら年の瀬らしい。
いろんな人が帰省したり旅行に出たり、
子どもの頃の東京の空気に近づく。
私は静かになってくれるこの季節が、好きだった。

でも、ふと気がついた。
私、結構、嫌いかも、お正月。

この歳になって、やっと自分に素直になり始めているのかもしれない。

とは言っても玄関くらいは片付けるとしましょうか。。。
リビングも少し片付けて、玄関で凍えている鉢をリビングに移しましょうかね。

日常が淡々とながれているに過ぎないけれど、
片付けなくっちゃなぁと
少しだけ思わせてくれる『年の瀬』ではある。


愛しいものども

2018-12-28 10:36:05 | 日記
息子の胃カメラ。
アッシーである私は、付き添っている。
噎せあげる様子が外までわかる。
眠る薬使っているのに、10秒ごとに苦しそうだ。

この子が一歳になったばかりの頃、
原因不明の熱が続き、呼吸もおかしくなり、大学病院に入院した。
お母さんが付き添える病室と完全看護の・・・
すかさず、「付き添います!」
フルタイムで働いていたけれど、そんなことどうでもよかった。
幼い我が子、苦しんでいる我が子のそばにいることしか私には、考えられなかった。
10日ほど入院。
近所の銭湯に通いながら、ずっとそばにいた。
点滴の針が血管からずれて、手がグローブのように、
1歳の子の手が私の手くらいにむくんでしまい大慌てした。
そんなこんなを繰り返し、大学病院だから、何度も検査して原因は特定できず、
退院の前日、胃壁の組織を採取すると言われた。
その日は、朝から、食事はとれないので、空腹でぐずる息子を抱いて、
病院の中庭を行ったり来たりして時間を潰した。
胃壁採取は、病棟のナースステーションの奥で行う。
廊下で待ちながら、泣き叫ぶ息子の声を聞いた。
変わってあげられないことの辛さ。。。
でも、耳を塞がずに泣き声を聴き続けた。
そして「頑張れ!」と心の中で叫び続けた。

あの時のことを思い出した。

安定剤が効いた状況で車椅子でベッドに移動。
「若いから、反射がいい」それで噎せあげるらしい。
ちょっとボーッとした息子は、小さい頃に戻ったようだった。
可愛くって仕方ない。
四半世紀生きた大の大人をつかまえて、全く馬鹿じゃないの・・・
そう思われてもいいんです、私、馬鹿ですから(^^)

そう、愛しいもどものために、馬鹿になる。
これは、正しい、至極正しい。

私の抱え込む愛しいものども。

三人の子ども。
表現。
そして・・・あれやこれや。。。

ゆっくり呼吸をしながら、愛し続けていきたいな。。。
つまり、私、死ぬまで『お馬鹿さん』です。
お利口さんにはなれません。
愛しいものども、いっぱい抱え込んでいますから(^^)


閾値(イキチ)

2018-12-27 11:04:44 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
『閾値』この言葉が私にインプットされたのは、出産の時。
ラマーズ法、さらに立ち会い分娩の希望があったことと、
姑の「初産なんだから大きな病院」でとの希望があり、
広尾の日赤医療センターに通院していた。

その時に『閾値』なる言葉を知った。
ラマーズ法は、麻酔などを使わない自然分娩の際、行われる呼吸法で、
陣痛の波がやってきた時に「ひっ、ひっ、ふ〜」と呼吸をする。
この呼吸に意識を集中させるということが、
痛みを感じるポイント(閾値)を上げて痛みを感じにくくするということなんですね。
陣痛が始まり、痛い痛いとそのことに集中すると、
不安も募り、閾値が下がり痛みを感じやすくなります。
そこで、意識を呼吸に向ける。
さらにこの呼吸でお腹の赤ちゃんにも酸素が送られて、赤ちゃんも楽になる。

日赤医療センターで、そんな勉強をしたわけです。

至極納得。

で、昨日息子の下部消化器官カメラの結果説明の時に、
腹痛の度合いを聞かれた息子が「耐えられる痛みだ」と答えた。
私は、仕事柄、この痛みレベルについては、
いつも意識をしていることもあり、
Max、耐えられない痛みが10としたらいくつ?と聞くと、
「2?3?4くらいかなぁ」という。
わたしのなかでは、たいした痛みではない・・・のくくりなわけで、
あぁ、その程度の腹痛か。。。
と思った次の瞬間、ドクターが私の思いを察知してこう言った。
「カメラの時も耐えられたので、眠らずにできたので閾値が高いのかも。」と。

大抵眠らずにやると言っても、大腸の曲がり角をカメラが通る時、
一般的には、もっと痛みを訴えるようだ。
息子さんは、内臓、腹部の痛みに強いかも・・・と。

なるほど、そうである。
痛みなんて人によって感じ方も表現の仕方も違う。
私なんて、ラマーズ法を理解して、閾値を上げる術も知っているはずなのに、
眠る薬が効く前に胃カメラを挿入されると、暴れる・・・たいそう、暴れる。
看護師さん二人ないし三人で押さえ込む。。。それくらい暴れる。
口に物を突っ込まれることの恐怖感で閾値はどんどん下りパニックになる。
だから、眠る薬が効いてからにしてと言っているのにといつも思う。

『痛みのレベル』には個人差がある。
それによって、疾患を想像する助けとなるが、決定ではない。
そのことを改めて意識できた。

久しぶりに聞いた『閾値』であった。

ちなみに息子の大腸は綺麗だった。
S状結腸と直腸部分に若干気になる、
気にすれば気になる部分はあるが、いたって綺麗な大腸であった。
その部分の組織を生検に出して、その結果は、来年15日。

検査してくれたドクターが、心配してくれて、
つまり出血の原因がわからないことの方が、気にかかるようで、
継続する出血でないことも気にかかるらしく、
それと姉が『潰瘍性大腸炎』だということもあるため、
胃カメラをしましょうということになった。

私は大腸が綺麗ですっかり安心したので、
じゃ、様子を見てまた出血があったら・・・などと言ったのだが、
ドクターは、年内にスッキリしましょうと、
ご自身が外来に出ている日に検査の予約を入れてくれた。
明日午前中、息子は私の苦手な胃カメラです。
胃カメラは、私の脅しが効いて眠るそうです(笑)

この親馬鹿は、死んでもなおらないな、きっと。。。

2018-12-26 14:36:36 | 日記
検査室に入って行った息子。
眠る薬は使わない!と覚悟は揺るがない。
今朝もちゃんと2リットルの下剤を飲みきって、
私が手伝うことなど、もう、ひとつもない。
あるとすれば、アッシーとして、病院まで送り迎えするだけだ。

そりゃそうだ、もうすでに四半世紀生きている。
一緒に暮らしていなければ、全て自分の判断で動くわけで、
もちろん、どう考えても、いっぱしの社会人だ。

生まれたばかりの時の記憶が、つい昨日のように思い出せる。
母親とは、すごいもんだと思ったりする。
どんなに歳を重ねても子どもは子どもとよく言うけれど、本当にそうだ。
別れた夫の母親がよく「馬鹿を見るなら親を見ろ」と言っていたっけ。
まさしく、私は、子離れできない親馬鹿であることは、確かなようだ。

「途中、苦しいようなら、眠るお薬使いましょうね。」と看護師さんの一言。
私は、「よろしくお願いします。」と看護師さんを見つめ返した。

私は子どものことで、何度も取り乱したことがある。

一回は遊園地で。
もう一回は通勤電車で。
そして、auの窓口で。
この3回が、ベスト3だな。
取り乱した、本当に。

だから、子どものことで取り乱している母親の気持ちがよくわかる。

娘の下部消化器官検査の時、
眠る薬を使っているのに痛さに耐えかねて声を出す娘。
パーテーションの中から漏れる娘の声に、耐えられなかったのを覚えている。

病院に向かう息子のポケットには、バナナが3本。
お腹空いたから、検査終わったら食べるそうな。

やっぱり、可愛くってしょうがない。

私の親馬鹿は、死んでも治らないな、きっと(^^)