CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

阿武松部屋町田後援会忘年会

2019-12-30 22:30:28 | お相撲(スポーツ)のこと
いわゆる大相撲のタニマチ(谷町)は、お金がなければつとまらない・・・
あれだけの大食漢をささえるおまんまを何とかしなければ、ならない・・・
ってことは、庶民にはつとまらない・・・
そうお考えの方も多いだろうし、ましてや、こんな不景気で、
庶民の可処分所得は減るばかり、自分のおまんまも食い上げ目前で、
相撲の後援会なんかに入れるわけねぇやって方も多いかもしれない。

時代は変わってきている。

それに即した後援会の在り方、タニマチの在り方を探らないと。
旧態依然としていては成り立たない。
そうなっては、大相撲が成り立たなくなる・・・
協会が部屋の運営に口を出さずにもっと銭を出す、
そんな在り方も模索しないといけないのかもしれない。

さて、阿武松部屋町田後援会は、ぎりぎり私でも払える会費設定です(^.^)
同じ後援会員の中で、少し余裕のある方、たくさん余裕のある方が、
力士たちのおまんまをささえるために、お米やら野菜やら送ってくれます。
そんな方たちのおかげで、相撲大好き人間の私は後援会の端っこに座っております。

ありがたいことです。

千秋楽のあとのパーティーも会費制で、阿武松部屋の会費は、
なんとか参加しようと思えばギリギリ参加できる会費設定です。

ありがたいことです。

しかも、小さな小さなアットホームな町田後援会は、
前の親方が現役の頃からのお付き合いの方々によってできた後援会で、
その歴史は、古い。
だから、みなさん、子どもの頃の不知火親方をご存知だ。
そんな後援会の端っこにひょんなことから座ることになり、
相撲好きだった私は、この上ない幸せな時間を味わっている。

親方が変わり、その名跡を継いだいまの阿武松親方は、
その双肩に部屋を背負うことになり、とても大変だと思う。
が、そばには、しっかりモノで、まっすぐで、頑張り屋のおかみさん、
そして、不知火親方という大きな支えもある。

元関脇益荒雄というその大きな大きな存在を越えるのではなく、
大きな大きな存在を自分たちの力として、
これからの阿武松部屋をしっかり、自分たちで創っていく。
そんな時がやってきた。
益荒雄時代から、応援してきた方々には、
それぞれの考えもあり、後援会の規模も小さくなってしまっうかもしれない。

それでいい。

新しい阿武松部屋をしっかり創っていく覚悟ができるというものだ。
元関脇益荒雄におんぶにだっこってわけにはいかないし、
阿武松部屋を担う若人には、おんぶにだっこのつもりはないだろう。
これまで応援してくださった、
自分の力士人生を支えてくださった方々に深く感謝し、
大丈夫です、見ていてください、
全力で阿武松部屋を大きくしていきます!と心に誓っていることだろう。

さぁ、阿武松部屋町田後援会忘年会の写真をアップします。
ほとんどの写真が横になっている感じですが、ご容赦くださいませ。
一年に一度、部屋の子たちがやってきて心置きなく楽しむ場・・・であります。
その姿は、ほんとうに、かわいいわけで、
おかあさん・・・としては、全力応援なのであります。

まずは
阿武松親方の笑顔から


そして、不知火親方


阿武咲と続きます。

美味しいお寿司もたくさん食べて・・・

ちなみに若山は、2.5桶完食。

腹ごなしに歌う若山。

そして今回初めて『噂の町田後援会忘年会』初参加の鳴海が歌声披露。


もちろん阿武松親方も参戦。


みんなが歌いづらくなるなぁ・・・などと言いながら登場、不知火親方。


真打登場、阿武咲。
相変わらずの美声披露。



今回のメインイベント。
この二人が踊ります、阿光の歌で。




阿武咲の普段顔(^^)




最後にご挨拶。
















いつものくじ引き、今年もお花が阿武松部屋に届きます。


後援会長にご挨拶する不知火親方。


さぁ、朝稽古のために早めに切り上げて帰ります。


ピンボケ写真もたくさんあって、ひらにご容赦くださいませ。

初場所、しっかり取り切れるように。
怪我をしない身体を作るために。
自ら壁を作ることなく、その先へ。
礼に始まり礼に終わる。
土俵、花道、キチンと礼をする力士たちが誇らしい。

新生、阿武松部屋、来年も見守っていきたいと思います。

まずは、初場所が楽しみだ。

銭湯っていいもんだ(^.^)・・・その1

2019-12-10 12:20:30 | 日記
先日、『丸子温泉』という銭湯に行った。



スーパー銭湯が増えて、昔ながらの銭湯は、減り続けている昨今。
久しぶりに銭湯へ行った。
銭湯っていいもんだ(^.^)

桶はもちろん、黄色。
『ケロリン』と書いてある。
そうそう、これでなくっちゃ(^.^)

私の生まれた家は、大きな平屋だった。
庭にはぶどう棚や柿の木、瓢箪型の池があり
その周りにはサツキやツツジが咲いていた。

昭和初期に建った家だが、風呂場があった。
ただし、私が生まれたころは、風呂はもう無くて、土間だった。
物置として使われていたが、なかなかハイカラな家の造りだった。

というわけで、お風呂場はあってもお風呂は無かった(笑)

子どもの頃は、銭湯通い。
銭湯の前で犬もひろったっけ。
その犬にロンリーと名付け、ずっと飼っていた。
独りぼっちという意味ではなく
当時ローリーという乳酸飲料があって、それをちょっとひねったつもりの命名。

話がそれるが、銭湯にはいろんな思い出がある。

久しぶりの銭湯だ。
もちろん、あの界隈は・・・
私の生まれた家は今泉町にあった。
今は、東京都大田区矢口という地域だ。
少し掘ると鉱泉にあたる。
黒いというか、茶色というか、そんな色の鉱泉。
銭湯も何軒かに一軒は黒湯だった。
いつも行っていた『一乃湯』は鉱泉ではなかったような気がする。
『新田湯』に行けば鉱泉に入れるので、たまに出かけたもんだ。

どちらの銭湯も桶は『ケロリン』と決まっていた。

久しぶりに『ケロリン』の黄色い桶だ。
それに、最近の銭湯は、フロントなるものができて『番台』が減っている。
が、丸子温泉は番台なのだ!
これまた、嬉しいじゃないか!!
銭湯には番台がなくっちゃいかんでしょ。
番台にはおばさんが座っていた。
もちろん、ぶすっとなんかしていない。
愛想がいいというのとは違う。
気さくなおばさんが座っている。
あ~~~、絵にかいたような銭湯だ。
(あ・・・富士山の絵は無かった気がする)

とにかく、脱衣所の雰囲気もいいじゃないか・・・
ちょっと残念なのは、マンションの1階なので鉄筋コンクリート・・・
天井が低い・・・銭湯特有の解放感は、ない。
それでも、番台があって、桶がケロリン。。。最高じゃないですか(^.^)

しかも、丸子温泉は、薪を燃やして鉱泉を加熱してる!
裏にはパレットなどの廃材が積んであって、木を燃やして沸かしていることがよくわかる。

番台にはお釣り用に、10円玉がいくつか積んであった。
すぐにお釣りを渡せるように、積んである・・・いいなぁ、こういう風景、たまらなく、いい。

で、私は10円玉をたくさん使った。
おばさん大喜び。
「たすかるわぁ~」と何度も言う。

私は職場帰りなので、自宅からやって来る家人に浴用タオル2本だけお願いした。
そう、バスタオルなんてぇもんは、江戸っ子には必要ねぇんだ、手拭い一本ありゃいいんだ!
と言いたいところだが、そこは現代人なので、浴用タオル2本は必要かなぁ・・・

というわけで、久しぶりの銭湯・・・続きはまた、後日書きましょう(^.^)

今日はどうしてもやらなければならないことが、いくつかあるので、そちらを優先しましょう。

久々銭湯に行って、スーパー銭湯にない味がある銭湯いいもんだと思った私なのでした(^.^)