CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

2011年7月26日 JICA二本松避難所

2012-11-05 11:12:20 | 被災地のこと(記録と記憶)
あの日から、4ヶ月経過し、
それぞれの避難所もその役割を終え閉鎖するところが増えていた。

仮設住宅や親類縁者宅・・・
フクシマに残るのか、県外か・・・
それぞれの選択と決断が迫られる時期でもあった。

JICA二本松避難所も、7月末には閉鎖が決まっていた。
24日には、避難住民の方とスタッフのお別れ会もあり、
25日以降は、転出の準備などもあり、イヴェントは入れない予定だったらしい。

そんな中、私の申し入れを受けてくださり、
告知のチラシも作っていただき、訪問が実現した。

昼食が一段落した食堂をコンサート会場に・・・
スタッフの方たちが手際よく準備をして下さる。

唄う私の前には、テーブルを片付けて、椅子が並べられた。
三々五々集まってくださった方たち。

ご挨拶をし、歌い始める。

私が、唄っている間・・・ずっと、食堂の一番遠くのテーブルに一人のお年寄りがいた。
その『じっちゃん』の周りには誰もいなかった。
あまりに遠くだったので、その表情は見ることができない。

私は、フクシマで唄うとき、まず最初に『本当にごめんなさい』と頭を下げた。

高度経済成長の中で、原発のおかげで、豊かに何不自由なく育ってきた。
経済守らなければ、未来はない。そのために原発が必要だ。という人もいる。
でも、自分たちで制御することのできないもので得た経済が、本当の豊かさを生むのでしょうか。

原発誘致を地元のためだと賛成した方たちが、今、苦しんでいる。
原発は、安全だと言われ、それを信じた方が、今、苦しんでいる。

今、わかったんだから、今からでも遅くない、原発はいらないと言えばいい。
原発のおかげで、東京で、豊かに暮らし育ってきた私も、
小さな声かもしれないけれど、原発はいらないと言いたいと思っています。

そんな風に思っている人間が、いることを伝えたくて、謝りたくて、ここにきました。

それと、もう一つ。

私は、みなさんの気持ちや苦しみがわかるなんて言えない。
私は、帰る家もある。東京に戻れば、いつもと変わらない日常が待っている。
私は、みなさんの代わりになることもできない。
でも・・・みなさんのことを思っていたい、考えていたい・・・
そして、私にできることを、ほんの少しでもしていきたい。。。
そう思っている。

そんな話をしました。そして、唄いました。。。
歌の最後は、『ふるさと』『春よ来い』をみんなで唄います。
嗚咽が止まらないおかあさんの肩をさすりながら、『ふるさと』を唄います。
そして、「は~るよこい、は~やくこい・・・」と唄います。

歌のあとは、ひとり芝居・日本の昔話をお届けしました。

プログラムが終了して・・・ひとりひとりの方と握手をします。

そして、食堂の片隅にずっといた『じっちゃん』のところに駆け寄りました。
「ありがと~~~」と握手をしました。
『じっちゃん』は笑うこともせず、私を見つめ、私の手を握り返しました。

続きは・・・後日。



私は、今すぐ何がなんでも原発を止めろ!という主張をしているのではありません。

事実を・・・2011年3月に起こった事実をしっかり受け止め
そして核燃料廃棄物を安全に確実に廃棄できることのできない現状の中で
どういう方向性を持つのか、大変重要な、選択の時、それが、今だと思っています。

専門家ではないので、具体的なこと・・・正直わかりません。

でも・・・私の見てきたフクシマは、すでにその答えを出しています。
そう思うのです。