CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

侮るなかれ、咳喘息

2018-02-28 21:00:00 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
咳が続いて、もう4週間。
咳が出ていない時間も長いから、
おっ!こりゃ、治ったぞ!と思ってしまう。
そして、忘れた頃に咳き込む。
12日に職場近くのクリニック受診。
19日にかかりつけ医受診。
3年前も同じような症状で処方された薬があった。
3年前は症状が治まったその薬・・・
今回は・・・治らないなぁ・・・
薬嫌いの私が、薬をしっかり服用している。
そして、1週間分の薬が切れると、不安だったので、25日受診。

「う〜ん、吸入にするかなぁ・・・もう一週間薬で様子みるかなぁ・・・」

ドクターが迷っていたので、すかさず「薬!」と答えてしまった(^^;)

つまり、楽な時は、まったくもって楽なので、自分的には病気な気がしない。
このまま治れば・・・と思ってしまうわけで・・・

が、今日も『咳』は私に愛想つかすこともなく、
寄り添うように、そばにいる。
そして、忘れた頃に、『ねぇ、僕ここにいるよ』と自己主張する。

あぁ、あの時、『吸入』といえばよかったかなぁ・・・
と、少し後悔。
どうやら、吸入でかなり症状の改善が見られるようだ。

しかし、本当に、なんでもない時間がいっぱいあって・・・
おバカな私は、そのたんびに、治った!ってちょっと思ったり、
一ヶ月以上、咳をしていると、割とそれが普通になって、
地球上のすべての人が咳をしているんじゃないか・・・
と思うくらい『普通』になっている。

フツウ・・・って、難しいな・・・
それぞれで、フツウが違うんだな・・・
でも、ふと、自分がフツウと思っている事が、
フツウじゃないと気づくこともできる。
それと大事なのは、その感じ方が多いからって、
それはフツウとは限らないってことだよな。。。
フツウって言葉、あんまり好きじゃないかもな。
それなのにフツウでいることに安堵してたりするんだよな。。。

と、小さな哲学は、コレくらいにして。。。

今週は薬で様子見て、治らなかったら、いよいよ、吸入薬かなぁ。。。
『普通』に元気なのに、病人みたいな感じになった来た(^^;)

でも、はっきり、自覚すべきことは、わかっている。
侮るなかれ、咳喘息・・・ということだ。。。


2月27日(火)のつぶやき

2018-02-28 06:45:49 | 日記

お邦が提案する公傷制度は、コレだ!

2018-02-27 18:30:05 | お相撲(スポーツ)のこと
相撲に興味のない人、知らない人には、わかりにくい。
今日に限っては、スルーしていただいた方が、いい気がする(^^;)

今朝、湯船につかりながら、考えた。
大相撲は、年六場所となってから、かなり身体に負担がある。
地方巡業もかなりの日数こなしている関取には、過酷といってもいいくらいだ。
裸で真っ向勝負するから、怪我も絶えない。
強くなるため、怪我しない身体をつくるため日々精進していても、
怪我することはあるわけで、そんな時『番付』を考え、
無理しても場所を務める力士は、数多くいることだろう。
しかし、怪我を抱えたままの取り組みで、別の場所を痛めたり、
無気力相撲のような取り口になったりしかねない。

だから、私は『公傷制度』を望む。
過去に存在していた公傷制度では・・・
場所中の怪我で途中休場した場合、
その場所の星数で次の場所の番付が決まる。
例えば負け越していれば、その星数で下がる。
次の場所で、全休となってもその番付で、とどまれるというものだ。

力士たちは、二ヶ月に一度の場所十五日間で真っ向勝負する。
これは、並大抵のものではない。

私は、怪我をした場所は、星数通り。
その後三場所公傷制度適応とし、その番付に留まるのではなく、
全休の半分8つ黒星としてカウントしこととして、7つは白黒つけない。
つまり、周りの星数にもよるが、基本番付は8つ下がる。
これに合わせて、もう一つの救済処置として、幕下陥落しない・・・
張り出し十両のような地位をつくる。
この地位は、月収半額ボーナスなし・・・としては、どうだろう。

番付を下げる理由は・・・
復帰の場所でそれまでいた番付ですぐに取る身体にまで戻すことは、かなり難しい。
稽古はうまくいっていても、場所の土俵は、全く違う。
だから、番付を下げる必要があると思うし、
番付が保証されたら『少しの怪我でも休んでしまう』という状況も生まれかねない。
(横綱は、その番付から落ちることはない。休場後も横綱だ。
角界最高の地位・・・強い事が、勝つ事が当たり前の地位。
休場明けの場所の大変さは、想像を絶する。)

張り出し十両という考え方は、幕下に落ちてしまうと、
場所中に取る相撲は、七番となり、
一つの星での番付が変わる状況が、関取たちとは全く違う感覚がある。
一度関取になっているということを重く受け止めて、幕下陥落の星数になった時には、
張り出し十両という地位で復帰をかける事が出来るようにしたいのだ。
ただし、月給は半額ボーナスなしとしておく事が重要で、
復帰場所で負ければ、もちろん、幕下陥落となる。

幕下以下の場所で取る相撲が七日の力士たちは、
序の口、序二段、三段目、幕下の間では、
張り出しのようなものは作らなくてもいいと思う。

ただし、全休場の場所が四場所目からは、
救済措置である公傷制度からは外れ、
関取は十五日の黒星となり、幕下以下は7日の黒星として番付は下がっていく。
怪我の程度にもよるが、三場所といえば半年も期間がある。
治療リハビリ、そして、すり足、四股、テッポウ、ぶつかり稽古・・・
番付を気にせず、感覚を取り戻すためにしっかり時間をかけてほしい。

まぁ、私のような素人が云々するよりも、
大相撲の世界には沢山の方が関わっている。
ゲガと隣り合わせで、真っ向勝負する相撲が大好きな若者たちが、
相撲を長く取る事ができるように是非、公傷制度について考えて欲しいと思う。

というわけで、いよいよ、春場所。。。
お相撲好きな私・・・ドキドキしてきた私なのです。
頑張れ!阿武松部屋のみんな!


横浜港45分間のクルージング(^^)・・・その2

2018-02-27 00:49:49 | 旅のあれこれ
昨日の続き・・・

本牧埠頭でUターンして、横浜ベイブリッジを再びこぐって・・・
そう、江戸っ子は、くぐるではなく、『こぐる』という。。。
ベイブリッジをこぐって、横浜港のシンボルとも言える赤灯台を目指す。

大黒ふ頭方面に停泊する大型船の前に、釣り船が揺れていた。


赤灯台にどんどん近づく。。。


明治29年5月に初点灯した横浜北水堤灯台の近くを通る。


この灯台は、明治22年に着工した横浜港近代化のシンボルともいえる。


日本の防波堤灯台の中では、最古参だろう。
その姿にも歴史を感じる。


フォルムもモダンだな・・・と思っていたが、イギリス人の設計らしい。

さらに進むとさらに大きな船。
接岸している大きな船は、3000から5000台の車を運べるらしい。


さぁ、45分間のクルーズも最終盤。
陸地側からは立ち入ることのできない海上保安庁の施設に係留されている船が見える。


船の中央に放水塔のある消防艇も見る事ができた。


そして世界最大級6500トンの巡視船あきつしまPLH32




美しい・・・そのフォルムは見惚れるほど・・・
PLHの『H』はヘリコプターを搭載できる船であることを示している。

45分のクルージングだが、横浜港は見所満載の港。
とっても楽しかった。
下船した時、歩いたわけでもないのに、足が疲れていた。
海の上で船は揺れる。
知らず知らずのうちに、足に力が入っているんだなと気付く。

赤煉瓦倉庫で少しぶらぶらして、シーバスで山下公園へ。
ずっと気になっていたシーバスにも乗船できた。
桟橋にいたシーバスがたまたま写真におさまっていた。


クルージングこぼれ話。。。
灯台は赤白ある話をしたが、
赤灯台の相棒である白灯台がどこにあるかというと・・・
シーバスで氷川丸を海から初めて眺めて・・・


いつも見ている氷川丸のちょうど裏手にひっそりと立っている。


赤灯台は現役だが、こちらの白灯台は光を放つことはない。
現役で頑張っている赤灯台を遠くから見守っている。
東堤防にあったこの灯台は、客船がぶつかるという事故のため、
その役目を終え、昭和38年から現在の地に立って、
氷川丸とともに横浜港を見守り続けている。

実は、この日のクルージングで、ペリーの黒船が停泊した海域では、
速度を落とし、ペリーが眺めた場所から、現在の横浜を眺めた。
ちょうど、翌日の大河ドラマ『せごどん』でペリーがやって来た話だった。
なんと、タイムリーなんだと、二度喜んだ次第。

とても楽しい横浜港クルージングでありました。

まだまだ見所がありそうなので、
また近いうちに遊びに行こうと思っています(^^)

あらあら、書き終わったら日をまたいでしまった(^^;)

そろそろ、眠るとします。。。

2月25日(日)のつぶやき

2018-02-26 06:54:31 | 日記